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第四十話 対人戦闘



ふと窓を見れば、オレンジ色の太陽が地平線の上で溶けかけていた。河がこうこうと明るいので分かりにくいが、すでに夕暮れが近かったようだ。


「スウロ、ちょっとトラッドさんのところに行ってくるよ。飛行機がいつ飛べるか聞いてくる」

「やめた方がよいデス」

「え、どうして?」

「迂闊に街を歩かない方がいいデス。兵士と鉢合わせになるかも」


それに、とスウロは模型をずりずりと回しながら言う。


「飛行機は北方の技術デス。容易に再現できるとは思えません。この街の事態について、飛行機の活用を選択肢に入れない方がよいデス」

「そんなこと分かんないだろ!」


ややムキになって言う。

それはトラッドと手を繋いだせいだろうか。あの職人ならではの節ばった手、奥さんをグランの街に残している境遇。ぶっきらぼうだが職人らしい熱気。そんなものに共感を覚えたのだろうか。

それは言ってみればアトラの純朴さ、騙されやすさとでも形容できそうな、少年期の名残りの部分だった。


「とにかく僕は行くぞ、あの飛行機を見ればきっとスウロだって」

「よいしょ」


にゅっと、模型から人が出てきたのでのけぞって驚く。


「うわ、レンナ!?」

「ん、模型の外は夕方かあ、時間の感覚なくなるなあ」


ベッドの下に降りて、思い切り伸びをする。丸っこい髪型は寝癖が跳ねていた。


「アトラ、おこづかい」

「急に何?」

「買い出し。必要でしょ。服とか薬とか香辛料とか」


言われて、スウロと顔を見合わせる。

そういえば、このグランヴァルの街では虚無の帯デッドベルトを超えるための作戦を練るはずだったのだ。色々あって後回しになっていた。


「あ、でも、今ちょっとトラブルになってて」

「よいデス。レンナは顔を見られてないデスからね。ついでに街の様子を見てきてもらうデス」


スウロはふところに手を入れ、南方で流通している紙幣を抜き出す。


「適当に買ってくるデス。ただし、この家に入ってきたらまず台所にすべて置いて、こちらから呼びかけるまで寝室に入ってこないこと。我々の名を呼んでもダメです。一人暮らしの感じで過ごすデス」

「りょーかい」

「あとお酒を、重かったら一本だけでもいいデス」

「あーい」


そして内鍵を開け、散歩にでも行くように出ていく。


「大丈夫かなあ」

「よそ者も多い街デス。いくらなんでも全員を警戒できるはずもないデス。それより収穫がありました。模型を「写し」にしてる時も「村」の模型から出てこれるデスね」


スウロは感心してるようだが、アトラにとってはどうでもいい情報に思えた。ともかく話が曖昧になったのを見て取って、アトラは空き家を出ていく。


「アトラ、気をつけるデスよ」

「大丈夫」





目立たない程度に、小走りで駆けていってやがて町外れに至る。


トラッドの家は、それは真上から見れば街の範囲外にありそうな立地だった。ほとんど他に民家もない空き地ばかりの眺めである。いくつか、人の背丈ほどの干し草が積んである。


そこにぽつんと浮かぶ家。家主のトラッドと、兵士たちがいる。


(……!)


そこで気付く。そういえば自分は先刻、トラッドと一緒にいるところを見られていた。そのせいで責められているのか。


実際はこの短時間で人相まで伝わるはずはない。それは何らかの偶然か、あるいは街にトラブルが起きたときに、真っ先に調べられる人物だったというに過ぎない。


「トラッドさん……大丈夫かな。とぼけてくれるといいけど」


よく聞こえないが、トラッドの声はどんどん大きくなっていた。三人の衛兵は最初は並んで相対していたが、だんだん左右の兵士が脇に回り、囲うような形になる。


変化はいきなり起こった。トラッドが正面の衛兵に掴みかかったのだ。


「うわっ、ちょっと」


会話が唐突に怒鳴り声となり、アトラの隠れる干し草の影にも届く。


「てめえら! 俺の飛竜をポンコツと抜かしたか!」

「や、やめろ貴様! 我々を誰だと」


言い終わる前に殴り飛ばされる。しかし浅かった。衛兵が激昂し、槍を振りかぶって斜めに打ち下ろす。それが右腰をしたたかに打つ。


「ぐっ!?」


突きにいかなかったのはせめてもの配慮か。それともトラッドとの間合いが近かったからか。

転倒したトラッドは容赦なく足蹴にされる。熱された地面をツナギの男が転がる。


「や、やめろ!」


ふいに出てきたアトラに、衛兵たちが動きを止める。トラッドは腕を踏まれながらも悪態を飛ばしていた。


「何者か。我らは街に現れた不審人物を探している。邪魔立てするなら連行することになる」

「それは僕だ! だからトラッドさんに手を出すな!」


この場にスウロがいたなら頭を抱えたに違いない。

兵士とて三人がかりで人を足蹴にする場面を見られたくないだろう。名乗らなければ引き上げたかも知れぬ。だがすでに遅い。


「何だと……貴様! まさか王政派の犬か!」

「よくわかんないけど、とにかく乱暴はやめろ!」

「こいつ!」


槍が踊りかかる。アトラは踏み込み、勢いが乗る前に肩で受ける。だあん、と骨にまで響く鉄の重み。


「ぐっ……!」


予想を遥かに超えて、肩が爆発するような衝撃。かろうじてこらえ、目の前の衛兵に拳を叩き込む。幼い顔立ちには似つかぬ骨ばった拳、顔面にめり込んで吹き飛ばす。


軽鎧で武装した兵士が宙に浮く。意識を飛ばされつつ地面に転がる。アトラの拳に雷鳴のような痛みが走る。


(い、痛い……こぶしも、肩も)


だが兵士は三人。そしてアトラの力に足が止まるほど未熟ではなかった。

別の槍がアトラの腿を回し打つ。とっさに膝を上げて受けるが、骨にまで届く痛みとともに感覚が消失。

体勢が崩れかかるところへ、腰だめにした槍の刺突が来る。体をねじって避けて後方へ。


「こ……このおっ!」


さらに繰り出さんとした槍を腋で押さえ、満身の力で固定。兵が槍を抜かんとする力に合わせて前へ、その胸部に蹴りを浴びせる。


「うぐっ!? こ、こいつ、何という重い蹴り!」


客観的に見ればひどい蹴りである。足が伸び切った不格好な形になっている。それでも兵士の肋骨をきしませる程度に重い。


だがアトラもバランスを崩す。先ほど薙ぎ払いを受けた腿の痛みで思考が燃えたぎり、顔をしかめると同時に体が後ろに流れ、尻餅をつく。

そこに別方向から槍の刺突が。


(……!)


ごん、と鈍い音。

アトラを突かんとしていた槍がすぐそばの土に突き刺さり、もう一度鈍い音。


「この野郎ども、いきなり抜きやがって、うちのパイロットを殺す気か」


それはトラッドの攻撃だった。重そうな酒瓶を手に憮然と立っている。

頭部を一撃された兵士たちは脳震盪を起こしたのか、うめきつつ転がっていた。


「おい、こいつら縛るから手伝え」

「あ、は、はい」


まだ痛む足をさすり、アトラもなんとか立ち上がる。

足だけではなく全身のあらゆる部分が痛かった。それに恐怖で心臓が早鐘を打っている。興奮と戦慄で喉が狭まるような感覚。


(なんでだろう……勇者フィラルディアと戦ったときも、ベルセネットの領主との戦いでも、怪我なんか気にならなかったし、もっと勢いよく体が動いたのに……)


脳内麻薬による痛覚の遮断、それはまだ経験として意識できていない。


肉体的にはアトラは並の兵士の数倍は鍛えている。でたらめに性能の高い体ゆえになんとか一人を倒せたが、もしアトラが並の男だったなら、あっという間に取り押さえられていただろう。


どこか傍観者になっていたアトラには気構えが足りておらず、少年ならではのムラッ気もあった。そして自分の手足が人体を破壊しうることを、心のどこかで恐れていた。


総じて言うなら、戦士としての未熟さ。

それを心のどこかで自覚しつつ、今はとりあえず兵士たちを縛り上げる。


「き、貴様ら、我々を拘束してどうするつもりだ」

「先に手を出したのはそっちだろ。だがどうするかな。役人に付きだしたら俺が牢屋に入れられそうだな」


背後の納屋を振り返りつつ言う。トラッドはやはりというか酔っていたようで、ようやく本腰を入れて事態について考える、という気配が見えた。

ちなみにアトラの記憶だと、確かに先に殴りかかったのは兵士だが、先に胸ぐらを掴んだのはトラッドな気がする。


「街を出るわけにはいかねえ。飛竜がまだ未完成だからな。どこかに隠れて、なんとか完成まで持っていけるか……?」

「あ、それなら」


と、手を上げる。

縛り上げた三人を物置きに放り込んでから、アトラは模型について説明した。





「ここが模型の中だって……?」


「村」の模型に入り、トラッドは真っ青な空を見上げる。

「村」は比較的温暖な気候が続いているが、このときは少し涼しく感じた。グランヴァルの熱気を浴びてたためだろう。


「そう。後で詳しく説明するけど、時間の流れもコントロールできるよ。ここで何年かけても外では一日、とかもできる」

「すげえな、こんな魔法の品があるとは」

「ただ、広さが半径70メートルしかないんだ。飛行機を飛ばせるかどうか」

「直径で140……滑走路は作れねえな。まあ仕方ねえ、完成させたらぶっつけ本番で飛ばすよ。最初からそのつもりだったしな」


「村」の模型は少しだけ設備が増えていた。大きめの小麦畑と、麦を粉にするための石臼。いくつかの木には樹液を集めるための壺がくくられている。

台所には蒸し料理用のせいろもあったし、包丁やおたまなどが壁から下げられ、大きめの壺には塩と砂糖が満たされていた。


畑の野菜は8種類に増えたし、小麦畑は縦横10メートルのものが2つある。レンナの希望で作ったプールにはエビだとか、ハルモンド名物の細身の魚だとかが泳いでいた。


「なんだレンナ、泳ぎたいとか言ってたから作ったのに、生け簀にしてるのか。というかこの魚って、もしかしてハルモンドからすでに持ち込んで……」


料理道具だとか色とりどりの壺だとかが置かれているが、どうも手作りのようだ。レンナが中で作ったのだろうか。森の方を見ればレンガをドーム型に組んだ建物があるが、焼き物の釜だろうか。


「あんなの作らなくても、創造状態クリエイトモードを使えばすぐなのに……」


どうもアトラの知らぬところで色々やってたらしい。レンナが寝てばかりではなかったことに少し安心し、トラッドの方を向いて言う。


「まあとにかく、ここを提供するから、あの飛行機……飛竜を完成させてよ。それでグランの街がどうなってるか確認に行こう」

「ああ分かった。だがゼロからは無理だ、材料と工具がいる。貴重な北方の本もだ。納屋からさっきの空き家まで何往復もしないといかんが……」

「大丈夫、「写し」の模型を使えば往復なんかすぐだよ」

「すごい魔法使いなんだな、あんた……」


それからは引越し作業が大わらわで続いた。

「写し」の模型を使ってトラッドの家まで飛び、あらゆるものを空き家の方へ引き上げる。飛行機は部品にばらし、予備の部品や資材なども全部持ち込む。


全身汗だくになって作業する横で、スウロは椅子に座って眺めていた。


「アトラ、ほんとに手伝わなくていいデスか?」

「大丈夫、重いものが多いから僕がやるよ。スウロは外を見張ってて」


スウロは鎧戸の隙間を見張っている。まだ街にさほどの騒ぎはない。一度、兵士の姿を見かけたが、窓の外を走り去っていっただけだ。


「タイムラプスは最大で百万倍にできるから……それなら数秒で終わるよね」

「だめデスよ」


ぴしりと言い放つ声に、アトラも手を止める。


「前に言ったはずデス。最大でも200倍程度にしておくデス」

「で、でも」

「もし中でトラブルでも起きたらどうします。急な病気で倒れたりしたら、見つけてもらえずそのまま死んでしまうデス」

「う、それはそうかも……」

「それに……」


言いかけて、言葉はそこで止まる。

空白の瞬間。生まれるはずだった言葉が世界の隙間に迷い込んだような不安。

アトラとスウロの距離はほんの数メートルだったのに、一瞬だけ、点のように遠くなったような、奇妙な幻視が。


「それに?」

「……いえ、とにかく200倍デス。できれば使用者封印ユーザーロックをかけておくデス」

「それだと完成しても中から出てこれないよ……」

「……それなら、トラッドさんに時流速度タイムラプスの変更方法を教えないように……」


どん


遠く響く地鳴り。


大砲の音が空を横切ったのだと、街の人々が気づくのに数秒を要した――。


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