第六十二話 戦士ミネアリス
ピアナの靴底から炎が。
アトラに向けて跳躍、その体をかっさらうと同時に純鉄製の建物を槍がかすめる。
一瞬、屋上に火花の線が走り、鉄の表面に条痕が刻まれる。
「すごっ……」
「マスター、模型に入っとけ」
「でも「写し」にしておかないと、スウロが戻ってくるかも」
「いま戻ってくるほうが危ねえんだよ、いいから入れ」
アトラはためらう目を見せたものの、模型を「町」に変えて飛び込む。ピアナは背負い紐のついた模型を拾う。
「背負ったまま戦うしかねえか、子守だなまるで」
白一色の槍が見える。
恐るべき振り子軌道で迫る斬撃。1キロという長さによって先端速度が異様なことになっている。鉄の構造材が紙のように刻まれる。
ピアナは鉄を蹴って跳ぶ。闇夜の中で足場を正確に見極め、一瞬の噴気によって加速をかける。火花がそのシルエットを照らし出す。
ピアナの視点ではミネアリスは点にしか見えない。長さ1キロの槍は大きく振り上げられ、加速をつけてピアナを狙う。
「調子に乗ってんじゃねえぜ」
眼が槍の軌道を見極める。斬撃に沿う方向に跳ぶ。
大量の銀を燃焼させる踏み込み、音速を超える槍を掴む。だがそれでも穂先のほうがはるかに速い、ピアナの体が円弧を描いて打ち上げられる刹那。
「軽いぜ!」
全身の筋肉が膨らむ感覚。槍の穂先に力がかかり、一気に打ち下ろす。遥か上空のミネアリスが都市の一角に叩きつけられる。
「やっぱりか、あの槍、伸ばしても全体の重さが変わらねえ」
触れた感覚は鳥の羽か、あるいは煙のようである。3メートルほどの竿を振り下ろすのと大差がない。
槍が一気に縮む。少し離れた場所に降り立つのはミネアリス。
「野蛮、力任せで思慮がない」
「ああ、いつもそんな風に褒められてた」
ピアナは己の装備を意識する。銀を仕込んだ靴の他には革で補強した服。防具とは言えないが、あの槍の軽さなら一撃ぐらいは受けられるかと推測する。
「カウンターウェイト、知っているか」
ミネアリスが、ほとんど色素の乗っていない唇で言う。
「ああ?」
「槍の使い手なら知っているはず。振り回す武器は先端に重心が偏りすぎると安定しない。だから石突の側に金属などをつけて重量バランスを改善する」
「もちろん知ってるよ。あたしの槍にも石突に鉛が使われてるからな」
「転経槍マニカロルカはいくらでも伸ばせるけれど、重量はほとんど変わらない。長柄の先で斬撃を繰り出そうとすれば、反作用でこちらが吹き飛ばされる」
「そうだな、あんた軽そうだしな」
「銀を飲めば力は持てるけど、体重は大して増えない。あまり飲みすぎると人格に悪影響」
ピアナはミネアリスの体重を目測する。おそらくだが40キロを割るほどに細い。これほどに細い人間はハンターズギルドで出会うことも無く、ピアナの生活圏にはいなかった。上背はそれなりにあるが、まるで針金で編んだ人形のようだ。
「何が言いたいんだい」
「秘匿は強さとならない、先刻そう言った」
かん。と音が鳴る。
槍の穂先が地面に突き立った音だ。すべてが鉄で造形された建物、そこに波打つ刃先が深々と食い込む。どうやら穂先の部分はかなり鋭利なようだ。
「教えよう。転経槍マニカロルカはけして折れず、曲がらずの理想物体の槍。そして影響範囲は刃先から170メートルほど。物理的に接触している物体が、槍のどの部分にあるかを変化させられる。穂先で突き刺した物体を、瞬時に石突の側に移動させることもできる」
「それが何だと」
瞬間。周囲の一切が消える。
「な!?」
投げ出されるというより、異なる空間に飛ばされたような感覚。重力の腕がピアナを捕まえる一瞬。はっと真上を振り仰げば。
街が空にある。
ピアナたちが立っていた街の区画、数ブロックが建物ごと持ち上げられ、はるかに伸長した槍と連結されている。
その根元にいるのはミネアリス。逆さまの街に逆さまに立ち、槍をぐいと引き寄せるような動き。
数千万トンもの鉄の塊がぐらりと傾き、白い槍が空気の壁を破りながら引き上げられ、そしてあろうことか、一回転する。
「イカれてやがる!」
街が回転する。圧倒的な重量を持ち、絶対不壊の槍が加速して、音速をはるかに超える速度で鉄の街に降り注ぐ。
その威力、もはや星の衝突に匹敵するほどか。
槍が町を通り過ぎる一瞬、極小の時間の中で鉄の塔が液体のように歪み、激しい光を放ちながら消し飛び、柄がかすめる大地は爆発するようにえぐれていく。膨張する大気は千度にまで熱せられ、周囲の大気を押しのけながら膨張。建物は溶解鉄となり、さらに気化しながらやはり膨張。
千年不変の繁栄を誇るかに思えた退廃の薔薇園、その1割ほどを消滅させるほどの爆発。
「ちいっ!」
ピアナは逃れている。その衣服は詳細不明の衝撃でボロボロになっている。肌にも針で刺すような痛みがある。溶けた鉄の飛沫を浴びたのか。
ピアナは街の南側から西側まで一気に跳んでいた。街の東側は縦長のクレーターが生まれ、周囲の建物は真っ赤に赤熱している。
「一撃でこの威力……あれが真なる竜銀の武器ってことかよ」
中央の巨人を見る。巨大な鉄の板に阻まれてその姿は見えない。透明な蛆虫であるという都市曳航竜もどこにいるか分からない。鉄板は内側に向かって傾いており、三角テントのように巨人を守っている。
「その通り」
どん、と白い槍が目の前に突き立つ。奇妙なことに声はその槍から聞こえる。音すらも槍を伝って届けられると言うのだろうか。
「鉄錆の国の戦士に生身の人間は及ぶべくも無し。抵抗せずに模型を渡すといい」
「ピアナ、渡しちゃ駄目だよ」
背中の模型から声がする。アトラが様子をうかがっているようだ。
「渡すわけねえだろ、マスターに言われるまでもねえ」
「よかった」
「抵抗は無意味」
かん、とミネアリスが降り立つ。降りるというより槍を伝って瞬間移動してきたようだ。彼女の周りには大気のゆらぎがない。
上空には鉄でできた街がある。悪夢のような重量を苦もなく支えている。槍はおよそ常識的な物質ではない。
「真なる竜銀の器物はけして壊れない。街を消し飛ばし、あなたたちを蒸発させてから回収しても同じ」
彼女の背後には赤い街。草原を渡る火のごとくあかあかと燃える街。融解した建物が数棟、きしみながらゆっくりと倒れようとしている。
「ピアナ」
「なんだよ、気が散るから黙ってろと」
「ちょっと聞いて、たぶんあの人は」
言葉が囁かれる。ピアナは敵から視線をそらさぬままそれを聞き。
一瞬だけ、片頬を持ち上げて笑う。
「何がおかしい?」
「いや、なるほどそうかい。鉄錆の国の戦士ねえ」
ミネアリスの雪で作ったような顔。
体毛すら色素が薄い、その砂糖細工のような眉がわずかに傾く。
「膠着状態といえば聞こえはいいが、とんだ臆病もんの集まりだったわけだ。薔薇の頂と竜冠国、そして戦士。どこかで相討ちが生まれるのを待ってたってわけだ」
槍が。
都市を接続したままの超重量の槍が振り下ろされる。
ピアナが回避する瞬間に区画が蒸発。あらゆるものが左右に押しのけられる。
ピアナは風を腹に受けて跳ぶ。ミネアリスも跳躍でそれを追う。ノミの跳ねるように規格外の距離を跳ぶ二人。
だが、白い戦士はある一点で足を止める。
都市の中央に踏み込まんとする位置。鉄の盾の奥に巨人が潜み、すべてを消し去る蛆虫がどこかに潜む一帯。
「どうした戦士、追ってこねえのかい」
彼我の距離は50メートルほど。都市には攻撃の余波である倒壊音が響いているが、ピアナの声はよく通る。
「……都市曳航竜バルアルブと、それに伍する黒薔薇の竜である。その戦いに踏み込むのは愚か」
「はっ、そうかい。あれだけ街を破壊していながら、竜と戦うのは怖えか」
ミネアリスは、その端正な顔に明白な不快感を見せたものの、やはり追ってはこない。鋭く後方に跳ぶ。
「あなたはゆっくり始末する」
そして残されたピアナは、舌打ちを一つ。
「ちとまずいな、挑発に乗ってこねえ」
「よいしょっと」
背中からアトラが出てくる。
「ピアナ、あの人を挑発してたの?」
「はっきり言うぞマスター、あの槍はちょいとヤバすぎる。人間の尺度を超えすぎてる。しかもあいつはかなりの銀を呑んでる。不意をつけたとしても殺せやしねえ」
「凄いよね、街の一割ぐらい吹き飛んでたよ。建物がぜんぶ鉄なのに」
「あれに勝てるとしたら同格の相手をぶつけるしかねえ。ミネアリスにはああ言ったが、結局あたしらも同じさ。相討ちからの漁夫の利を狙うしかねえんだよ」
しかも、と言いつつ街を見る。街はすっかり静まり返っており、そこに破壊のあとは一つもない。溶け崩れた鉄の建物もすでに再生しているのだ。
「一番やべえのは透明な蛆虫ってやつだ」
「そうなの?」
「あいつが走るとき、かすかに音がしていたが、ゆっくり動かれたらどうする? 音もなく忍び寄って、こっちが気づく間もなく消し去られる。本当に恐ろしいのはそういう戦い方だ。しかもこんなふうに身を隠されたら探しようがねえ」
アトラは街の中央を見る。黒薔薇竜デアノルドも機を伺っているのだろうか。
街はまた膠着状態に戻るかに思える。集いし三者三様、世界を滅ぼすような力を持ちながら、互いに決定打を欠くような戦い。信じがたい重量同士が乗った天秤。
「ちと身を隠すぜ、ミネアリスは遠距離からの不意打ちに切り替えるはずだ」
「うん」
ピアナは屋上の端から降り、最上階付近の窓らしき穴から入る。柱がいくつか並ぶだだっ広い空間。鉄だらけの寒々しい場所である。
「スウロは巨人をコントロールできたかなあ」
「さあな。少なくとも飛び込んでから動きがねえ。ヤブ蚊みてえに潰されてはねえだろ」
「そうだね……」
アトラは街の中央から視線を外さない。じっと何かを考えているようだ。
「あの巨人……黒薔薇竜デアノルドは鉄を操る。この街の鉄のすべてを生み出してる……」
つぶやくように言う。
「じゃあ、この模型があれば勝てるはず。透蠕竜バルアルブを見つけ出して叩ける」
「中央まで模型を届けるのか? ちっと難しいぜ。鉄板が山型に組まれてて中に入れねえ」
「鉄板はそんなにきっちりとは組まれてない。歩いて行けるはず」
「ん……確かに」
目を凝らす。闇夜のカラスならぬ夜の鉄塊であるが、隙間はありそうに見える。
「あの透明な蛆虫ってやつが潜んでるが……大きく跳んでいきゃ大丈夫だろ」
「ううん、ピアナはここにいて」
は? と腹からの声が出る。
「あのミネアリスって人の注意を引いてて。僕が一人で行くよ」
「馬鹿言うな! どんだけ危険か分かってんだろ!」
「大丈夫だよ広い街だし。じゃあ行ってくる」
言うが早いが、模型を腹に抱え込む体勢で窓の端に。
そして模型に入り込みながら、それを投げ落とす。この程度の動きは十分に練習している。
「マスター!」
※
鉄は冷えきっている。
あらゆる熱を放散した後の氷のような冷たさ。静まり返った街を静かに歩く。
「透蠕竜バルアルブかあ、都市曳航竜のはずだけど、街を曳航してるのかな。街も透明になってるのかな?」
アトラはあまり緊張していない。
バルアルブは巨人に接触したのが鉄錆の国ではなく、第三者であることを察したはずだ。ならばこの場は三すくみではなく四すくみになっている。より慎重に動かねばならない。目立った武器を持たない一人の人間を食らうために動くことはない。
そこまで明確に言語化できてたわけではないが、アトラは何となくこの場の現状を感じ取っていた。
それは停滞を維持しようとする力。どの勢力も決着を急いでおらず、自分と無関係な場所で事態が進行することを願っている。
「……それが北方での戦いなのかな。考えてみればそうだよね。もう何十年も戦いが続いてるらしいけど、本気で都市曳航竜がぶつかり合えばそんなに長引くはずが……」
どこからか、腐臭がする。
「……」
右方を見る。高い建物に挟まれた都市の一角。どこまでも続く大通り。無機質な四角四面の造形。
(……いる)
こちらを見ている。
それはこの世の醜悪さのすべてを詰め込んだ造形。もし見たならばその者は眼球をえぐり出し、言葉で形容しようとすれば舌がただれる。放つ悪臭はわずかに流れてくる程度だが、そこには邪悪さと汚濁、悪徳と退廃、不安や悲哀が詰め込まれている。この世で最も最悪という言葉しか与えられない。
その竜は姿を認識できない。だから背後の街を幻視して、その場に何もいないように感じるのだという。
この匂いは竜そのものの匂いだろうか。それとも竜の連れている何か。今は竜の背後にあるはずの曳航された都市の匂いだろうか。
アトラは前を向き、またすたすたと歩き始める。
鉄の街は常の姿に戻ろうとしている。
神に近しいほどの怪物たちが、ただ睨み合うだけの時間。
その事自体が、すさまじい悪徳のように思えた。




