第五十七話 ひとたびの終わりの火
「何だ!? 捕り手どもの攻撃か!?」
「違う! 今のは術師が撃った火だ! 街が消し飛んでる!」
さらに数撃。轟音と熱波が路地を駆け抜ける、悲鳴の音が遠く聞こえる。
「今のは……!」
並の人間ならショックで身動きが取れない音と光、その中でピアナがギルドを飛び出す。
「ピアナ待て! 攻撃されてるんだぞ!」
「そうじゃねえ! 攻撃してるのはシルヴィアだ!」
「何……!」
すでにアトラティアの街は炎に包まれている。尖塔のように立ち上る火炎と闇夜をさらに鎖す黒煙。その位置はおそらく捕り手が潜んでいたあたり。
そして上空を振り仰げば。
白い衣が炎に照らされている。あたりを見下ろす鐘楼の上、天の使いのように衣をなびかせる人物。
「シルヴィア……」
「ハンターズギルドの皆さん、政府庁舎から離れるように逃げなさい、逃げやすいように壊しています」
銀を使って拡大された声。シルヴィアの靴が銀色に光り、ノミのように跳躍して街の中心へと向かう。
「待てシルヴィア!」
竜銀を使った跳躍。それはピアナも使える。装飾により銀を貯蔵している具足を真綿色に光らせ、炎を大きく飛び越える。
「シルヴィア! 何やってんだ!」
「ピアナ、追ってこないで。人が逃げやすいように燃やしてる、あなたは避難を先導して」
「ふざけるなよ、シル……」
白く細い腕が振られる。植物の女神が種を撒くように白い粒をこぼす。しかしそれは圧縮され点火された銀。地上に落ちると同時に爆発を起こす。シルヴィアは爆炎を背中に受けて加速する。
「ぐっ……この爆発力」
爆圧を自身の跳躍に活かすような攻撃。シルヴィアの持つ狩りの技術。別人ではないと確信する。
「どういうことだ。今の銀は一粒が一億はある。それだけの銀をどうやって」
「銀なんかいくらでも手に入る。そう言っていたのはあなたよ、ピアナ」
そこで気付く。シルヴィアはいつもの白い法衣を着ていたが、その裾は擦り切れて赤黒く汚れている。あの美しかった手にも足にも生傷が見え、ハンターの膏薬で無理矢理に止血していると分かる。
「……森に行ったのか。森の奥で怪物たちを」
一頭で数十億の銀を持つ獣もいる。それを倒していたとしたら。
ひゅん、と風切りの音。
直径3ミリもない極細の矢がシルヴィアの背中に刺さる。
「! ジェイトゥか!」
跳躍しているシルヴィアを地上から追跡、狙撃してのけるとは流石はハンターというべきか。
尾羽根は白い、巨獣をも昏倒させる眠り矢だ。シルヴィアはそれを抜くでもなく、腹部側に人差し指をあてる。
どう、と己の腹を撃ち抜く。指ほどの太さの炎が背中側に抜ける。
「なっ……」
「眠り矢の成分は熱で分解される、それに私は簡単には眠らないわよ。銀を飲んでるからね」
跳躍を続けながら指二本を、矢の飛んできた方角へ。
射撃。打ち出される火線は数百。
放射状に広がってアトラティアの街に降り注ぎ、火炎を生む。
(なんて規模だ……銀の量が桁違いというだけじゃない、シルヴィアに一切の躊躇がない。本当に何もかも灰にする気かよ)
炎の中にギルドメンバーが見えた気がする。そう簡単に死ぬ連中ではないが、後方は完全に黒煙に包まれた。おそらく射線が通せず矢が射てないだろう。
前方を見る。政府庁舎の砦のような建物が見えてきている。
「シルヴィア! 本当にやる気なのか!」
「そうよ」
たつ、と降り立つのは政府庁舎の屋上。四階ほどの高さがある形ばかりの物見の塔。
「政府庁舎はすべて灰にする。避難する道は残すけど、アトラティアの街は徹底的に壊す。そうあるべきなの」
「……シルヴィア」
ピアナは、己が心酔していた人物をじっと見て、そこに何らかの狂気を探そうとした。激情に燃える目を、おそろしく注力された顎の肉を、制御できないでいる呼吸を見出そうとした。
だが何も見えない。
シルヴィアは彫像のように冷ややかな表情。衣服はぼろぼろに擦り切れて、指先は術の余波で火膨れが出来ているが、それ以外は何も――。
「竜銀励起、萬獣斧」
はっと声の方を向けば、ゴドーが銀の斧を構えて屋上にいる。街が火に包まれる前に走り抜け、自分たちに追いついたのか。
「狂ったかシルヴィア、残念だな」
「ゴドー、邪魔をしないで、今すぐこの街を消さねばならないの」
「世界が模型なことがそんなに衝撃だったか?」
ピアナが眉をひそめる。
「ゴドー、あんた知ってたのか」
「知ってたとも、だがどうでもいい事だ。誰も外の世界なんざ知らない。少なくともこの200年ばかり、外から誰かが来たこともない。外なんかあっても無くても同じさ。俺はギルド長として組織を束ね、政府との調整役を務めてた。ここ最近のギルド縮小も時代の流れと感じてたよ」
「時代の流れ……?」
ピアナの呟きに、短いうなずきを返す。白く輝く斧はシルヴィアに向けられたままで。
「世界は閉じようとしてるのさ。安全な範囲で森の狩りを行い、国土は今の広さのままで永遠に永らえる。豊かで安全な国のままだ。飛び抜けた力を持つハンターズギルドは時代にそぐわないのさ」
そして、と腰を落とし、斧に込められた銀を燃焼させる。
「シルヴィア、お前のやろうとしてる事は分かるさ。外への入り口であるこの庁舎を破壊したかったんだろ。穴がそれで消えるかは知らんが、まあ瓦礫で塞いじまいたい気持ちは分かるさ」
「私は……」
シルヴィアは何かを言いかけたが。
その口が開かれる寸前、何かの強固な意志により唇を噛む。そして銀塊をかざし。言葉を。
閃光。
人一人を包み込むほどの光条が伸びる。それが庁舎を一撃せんとする瞬間、銀の斧が割り込み、光の軌道を真上に反らす。
「くっ……」
「いい熱量だ。この銀の斧じゃなきゃ受け流せねえな」
ゴドーの操る銀の斧、そこに練り込まれた術は「滑走」であるという。
その斧は術に対しての反発力を有しており、斧に触れた術は刃の表面を滑るように動く。それにより味方の術を敵の方向に飛ばしたり、森の怪物が使う術を受け流すことができる。
「シルヴィア……」
ピアナも槍を構える。三角形の穂先は銀無垢の輝き。
銀による矛と盾ならば矛のほうが有利な傾向がある。ピアナの速度と槍の突進力ならシルヴィアの防御を抜けるだろうか。
だが。
「……やめた」
がらん、と槍を捨てる。
「ピアナ、お前……」
「悪いなゴドー、俺はどうしてもシルヴィアに敵対できねえ」
シルヴィアはそんなピアナの様子にほっとするでもなく、笑みを見せるでもなくただ無表情で構える。表情らしきものを強い意志で抑え込んでいる。
「分かってんのかピアナ。すでに街は火の海だ、煙に巻かれて何人か犠牲になるだろう。この現状よりシルヴィアを取るのか」
「それはねえよ。いくらシルヴィアでも人殺しは容認できない。シルヴィアが本当に狂って街を破壊してるなら、俺が引導を渡してやる」
「じゃあなぜ」
「狂っていないから」
はっと、そこで初めてシルヴィアの視線が感情の色を帯びる。
「シルヴィアは狂気に落ちてない。考えて動いてる。街を破壊することも、犠牲者を出すことも覚悟の上でやっている」
「わけが分からんな、それを狂ったと言うんじゃないのか」
「そうかもな。だが少なくとも槍を振るうだけの俺よりはマトモってもんさ。だから俺はシルヴィアに逆らわねえよ。俺を殺したいならそうすればいい。シルヴィアにすべて任せる。そう決めた、いや、ずっと前からそう決めている」
「ゴドー」
シルヴィアが、まだ斧を構えているギルド長を呼ばわる。
「これしかないの。私を信じてほしい」
「何がこれしか無いんだ」
「世界は、世界に隷属することなどできないということ。たとえ大きさに差があっても、技術に差があっても、どちらかが従者であることなど出来ないの」
「……何が言いたい」
「この世界が模型であるとしても、我々は便利な道具でも無ければ、使い魔でもない。私達は外と対等である。そうでなければ外にいるマスターとは付き合えない」
「それで入り口を埋めるのか? 世界を切り離すのか」
「それだけでは無理。必要なのは記憶の断絶と、ひたすらに長大な時間、外界のことを忘れるほどの」
シルヴィアは実のところ、かなり興奮しているようにも見えた。言葉は端的であり断定的、横隔膜をいっぱいに上げ、肺を膨らませながら話すような印象がある。
「外界を知るすべてを消し、文書を破棄する。そしてざっと数千年は待たねばならない。そうでなければこの世界は本当に朽ち果ててしまう。自身が、世界が、神の創造物だと確信してしまえば、その瞬間に世界は腐敗する。世界が神と対等であるために、神を忘れねばならない、そのために私は行動している」
そしてシルヴィアは、すべての感情を叩きつけるように言う。
「世界を生まれ変わらせるために」
「……」
――そして。
ゴドーも斧を捨てる。
「いいだろう」
その反応はピアナにとって意外だったのか、ぎょっとしたような目を向ける。
「ゴドー、えらく聞き分けがいいな」
「世界は閉じようとしてると言っただろ。俺が思うに、それは被創造者としての甘えだ。この世界はなぜ生まれたのか、俺たちは何をするべきなのか、考えることが怖いのさ。だから小さく閉じようとしていた。今のシルヴィアの言葉で分かった。おそらく俺たちはマスターに見捨てられたんだ」
「……」
「というより、マスターはお優しいんだろうな。俺たちに何かをさせようとしてない。銀も受け取らない。アトラティアが独自の社会を築くようになって、もう利用すべきでないと感じたんだろう」
「ゴドー、あなたもとても聡明な人」
シルヴィアが真上に手をかざす。その手の平にあるのは銀の粒。燃え上がるように発光し、シルヴィアの手から白煙が上がる。
「模型であることを記憶するすべてを焼き払い、そして私も滅びる。付き合ってくれる?」
「仕方ねえな。お前ならうまく殺すだろう。俺も、他の連中もな」
「ピアナ、一撃で決める、そこを動かないで」
「ああ」
不思議な落ち着きがあった。
あるいは言うまでもなく、シルヴィアの行動も論理も狂気そのものかも知れない。
だが、それに身を委ねるべきだと感じる。
狂気だけが現状を打開しうるのだと、そう覚悟した自分を認識する。
「シルヴィアも俺も、ゴドーや街の連中もどうしようもなく愚かで、傲慢で、救いようがなかった」
銀の炎は、夜空にひるがえる太陽のごとく。
「だからってシルヴィア、お前のやることは殺戮であり、世界そのものの自死でしかねえ。けして許されない。だから、だからよ……」
そして投げ上げられる。大岩のように巨大で、太陽のように明るい銀の光。ゆっくりと上昇し、ある一点で反転。アトラティアの町並みを漂白させながら、地上へと。
「俺も一緒に、狂ってやるから……」
背後から、肩を掴む手が。
「時流速度10万倍。そして緊急離脱」
一瞬の意識の喪失。
視界が急に明るくなる。その瞬間、どこか遠い場所で凄まじい爆発が起きた気がして――。
はっと、覚醒に至る。
明るい。木肌色の砂漠が広がっている。その中でピアナのいる場所だけ影がある。
岩場で影になった場所のようだが、妙に暑い。空気はからからに乾いている。
背後にレンナがいた。ピアナは憮然とした目を向ける。
「おい、シルヴィアはどうなった」
「え、まず助けたお礼がほしいな。これは私が見つけた呪文なんだよ。模型のどこにいても離脱できる」
「どうでもいいよ、シルヴィアは死んだのか」
「あの銀の火はすごい密度だった。多分、政府庁舎をほぼ消し飛ばした。街から離れてた人は生き残っただろうけど」
周囲を見る。大岩が重なり合い、わずかにできた影の中にいる。
そして足元には、半球型の覆いがかかった模型が。ピアナは胡乱げな視線をそれに落とす。
「アトラティアの街は滅びるけど、生き残った人々は、外の世界の記憶を忘れてまた生きていくだろうね」
「誰かが偶然に穴を見つける可能性はあるのか」
「私が許可しない限り穴に触れられない。けして出てこれない。そして私達は、模型の管理の仕方を間違えてたよ」
「……」
「もっとどーんと時間を流すべきだった。ざっと数百年だね。しばらくはこのまま置いておこう。何十世代も経て、技術を磨いて、外の世界のことなんかも忘れ去って、そしてまったく新しい社会が生まれるまで放っておくしかない。それを教えてくれたね」
「シルヴィアだからな」
「戦士だね」
おい、とレンナの言葉を聞きとがめて言う。
「こないだから何なんだ、その戦士とか賢人とか」
「賢人とは現状を受け入れるために努力する人。戦士とは現状を破壊しようとする人。これは頭の良さではなく、世界に対する立ち向かい方の違い。私の定義だよ」
「シルヴィアが戦士で、俺が賢人だってのか」
「そう、あなたは賢い。自分より頭のいい人にすべてを委ねられる。自己や他者の滅びすら受け入れる。他者の狂気を狂気のまま受け止められる。だから賢人なんだよ」
「ちっ、よく分かんねえよ」
それより、とピアナは周りを見る。
「すげえ暑いぞ。何なんだここは」
「砂漠だね、しかも気温が異常に高い。虚無の帯に入ったかな」
「マスターってのがいるんじゃねえのか」
「さあ? 死んじゃったかもね、過酷な旅だから」
「あれ、レンナ?」
どすどす、と足音がする。見れば騎竜だ。森にもいた獣である。かなりの駆け足で砂の上を走っている。騎乗しているのは二人。
「アトラ久しぶり、そちらではほんの数年だと思うけど、こちらでは」
「そんなことより、模型に逃げていい?」
「ちょっと追われてるデス」
その背後から、何やら大きな影が迫っている。
砂を柱のように打ち上げながら迫る何か。地揺れが届く、周囲の砂が液状化して岩がわずかに沈み込む。
そしてその大きさたるや、島ほどもある。
砂を打ち上げて巨体が現れようとしている。あまりにも巨大なために背中の丸みがわずかに見える程度、何千万トンもの砂が滝のように背中をすべり降りる。
「模型はいま立ち入り禁止だよ」
ピアナが槍を構え、アトラとすれ違う。
「立ち入り禁止って?」
「眠ってるのさ」
銀の光が。
具足から胴鎧、小手を伝わって槍へと。
「生まれ変わる日まで……」




