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第三十五話 機能開放

しばらく止まっていましたが、ゆるゆると動かしていこうかと思います

他の連載ともどもよろしくお願いします





弾ける水音。


水を蹴立てて踊るのは白い足。水べりに座ってつま先で水と戯れる。


その前にあるのは木枠で組まれたプールらしきものだ。大きな桶を地面に埋めたような塩梅であり、冷たい水で満たされている。


下着姿で足を入れていた少女は、印象としては熊の赤ん坊のよう。栗毛の髪はふわふわと柔らかで、手足は肉付きがよく、指先をいつも丸めている。火を扱う職人の名残なのか、頬は紅を塗ったように赤らんで見えた。


時刻としては夜半。ここは模型の世界とは言うが、空には星があり、月の満ち欠けもある。あれは風景としての演出なのか、それとも実際に月や星も模型の中にあるのか、この場にはそれを気にする者はいない。

レンナは足先を水につけている。ふやけたように歪む足を見つめてから、脇にいた少年に呼びかけた。


「アトラ、これ海じゃない」

「知らないよ!」


言われた方は年の頃なら16か17、若い割に驚くほど鍛えており、筋肉が瘤のように隆起している。あどけない顔にそのような体は不安定さを感じさせ、何か尋常ならざる生き方をしてきたのでは、との推測を抱かせる。


「水遊びがしたいって言うから作ったんだろ! 一人ならそれで十分でしょ!」

「これプール、ビーチがいいの。夜の砂浜でカニとたわむれたい」

「無理だって言ってるだろ!」


カリカリとした声を出し、頭から湯気を出しながら洗い物をするのはアトラ。

ここは模型の中の世界であり、模型の世界の持ち主はアトラだった。


彼はこの数日、新しく仲間となったレンナに振り回されていた。


職人としての腕はあるはずなのだが、とにかく怠け者で人使いが荒い。昼まで寝ていたかと思えば焼肉が食べたいだのかき氷が食べたいだの言い出し、アトラが用意する頃にはまた寝ている。服は脱ぎ散らかすし部屋は散らかす。模型世界の小屋にはレンナの個室を増設していたが、そこに留まらずどこででも寝る。

アトラも無視していればいいものを、几帳面なタチなのか、眠りこけたレンナを寝所まで運ぶ。そしてさんざんに散らかされた部屋に絶句するのである。


「同じ職人でもクイッカとえらい違いだよまったく……。だいたい職人ってのはもっとキチンとしてて、規則正しい生活を……」


ぶつぶつと愚痴をこぼす。

アトラ自身は意識してなかったが、幼少期の彼は無邪気で活動的な少年であった。成長してからは几帳面で真面目な気質になりつつある。おそらく数年の一人暮らしが影響したものか。


「アトラ、洗濯?」

「そうだよ」

「じゃあこれ洗っといて」


ぽい、と脇の洗濯かごに投げ込まれるのは上下の下着、背後の方ではぱしゃぱしゃと泳ぐような音が聞こえてきた。アトラは渋柿を噛み締めたような顔になる。


「……慎みのかけらもない」





「とりあえずの解析は終わったデス」


ハルモンドの街を離れて3日あまり。アトラたちに必要なのは模型の調査であった。

先の一件で二つの真なる竜銀レアルドルムと融合したと言うが、模型には大した変化が起きていない。また少し広くなっているようだが、半径にして数十センチというところだ。


「おおよそですが、一億の竜銀ドルムで100平方メートルほど広くなるデス。今は半径70メートル弱、15000平方メートル少々なので、一億二億ではほとんど分からないデスね」

「まあ広さは別にいいけど、これだけ広いと三人じゃ持て余すし」


アトラはそんな反応だった。魔法使いのスウロはそれに何か言いかけたが、それはともかく、と話を進める。


「肝心なのは2つの真なる銀が加わって、模型がどう変化したかデス。どうやら機能が拡張されてるデス」

「どんな機能なの?」

「一度外へ出るデス、アトラは木剣を持ってくるように」

「? わかった」


レンナも連れて、三人で外へ出る。レンナもその場にいて説明を聞いているはずなのだが、彼女は眠気があると石ころのように気配が消える。


「いいデスか、まず遷移せんい、「森」」


ぱ、と一瞬でドーム内の風景が変わる。丈高い針葉樹の森、左端には木の実をふんだんに実らせる果樹もある。


「模型が変わった……小屋も無くなって、本当に森だけに」

「入ってみるデス」


模型の中に飛び込む。普段の模型では出入り口まで少し高さがあるが、この時はちょうど首ほどの高さに出入り口があった。地面には藁が敷いてあり、よほど運が悪くなければ怪我はないだろう。

周囲は森。太陽は高いが、密集した木によって薄暗い印象が漂う。


「何なのここ」

「まず第一に、この「森」の模型は創造状態クリエイトモードにできないデス。広さは小屋のある模型と連動してます。そして特徴として」


スウロは脇に吊った袋から燻製肉を取り出す。それを放り投げると、ぶるる、と唇を震わせるような音。

1メートルほどのイノシシが藪の中から出てくる。


「うわ、イノシシ」

「さ、アトラがんばって」

「えっ!?」


三分後。


「ふう、なんとか勝てた……」


木剣を受けて昏倒しているイノシシ、体重は100キロというところか。


「見ての通り野生の獣が湧くデス。私の見たところではヘビにイタチ、トンビなんかが沸くデスね」

「そっか、じゃあ食料の足しになるね」

「いいえ、よく見るデス」


スウロの指に沿って振り返れば、先ほど打ちのめしたはずのイノシシがいない。

気絶から目覚めたのか、とも思ったがそんな気配はない。

その代わりに、地面の上に銀色の粒が。


「あれ、これって竜銀ドルムの粒だ。この大きさだと500ドルムぐらいかな」


都市部などでは主に紙幣が流通しているが、大粒の銀ならばそのまま通貨としても使用できる。大きさ、純度、色味などでおおよその価値を判断、この時代なら誰もが持つ感覚である。


「この模型では獣を倒すと銀に変わるデス。小さな虫などは変化しませんが、ネズミより大きければ変化するようデスね」

「そんな、イノシシ一頭倒して500ドルム!? めちゃくちゃだよ!」

「そうデスかね、それは見かけ上は無から生じた竜銀ドルムデス。大変なことデスよ」

「……? そうかなあ?」


アトラは疑問の顔になるが、魔法使いはそれについては語る気がないのか、また別の方向を指差す。


「アトラ、向こうを見るデス」


指の先では樹が高くなっている。雲に届くような針葉樹の森。別の方角では冠雪した高山とか、天を覆うほどに枝を広げた巨大な樹もある。

遠方には鳥も見える。距離感から考えるとかなり大きいようだ。よく耳を澄ませば狼が唸るような音も、朽木が何者かに倒されるような音もする。


「何なの……何か妙なものが色々と」

「遠方に行くほど複雑な地形や、強大な獣がいるという塩梅デスね。かなり遠くまで作ってありそうデス。おそらくはこのエリアの元となった真なる竜銀レアルドルム、その人格のようなものが生み出した戯れでしょうか。人間と遊びたがる性格だったようデスし」

「よく分かんないな……。あの針葉樹の森までどのぐらいかなあ」

「250メートルほどデス。あそこまで広げようと思ったら大変デスね。半径250メートルの円の面積は19万6250平方メートル。そこから15000を引くと18万1250、100平方メートルあたり一億とすると」

「1800億!? そんなに!?」

「イノシシなら3億6千万頭、ま、大した額ではありません。それは今後の話でよいでしょう」


スウロはとっとと模型を出て、アトラは煙に巻かれた印象を抱きつつ後を追う。レンナは入ってきてすらいなかった。


「もう一つ、これが超すごいデス。遷移「写し」」


また模型が変化する。


だが今度は何も生まれない、ただの銀色の板にガラス蓋がかぶさった形だ。


「何これ?」

「ビーコンを撒くデス」


取り出すのは銀色の粒。それを四方八方に思い切り放り投げる。


「あれは「森」の模型から取れた竜銀の粒デス。あれが半径数十メートルをスキャンするのデス」

「よくわかんないよ……」

「ほら、変化してきました」


それは銀色の泥のような眺め。針のような突起が飛び出し、盛り上がり、地形を作る。

色味も変わり、質感も生まれ、すぐに砂漠と岩山の眺めとなる。


「……これ、もしかして、このあたりの地形かな」

「そうデス、中に入ると」


スウロが飛び込む。

果たして彼女は、すぐそばに降りてきた。


「うわ!?」

「このように現実と模型がリンクするデス」

「すっご、それってとんでもない事じゃ」

「さーらーにー! 創造状態クリエイトモードへ」


蓋が消滅する。スウロは竹ひごを取り出し、模型の内部にがりがりと溝を刻む。がらがらと岩が崩れるような音が周りから響く。


「まさか……!」

「見てみるといいデス」


アトラが駆け出せば、その足は谷間の前で止まる。


さしわたし10メートル以上の巨大な溝が、竹ひごで描いた通りに生まれていた。


「現実に影響が……!」

「これが新しい模型の機能デスね。最初からあった模型を「村」とでも呼びましょう。我々は「村」「森」「写し」の3つの模型を手に入れた事になるデス」

「こ、これ! これがあれば砂漠に湖が作れるよ! いや、海だって作れるかも!」 

「そーうまくいくかな」


背後から声。

見ればレンナが来ていて、だぶついた革のツナギ姿でゆらゆらと揺れている。まだ眠たげである。


「いや、すごい道具だよレンナ! これなら簡単に北方まで行けるよ!」

「私ね、つるぎの乙女だったときの記憶はぼんやりあるんだけど」


真なる銀レアルドルムに憑依され、人狼と戦う戦士となっていたレンナ。背後に置いてあった模型をちらりと見て、眠たげに言う。


「そこにあったのは無力感」

「無力感?」

「そう、すごい力を持ってるのに、何もできない無念さだよ。人間たちはいつも短絡的で、すごい力があるから何でもできるはずと思い込む。そして失敗を繰り返した。実際は力そのものより、どう運用するかのほうがずっと大事」

「なんだよ、もちろんちゃんと考えるよ。これから虚無の帯デッドベルトを超えるための作戦を練るよ」

「ちゃんと考えないとダメだよ。慎重にね、ふああ」


あくびを一つ残して、そのへんに座り込んでしまう。まだ午前の早い時間に、砂漠の日差しの中でうとうとできるのも才能だろうか、そんなことを思う。


「スウロ、北方に行けるよね、この新しい模型があれば」

「そうデスね、まず無理デス」


ばっさりと袈裟懸けにされて、アトラはあんぐりと口を開ける。


「なんでだよ! 現実を変えられる模型なんだよ! これで行けないところなんてあるわけないよ!」

「それは虚無の帯デッドベルトについて知らないからデス。丁度いい、このあたりに街があるデスから、そこまで行って補給しつつ作戦を練るデス」


模型の片隅、まだ空白になっている地点にとんと指を置く。


「その街はグランヴァル。かつて飛竜の街と呼ばれていたデス」


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