第六十話 鉄の楽園
アトラは星というものを想う。
無限の夜に浮かぶ球体。人の世のすべてが詰まった模型。知識として知るそれは、その広大さと果てしなさ、壮大さと多彩さの中にある。感動的であると同時に恐ろしく、その巨きさを想うとき、アトラという魂の器が広がるかに思える。
浮上走行するテントには窓があり、外の景色が見えている。
波打つ砂丘がどこまでも続くかと思えば、大岩が散らばる荒れ地もある。天に届くような竜巻も、圧倒的な力で破壊を受け、横腹がえぐれている岩山も見た。
やがて大地は黒に染まる。
岩の質感が失われ、なだらかで平面的な質感の黒い大地が続いている。
「スウロ、この地形は何なの」
「鉄デスよ」
「鉄?」
模型を起動させてみる。半径数キロの範囲でまったく変化のない鉄の大地。
時おり巨大な骨が横たわっている。この土地で息絶えてしまった竜の遺骸らしい。
「鉄鉱石ってこと? こんな真っ平らになるわけないよ」
「いいえ、本当に鉄なのデス。ここは鉄以外の何も存在しない鉄砂漠なのデス」
鉄板を敷き詰めたような、という表現ではとうてい言い表せない。視界の果てまで黒い凪の海。遠景に行くと鏡面作用が生まれ、鉄に反射した太陽がはっきり見える。
「ふうん、だいぶ前からあるもんだなこりゃ、錆びてねえってことは純度の高い鉄なのかい」
ピアナの問いにはレンナが答える。
「そうみたい。純度99.99%以上の純鉄。このぐらいになると酸化反応が起きにくくなる。おそらく何千年もこの風景のまま変わらないだろうね」
何千年もこのまま。
その言葉に空恐ろしさを感じたのは、アトラに残る少年期の繊細さのためでもないだろう。この場所はあまりにも常軌を逸している。
「なかなか面白いね。一面の鉄の床かと思ったら内部が層状になってて、何かしら複雑な機構が通ってる。昼夜の寒暖差で鉄が膨張するから、それを吸収するメカニズムかな?」
「レンナ、厚みはどんぐらいだい」
「15センチ、鉄以外の金属も挟み込んだ層状になってる。ピアナの槍なら貫けないことはないかな」
そのようなやりとりを横目に、スウロはアトラに向けて言葉を述べる。
「竜たちに共通する特徴があるのデス。それは竜銀を求めること。竜銀の乏しい土地にはあまり来たがらない」
鉄の大地の上に、何か動くものがある。
それは銀色の寸胴鍋に似ていた。ゆっくりと移動しながら、下部に生えたたくさんの足を動かしている。わずかな砂や異物を掃き清めているようだ。アトラが目で追おうとしたが、すぐに風景の彼方に消えてしまう。
「……?」
「この鉄砂漠こそ鉄の加護なのデス。超大国ローズオルトは鉄砂漠によって竜の脅威を遠ざけていた。やがて薔薇竜ロノノルドに首都機能を移すまで、数千年の栄華を誇っていたのデス」
「薔薇竜……」
風景はそれからもずっと変わらない。
本当に無限かと思うほどの黒い大地。鉄だけが続く世界。
竜の遺骸も見ることはなくなり、あの寸胴型の機械をたまに見かけるのみ。黒く焼けた大地は百度を超えているといい、空を飛ぶものも地を駆けるものもない。
スウロとピアナは終着博物館に関する本を読んだり、アトラは模型を作ったりして過ごす。大雨の中のついの晴れ間のような時間。
「見えてきたデス」
地平線の果て、黒い点が見えている。
それはおそろしくゆっくりとした速度で大きくなっていく。あまりにも距離が遠いためだ。
やがてそれが街だと分かる。巨大なドーム状の何かを中心とした街。その外周部分は高い壁と、外周を囲む高層建築だけが見えている。
「あれが薔薇の頂、ローズオルトなのデス」
「ちょっと待って」
レンナが言う。
「どうしたデスか」
「いま何か……レーダーに反応が」
レンナは手元の機械をいじる。テントの中にはずっと地形図が浮かんでいるが、それはやはり黒一色であり、少し前からまったく輝点も現れなくなった。
レンナの操作で地形図の質感が変わる。灰色、赤褐色、黄色、何らかの基準で周囲を走査しているようだ。
「何も無いや、ごめん」
「……行くデスよ。街の入り口は南北にあります。南側で降ろしてください。それとアトラ」
「うん」
「あの街は恒温機能を失ってるデス。日が落ちて建物が冷えてから入ります。防寒の用意をするデスよ」
「分かった」
ちょうど太陽が西の果てに落ちる頃だった。あたりはすぐに暗闇となり、さらに1時間ほど経過した頃、テントは街の南側にたどり着く。
降り立つ。地面はやはり鉄である。内部にじわりと熱を蓄えるかに思えるが、表面はすでに冷たくなり始めていた。夜の間に手が張り付くほどに冷えるだろう。
「模型は持ってるデスね」
「うん」
「ピアナは我々の護衛に、レンナは……」
「私は模型に入るよ」
レンナはゆるい調子で言う。
「私の役目はおしまい。また模型の中で寝る。機械は音声コマンドですぐ出せるようにしといたから」
言うが早いか、アトラの背中に向けて走り、頭からえいと入り込む。
レンナはアトラの旅の同行者というより、模型そのものに近い存在に思えてきた。模型がしゃべるならレンナのような人物になるのでは、そんな想像も浮かぶ。
「ちっ、相変わらず勝手なやつだな」
「ピアナってレンナと付き合い長いの?」
「全然、何度か話しただけだよ。超然としてるようで、それでいて俗っぽくてよくわかんねえ」
「ピアナ、我々が入った模型を持って飛ぶデスよ」
スウロが示す。街の外周を囲む塀はざっと20メートルはある。
「扉とか開けられるんじゃねえのか?」
「もう通電してないデス」
「まあいいや。とっとと入んな」
そして模型に一度入り、例の気体の上に着地、10秒ほどして外へ出ると景色はすでに都市である。
複雑な形の高層建築が並んでいる。それぞれは高い部分で手をつなぐように融合し、都市に立体的な構造を生んでいる。
「すごいなあ、人口どのぐらいなんだろ」
「ローズオルトの国民は、最も多い時期で4億人。かつては外壁の向こうにも広大な農地と町がありました。星の赤道に沿って都市が林立していたのデス」
あの寸胴型の機械もいる。やはりたくさんの足を動かしていた。鉄の道にはよく見れば凹凸があってグリップを生んでいる。
「魔王によって世界が荒廃し、ローズオルトは鉄の加護の中に住処を追われました。首都として機能していた頃の人口は50万人ほどデス」
街を進む。建物からは昼の熱気が拡散しており、あっという間に気温も下がっていく。
「……ねえスウロ、竜から逃れるためだけにこれだけの鉄を?」
「そうデス」
とうてい信じられない、という目になってしまう。
アトラは模型屋であり、建築家の仕事にも通じている。10メートル四方に鉄を敷き詰めるだけでも大変な仕事だ。野良竜でも踏破できないほどの面積に敷き詰めるなど考えられない。
それに、あれだけの鉄があるなら分厚い壁でも作るほうが現実的に思える。
「この鉄の床……」
ピアナは別のことが気になるようだ。銀を仕込んだブーツで何度も大地を踏みつけている。
「どうしたの?」
「単一な鉄じゃねえ、音が歪んでる。なんかややこしい仕掛けが仕込んである」
そういえばレンナもそんなことを言っていた。寒暖差による鉄の膨張を収めるためと推測していたが。
「目的地は中央デス。急ぐデスよ」
三人は夜の街を進む。竜銀のカンテラが高い建物を照らし出す。三人の影は伸び上がり、巨人の群れが歩くような不気味なシルエットとなる。かんかんと歩く音が大地に響く。
「薔薇竜ロノノルドというのは、現在ローズオルトの政府機能がある都市曳航竜デス」
「うん」
「これにはモデルとなった原種がいたのデス。大地を鉄で覆い、あらゆる鉄の中に己の根を張り巡らせる竜。黒薔薇竜デアノルド」
「デアノルド……?」
やがて町に変化が起きる。
建物もすべて鉄でできている町だったが、その鉄からささくれのような、植物の棘のようなものが伸びている。
街の中心に近づくごとにそれは長くなり、壁から人の腕ほどもあるねじれた枝を生やし、大地からも突き出ている。細かな枝の生えた鉄の枝。薔薇の茎に見えなくもない。
「鉄とはすべての物質で最も安定しているそうデス。賢人たちは石も、黄金も、水や植物すら鉄に置換する科学の術式を考えました。それを織り込んだ竜が黒薔薇竜デアノルドなのデス」
見えてくる。それは大型船のような威容。
アトラの背中の毛がぞわりと波打つ。全体が人のように見えたからだ。何本もの腕を地面に這わせ、ひれ伏すような体勢で倒れている巨人。
その体はブロンズ像のように艶がある純鉄。腕の先では指を広げ、その指は途中から黒一色のツタに変化する。針金を束ねたようなそれが大地に沈み込んでいる。
「でけえな、これも竜なのかい」
ピアナが槍で示しながら言う。
背中までの高さは120メートルはあるだろうか。周囲の建物は巨人より高くはなく、街の中心で盛り上がって見えたのはこの巨人だと分かる。
「いいえ、これは純粋な機械デス」
アトラの背中に回る。
「選出、修理機械を50台」
どどど、とアトラの模型から湧き出る影。
寸胴型の機械である。磁力なのかそれともアトラの知らぬ力か、それぞれが複数の「手」を周囲に浮かべている。どことなく掃除用の機械に似ているのは、技術的な帰結というものか。
「コア部分が破損しているはずデス。見つけ出して修理を」
機械は一斉に散らばっていく。
「えっ、声で呼び出すとかできたんだ」
「先ほどレンナが言ってたデスよ。模型と終着博物館を連動させたのデス。博物館の中にあるものと、取り出せる量もおおよそ頭に入れました」
それは本来ならアトラの役目な気もするが、誰もそこは指摘しない。
「この巨人さんを直すの?」
「はい、この竜なら他の都市曳航竜に対抗できるデス。魔王から真なる竜銀を奪い、人類側の都市曳航竜を作り出すことができた尖兵なのデス」
「そうなんだ」
「魔王が出現したのは百年前のことデス。魔王は繁栄を極めていたローズオルトを破壊せんとした。それに対抗して人類が作り出したのが黒薔薇竜デアノルドなのデス」
「うん、百年間戦い続けたんだよね、魔王の血肉から竜が生まれて、人はそれを奪って都市曳航竜を作り出したって……」
「そうデス、魔王は無数の竜を生み出して世界を竜に蹂躙させた。ローズオルトは難攻不落の要塞となりましたが、その中ですべての生活を完結させることはできなかった。循環が完全ではなかったのデス」
「そうかもね……こんな町じゃ、狩りもできないし畑も……」
「人々は真なる竜銀によって薔薇竜ロノノルドを生み出し、魔王を討伐する旅に出た。黒薔薇竜デアノルドは放棄されました。この竜の力はあまりに強すぎて……」
「……」
何だか妙な話だ、とアトラは思う。
強すぎるとしても人が制御していた力だ、なぜ直さずに放棄したのだろう。
(違う。そうじゃない)
それよりももっと不思議なこと。
なぜ、この巨人のような竜は放置されているのだろう。直せる可能性はあるのに、なぜ他の都市曳航竜に破壊されていないのか、あるいは利用されていないのか。
(……破壊できない? でもスウロは壊れてるって言ってた……)
「ちょっと待て」
ピアナが言う。彼女は槍を構えていた。彼女の身長よりも長く、銀を蓄える紋様の彫られた槍。
「何かいる」
言われて、アトラたちも周囲を警戒する。
しかし何も見えない。ロボットが竜の体に群がっているだけだ。
音も感じない、熱もない。
「何がいるの?」
「わからねえ、だがかなりヤバい気がする。二人ともあたしの近くに固まりな」
「遷移、「写し」」
模型を起動させる。無数の鉄の高層建築と、平身低頭の体勢で伏せる巨人が現れる。やはり黒一色の世界である。
「倍率、160倍」
「何か見えるデスか?」
「生きてるものがいるなら人形が現れるはずだけど、何も見えないよ……」
「こっちだ」
ピアナの靴が燃焼する。
強い光を放ち、かかとから後方に火花を散らす。竜銀を燃焼させているのだ。
「マスター、模型の縮尺を最大にしろ」
「どうしたの、何が」
「いいから早く!」
「う、うん、倍率1万倍」
直径1メートルの模型に、10キロの範囲が表示される。
碁盤目状に並ぶ無数の建物。手をつなぐように融合する立体構造。
その一角が、消滅する。
「え……」
建物が音もなく消えた。次にその隣、さらに隣、半分だけ欠けている建物も。
消滅が連鎖的に続く。街の東側から、すさまじい勢いで建物を消滅させる何かが。
「ピアナ! 何か来る!」
「捕まれ!」
それは来た。
姿は見えない、だが地鳴りのような音がする。
鉄の大地を削りながら突っ走る消滅。加速をつけて迫る虚無。側面を削られた建物が倒壊する音。
ピアナが二人の手を持って飛び上がる瞬間、巨人の腕が一本と、数十もの建物が消滅した。




