第三十八話 秘匿造船所
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「それは飛行機というものデスね」
宿屋の一室。
スウロは蓋付きのビアマグをあおりつつ言う。麦の香ばしい匂いがした。
宿はいつもスウロとアトラで二つの部屋を取っている。路銀はそれなりにあるので問題ないが、アトラとしては疑問の残る出費だった。模型があれば部屋は一つでいいだろう、といつも思う。
「飛行機は北方の技術デス。しかし官製の技術であり、独占されてるデス」
「技術を独占?」
「まあつまり、許可なく作ったり、作り方を学んだり教えたりしてはいけない技術デスね。エンジンがあれば作れなくはないので、伝え聞いた話か何かで自作したデスね」
アトラは北方の状況についてよく知らない。世界の南限であるバターライダーの生まれなこともあるし、まだ世間に触れた時間が短いためでもある。
漠然とした知識としては、北方は南方より技術が進んでおり、人口もずっと多い、というぐらいだ。
「あれで河を越えられるのかな。だったら模型を乗せてもらおうか」
「不安デスね。河に吹くという気流の問題もあるデスし、私もいくらか情報収集してましたが、飛行機の噂は聞いてないデス。つまりテスト飛行すらまだでしょう。こっそり作ってるのデスね」
「こっそりだと何かダメなの? あ、そうか勝手に作っちゃダメなんだっけ」
「それはこの際どうでもいいデス。河に落ちたらどうするデス」
「落ちる?」
5秒ほど空白の時間。
そののち、スウロが「あ」と声を上げる。
アトラは、飛行機が落ちたり壊れたりという感覚が無い。見たことがないからだ。
さらに言うなら溶岩というものを知識では理解していても、それに触れたらどうなるのかが想像しきれていない。このグランヴァルから見える景色があまりに常識を外れているせいもあるが、アトラの幼さのゆえでもあるだろう。世に何も悲劇的なことなど起きないという、一種の楽天的な世界観を残している。
「ええと、とにかくテスト飛行がいるデス。ちゃんと飛ばなかったら困るでしょう? ブーメランみたいに戻ってくるかも」
「そうか……そうかも知れないね。じゃあトラッドさんに相談してみないと」
スウロは、これは無理だろうなという気持ちを眉の端に浮かべる。完成するとしても何年も先のことになりそうだ。
「たのもう」
と、扉をノックする音。スウロは何気なく壁際に動いて背中をつける。
「アトラ、出てくれますか」
「いいけど」
ドアを開ける。街の衛兵らしき人物であり、鞘をつけた手槍を持っていた。
チラシをアトラに差し出して言う。
「旅の者か。北方へ向かう予定はあるか?」
「はい、行けたらと思ってますが」
「そうか、グランヴァルの街から北方の街道は野盗が多い。我が街では移動を希望するものを集め、キャラバンとして組織しておる。希望するなら明日、中央広場へ来るといい」
「……それ、たしか終戦派がやってるって聞きましたが」
「うむ、グランヴァルの領主であるノーザス様は終戦派を支持しておられる。終戦派は北方の知識にも明るく、この街の発展にも寄与しておるのだ」
バターライダーの街でそうだったように、終戦派は基本的には異端であり、王権への批判を公然と行っている組織である。
だが巨大な飛竜が空を舞うことの絶えて久しく。魔王との戦いの影は遠のいて幾年。終戦派を歓迎している街も増えているのか。アトラなりに無表情を作りつつそう考える。
「考えときます」
「うむ、検討なされよ」
そして唐突に扉を閉める。数秒後、隣の部屋をノックする音が聞こえた。
宿屋であれば旅人が集まるとあって、ああして声をかけているのだろうか。そのように理解する。
「旅に参加かあ。確かに北に行く旅だけど、別に大勢で行く必要ないよなあ」
「そうデスね。模型のことを知られるリスクもあるデス、何より終戦派と行動を共にするなんてまっぴらデスが」
「スウロも終戦派を嫌ってるの?」
「嫌ってると言うより反王政派だからデス。ろくなもんじゃないデス。どうもグランヴァルの領主も終戦派のようデスね。できれば長居したくないデス」
スウロの行動原理には王の名前がちらついている。それは彼女の出自や役割に関係するもののようだが、ならば反王政派とは相性が悪いのだろうか。
「じゃあやっぱり、もう一度トラッドさんのところに……」
「気になるデスね」
スウロがぽつりとこぼす言葉、その耳は廊下を遠ざかる使者の足音に向けられる。
「何が?」
「集団移動について。なんでそんなものを組織するデス。まるで旅人を見張ってるかのようデス」
――知ってるぞ、あれは旅じゃねえだろ。いわゆる人足馬車だな。
「……疑ってる人がいたよ。キャラバンに参加すると、どこかへ連れて行かれて働かせられるって」
「ふむ……強制的にデスかね。それとも秘密裏に参加を呼びかけて……よし、行ってみる必要があるデス」
「え?」
「遷移、『森』」
ぶん、と背後の机に置かれていた模型が振動し、森の眺めに変わる。
スウロが指笛を吹けば、中から飛び出すのは鋭い爪の猛禽類。
「溶岩の流れに沿って北へ飛ぶデス」
窓から飛び出し、一気に雲の高さまで。アトラが窓際に寄ったときにはもう見えなくなっていた。
「遷移『写し』」
また模型が変わる。灰色がかった銀の土台に地形が生まれていく。赤い河をちらつかせながら、北の方へ地図が伸びる。
「ツメに偵察させてるの? あれ、というかツメに運んでもらえばいいじゃない、模型が大きいならスノードームにして少しずつ」
「無理デス。ほとんどの鳥は地形を目で見ながら飛びます。溶岩の河は熱気で景色が揺らいでいる。鳥はそういう方向へは飛べないのデス」
離島などに渡る鳥もいるが、本能的な方向感覚あってのことである。伝書鳩なども濃霧の日などは飛び立てないことがある。
「ええと、模型の中で生まれた銀を撒けば地図が描けるんでしょ。じゃあ強力な弓とか大砲で銀を飛ばして、河の向こうまで地図ができたらそこに入って」
「模型をこっちに残していくことになるデスよ」
「あ、そっか……上手くいかないなあ」
「ちなみに言うと、模型を細かくしてる場合、遷移できるのは大きい方の模型のみデス。等しく分割しても、必ずどちらか一つにだけ拡張機能が発現します。言うなれば機能の核のようなものがあるのでしょうね。つまり、「写し」の模型に「写し」を持ち込むこともできません」
「うーん、融通きかないんだね」
そのような話をしてるうちに、模型の変化が止まる。
スウロが何度か命令を出しており、模型の縮尺は最大になっていた。
「最大でおよそ1万倍……模型が1メートルとして10キロになるデスね。視点を動かしてもここから先へは地図が作られない……。これが限界なのか、これ以上伸びるのかは不明デスが」
アトラたちのいるグランヴァルの街が豆粒のように端にあり、そこから波打った街道と岩場、そして溶岩の河の一部だけが見えていて、あとはのっぺりした銀色である。幅としては鉛筆を二本並べた程度だろうか。
「ふむ……もっと集団を組織すべきデスかね。ツメに他のサビイロオオワシを手下にさせて、四方八方にビーコンとなる竜銀を撒くように訓練を……」
「ねえ結局なにやってんだよ」
「ここが怪しいデス」
位置関係で言えば地図の端と端。街道から溶岩の河の方に外れた場所。
何やら巨大な建物があり、そこと街道を塞ぐように小高い丘がある。街道を歩く者は、丘が目隠しとなって建物は見えないだろう。
「あれ……この丘、なんか盛り土っぽいな。人工的な丘だ」
祖父の教えを思い出して言うならば、丘が左右対象になっている。このような丘がジオラマにあると、全体が作り物っぽく見える上に、見ようによっては古代の墳墓にも見えてしまう。
「行ってみましょう」
と、スウロはその地点を地図上の中心に据え、ベッドに踊り上がってから一気に飛び込む。
「あ、ちょっと」
アトラはもう少し慎重だった。顔を突っ込み、地面が1.5メートルほどの位置にあるのを見て入り込む。
「よっと、うわ、暑っ!」
暑いというより熱い。麻のローブで全身を覆っているのに、布地を透かして肌を突くような熱気がある。ごうごうと大気が唸るような音がして、溶岩の河に向かって熱風が吹いている。
「河に向かって風が吹いてる……逆だったら火傷しちゃうなあ」
「上昇気流が生まれてるデス。溶岩で温められた空気が上に登り、地表近くでは周囲の空気を引き込むのデス」
「ふーん」
アトラは出入り口を確認する。見えないが首ほどの高さに穴があり、手探りすればテーブルの上面に触れられる。出るときにはここから懸垂のような動作で登れるだろう。いちおう周囲の岩を見て位置を覚える。
「って、あのでっかい建物だね」
それは高さ20メートル、大きな長方形の建物である。屋根は平たく、箱のように見える。宿屋が二、三軒並んで入りそうなほど大きい。
アトラはそのような建物に見覚えがあった。港のあるバターライダーで育ち、また模型屋として様々な建物を観察していたためである。
「これって造船所っぽいなあ」
「そうデスね、倉庫にしては街道側に搬入口がないデスし」
厳密に言えばバターライダーが面しているのは砂漠であり、造られていたのは竜に引かせる大型のそり船であるが、造船所の雰囲気はよく似ていた。
建物の角に小さな扉があり、スウロはおもむろに近づいてドアを開ける。
「ちょっと、勝手に入ったら怒られるよ」
「今なら道に迷ったで通るデス。変にコソコソしてると逆に怪しいのデス」
「そうかなあ」
槌の音が聞こえる。鋼板をハンマーで叩き伸ばす音。金属を削る音。防眩ゴーグルをはめて金属を加工している者もいる。竜銀をふんだんに使った青白い火だ。
「あれ溶接ってやつだな……贅沢な設備だなあ」
「竜銀の火による溶接デスね。北方だとガスや電気による溶接もありますが、それだと竜銀が吹き飛んでしまうとか」
そのような溶接を銀溶接という。知識としては知っているが、バターライダーではまず見られない。何しろ火を一分間持続させるのに、60万ドルムの銀が必要なのだ。
アトラも防眩ゴーグルを降ろし、この工場の金臭い空気、何となく田舎のガラス工房に似てる空気をしばし懐かしむ。
「作ってるのは、あれデスね……」
それは船のようだった。鋼を加工してパーツを切り出し、溶接によって組み立てているようだ。大型のクレーンは二基、回転ノコギリのような加工機械、大型のプレス機、いずれもアトラの田舎には無かった設備である。
そして船体の脇で作られているのは、人がすっぽり入れそうなほど大きな筒、やや短く台座に固定されたそれは、鋼鉄製の大砲だった。
スウロが唇を噛み、苦々しげに呟いた。
「大砲……いったい何と戦うのデスか……?」




