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ワールドエンド・テラリウム ~模型屋アトラと竜たちの歌~  作者: MUMU
第五章 模型屋アトラと暗がりの竜
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第五十一話 夢幻の光


「――!!」


アトラの目が捉えるのは剣の残像。竜の体を斬り裂き、その血潮が洞窟を流れる清水に混ざる。


「あいつ! 竜を斬ったぞ!」

「信じられない! できるわけないよ!!」


子供たちに恐慌が走る。外の世界から隔絶された子らが初めて触れる脅威、存在するとも思ってなかった強敵、それに触れたための恐怖が闇の中で肥大する。


「うろたえるな! 奥まで退がれ!」


ドリーが叫び、彼は前に出んとする。

その手には棒きれが握られている。先端が匙のようになっており、こぶし大の銀が乗せられた投石器だ。

その銀は薄く発光しており、表面から水蒸気が上がっている。ドリーの手から汗を気化させているのか。


「……竜銀ドルム? しかもかなりの純度の……」

ぜ銀って言うんだ」


一秒の集中。ドリーが洞窟の中いっぱいに意識を広げる。あらゆる音に耳を澄まし、そして小さな動作で素早く振られる投石機。

風斬りの音を残して飛昇する石。


「あ!」


アトラがその意図を察して身をかがめる刹那。石は70度以上の仰角を描いて天井へ。

閃光と爆炎。天井のもろい部分が砕け、大量の土砂と岩と水の流れが落ちてくる。


「アトラ! こっち!」


正確な腕の位置が分からなかったのか、服を掴んで引っ張るドリー。アトラは耳鳴りと頭痛に苦しみながらも後を追う。


「ど、ドリー、あれは竜銀ドルムの純度を高めた爆弾だね、どうやってあんなものを」

「試行錯誤だ。銀の炎を水の中で燃やすと銀を鋳潰すことができる。そうやって純度を高める。北の方じゃもっと純度の高い爆ぜ銀が使われるらしい」

「あそこを壊すと天井が崩れるって知ってたの?」

「そうだよ。壁も天井も常に音を出してる。それ自体が発する音とか、別の音が跳ね返って出る音とかね。あの部分がつっかえ棒になって土砂を支えてるのは分かってた」

「すごい、ね……」

「あの剣士も生き埋めだろう。あとで死体を掘り出さないと……」


はっと、ドリーが足を止める。目隠しをしていながら背後を振り向いた。


「どうしたの?」

「何か変だ。瓦礫が落ちる音が少なすぎる。もっと派手な音がすると思ってた」

「え……」


アトラも振り返る。子供たちが自分たちの脇を通り過ぎて洞窟の奥へと逃げていく。


そして、視界の果て。


土砂と岩の積みあがった小塚の上、剣を構える戦士の姿が――。


「! あいつ! 生きてる!」

「くそっ! おい、全員高台へ登れ! イルガードを放て!」


ドリーが闇の奥に向かって叫ぶ。子供たちが悲鳴を上げてばたつく気配。


そして何かを固定していたロープが切られる音。途端にどかんと扉を押し開ける音がして、闇の奥で巨大なシルエットが動く。


「アトラ、こっちだ!」


数人が服を掴んで引っ張り上げる。それは石でできた小屋の上だ。

壁面に並ぶ簡素な建物。箱を並べたような眺めの上に、子どもたちが縮こまっている。それは大半はイルガード、巨大な鰐の竜に向けられた畏怖だ。


子どもたちの誰かが、暗がりの奥から声を飛ばす。


「ど、ドリー、イルガードを出すのはいいけど、戦いが終わったらどうやって檻に戻すんだよ」

「何とかなる、今はあの侵入者を殺すんだ」


アトラの目が大きく開く。

言葉に頭を殴られたような衝撃。先刻、己がまさに殺されかけたというのに、それでも子どもたちと殺意とを結びつけていなかった。人里離れた土地に生きる、汚れなき妖精のように考えていた。ドリーの示した殺意に目眩がする。


「おい、ぜ銀を用意しろ、手槍もだ」


「やめろ」


それは剣士の声だった。子どもたちの視線が集まる。


「手を出 な、子供だろ  容赦は ない。何もせず 伏せ いろ」

「ひどい声だぞあいつ、爺さんか何かか?」


確かに、かろうじて聞き取れる程度のいがらっぽい声だ。アトラはふと思い出す。知り合いに高齢の鍛冶職人がいたが、その声に似ている。火を扱う職人は焼けた空気と煙のせいで、あのような声になることがある。

ともかくアトラは身を伏せ、他の子どもたちに呼びかける。


「ドリー、他のみんなも動かないで。あいつは只者じゃない。下手に動くとまじないの火で狙われるかも」

「くそっ……わかったよ」


子どもたちは気配を潜めて動かなくなる。

だが、竜はそうはいかぬ。


4対8本の足を持つ鰐。膨大な銀を呑んだ竜は水の流れる砂利場を這い、荒い息を撒き散らして剣士に迫る。


「やれ! イルガード!」


そいつの脳を満たすのは食欲と暴虐さだけなのか。間合いの測りも牽制もなく、すべての足をだんと地面に打ち付けて跳ぶ。


艦船が飛ぶような眺め。襲いかかる数トンの重量。剣士が背中から抜き放つ大剣。

薙ぎ払う一撃、鰐の皮膚と触れ合って火花を散らす。


「おそろし 硬 な、数億は与 ている」


剣士の鎧は全身を包むプレートアーマー。だがステップは軽く、鰐の旋回に先んじて動く、そのヒダ状の背中に振り下ろす一撃。


切っ先が沈む一瞬、鰐が全身を回転させて鋼を弾く。ものの見事に脇腹に尾が沈み、剣士の姿が視界から消える。一瞬後に左方でとどろく衝突音。


「やったぞ!」

「うっ……」


アトラは吐き気がこみ上げるのを感じる。今の一撃、大理石の柱すら砕いただろう。人間ならば胴体が両断されてもおかしくない。


だが。


剣士は平然と立ち上がり、プレートアーマーから砂利を払い落とす。


「な……!?」


ドリーが愕然とそれを見た直後、剣士は体勢を低くして突進。竜もまた食欲を剥き出しにして走り、交錯する瞬間に数度の打音。竜の皮膚から体液が散る。


「な、なんだあいつ、あれで生きてるぞ」

「きっと銀を呑んでるよ! 怪物じみた強さになってるんだ!」

「……」


アトラは違う違和感を持っていた。

あの一瞬、間違いなく鎧が砕けた音がした。強い力をかけた鋼板が破断するときのばあんという音。それに確かに胴鎧がひしゃげたように見えた。

だが、剣士の鎧はまるで新品のよう。

鰐の動きに慣れてきたのか、その足さばきが的確なものになってきた。巨体が流れる先を読み、頭頂部や眼を狙った振り下ろしを繰り返す。

そして何度目かの一撃、竜の頭に刃が埋まり、激しい血しぶきが暗闇に散る。その竜は鳴けないのか、声なき声を放って砂利場でもがく。


「やばいよドリー、やられる!」

「あのイルガードが……信じられない!」


子どもたちから上がる焦燥の叫び、ドリーもまた竜の苦戦を感じ取っているのか、唇を噛み締めている。


「……おい、爆ぜ銀だ、誰かこっちに投げろ」

「だめだドリー!」


止めるのはアトラ、横からドリーの腕をつかむ。


「天井を崩すのはやめるんだ! こんな短い時間で2度も崩したら、崩落がどれほど大きくなるか分からない!」

「……あの剣士に銀が奪われる。そうなったら街に戻れなくなる。それ以前に、あいつが僕らを生かしておく保証がどこにある」

「だ、だからって……」


眼下では竜が狂乱状態となっている。生命力の限りを尽くして暴れているが、もはや剣士に当てることができない。


「ドリー、体に当てるぞ」

「受け取って」


何人かが投げてよこす銀塊、その一つがドリーの肩に当たり、下に落ちた瞬間にさっと拾われる。


「全員伏せてろ!」

「やっ……やめるんだドリー!」

「アトラ、これは僕たちの問題。君は黙っててくれ」


抜き放つのは匙のような投石機。アトラがドリーに掴みかかろうとする刹那。ドリーはそれを察して身を沈め、アトラの肩を強く蹴る。

アトラがのけぞる瞬間。虚空に描かれる軌跡。銀塊が飛び、天井の一点に突き刺さり、そして音速で広がる燃焼と膨張。天井にかかっていた力の均衡が崩され、大量の土砂が。


誰の目にも見えはしない、一秒の何分の一で伝わる力の流れ、ドリーの予想を超えて広範囲に伝播した崩壊が洞窟全体を崩し、その上にあったカラトルムの山々が、その超重量が一気に伸し掛かってくる瞬間。


時の極限クロノスタシス


瞠目。


アトラの頭上で岩が止まっている。崩れ始めていた天井が、倒れかかっていた壁が、崩壊の風景を描いた模型のように。


「これって……!?」


再生の祝福ブレスリバース


剣士の声が変化している。より甲高く滑らかな、まるで、喉に火傷を負っていたものが治っていくかのような。


そして瓦礫が真上に向かう。屋根ほどもある岩塊も、砂の一粒すらも重力に逆らって上昇し、元あった場所にはめ込まれていく。


「そこにいるのはアトラか」

「あなたは……!」


それは完全に本来の声を取り戻していた。女性としての声を。


「勇者フィラルディア!」


勇者は剣を構えている。幻光剣イムカウェンザ。あらゆる滅びを遠ざける真なる竜銀レアルドルムの武具。


「勇者だって……?」

「北方で魔王と戦った……」

「第十八次遠征隊のリーダーのはず……」


「フィラルディア! なぜあんたがここに!」

「この街がハガネと呼ぶものを回収に来た」


フィラルディアは体を覆っていた布を脱ぎ落とす。その下から現れるプレートアーマーは、確かに女性用に胸部が張り出したものだ。

薄桃色の光をたたえる剣を地面に突き立て、声を張る。


「この地に赴いて確認できた。あれこそは真なる竜銀レアルドルムの武具、炎帝えんていがいヴリトシャクナ。炎を統べる鎧。北方の戦いを離脱して逃げていた一人・・なのだ」

「そんな……十八次遠征隊はどうしたんだ」

「この大竜窟であっても我々の都市曳航竜は通れぬ。ハガネとやらの噂を聞いて調査に来た」


「あ、アトラ、知り合いなのか?」

「じ、じゃあ帰るように言ってくれよ、あの鎧が欲しいなら、やるから……」

「……」


この大竜窟に大人が入れなくなり、ドリーたちがここで身を寄せ合って暮らしている元凶、それがあの鎧。

鎧さえ無くなれば、街は昔の姿を取り戻すだろうか。ドリーたちも街に戻れるのか。


だが。


「……渡せない」


アトラは周囲を見て、そのへんに落ちていた角材を持って飛び降りる。武器としては扱いにくい大きさだが、アトラはしっかりと両手で握る。


「戦うつもりか、アトラ」

「あれが真なる竜銀レアルドルムだと知ってしまった以上、あんたには渡せない」

「なるほど、奪い合うか、それもいいだろう」


フィラルディアは剣を引き抜き、正眼に構える。


「旅をして多少は精悍な顔になった。だがまだ甘さが抜けきれていないな。それで私に勝てると思っているのか」

「あんたのことを何度も夢に見た。あんたとまた戦う日が来ると思っていた。あの日の戦いだって何千回も思い返したとも。負けやしない」


(策は、一つしかない)


低く構える。フィラルディアのほうが上背がある。狙うなら脚部だと踏んでいた。


(あの剣がある以上、フィラルディアは簡単には死なない。たぶんそういう力があるんだ。だからハガネの炎にも耐えられた、あのイルガードの一撃を受けても立ち上がった)


(あの剣を弾き飛ばす、それしかない)


低く払う一撃、勇者の剣が斜めからぶつかり衝撃をいなす。


「やあああっ!」


アトラが振るう角材、当たれば確かに骨を砕く威力、そして暗闇の中で足場の見極めが覚束ない。

だがやはり勇者の太刀筋か、アトラの剣が勢いに乗る前に割り込んで弾く。アトラは驚異的な膂力で角材を引き戻して打ち据える。


「くそっ、倒れろよ!」

「甘いぞアトラ、その程度で……」


「こいつだ!」


アトラが、そして勇者フィラルディアの意識が声の方に向く。

そこにいたのは目隠しをした少年ドリー、どうやって見つけ出したのか、こぶし大の銀の塊を拾っている。先刻、誰かがドリーに渡そうとしたものか。そして腰から投石機を抜き放つのが見える。

見据えるは天井の一点、先刻ドリーが撃ち抜いた場所。


「しまっ……!」


轟音と爆風。ほぼ真下にいたアトラに無数の石つぶてが襲う。全身に気を張って耐えるその頭上から、超質量の崩落が。


「さっきの技と戦闘、両方同時にやれるか!  勇者!」

「ぐ、おのれっ……!」


1秒に満たぬ逡巡。アトラももはや戦闘を止められない。跳ね飛ばされた角材を拾い、体勢を立て直す姿がスローに見える。


(私一人なら)


(私だけなら、崩落で潰れてからでも再生は可能。イムカウェンザにはそれだけの力がある)


(だ、だが……)


時の極限クロノスタシス!」


崩れかかる大竜窟が、液体のように振る舞う天井の崩落の流れが押し止められ。


そして勇者フィラルディアに、アトラの一撃が。


「……!」


無音。

さしもの勇者も覚悟に目を閉じる。


そして数秒の空白。勇者がゆるやかに目を開けたとき、アトラが眼前に立っている。

己に振るわんとしていた角材を空中で止め、アトラ自身も、彼の後ろにいたドリーも茫然と背後を見ている。


「……?」


フィラルディアも背後を見る。周囲では洞窟が再生を始めていた。


そこには鎧が。


中身のない、生物の殻のようながらんどうの鎧が、フィラルディアたちを見つめていた。


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