第三十三話 壟断の乙女
「れ……レンナ、なのか」
老人がつぶやくように言う。黒くけぶる姿の乙女はそれには答えず、剣をするりと引き抜き、何かを撫でるように動かす。
たちまち、その腕の先で柱に斬線が走り、塊から板状に切り離される瞬間、砂のように細かく粉砕される。
「どこ……」
二つのノコギリをすり合わせるような声。乙女はふわりと飛び上がって、骨の間を飛び跳ねる。
「スウロ、ちょっと逃げよう。ハストも運ばないと」
「あの乙女、骨を解体する気デスね」
スウロが駆け足で骨から離れ、アトラは脱力している老人とハストを抱えて後を追う。
乙女の剣はほとんど抵抗なく骨を切り裂き、骨は離断されると溶け崩れるように形を失う。すさまじい細かさに刻まれているようだ。
そしてある一瞬、ぎいん、と硬質な音が空間に広がる。アトラの視界では点のようにしか見えないが、見覚えのある金属光沢が。
「あれは……」
砂丘に降り立つ剣の乙女。
もやのような手には銀色の塊が握られている。大きさは酒瓶のような、羽をむしった山鳥ほどの大きさしかない、ぬらりと光る銀色の塊。
「真なる竜銀……それがあなたの目的だったの」
「そうよ、我々は互いを目的としあう、分かれることも合わさることも活動の一部。この地で、どちらかに合流するまで戦おうと決めていた」
その呟きは誰に返したという気配もなかった。人間に向けての言葉では無かったかも知れない。
「私たちは戦いの果てに肉体を失い、この地で眠りについた。そして私たちは考えた。獣では器としては小さすぎて、我々の力を受けきれない。私たちは、人間が私たちをどう使うべきか考えさせねばならなかった」
「だから、人間同士を戦わせたデスか?」
スウロが言う。乙女は空気の揺れのみで肯定を示す。
「我が肉体を武器とすること、我々を食べさせた獣を使役すること、どちらも可能性のひとつ。でもそれももう終わり。人は銀を蓄えることに執心して、技術の歩みはあまりにも遅かった。……ま、要するに失敗したってことでしょ、人のせいにするのよくない」
スウロが片眉を上げる。言葉の後半で突然、生々しい人間の声になったからだ。
「竜は漠然としか考えてなかった。自分を人間に委ねれば何とかなると思っていた。馬鹿みたいな自己犠牲。神様の奢り。ハルモンドの街はそこそこ栄えたけど、北方の戦いにはとてもついていけない。結局、この二匹の龍は逃げていただけよ」
「れ、レンナだな」
背後から進み出る人物がいる。ハルモンドの職人、ハストだ。まだ節々が痛むのか、肩を押さえてよろめくように出てくる。
「あら、生きていたの」
「レンナ、無事で良かった。剣の乙女に操られていたんだね。さあ戻ってきてくれ」
腕を差し出し、そう言う。
だが何となく、白けた空気が流れるのはアトラにも分かった。
スウロなどは露骨に眉をしかめていた。ハストの呼び掛けに、懇願と言うよりははっきりと命令の響きがあったから。
「ハスト、もう終わりよ」
「何を言うんだ、大丈夫だ、きっと元の体に」
「私は別に女同士なんか好きじゃない。あなたは手荒いし、それに私の都合なんかいつも無視した。自分勝手に振り回すことが己の魅力だと思っていた」
「黙ってよ、君は混乱しているんだ、ねえレンナ」
「相手は私だけでもなかったしね、今まで湖に降りた子たちにも似たような」
「黙れ!!」
火薬の弾けるような瞬間的な激昂。喉が裂けるような叫び。左腕が勢いよく動いて後方から剣を抜き放つ。
「レンナの声を借りて勝手なことを! 邪悪な竜め!」
その発言には、さすがのアトラとスウロ、さらには脱力している老人までが苦々しい眼を向ける。
竜と銀の織り成す神さびた場面とも言えるはずが、一人だけ卑俗な世界に根を張っているような感覚。
「アトラ、これ私たち見ないと駄目デス?」
「うーん、止めに入ったほうがいいのかな」
言って、アトラは二人の間に割って入る。
「まあまあ、ハストさん、落ち着いて」
「止めるな! そいつは悪霊だ! レンナの声で勝手なことを喋ってるだけだ!」
「いや発言とかはどうでもいいんだけど。いくらその武器でも、剣の乙女と戦えるわけないよ」
背後でかすかに空気の震える気配。おかしそうに身を揺すっていると感じられる。アトラはそちらに意識を向けて発言する。
「ねえあなた、僕と一緒に来てくれませんか」
「あなたと?」
「ええ、気づいてるでしょ。僕も真なる銀の持ち主です。北方へ行く旅をしています」
「そうね、この竜たちは戦いを退いた身、自分達で他の竜を食らってやろうとは思ってなかったみたい。誰かに合流したかったのは確かね」
そこで、また金属のきしるような声に変わる。
「連れて行くなら、実力を示してほしい」
「分かりました」
アトラも剣を抜く。
それは砂に溶けるような色の木剣だった。使い込まれているのか表面は濡れたようになめらかで、全体が黒ずんで見える。
「この剣を使えばいい」
ざく、と己の横に剣を突き立てられる。背後の乙女が自分の剣を差し出したものか。
「いえ、本物の剣は扱かったことなくて……。それに、あなたも自分の身を守るために持っていたほうがいい」
「心配してくれるの」
「もちろん」
アトラとしては、初めて持つ剣よりも木剣の方に信頼が置けるのも本当だった。だが目の前の女性。鍛冶職人とはいってもやはりアトラに体格で劣るハストに、剣を振るうのが躊躇われた。
それは広い意味ではアトラの鈍感さ、命のやり取りに関する自覚の足りなさなのは確かであった。
ハストが泡を飛ばしつつ叫ぶ。
「どきな! 怪我じゃ済まないよ!」
「ハストさん、それ凄い剣だね。本当に立派な仕事だと思うけど、聞いてる限りだとあなたの意思が一方的すぎるよ。一度剣を置いて、ちゃんと話し合いを……」
「どけと言ってる!」
一言を交わすのも惜しむような殺気。
砂を強く踏んで駆ける。腕の力で無理やりに剣を持ち上げ、大上段に振りかぶる。
しかし、それはあの勇者の太刀筋に比べれば自由落下のように遅かった。剣を振り上げる勢いが勝ちすぎて制動できていない。その剣の横っ腹を、アトラの木剣が弾き飛ばす。
「あっ!?」
飛ばされた剣は砂地に半分以上埋まる。
見た目ほど余裕は無かった。アトラはこちらを睨み付けるハストの視線に冷や汗を流す。
(うう、この人、本気で殺そうとしてきた……)
アトラには理解しがたい感情の応酬があった。その少年らしさを残した眼に困惑が浮かぶ。
剣の乙女ははっきりとハストを拒絶したのに、この職人は何を食い下がっているのか?
「あ、あの、落ち着いて……」
「なぜ邪魔をする、レンナとあたしの仲を引き裂くのか。その化け物が勝手に喋っているだけの言葉を信じるのか」
「いや、どっちを信じるとかじゃなくて、話し合いを」
「長老!」
砂を蹴たてて走る。まだ茫然としていた老人の脇へと滑り込むように移動。
「な、何だ」
「こいつらを殺せ! 全員、湖に棲む竜に操られてる! 狼を呼ぶんだ!」
老人はぎょっとして眼を丸くする。
「何を」
「それで全て振り出しに戻る! また乙女を仕立てて狼と殺しあいをさせればいい! そうやってハルモンドの街は栄えてきたんだろ!」
「無駄ですよ」
剣の乙女が金属質の声で言う。
「ただの狼では、もう私に勝てない」
「ハッ! それはどうかな!」
ハストが右腰に吊られていた革袋に手を入れる。肩の筋肉に満身の力を込め、そしてバネ仕掛けのように引き出されるのは銀色の長剣。袋の大きさからは絶対にありえないほど大きい。
「……む」
初めて、剣の乙女が警戒するような声音を示す。アトラも眼を見張った。
「あの人……腰にも模型を、そんな道具入れみたいな使い方もできるのか」
「武器ならいくらでも用意している! ハルモンドに何億の竜銀があったと思っている! さあ長老! 狼を呼ぶんだ!」
それは恫喝に近い声だった。長老と呼ばれていた人物は事態の推移に付いていけぬながらも、犬笛のような細い笛を取り出す。
剣の乙女は、哀惜と憐れみと、冷笑がほどよく混ざった声を出す。
「分かっているのハスト。狼が砂漠のどこかに控えていたとして、駆けつける前にあなたの首を刎ねるなんて簡単なことよ」
「出来やしないさ、レンナとあたしは心で通じあっている。お前がいくらレンナを操ろうとしても、彼女の意思がそれを止める」
「あの、アトラ、あの人さっきこいつら殺せって言ってたデスよね?」
「うん」
支離滅裂である。その瞬間に思い付いた言葉を叫んでるだけに思える。
しかも悪いことには、ハスト自身ではそれを不自然な言動と思っていない。自分では何か一貫性のある、正しいことを行っていると錯覚しようとしている。
「どうするデス、乙女がやらないなら私が魔法で狙撃してもいいデス」
「うーん、いったん逃げてもいいんだけど、あの人の模型を回収しないとだし」
「実力ではアトラが勝ってるデス、適当に気絶させて模型を剥ぎ取ればいいデス」
「そこまで差はないよ。短剣とか使われたら危ない。死に物ぐるいで来られたら、傷つけずに倒せる自信ないよ」
まるで火のついた獣を扱うようだ、とアトラは思う。どう取り押さえたものか分からない。
かといって最後までハストの思い通りに進むわけもない。
やがて四本の脚が砂を蹴る音が近づき、巨躯の狼がハストたちの背後につく。
「やばいデス、来ちゃったデスよ」
「ううん、しょうがない、こうなったらハストの武器が尽きるまで戦うしか……」
まさか数十本も用意してるのだろうか、と考えて多少うんざりする。
長老は笛を細かく吹き、狼に指示を与えている。
「よ、よし、やれ」
人狼は目元だけで同意を示し。その大きく長い腕を真上に振りかぶると。
手の甲の部分で、ハストの後頭部をどかんと叩いた。
「あ」
ハストはあっさりと昏倒し、全員があっけにとられる。剣の乙女までが硬直していた。
「こ、降伏する」
長老が進み出て、そして足元にあった銀の長剣を、力の限り蹴り飛ばした。




