第四十五話 黒洞の街
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「いらっしゃい、ケイニオンの街へようこそ」
宿の店主は真っ黒に日に焼けた人物であり、太鼓腹を打ち鳴らして朗らかに言う。部屋の鍵とともに差し出されるのは街の案内図である。
「ケイニオンの名物はカラトルムで採れる苔種だ。こいつは植物が糊化したもので食べられる。出汁が出るからスープにもできる。水もいいぞ、この街の湧き水は何千年も前にカラトルムに降った雨と言われててな、驚くほど冷たい」
熱心な様子だったので宿の食事を味わってみる。成程、緑色のマーブル模様の石がスープに沈んでおり、噛み砕くと少し青臭いが、口中に広がる滋味が感じられた。
「食べたことない味だなあ、塩気があってコクがあって」
「さあ酒もやってくれ、良い水あるところ良い酒ありだ。センビア果から作られる酒だぞ」
センビア果とは高山で見られる低木であり、プラムのような甘酸っぱい実をつける。定まった摘果の季節を持たず、およそ七日に一度、小さな実を一つつける。そのため農夫は広大なセンビアの森を歩き回り、夜通し実を集めて回るのだとか。
「なかなか良い街だね。料理も美味しいし」
「そうデスね。数日腰を落ち着けて、今後の作戦を練るのも良いかもしれません」
スウロは手酌で酒を飲みつつ、早くも頬を赤らめている。
「ねえ、そういえばちゃんと話し合ってなかったよね。虚無の帯を超えるってそんな大変なことなの?」
「そうデス」
スウロは酒の入ったグラスに小指を浸し、テーブルにやや大きな丸を描く。そして真ん中に、幅広い帯を。それは円の面積の六割以上を埋めていた。
「知っていますね、我々の大地は球のような形をしています。その南緯北緯65度の範囲が虚無の帯デス」
「うん……ある人から聞いたよ。気温は最大で110度まで高まって、魔物がいて、砂嵐の吹き荒れる過酷な場所だって」
「そうデス。都市曳航竜に街を牽かせて渡るのデスが、その間に人間はシェルターに入って息をひそめるしかないのデス」
「でも、たまに北から帰ってくる人もいるでしょ」
「それらは命がけの旅デス。飛龍や飛行機械、北方の高位の魔法使いの力があっても、生きて帰れるのは2割に満たないでしょう。広大さや熱気もありますが、最大の脅威は砂漠の竜たちデス」
「竜……」
スウロは北方を知っているのだろうか。何度も往復しているようにも見える。いつかそれに触れることになる予感はするが、彼女から話し出すまでは聞くまいと思っていた。
「我々はまだ力をつけねばならない。灼熱の大地を渡る力を得るのデス」
「渡る……どうやって渡ればいいのかなあ」
最初は模型を騎竜の背に乗せ、ひたすら走ってもらうことを考えていた。だが騎竜では虚無の帯の環境に耐えられないだろう。魔物に襲われずに走りきれるとも思えない。
「大型の飛行機械、あるいは陸送機械を使うべきデスね」
スウロが提案する。
「技術書はある程度なら南方でも手に入るデス。模型の中で開発してもらいましょう」
「でも模型に入ってるのはみんな子供だよ。作れるかなあ」
「文明が発展すればやがて作れます。子供たちもすぐに大きくなるデスよ」
スウロは何かの暗喩のように、フォークを皿の横に並べていく。
「竜銀を用いた武器、内燃機関と移動のための機械。食料と水は模型の中から調達できます。うまく模型を育てられれば、さほど時間はかからないでしょう。模型の中では数十年、あるいは百年以上が経過することになるデス」
「うん……」
あの模型は、どれほど成長するだろうか。
内部では村が町になり、やがて都市になるのか。中の人間は模型の中だけで年をとり、子供を産み、そして死んでゆくのか、模型の土になってゆくのか。
それは恐ろしいような、あるいは人間の人生観を遥かに超越するような想像だった。
「アトラ、彼らはけして我々の道具ではありません」
スウロは穏やかに、それでいて真剣な眼差しで言う。
「模型の住人には彼らなりの人生があり、目標があり幸福がある。我々は彼らの文明から力を借りますが、彼らを支配するわけではない。分かりますね」
「うん……分かるよ」
模型には使用者封印がかかっている。模型の住人は外にも出られず、やがて己が模型の中にいることすら忘れるだろうか。自由に外に出られるのはアトラ、スウロ、レンナの三人だ。
たとえ模型の中の環境が良いと言っても、見ようによっては彼らを捕らえているのと変わらない。スウロは大義という背景を背負うことによって、模型の境遇を肯定的に見ようとしている。
だが、アトラはその考え方も違うと感じていた。
「……模型を作った人は、模型の中に新しい世界を作ったんだ。そこは完成された世界で、見方によってはこの世界よりも広い。僕たちはむしろ、模型の外の世界に囚われている、そんなふうにも思えるんだよ」
「そうデスね。あれはまさに超常の器物。人間の尺度を超えた存在なのデス」
「とりあえず模型の中を発展させるべきだよね。何がいるのかな」
スウロは少し考えてから答える。
「竜銀デスね。いま内部の広さは16000平方メートル。人口は16人、人口密度で言うと1000人デス。これは食料を維持できるぎりぎりの広さ。もっと銀を注いで広げなくてはいけないデス」
「でも何十億って竜銀が必要なんだよね、どうやって集めようかなあ」
「「森」の模型にも時流速度が適応できればよいのデスが……」
その時、外で騒ぎが。
それは行軍のラッパの音だった。アトラが窓の外を見れば、赤い房飾りのついた軍服と、腰に佩いたサーベルという姿の軍人が見えた。角度的に見えにくいが、騎竜に乗った騎兵の一段である。それに続いて歩兵もいる。
「兵隊さんだ、どうしたんだろう」
「ああ、ハガネの討伐に行きなさるのさ」
店主が言い、アトラは疑問符を浮かべる。
「ハガネ、ですか?」
「そうだよ。カラトルム大竜窟を占拠した連中だ。あのトンネルはもう何年も封鎖されたままなんだよ。ハガネの連中が巣食ってるから往来できなくてな」
「そういえば大竜窟は封鎖されてると噂にあったデス。賊が原因でしたか」
「そう、魔王との戦いからこっち、北へ行く用事はほとんど無くなったから不都合はないがね。商人なんかはカラトルムを超えるルートを通らにゃならん。面倒なことだよ」
「なんで占拠してるんですか?」
「大竜窟は銀が採れるからさ。カラトルムの北側からは野生の竜が出る。それらの死骸が野山で朽ちて、山中に染み出す水に銀が含まれるんだ。それは洞窟の中の川底に溜まって、街の方までは届かない」
「へえ……」
野生の竜、という存在をアトラはあまり見たことがない。このカラトルムこそは竜の生息域への境界線。人の支配と竜の支配を分ける峻厳なる壁の一つだという。
「討伐隊とやらの様子を見てくるデス」
「そうだね」
※
カラトルム山脈に穿たれた、大いなる竜の洞穴。
それはアトラの想像より何倍も大きな穴だった。
石組みで補強された真円の隧道。街の北側にぽっかりと穴を開けるそれは、中で城が作れそうなほど大きい。あまりの大きさと深さに意識を吸われそうになる。
「すごっ……こんな穴どうやって堀ったの? というか大きすぎない? 荷車を通すならもっと狭くていいのに」
「この隧道は気候調整のために掘られたと言われてるデス」
スウロが解説する。トンネルの入口前は広場になっており、竜にまたがった騎兵隊長が訓示の言葉を垂れているところだった。居並んだ騎竜兵と、その背後には歩兵。歩兵のほうは長柄の鎌のような武器を持っている。
「変な武器……枝打ち用の鎌みたい」
広場を遠巻きに見られる丘に立ち、何となく木の陰に身を隠す。広場はなぜか金属の板のようなもので囲われており、その外側には人はいない。見物人も何人かいるが、どの人物もアトラたちより後方で見ている。
「ええと何だっけ、気候調整?」
「はい、掘ったのは真なる竜銀の加護を受けた都市曳航竜デス。かつて北方から吹き寄せる風がカラトルムを登り、南側に吹き下ろすときに膨張して高熱の熱風となる現象がありました。この穴によってそれは解消され、南側の平均気温は4度ほど下がったそうデス」
「なんかすごいなあ。発想というか実現しちゃう力というか」
歩兵はみな銀の編み込まれた繋輪鎧を着込み、鎌の刃には銀の輝きが見える。アトラの故郷は自警団程度しかおらず、きちんと訓練された軍隊を見る機会は少なかった。それはやや時代がかった眺めではあったが、しっかりとした指揮系統、熟練の統率を思わせた。
そのまま突撃するのかと思ったらそうはならず。まずは旧式の大砲が持ち込まれる。
二匹の竜で牽引する鋼鉄砲をトンネルに向け、おもむろに一撃。砲声がびりびりと耳に響く。
「うわ、賊の姿とか確認しないの? 乱暴だなあ」
「というか、カラトルム山脈を貫通するトンネルですから何十キロもあるはずデス。届く位置に賊がいるとは思えないデスが……おや」
スウロが周囲を見る。家々の窓から顔が覗いている。雨戸を押し開けて見物の構えだ、どうやら見慣れた光景らしい。
「なんだか注目されてるデスね、見世物としての需要があるのでしょうか」
「なんか広場の地面が黒っぽいなあ、あそこで野営の焚き火でもするのかな」
「来たぞ! 迎え撃て!」
指揮官らしき髭面の男が言う。トンネルから飛び出して来るのは四足の獣だ。
それはトカゲのように細長い体をしている。手足は短く、尾は長く、襞に(ひだ)に覆われた皮膚は樹皮のように硬そうである。
特徴的なのは口だ。そいつの顎の付け根から鼻先までは1メートル近くもあり、ずらりと生え揃った何十本もの牙で兵士たちに襲いかからんとする。
「竜だ、かなり大きい」
皮膚は緑に銀の粉を散りばめたような輝き。大型のクロスボウから打ち出される矢が弾かれ、騎乗から打ち下ろすサーベルもがきんと弾かれる。
だが兵士たちも手慣れていた。複数で挟み込んで長柄の鎌を引っ掛け、挟み込んでやはり長柄のハンマーを振るう。先端に竜銀の炸薬を仕込んだハンマーによって爆発が起こり、竜の皮膚を吹き飛ばさんとする。
「あれって何の竜だろう、トカゲかな」
「鰐という生き物デス。温かい地域の湿地に棲んでいましたが、虚無の帯の拡大とともに野生種はあまり見られなくなったデス。おそらく賊が繁殖させてるデス」
「強そうだけど……うまく戦ってるね、何度も倒してるのかな」
「あれ、帰っていくデスね」
仕留めてみれば体長10メートルを超える鰐である。脳天に杭を打たれて息の根を止められ、鼻先をぐるぐると縛られて騎竜に牽かれていく。それで本日の戦いは終わりらしい。遠巻きに見てた見物人たちも帰っていく。
「なるほど大体わかったデス。まだ討伐隊は小競り合いしかできていない。これはチャンスと見るべきデスね」
「そうだね」
アトラが同意の声を放ったので、スウロは意外そうにそちらを見た。
「察しが良いデスね。アトラもだいぶ旅慣れてきたデス」
「そうかな? ようするに賊が持ってる銀をもらっちゃうんでしょ」
「そうデス。北方に行くのに山越えのルートを通るのも面倒デスからね。ここは洞窟攻略と行きましょう。うまくいけば何十億という竜銀が……」
「よーし炎除けを下ろせー!」
すると、周囲のすべての家で窓が下ろされる。
それは銅板を並べた武骨な鎧戸である。それだけでなく、家々の屋根から水が噴き出し、外壁を濡らす。よく見れば洞窟の周囲の家は外壁が補強されている。薄い金属板が貼られているのだ。
「? 何デスかね」
ごごご、と地の底から響く音。
山脈を突き抜けるような巨大な穴。
そこから噴き出すのは、炎。
森ひとつ分の薪を燃やすような業火が、猛炎が隧道の幅いっぱいから噴き出し、天を焦がさんとする。産毛が焦げるような熱波。炎は真上に噴き上がって雲を散らすかのよう。周囲に建てられた金属の板が炎を上に弾き、それらは熱気を浴びて真っ赤に焼ける。
たっぷりと十秒ほどの炎の波。
それが引いた後、広場にすでに騎兵隊はおらず、ただ空気だけがカラカラに焼け付くように思われた。
「…………」
スウロはしばらく硬直してから、ぎぎぎとアトラのほうを向く。
アトラのほうは変わらずぼんやりとしていた。
「じゃあ頑張ろうか」
「いやアトラちょっと待って!」




