第三十四話 それぞれの意思
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「それで結局」
アトラたちは夜の砂漠を歩いている。来るときはサビイロオオワシに運ばれてきたが、歩くとなるとかなりの距離だった。
「街の人にはどう説明するつもりなんです」
「剣の乙女が骨を崩して、真なる竜銀を持ち去ったことにする。もともと、それを目指していた街だ」
長老は何だかへりくだった様子があった。かつては街のまとめ役たる精悍な人物だったはずだが、今は小役人のように見える。小走りでアトラたちの前を歩きつつ、周囲に誰かいて、話を聞いてはいないかと気にしていた。
人狼はといえば剣の乙女が一瞬で斬り捨てた。それはさすがに可哀想と思わなくもなかったが、ではあの怪物をどうすればいいのかと自問自答しても、アトラには何も浮かばない。
「街には骨が残ればいい。あれから銀を抽出する。他のものはお前たちが持っていけばいい。その代わり、乙女と狼に関して見たことは、すべて他言無用としてくれれば」
「そうデスか、分かりました」
スウロが口を挟み、ひらひらと手を振る。
「では一緒に戻らない方がいいデスね、あなたは先に戻りなさい。我々もハストたちを送り届けたら街を出ていくデス」
「う、うむ、くれぐれもひっそりと出ていってくれよ」
長老は身をかがめ、そそくさと街の方角へ戻っていった。
鍛冶職人のハストはというとロープでぐるぐる巻きにされ、アトラが背負っていた。模型はすべて回収し、元々の量と変わらないことを確認済みである。
「したたかな男デス、さすがはこの街を20年も守っていただけあります」
「? どういうこと?」
あの長老は、アトラたちが真なる竜銀を持つことを認めた。アトラから見れば拍子抜けするほど早い白旗である。
いくら骨を残すと言っても、真なる銀の価値には遠く及ばない。それをためらいなく手放すとは信じがたかった。
その様子を見て、スウロが解説めいた話を振る。
「アトラ、忘れたデスか? 第十八次遠征隊、その先遣隊がこの街を訪れています」
「そうだね、覚えてるよ」
「この街に眠る竜との衝突を避けて、物資の買い付けは避けたようデスが、都市曳航竜の骸は補足されたのデス。いずれ、北方から真なる銀の回収に竜たちが来るはず」
「あ」
「そうデス、この街が真なる銀を抱えておける期間は残りわずかだったのデス。誰かに持ち去ってもらうのが都合が良かったのデス」
「見つかったらダメだったのか……。でもよく20年も見つからなかったね」
「そう思うのはアトラが世界の広さを知らないからデス。あのような巨大な骨でも、世界の広さに比べれば砂のひとつぶ。人口も減り、竜たちが北方に去った時代となっては、南方に逃れた竜を見つけるのは難しいのデス」
アトラとしては、家のどこかにある模型を探す程度の感覚だった。世界とはもっと広いのだろうか。
そして連想が起きる。
「ハルモンドの街って、でっかい模型みたいなもんだね」
竜たちが夢を通じて人を操り、育成する模型。あるいは箱庭のようなものか。
あの長老の言動もどこかおかしかった。人間の視点と言うより、竜の立場からものを言うような。あの老人もずっと夢うつつだったのだろうか。
「そうでしょ? 剣の乙女」
その乙女は背後をゆるゆると歩いていた。外見は銀の胴当てから吹き出す黒い煙、不定形の幽鬼のような姿だが、おかしそうに身を揺する気配がある。
「ええ、北方の戦から遠ざかって、この地で人と戯れていた。十八次遠征隊なんてものが生まれるのは、予想していなかったけれど」
「うまくいっていたの?」
「20年でハルモンドの人々はだいぶ進歩したけれど、それでも北方の戦いに届くほどではなかった。北方は技術もずっと進んでいるから」
「……ハルモンドは栄えていたけど、そのために街の娘さんが犠牲に……」
「いいえ」
金属を擦り合わせるような乙女の声。これが竜の声なのだろうか。と思う。
「すべての人々には夢見で伝えている。湖に落ちることは不幸を意味しないと」
「どういうこと?」
「湖には真なる竜銀が沈んでいる。湖に降りることでその力を手に入れる。それはとても深い幸福となるはず」
「でも、狼に負ければ死んじゃうでしょう?」
「私たちは人間を個別では考えない。いずれハルモンドの人々が成長すれば、もっと多くの銀を受け入れられるはずだった。もっと強大な剣の乙女が生まれて、世界に君臨するはずだった。それが人という種の完結であると考えた」
「……」
少なくとも、レンナに関しては自分の意思で降りた。それについてアトラが何か言う資格は無いかも知れぬ。
だが、竜の言うことが本当に正しいのか。
人を不滅にする。成長させる。それは人間を使役するための方便と言っても間違いではあるまい。力を手に入れようとしたのは竜の側ではないのか。
しかし、アトラは思い出してもいた。
彼の祖父。魔王に信仰を抱いていた人間を。人間以上の存在に注がれる純粋な敬意を。
人間は、竜たちと敵対すべきではないかもしれない、そうとも思う。
「うん……分かるよ。いや、本当に心の底から理解できるわけじゃないけど、分かろうとはしてるんだ」
竜は、あるいは魔王は、あらゆるやり方で人間に干渉しようとしている。ただ存在の天と地の格差が、歪んだ物語を生むのだろう。
「竜たちはすごく偉大だけど、僕たちがあまりに幼いから、その大きさを受け止めきれないでいるんだね」
「人間には領分というものがあるデス」
スウロが口を挟む。夜の底で指を振り、古い童話を語るように話す。
「この世には理解できないこと、認識できないことが多すぎるデス。だから人間は己の領分を守って、ゆっくり成長すべきなのデス」
「魔法使いがそういうこと言うの?」
「私の言う領分とはつまり、王デス」
「……」
「人は人の中より王を選び、王を戴き、その示したる領分を守るべし。遠くへ行かず、財産を持ちすぎず、王よりも上のものを崇めず、まじない師のささやかな魔法で満足すべし。それが人の幸福デス」
「ふうん……」
それがスウロの意思なのだろうか。
あるいは役割、存在意義。行動理念。銀を燃やし、あるいは集めるという彼女の旅は、王という言葉から始まっているのか。
「壁が見えた」
剣の乙女が言い、その身から吹き出す黒煙が濃くなる。
「では私はあなたに身を預けよう。私は個の意思を捨て、あなたの模型の一部となる」
「いいの? それってあなたは死ぬってことじゃ」
「生と死など、私たちには意味をなさない」
最後に乙女は、どこかを眺めるような気がした。
それは壁に囲まれたハルモンドの街か。
その中央から街を見下ろす乙女の丘か。
「私たちは無限であり、永遠であり、この世のすべて……」
どん、と鎧が落ちて。二つの銀無垢の輝きが転がる。
その銀塊に挟まれるように、丸っこい髪型にやや膨らんだ頬。
鍛冶職人のレンナが、寝息を立てて横たわっていた。
※
「これで二つ手に入れたデスね」
早朝。
アトラとスウロは騎竜にまたがり、砂の上を進んでいる。三ツ又に分かれた騎竜の指は砂をよく掴み、熱を逃がしやすい鱗はひやりと冷たい。
ハルモンドの街にハストとレンナを残し、宿でわずかな睡眠を取ってからの出立だった。
左手を見れば朝もやの彼方、山のような竜の骨がある。半分以上が崩れており、じきに街の人々もそれに気付くだろう。
「雑に抽出しても数千億にはなるデス。今後はあの骨の解体がハルモンドの産業になるでしょう」
「骨を全部解体したら?」
「そこまで心配してどうするデス。湖は健在なのデスから、畑を作るなり牛を飼うなりすればよいデス」
「まあ、そうだね」
さくさく、と騎竜は朝露に濡れた砂を踏む。このあたりは湖の影響で湿度があるが、いずれまた乾燥しきった砂を歩く日々となるだろう。
「ちょっと休もうか、朝ごはん食べずに出てきたから」
「そうデスね、お茶飲みたいデス」
そして地面に埋めた杭に騎竜をつなぎ、模型を背負ったアトラが腰を降ろすと。
「よいしょ」
と、さなぎが羽化するように、背中から生えてくる人間。
「おわ!?」
さすがのアトラも驚いて横に転がる。
「はあ、よく寝た」
それはレンナと呼ばれていた職人。若草色のツナギを着て、革手袋をはめた手を突き上げ、かるく伸びをする。
「い、いつの間に?」
「あなた無防備、ふああ」
のんびりした声だった。顎を信じられないほど開いてあくびをしてから、一人言のように言う。
「私も、ついていく」
「えっ、いや、困るよ」
「ハルモンドにはいたくないの。ハストいるし」
「う、いや、でもそれは、そこはお二人の問題だし」
「ハストだけが悪いわけじゃないよね。男にも負けない強さがあったし、付き合ってるとデカい顔できた。ただ時と場所を選ばないのが、最悪だった。なので、もう無理」
そしてまたアトラの背中に足から入ろうとする。一瞬だけ着ぐるみに入るような姿勢に見えた。
「ちょ、ちょっと、困るって!」
「何が困るの?」
「え、それはその」
スウロを見て、懇願するような視線を送るが、そのスウロはどうでもいいという顔で首をこきりと鳴らすのみだ。
「ええと、何が困るんだろう、とにかく何か困るよね?」
「いてもらえばいいデス。人手は必要だったデスし、模型に入っててもらえば何十人でも運べるデス」
「えっ、でも人間にずっと入っててもらうなんて」
「アトラ、分かってるデスか? 遅かれ早かれその模型には何百人という人間が入るデスよ。間違いなくそうなるデス」
「え、そ、そうなの?」
「これからよろしく。あと言っておくと、私は一日に14時間寝るから。それと、別に両刀でもない徹底したノンケよ。ネコでもないしね」
「何の話?」
その額に伸びるレンナの指。
職人らしい力強さで、カキンと額が弾かれた。
「お子さま」




