第四十一話 艦砲射撃
「今のって……大砲?」
音の行く先を追うように、アトラが首を巡らせる。
「まさか、まだ砲は積み込む前だったはずデスが……」
引越し作業から数時間。すでに窓の外は日が落ちている。空が夕映えのようにあかあかと照り映えているのは、赤熱している河のためか。
スウロは立ち上がって模型に向かう。
「アトラ、トラッドさんの引っ越しは終わりましたか?」
「ああ、うん、あとは小さいものだけ。トラッドさんは模型の方で作業を始めてる……」
「一旦模型を借ります。遷移「写し」」
切り替わる。先ほどと同じ造船所付近。街道から丘で目隠しになった奥にある箱型の建物。
「拡大、透過」
建物が大きくなり、上半分の外壁が消える。中には大型のクレーンと大砲、作業員を表すいくつかの人形がある。
「船がありません。もう出港したようデス」
「そんな、さっき忍び込んでから3時間も経ってないよ、早すぎる」
ごおん、とやや甲高く響く砲音。大型の打ち上げ花火は40キロ先から届くと言われるが、まだ生活音の漂う街の中で、空き家の中からでも分かるというのはかなりの音だ。
「細かな整備など不要で、砲もすべて積まずともよい、多少でも攻撃力があればいいのかも知れないデス。あるいは王権の使者が街に来ている可能性まで考慮して、邪魔が入る前に攻撃を始めようとした……」
「なんで……なんでそんなに攻撃したいんだよ! 5年も音沙汰なかった街なんでしょ!?」
「……我々はグランヴァルの事情について何も知らない。いま考えることはそこではありません。何とかして船を止めなくては」
スウロは模型が表示させる範囲を変え、現在のヴァルの街を映し出す。
「造船所は川上10キロの位置にありました。グランの街を砲撃し、その後、海まで行くなら、下流のヴァルの街から目視できる位置まで来るはずデス。こちらも兵器を用意するデス」
「た、大砲を出すの?」
「例の水蒸気で撃ち出すやつでは無理デスね。航行不能にできる程度でよいのデスが……」
模型はヴァルの街とその周辺を表している。発振器を撒けないために河は途中で途切れている。
「ねえ、つまりグランの街を守れればいいんだよね、壁を作るとかで」
「そうデスね。ですが、「写し」の範囲の外には干渉できないデスよ」
「転がす、ってのはどうかな」
「はい?」
スウロは目を点にして。
そして一秒後、はっと模型を見る。
「それデス! やりましょう!」
※
さらに少しの時が流れる。
砲音は断続的に続いている。グランヴァルの住人はその音の正体に気づいているのか。音が続いている意味に心当たりはあるのか。建物の地下でささやき交わす人々もいたかも知れないが、それは地表までは染み出してこない。
「いくよ」
模型から出していた騎竜にまたがり、ざらついた首の上で模型を操るのはアトラ。
模型を操作すると、離れたところで地面が山に変わる。隆起だったり置いたりという感じではなく、物音もなくその場に出現した山だ。
その側面は直角三角形、積み木のように整った形の山であり、標高はざっと150メートル。黒っぽく見えるのは夜闇のためでなく、山それ自体が鉄で出来ているからだ。
その上に、さらに円が生まれる。直径にして90メートル。コインを数億倍に拡大したような円盤。それが地響きとともに山を転がり始める。
まさに天変地異も生ぬるく思える眺め。地響きが世界の果てまで広がっていく。
巨人の円盤は溶岩に足を取られつつも転がり進み、河の中へ。
そこにさらに二枚目、三枚目が来る。
前に落ちた円盤を押し、河の流れを遮り、奥へ奥へと。
「よし……うまくいってる。でも大丈夫かな、倒れたりしないかな」
「あの円盤は厚みが1センチ、現実世界だと10メートルあるデス。そうそう倒れはしません。もし倒れそうになっても数秒かかります。その前に円盤を取り除けばいいのデス」
「なるほど」
模型にも変化が生まれる。円盤が河の沖あいに進むほどに、周囲で河が描画されるのだ。
「滑り台と河の間にビーコンも撒いてるデスからね。円盤が進めばビーコンを撒く役目をしてくれます」
「もしコインが倒れたら大津波みたいになるなあ……」
そこでふと思いつく。粘土をこねるヘラのような道具で、ヴァルの街を丸ごとすくい取ってみた。
果たして、ヴァルの街が消える。
「…………あ」
そして離れた場所にそっと置く。
街の灯が少し移動した。
「……アトラ、なんかムチャなことしましたか?」
「ご、ごめん、次から慎重にやるから」
「いえ良いデス。できればもっと遠くへ街を移したいデスが、ビーコンを撒いていないデスね……。今後は、模型を使うときはあらかじめ広域に撒いておきましょう。戦略の幅が広がります」
今のは我ながら無茶苦茶だったとアトラも思う。
しかし奇妙なことではあるが、今の行為で誰かが怪我をしたり、死んだりする予感がない。それは楽観とも違う、ここまでは安全に行えると、模型に囁かれてる感覚だ。
(なんとなく分かる……模型は、創造状態で人を直接傷つけることはできない。もし乱暴な扱いをしても、人間だけは助かる、そんな気がする……)
だが万能とは言えない。例えばの話として、地形のすべてを水に変えてしまえば、その場にいた人間はやがて溺れるだろう。
直接干渉は不可だが、間接的には可能、アトラの理解はそのようなものだ。
そして「写し」の模型に陸地が現れる。アトラは赤い泥のようなものをかき出し、二枚の鉄板を置いて谷間の道を作る。
「鉄の防波堤だよ。厚みは5ミリ、縮尺が1万倍だから5メートルあるんだ。あれなら溶岩にも耐えられるはず……」
「行きましょう」
スウロが騎竜の後部に乗ってきて、アトラの胴に腕を回す。アトラは己の模型を少し見つめる。
「え、でも……トラッドさんが」
「間に合わないなら仕方ないデス。今は急ぐべきデス」
少し計算する。時流速度が200倍。トラッドが模型に入って90分ほどだから12日半ほど経過している。飛行機を完成させるには時間が足りないかもしれない。
「……そうだね、行くしかないか」
くろぐろと空いた谷へと騎竜が降りる。左右には巨大な鉄の壁。左側の奥には円盤の列が見えている。何もかも大きい。巨人の遺跡に迷い込んだような眺めだ。
「おかしいデスね、谷が浅いデス」
「そう?」
「模型だと3センチは掘っていました。縮尺1万倍なら30メートルの穴が開くはずデス。溶岩を取り除いたことを考えても、川底は1メートルほど掘り下がってるだけデス」
「そういやそうだね。地面を掘る深さは限界があるのかな? それとも地面の中までビーコンを撒けないからかな?」
模型の地形が現実に影響するとは言っても、制限はあるようだ。スウロは一つ一つのことをデータとして記録しているようだが、アトラにはそこまで気にしてる余裕はなかった。騎竜を走らせる。
やがて坂を上がり、中州に乗り上げれば、背後から照らされる赤光に街並みが浮かび上がる。
「見えた……屋根とか壁がなんか焦げてるな。焼け崩れてる家もある……」
「熱をもろに浴び続けてるデスからね。やはりというか廃墟のようデスが」
「生き残ってる人がいればいいけど」
があん、と頭蓋骨が共鳴するような音。
振り向けば巨大な円盤の上部。闇夜に黒煙が立ち上っている。
「攻撃されてる。しつこいなあ。円盤の並びに隙間があるから、埋めとかないと……」
「私はちょっと探索してみるデス、人が残ってるとよいのデスが」
スウロは街へと入っていき、アトラは「写し」の模型を展開。中州の一部と、グランの街が構成される。
「グランってヴァルよりは少し立派な印象だな……高い建物も多いし。ええと、とりあえず円盤を土で固めて……」
夜空の北側が暗くなる。高さ数百メートルの土壁が突如として出現したのだ。手作業で積んだなら数十年かかりそうな山がそびえる。
「これで大丈夫なはず……」
その時、風切りの音が。
ひゅるるると星空から響く音。アトラが音に反応して振り向くと同時に、街の一角で爆発。
「な……!」
山なりの砲撃が来たのだ、と理解するのに数秒。さらに星の高みから落ちてくる火線。夜の街並みに触れて爆発を起こす。炎が噴きあがり、溶岩の河に吹き寄せる風にあおられ、炎が街を焦がす。
「なんてこと……! そんな爆弾まで積んでたのか!」
向こうからはどう見えているのか。模型の起こした地形変化をグランの街の抵抗と見て取ったかも知れぬ。そして何という明確な殺意だろうか。
「……街に箱か何かをかぶせようかな。いやダメだ、もう火事が起きてる。煙が中に充満しちゃう」
手綱を打ち鳴らして騎竜に活を入れる。背後でさらに数度の爆発。砂を掴む騎竜の足は斜路をものともせず、高角度の山を軽々と登っていく。そして「写し」の模型に軍艦の姿が。
「……あれが戦闘艦」
山の上に立つ。見下ろすのは夜の中でもあかあかと輝く溶岩の河。そこに浮かぶのは城ほどもある艦船。上部甲板はやや空きが目立つ印象だが、それでも三連の高射砲に、ずんぐりとした大口径の臼砲も備えている。斜めに突き出した砲門から閃光と白煙が上がる。
「くそっ! 見てろ!」
アトラの攻撃はシンプルだった。地面の砂を手ですくい取り、艦船の上にふりかける。
そして現実の船にも土砂の山が積もっていく。溶岩の深さは5メートルはあるが、土砂の重みを受けて喫水線を下げていく。
言うまでもなく、溶岩の比重は水より遥かに重い。そこに埋まってしまえば抵抗は莫大なものになり、船は立ち往生の状態となる。
「よし、とりあえずこれで」
甲板にて爆音。
「――!」
火薬ではない。何か衝撃波のようなものが広がり、積もっていた土砂を吹き飛ばしているのだ。
それだけではない。船体が白い光に包まれ、溶かした飴のように溶岩を引きずりながら浮上してくる。
「嘘だろ……浮いてる!?」
溶岩に照らされる中、目を凝らせば甲板に人影が見える。
それは黒い長裾の衣を着た人物。それが数人集まり、手から銀色の砂をこぼしている。
「魔法使い……! あんなでかい船を浮かすなんて!」
アトラは模型を「写し」にしたまま、艦船の模型をその中央に据える。そして思い切り息を吸い、空いているはずの「出入り口」に向かって叫ぶ。
「お前たち! もうやめろ!」
船が動きを止める。魔法使いらしき人物は五名。その中央に赤いマントで身を包んだ人間がいる。
模型から声が響く。
「何者か、先程から邪魔をしているのは貴様か」
「誰だっていいだろ! とにかくグランの街を攻撃するのはやめろ! 次は容赦しないぞ!」
「受け入れられぬ、グランの街の討滅は我らの悲願である。そのために五年の月日を竜銀の収集に捧げた」
根を張ったような重々しい声。空中からとどろくアトラの呼びかけにも身じろぎせず、堂々と名乗りを返す様子は統治者のそれに思われた。
「我はグランヴァル領主ノーザス・ヴァル・グランツである。この攻撃は我らが正当なる報復。グラン河を朱に染めたことへの懲罰である」
「……それは本当なの? 確かめてからでもいいじゃないか。まずグランの街に人がいるかどうかの確認を」
「必要ない。たとえ生存者がおらずとも、ことの原因がグランに無かろうと変わりはせぬ。これは好機なのだ。今この時にグランの街を地図から消す。たとえ王権の錫杖において命ぜられようと従えぬ」
「なんでだよ……なんでそんなに憎むんだ、そんなにグランの街が憎いのかよ!」
「……? 子供、か?」
領主の誰何の言葉。アトラは口元を押さえて下がる。
「……誰だっていいだろ。もし正当な理由があるって言うなら、言ってみてくれよ」
「……言う必要はないな」
アトラはざん、と土の山を踏みしめて怒鳴る。
「どうしてだよ! 言わなきゃわからないじゃないか!」
「言ってどうなる。たとえ説明したところで、お前はきっとこう答えるだろう、そのような理由で攻め込むなど下らない、とな」
「……う」
「たとえ千万の言葉を尽くそうと伝わりはせぬ。ヴァルに住むものすら正確には分からぬ。長きにわたる固定化された利害関係。魂まで這いつくばらねばならぬ雌伏の時代。北方の技術を伝えていたグランの街は傲岸不遜をきわめていた。繰り返された忌まわしい事件もけして忘れぬ。この世の悪しきことはすべてグランの街に非がある。グランの街はこの世から消えねばならぬ。誰に理解を請う必要がある。あえて言えば理由など無くともよい。ただ怒りの炎が、我らの胸の中だけにあればよいのだ」
「そんな……!」
「たいそうな術を使うと見受けるが、グランヴァルの事情に安易に踏み込むことは許さぬ。覚えておけ、この世には部外者には絶対に理解できぬ事がある」
「う、うう……」
無力感。それがアトラの背にかぶさる。
この模型ならば、何でも解決できると思っていた。暴力から身を守ることも、天変地異を乗り越えることも。そして、人の抱えるあらゆる悩みを解決することも。
それが、遠い。
無力感が針のように、アトラの心を突き刺していた。




