第四十六話 もう一つの星空
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場所は移り、また宿に戻る。
「大竜窟を見たかい? あの奥には竜が住んでるんだよ。火吹きの竜さ」
太鼓腹の店主はそう言い、二人の前に飲み物と軽食を出す。
「ハガネの連中が飼ってるらしいが誰も見たやつはいねえ。穴の奥深くから炎を吐いて、攻め込もうとする連中をすべて焼き尽くしちまう。何度か兵隊が大損害を受けてな。いまは入り口で大砲をぶっ放して、這い出して来る小さな竜を倒すのがせいぜいだ」
「あの穴は直径40メートルはあったデスよ。その穴を埋め尽くす炎なんて、竜銀に換算したら何億になるか」
「そんなすごいの?」
アトラはナッツの燻製をかじりつつ言う。スウロは眼を三角にしてそちらを向いた。
「ハガネを何とかしようとは言ったデスが、あれは無茶苦茶デス。かなり高位の竜がいるデスよ」
「じゃあ、ほっといて山越えのルートに行く?」
「……」
スウロは机に突っ伏して、琥珀色の液体を揺らしつつぼやいた。
「それは、できません……高位の火吹き竜や、もしくは魔法使いがいるのなら放置できないデス。何とかしなくては……」
「あんたら、まさかハガネを討伐するってのか?」
店主はあきれ顔である。他の客も旅人がまた興味を持ったかと、少し冷ややかな笑いを寄越す。
「やめとけやめとけ。兵隊さんだけじゃねえんだ。勇者を名乗る人間が何人も来たが、みんな戻ってこなかった」
「あの炎に焼かれりゃ灰も残らねえよ」
「勇者……遠征隊がこの街に来たの?」
「いいや、勇者を名乗るやつは昔は多かったからな」
別の客が言う。
「噂じゃ十八次遠征隊なんてもんが組織されたらしいが、遠征隊の竜は砂海を行くからな、カラトルム山脈越えのルートは選ばねえよ。カラトルムは竜銀や鉄は豊富だが、食料は乏しいからな、補給にも向いてねえ」
確かに、この街に至る前も少々の畑は見たが、カラトルムの湧水がある割には収穫は少ないようだった。その山々は確かに峻厳で神々しかったけれど、山肌は青く冷たく、木々は少なく思えた。
「そういえば畑が少なかったですね」
「カラトルムの湧き水は栄養が乏しいのさ。畑に撒きすぎると逆に土の栄養が流れ出すと言われてる。だから最低限の麦と野菜を育てるのがせいぜいだね。輸出品にはできないんだよ」
「なるほど……」
「アトラ、それにしてもどうするデス」
やや声を潜めるスウロ。アトラはグラスの湧水を一口含み、冷たさを噛み締めてから言う。
「なんとかなるよ。「村」で炎を防げる何かを作ろう」
「そんな簡単にいくデスかね」
「多分大丈夫だと思うよ。まあ村のみんなと検討してみよう」
「……」
スウロは、目の前の少年がなぜそんなに余裕ありげなのか不可思議だった。前の街でもそうだったが、アトラは自分で考えるより先に人の意見を聞こうとする。そこに答えがあるはずだと信じている。それはそれで立派な心がけと取るべきか、主体性がないと考えるべきか、今一つ判断がつかない。
アトラの部屋へ移動。ベッドに置いてある模型から、「村」へと入る。
内部は暗かった。夜の帳がとっぷりと降り、見覚えのない星空が広がっている。月は夜の片隅にあって半月。この模型の世界にも暦はあるのだろうか、スウロは何となく思う。
「家が増えてるデスね」
二軒だった家は六軒にまで増え、うち二つは日干しレンガを積み重ねていた。まだ荒削りな形だが、土と藁をこねて作ったのだろうか。
火が焚かれている。村の中央に篝火台が置かれ、数人が歌を歌って石盤を木の枝で叩いている。
「おやマスター、いらっしゃい」
立ち上がるのは若い男性。アトラはその人物をまじまじと見つめる。前の町で助けた少年少女の中で、リーダー格だった少年だ。名はたしか。
「カイン、みんな無事だったかな」
「ああ、病気もないし畑仕事にも慣れてきた。順調だよ」
篝火を囲むのは十人あまり、皆の前には陶製の深皿があり、野菜と鶏肉の煮込みのようなものを匙で食べていた。
「村で足りないものはある? なるべく用意するけど」
「そうだな、皆それぞれ何かあったはずだが」
「本が読みたいです。もっとたくさん」
輪の中にいた少女が声を上げる。他にも数人が。
「粘土が欲しい、土を掘って集めるのは大変なんだ」
「家畜が欲しいよ。羊がいいな、羊毛が取れる」
「お花の種が欲しいの」
「ガラスがたくさん」
めいめい声を上げる。よく見れば彼らはすでに独自の衣服を持っていた。植物の蔓や樹皮などをなめしたものだろうか。ごわごわとしていて動きづらそうだ。
スウロが首を傾げる。
「服はどうしたデス。もともと着ていたものと、あと模型に入るときに適当な衣服を持って入ったはずデス」
その時に針と糸、大工道具、筆記用具など日用品も持ち込ませたはずだ。
カインは首を振る。
「あれは燃やした。僕たちは自分で服を作れる。元いた場所の記憶は捨てたかった」
「……」
スウロは一瞬、何とも言えぬ玄妙な顔をして、少年の眼差しをじっと見つめ返す。
「そうデスか……私からは何も言いません。自由にやるといいデス」
「ねえ、ところでレンナは?」
アトラが問う。一人の少年が森の奥を示す。
「レンナはいつも早く寝る。森の奥で一人で住んでる」
「そうなんだ」
「レンナは言ってた。私は君たちの神様になるだろうって。それは上に立つって意味じゃなくて、外の世界との唯一の接点という意味で」
「接点……それが神様と関係あるの?」
その問いに、みんなの前に進み出て答えるのはカイン。
「僕たちは外の世界のことをやがて忘れる。ここは仮宿じゃない。僕たちの国であり、僕たちの歴史となる土地だ。やがては外からの物資も必要なくなるけど、僕たちはマスターに協力することが使命でもある、そうなんだろ?」
「ええと……」
カインの問いに、アトラはうまく答えられない様子だった。
あるいはこの模型について、模型の住人と模型の所有者の関係について、少年たちはアトラよりも深く理解しているのでは、そんなふうに思う。
「だからマスター、僕たちは外の世界との繋がりを神様と呼ぶ。神様は絶対であり、この世界の全員で協力する。神様の起こす奇跡と、この模型の不思議さに疑問を持たないように生きる。大人になっても、子供が生まれても、ずっと受け継いでいくよ。それがきっと、この国の進む目印になると思う」
アトラは気づく。カインの顔立ちからは少年らしさが失せており、火の粉が照らし出す横顔は精悍なものになっていた。
彼らの主観では模型に入って半年あまり、カインは多くの苦労をして、自分たちの行く末と、自分たちの成すべきことを考えていたのか。そして彼らなりの答えを――。
「マスター、ちょっとこっちへ」
そのカインが、アトラを森の奥に誘う。
「何か内緒の話? じゃあスウロも」
「私はいいデス。アトラだけ聞いてきてください」
魔法使いは篝火の前に座り、隣の子が木の板に書いていた絵を見つめる。
「ほう、それは星座デスね。この星空にも星座が見出されてるデスか」
「そうだよ。これがハサミ座、こっちがタライ。それと真ん中のがユトル座、ユトルはお花の精なの」
そんな会話を背中に聞きつつ、森の奥へ。
直径140メートルあまりの円形の世界。離れるといってもさほどでもなかった。木立の中に篝火が隠れるあたりでカインが振り向く。
「マスター、これを」
渡されるのはいくつかの銀色の粒。数千ドルムほどだろうか。
「銀だ。どうしたのこれ」
「ここから「森」へ行ける」
カインが腕を伸ばすと、その先端が空間に飲み込まれる。
「ほんとだ、「村」から「森」へ行けるんだね」
「だけど、あそこの獣は肉を落とさない。倒しても銀の粒に変わるだけだ。しかも「森」に入って、村に帰ると何時間も経ってたりする」
「ああ……村の時間の流れを24倍にしてるからね。でも「森」は等倍のままだから」
「銀は燃料になるから集めてもいいけど、今のままじゃ不便だ。森の時間の流れも早くできないかな」
「できないみたいなんだ……ごめんね」
「いや、分かった……それはもういい」
そして向き合って、だが少しためらいがちに、カインは言う。
「その、僕たちって、全員顔見知りなんだ」
「? そうだね」
「前の街では何年も寄り添って暮らしてたし、それ以前からも……」
「うん、大変だったと思う。だいぶ回復したみたいでよかった」
「だからその、家族みたいな感覚なんだよ、わかるかな」
「わかるよ、仲がいいみたいだし、新しい家も立派だし」
「ええっと……つまり、いや僕はいいんだけど、あぶれてしまう子も」
「外のお嫁さんが欲しいの?」
「分かってるなら言わせないで!」
地団駄を踏み、その顔に少年らしい面影がよぎる。
「村にももっと人手が必要なんだ。粉挽きのための水車小屋も立てたいし、森で狩りをするなら戦士も育てないといけないし」
「分かった、探してみるよ。でも水車小屋ならすぐにでも作れるよ。ミニチュアを作って模型に置けばいいんだ」
「いや、いい、自分たちで作るよ。マスターがいないときに故障したら困るからね。自分たちで作れないとダメなんだ」
それはそうかもしれない、とアトラも納得する。
「じゃあ僕からもお願いがあるんだけど……」
「分かってる。何か頼みに来た顔だったからね。みんなのところに戻ろう」
戻るカインの足取りは軽かった。彼は少年期と青年期の間の揺れ動く季節、すなわち思春期の只中にあったのだろうか。己がいつか花嫁と出会い、家族を持つことに憧れがあるのだろうか。
その部分において、カインはアトラより半歩だけ成熟していた。アトラはまだ、そのあたりをよく解さないままであったが。
※
模型の外に戻って、すぐさま行動を起こす。
アトラは日が沈まぬうちに郊外の農場を訪ね、羊のつがいを二組購入する。価格は120万ドルム。十日ぶんの飼料と手入れの道具などをおまけにつけてくれた。
スウロはケイニオンの街を歩き回り、本を背嚢にたっぷり。花の種に粘土、ガラスくずを含めた大量の器などを購入。ついでに子供用の指輪や装身具、口紅などもいくらか購入した。スウロなりの気遣いだろうか。
それらを、人の目につかない場所で模型にすべて運び込む。作業が終わる頃には深夜になっていた。
「頼まれたのはこれで全部デスけど、日用品とかまだいるデスかね」
「いや……頼まれた分だけでいいと思う。今後はこういうことも少なくなるんじゃないかな。模型との接点はあまり持たなくなっていくかも」
アトラは羊を運び込んだあと、模型を創造状態にしていた。作るのは鍛冶の仕事場である。
ふいご付きの炉に大型の吊りバサミ。金てこや金床、鉄鉱石と石炭も多めに用意する。以前にも作っていただけに細部まで凝って作れた。
「こうして建物を作る必要もなくなるかも……あの子たちすごいよ。さっき覗いたら、羊小屋とかちゃんと作ってた」
カインたちから求められたものはもう一つ、大人数で作業ができる鍛冶場である。あの洞窟と、火吹きの竜を攻略するためには必要な施設だった。カインたちにはまだ作るノウハウが無いので、作業場だけ作ってレンナが指導に当たるらしい。
「ところでアトラ、住人を増やすって約束したそうデスが」
「うん……結婚相手が欲しいみたいなんだ。模型の中って出会いがないからね、でもどうやって探そうか」
「宿の主人に聞いておいたデスよ。この街にも孤児院があるデス。そこから何人か招待しましょう」
「……孤児院かあ。人さらいみたいにならない?」
「正直それは気になるデス。いくら荒れ果てた時代であっても、模型の環境が良いとは言っても、子供たちの一生に関わる問題デスからね。とりあえず何人かと面談してみて考えましょう」
「面談なんてあるの?」
「ご存知ないデスか? 孤児を引き取るのは大変なことなのデス。独り者でしかも旅人なんかまず無理デス、なので」
スウロはアトラの脇に回り、ややわざとらしい動作で腕を組んでみせる。
「旅をしている富豪の夫婦、これでいきましょう」




