第五十四話 槍士ピアナ
深き森。
立ち並ぶ巨木は太くはないが、胴部が糸くずのようにねじ曲がっている。どこまでが幹でどこからが枝かも分からぬ造形。百の腕を持つ怪物のよう。
枝は人間の胸の高さで複雑に絡み合い、棘をつけ毒の苔を茂らせ、その紫色の樹液には麻痺の作用を潜ませる。
そこを走る影は七つ。
身を低くし、枝の薄い部分を見極めて駆け抜ける。枝は嫌がるように強くしなるが、折れはしない。
「グランダ! やつを足止めできるか!」
「無理だよ! あいつには毒矢も眠り矢も効果が薄い! 追いつかれちゃう!」
それは森の狩人たち。だが少し異様なことには、彼らは軽鎧で防御を固めていた。
薄い金属の鎧。関節部は樹脂で補強した革である。それなりの重量があるが、驚異的な速さで森を駆ける。
一人が振り向く。ぎりぎりと鳴る音。ハンドルで巻き上げる機械引き弓から矢が飛び出す。
それは枝の隙間を縫って飛び、直後に爆圧と赤光が戦士たちを押す。銀を仕込んだ爆雷の矢だ。
「ジェイトゥ! ムダだやめろ! あいつには効かん!」
「くそっ、黒牙猪にしては大きすぎるぞ! クラス5、いや6はある!」
狩人たちの駆ける背後から、それは来る。
ねじ曲がった樹をへし折りなぎ倒し、破壊の予感を引き連れる影。
それはイノシシの怪物。だが丘にすら比較できそうな大きさ。戦士が十人がかりで仕留める黒牙猪の数倍はある。
ぼおう、と蒸気釜のような音が響く。威嚇の唸りか、逃げても無駄だと語る声か。
森の様相が変わる。
ねじ曲がった立ち枯れの森から常緑樹の森へ。前を走る狩人たちが叫ぶ。
「ゴドー! 方向がやばい! 『街』へのゲートに向いてる!」
「俺たちが踏み潰されるのはいい! だがゲートにあいつが居座るのはやばいぞ!」
ゴドーと呼ばれた人物は集団の最後尾を走っている。樹々をなぎ倒す音はほんの30メートルにまで迫る。巨人が走るような振動。
「……俺が食い止める。お前たちはゲートから『街』へ戻れ」
「ゴドー! しかし」
「リーダーの命令だ」
狩人たちは一瞬、戸惑う眼を見せた。だが背後を警戒する走りから前傾の全力疾走に切り替え、進行方向の森へと消える。
「竜銀励起、萬獣斧」
背中から抜き放つ、それは銀色の両刃斧。刀身には迷路のような模様が彫り込まれ、柄は宝石と金で飾られている。
斧だけではない。ゴドーの小手も脚甲も、靴からも白煙が上がる。仕込まれた銀が燃焼し、ゴドーの肉体を強化している。195に迫る巨体が瞬間、一回り大きく膨れ上がるように見える。
「はっ!!」
跳躍、そして立木をへし折って現れる影。
まさに疾走する山とすら見える獣。その鼻っ柱と銀斧が衝突。ごおん、と大質量同士がぶつかるような音が響く。
「ぐっ」
数メートル吹き飛ばされ、たたらを踏んで着地。獣は足を止めたものの、その黒ずんだ体表には毛ほどの乱れもない。
「これでも斬れんか……仕方ない、何とか方向を逸らして……」
きいいい、と甲高い音がする。
「!!」
その音を聞いて、あろうことかゴドーは瞬時に音の方を振り向いた。目の前の獣の殺意すら忘れて。
「あの音……!」
もしこの場に知見のある者がいたなら、それはジェットノズルの噴気音だと感じたかも知れぬ。高圧のガスが音速を超えて排気される音。
それは間違いなく「街」のゲートの方向。距離はおよそ250メートル。
ゴドーは物入れから片眼鏡を抜く。竜銀を練り込んだレンズが遠方のそれを拡大する。
森の中には白銀の鎧。
軽騎兵のような部分的なものではあるが、一流の職人が銀を練り込んだ鎧。
構えるのは槍。先端に矢じりのような刃がついた美麗な槍。その鎧も、槍の刃先もどこか女性らしい曲線を備える。
特徴的なのは脚部である。その踵にはパイプのようなものが複数本あり、足元から斜め後方に打ち上がっている。そして先端は白煙を打ち上げる。鐘楼を飛び越えるほどの高さまで。
「やっ……やめろピアナ! お前、そんな出力で、また……!」
音に反応したのは猪の怪物も同じだった。その高周波のような音に敵意を感じたか、もはやゴドーには目もくれずに疾走を始める。
「い、いかん」
ゴドーは一瞬、追いすがろうとした。
だが方向転換して森の奥へ逃げる。ピアナの「射線」に入らぬ方向へ。
獣は駆ける。
身の丈は20メートル以上。重量など想像もつかぬ怪物。立ち木を雑草のように薙ぎ散らし、四肢をすべて浮かせるような浮遊感。その異様から想像できる力の、さらに数倍の熱が体内で渦巻くかのようだ。
そして、音と白煙が極まる一瞬。
戦士が、雷光を曳いて飛ぶ。地盤がめくれ上がるような衝撃波。あらゆる景色が光の中に溶けるほどの閃光。
瞬時に到達する白銀の刺突。鳥の視点で見るなら森を1キロに渡って漂白する光。
その槍の刃先で万物が融け、蒸発し、衝撃波によって拡散する。
およそ0.3秒後に噴き上がる爆発。槍士の軌道にそって森が吹き飛び、木々は消滅し、土砂が津波のようにかき分けられる。
「あ……あの馬鹿っ……」
かろうじて逃げていたゴドーは尻もちをつく、そのすぐ脇に、人の背丈ほどあるイノシシの牙が突き刺さっていた。
「ゴドー、生きてるかー?」
ざり、と陽炎の中から現れる人物。
軽鎧の隙間は革で補強しているが、それでも首や手首の露出した部分に火膨れができている。防御に振り分けるべき銀すら突進力に回したのか。
緑色の髪。すらりと高い背丈と引き締まった手足。犬歯を見せて獰猛に笑うのは女性である。
「ははっ、生きてた。しぶといねー、さすがハンターギルドの頭だ」
「ピアナ、この馬鹿野郎……! なんて出力で撃ちやがる。竜銀をいくら使いやがった」
「はあー? まず助けてもらった礼じゃねーのか。しかもあんだけの大物だぞ、銀なんかケチってんじゃねーよ」
ピアナと呼ばれた女性は革鎧の小手を見せる。そこには銀の糸で描かれた幾何学模様があった。獲物から銀を吸収するための装置である。
「ざっと14億。さっきの雷突(ヴォルト)が8億、6億も儲けたじゃねーか、何か間違ってるか?」
「……も、もういい、とにかく一度街に戻る。見張りも引き上げさせて森を再構築しなければ……」
「なあゴドー、こりゃ褒美が出るやつだよな。酒樽ごとくれよ、あの蔵の奥にあるやつ」
「やかましい、だいたいお前は……」
ゴドーは先程の斧の一撃が響いていた。足を引きずるように歩く。するとビアナが脇から抱えあげて先を促す。
それは戦士同士の無言の助けのようでもあったし、単に早く酒にありつきたいだけにも見えた。
足元の土はガラス状に融解し、高熱の蒸気を上げている。
直線的に溶け消えた森を、二人はゲートへ向けて歩いていった。
※
「我々に必要なのは教育であります!」
街には多くの人間が歩く。
スーツを着こなした紳士。裾の広がったドレスでめかしこむ貴婦人。物売りの屋台が軒を連ねて、何やら議論に興じる男たちや、新聞を売る男。果物や花を売る子供もいる。
「このアトラティアの街の歴史が始まって二百余年。人口は8万を超えましたが、食糧事情や住宅事情は逼迫するばかり。国土解放は遅々として進まず、資源の枯渇も叫ばれて久しく、政府は再度の人口抑制策を決議すると言われています」
演説には何人かが足を止めて聞き入っている。うなずく様子も見える。
そこから少し視線を転じれば、何やら揉め事が起きていた。緑髪の女性とチンピラ風の男である。
「ああん? 女の尻触っといてなに堂々としてやがんだコラ」
「はっ、ちょっと撫でただけだろうが。痴女みてえな格好しやがって、触ってくれと言ってるような」
男の鼻に拳が突き刺さる。
チンピラ風の男を一撃で殴り飛ばして、ピアナは鼻血のついた手を払った。
「ち、女の尻がそんなに珍しいか。情念が溜まってんなら森で狩りでもしやがれ」
ピアナは自覚がなかったが、彼女はやたらと街のあらくれに絡まれる。
それというのも鮮やかな朱色のズボンを、臀部のすぐ下まで破いて履いているためだ。腿の筋肉が農耕馬のように張っているので、まともなズボンが入らないらしい。それでも腰回りはぎちぎちで、尻の布がすり切れて下に履いてるものが見えてしまっている。
はっきりとあられもない格好なのだが、ピアナは女性用のシルエットの細い服しか着ない。彼女なりのこだわりだろうか。
下町へ行くほど道は入り組んでおり、人は毛細血管を通る赤血球のように押し合いながら歩いている。物売りや世間話に混ざって聞こえるのは演説の声だ。何度も同じようなものを聞く。
「我々に必要なのは教育であります。すべての子どもたちに教育を、独占された技術を解禁し、多くの工房に竜銀の工作機械を」
そんな声を脇に聞きつつ、ピアナは建物の一つに入る。看板には「狩猟組合」と書かれていた。
「ゴドーのおっさん。来たぞ」
入って、そしてピアナは足を止める。
中にいたのはギルドに所属してる30人あまりの狩人たち。それが一斉に彼女の方を向いたからだ。
「ピアナ、遅刻だぞ」
「……何だよ、全員集合じゃねえか。辛気臭い顔しやがって、森で誰か死んだか?」
軽口を叩くが、それは違うと分かっている。森で誰かが落命しても、全員がここまで神妙な空気になることはない。
「席に座れ」
広間には人数分の椅子が用意してあった。よく分からぬながらも席につく。
「全員が揃ったからもう一度言っておこう。先日、政府より通達があった。現状のハンターズギルドの縮小を行い、余剰の人員については政府の衛士として配属するとのことだ」
場の空気が暗鬱になるのがわかる。歯噛みして、膝を強く握りしめる者もいる。
だがピアナにしてみれば、なんだそんなことか、という感想だった。縮小は初めてではないし、誰かがクビになるとしてもピアナではない自信があった。
「ハンターは現状、俺を含めて32人だが、20人まで削減するとのことだ。我々は狩猟で得た銀の4%が取り分だが、規模縮小に伴って3%に減らされる」
「くそっ……冗談じゃねえぞゴドー、銀は俺たちの命綱だ。装備に術に……今だってまるで足りないんだ」
「なぜ規模縮小で取り分が減るんだ、道理が通らないぞ」
「うむ……政府としては、新兵育成などにかかる費用が減るから、という言い分だったが……」
「なあゴドー、そもそも俺たちは政府直属のはずだ。組合って名前もおかしいが、組合ってんなら俺たちに決定権はないのか」
場はかなり煮詰まっていたようだ。屈強な男たちがそのようにゴドーに絡むのを、ピアナはうんざりした様子で眺める。
「やはり、政府に抵抗すべきです」
がたり、と立ち上がる影。
その影は白かった。無数のレース模様に竜銀を練り込んだ術師の衣装。男たちが一斉にそちらを見る。
(……シルヴィア)
ハンターズギルドに女性は二人だけ。一人は槍士ピアナ。いま一人が術師のシルヴィア。
だが、そのあまりに可憐な美しさと、知性をたたえたサファイアの目。彼女を見てハンターだと思うものは多くないだろう。
「我々はこれ以上譲らない……その意思をはっきりと示しましょう」




