第三十話 無限の工房
しばしの沈黙を挟んで、ハストが苦々しそうに言う。
「……だったら何だっていうんだ」
鍛冶屋ハストはスウロの眼を間近で睨み付け、意図的に、殺気を込めるような低音を出す。
「あんたらに何の関わりがある。あたしは人狼が来るまでに武器を打たなくちゃならない。邪魔をするな」
「我々が」
スウロは鍛冶屋の言葉を平然と受け止め、眼の端に余裕すら残して言う。
「あれらの竜の神秘と、同格の力を持つ、と言ったら?」
「……何だって?」
「アトラがその準備をしています。すぐそこの宿デス、来ていただきます」
腕を引き、二人で宿へ向かう。ハストは何か言いかけたが、やや毒気を抜かれた顔でついていく。
宿の二階。入ってみればアトラが床にあぐらをかいて作業中だった。
材料は黒く染めた厚紙、それを剣や斧の形に切り、木の皮や樹脂などで柄の部分を作る。魚の骨でそれらしく作った台座に乗せ、小模型の中にいくつか置く。
模型は最小単位にちぎれば手のひらに乗るほどのサイズになるが、この時はフライパンほどの大きさがあった。
「あ、いらっしゃい、もうすぐ出来るよ」
「……模型屋?」
アトラをまじまじと見る。その全身は引き締まった筋肉の鎧であり、武器を持たせれば街の衛士などよりよほど腕が立ちそうだ。そんな男がちまちました模型細工をするというのは奇妙な眺めだった。
「よし、通常状態へ」
模型に透明な覆いが生まれる。
と思った瞬間、背後のスウロに突き飛ばされた。
「おわっ!?」
気がついた時、ハストは板張りの場所にいて、暖かな空気が頬を打つ。
気温が異なっている。風に砂気は混ざっておらず、遠方には木立ちも見えた。
「な……」
「ここは模型の中の世界だよ」
アトラが言い、地面に置かれていた武器を拾う。
「どうかな、これ」
「どう、って、何がなんだか……」
背後に降り立つ気配がある。黒いローブ姿のスウロが、武器の一つを持ち上げようとして、重くて無理だったので諦めてから言う。
「この模型の中では、模型として作られた物が現実になるデス。木屑で作られた小屋は立派な家になり、紙の武器も鉄になるのデス。もちろん、そのまま外に持ち出すこともできるデス」
混乱しながらもそこは職人の意地か、あるいは強がりなのか、ハストは何度か周りを見回し、納得したような素振りを見せる。
「……そうか、この模型も真なる竜銀。まさか一ヶ所に三つも集まるとはね」
「ご理解が早くて助かりますデス、それで、この武器をどう思うデス」
ハストはいくつかの武器を持ち上げ、しげしげと眺めてから答える。
「これじゃダメだ、竜銀の祝福がかかってない」
アトラが耳の裏をかく。
「そう……なんだよねえ、模型の状態で銀を塗っても反映されなくて」
紙で作った剣に竜銀を張り付けても、模型の中にはただの鉄の剣しかなかった。正確に言うなら張り付けた銀は大きさが変わらぬまま、剣に豆粒のように張り付いていたのだ。
「当然と言えば当然デス。模型を実物に変えるのは銀の神秘。紙を鉄に、粘土を畑に変えるけれど、竜銀だけは出せない、そういうことでしょう」
「あの紙がこの武器になったんならそりゃ凄いけど、あの人狼どもは皮膚が固すぎてね、銀の加護がない武器だと傷つけるのが難しいんだ」
ハストは次から次と武器を調べていく。根本に眼を近づけて水平を確かめたり、刃に指を這わせたり、かるく振り回してみたりするが、その顔からして反応は芳しくなかった。
「作りも甘い。このでかい槍はバランスがめちゃくちゃだ。こっちの斧は当たったら根本から折れちまう。強度という以前に武器として成立してない。これじゃそのへんの岩を投げた方がマシだ」
「うう、だって武器は作ったことなくて……。しかも乙女の使う武器って特大サイズで、40分の1の縮尺だと感覚つかめない……」
アトラはいちど頭を振り、気を取り直して膝を叩いた。
「じゃあ次いこう。もう一つ模型を用意してるから、そっちに入って」
「もう一つだって?」
三人が模型を出ると、アトラは布を被せていたもう一つの模型を見せる。
「これって、鍛冶場かい」
目の前には煉瓦作りの工房。といっても壁は厚紙で作られ、そこに煉瓦の模様を描いたものだ。
建物の中には大きめのかまどに焼き入れ用の水場、爪楊枝ほどのハンマーや金バサミなどが壁に掛けられている。
「入ってみて、真ん中には布団を積んであるから」
「あ、ああ」
中に入る。果たしてそこは立派な鍛冶場である。ふいご付きの炉はハストの工房の倍は大きく、砂鉄や鉄鉱石も山積みにしてある。
「ハスト、武器が必要ならここで作れるよ」
「ここで?」
「そう、本物じゃなくて、模型としてでいいんだ。木を削って作っても、紙細工でもいい。できたら僕が模型を使って実物にする。武器になったらそれに竜銀を練り込んでいくんだ」
「あたしは自分の工房があるんだけど」
「ここでは時間の流れを早くできるんだ。ここで何ヵ月作業しても、外の世界ではまだ夜が来てない、そんな感じにできる」
「そんなことが……」
ハストは周囲を見回す。この工房には屋根がなく、高い位置に浮かぶ陽光が見える。遠い森からの風。鳴き交わす鳥の声。模型の中だから雨の心配がないのか、と何となく思う。
「他に何か必要かな」
「竜銀を練り込むなら、彫金の道具と材料が……装飾用の貴金属もいる」
「金や宝石でいいよね?」
「あるのかい?」
「いや、小粒の金や宝石を模型で大きくするんだ、それでいくらでも大きなものが作れる」
「もう何でもありだね……」
あきれたように肩をすくめ、いちいち驚いてもいられないと思考を切り替える。
「そうだね、じゃああとはホウ砂に金床……。いや、それはあたしの工房から持ってこよう。設備としては……大きな武器に銀を練り込むための吊り具、それに試し切り用の木人形とか欲しいんだけど」
「分かった、すぐ作るよ」
「アトラ、川に水車を設置してはどうデス、ふいごを水車で動かせるように」
「水車まで作れるのかい? ああ、それじゃあ水車式のハンマーも作ってもらおうかな。粗仕上げに使える」
「うん、やってみるよ」
かくして作業は始まる。
それは客観的な時間で言えば数時間にも満たぬことであったが、数十倍に引き伸ばされた時間の中でハストの仕事は続いていく。
模型の中では川の流れが変わり、水車が増設されてハンマーとふいごに連結していた。ふいごの風が炉の炎を燃え上がらせ、鉄鉱石を溶かし、溶鉄は煉瓦の型に入れられて小さな剣となる。
しかし模型によって引き伸ばせばそれは180センチに届く大剣。その武器を燃え盛る石炭を敷き詰めた釜に固定し、焼き入れを行いつつ微調整する。
「これをそのまま大きくするのもできるよ。縮尺はいま40倍だけど、20倍にすると大きさが倍になるんだ」
「柄が太くなったら乙女が扱えないだろ。でかい武器はまた別に作るけど、人狼を倒すには竜銀を練り込む方が大事だよ」
ハストの工房には大量の竜銀が蓄えられていた。数ヵ月分の割り当てだというそれを、惜しげもなく溶かして武器に練り込んでいく。微細な彫金、宝石や金による装飾。アトラたちは模型の外にいて、何度か中のハストに食料を届けたりした。
何度目かに工房に降りたとき、ハストは昔話を聞かせた。
「きっかけはね、ある日、この街にやってきた二頭の巨竜なんだよ」
その二頭の竜は傷ついていた。曳いていたはずの都市を失い、馭者役である魔法使いも失い、戦いながら虚無の帯を越え、数万キロもの距離を渡ってきたと噂された。
ついにこの地にて竜は動きを止め、一つは屍をさらし、一つは湖に落ちた。そして街の何人かが夢見の啓示を受けたという。
湖に乙女を捧げ、狼を討ち果たせと。
「剣の乙女ってのは人間じゃないんだ。都市曳航竜の仮の姿なんだよ」
「なぜ乙女……女性を呼ぶの?」
アトラの問いに、ハストは首を振る。
「分からない。ただ湖に女が落ちると、その姿はすぐに影のようなものになる。水面からは見えるのに、水の中には誰もいないんだ。男は普通に水に入れるし、漁もできるのにな。そしてその影が形を保ってる間だけ、乙女が力を振るってくださる」
「……この戦いって20年も続いてるんでしょ、いつか終わるのかな」
「終わるとも。乙女が竜の骨を砕けば終わる。あと一息なんだ」
「……」
あるいは、狼の爪がこの街を引き裂くまで。
とは、言えなかった。
模型を出る。
宿の一室には茜日がさしていた。すでにかなり陽が傾いている。壁の影が家々に蓋をするような感覚。
街ではあちこちから槌音が聞こえる。巻き上げ式の門がどすんと下ろされる音が、足元から響くような気がした。
「アトラ、模型の中で何日経ったデスか」
スウロが窓辺にいた。陽の落ちる先を眺めている。
「ええと、ハストが入ってから6時間ぐらい。時流速度は60倍にしてるから、15日かな」
「……そうデスか」
スウロの声にどこか不安げな響きがあった。アトラは何とはなしに言葉を続ける。
「あ、でもいくらでも引き伸ばせるよ。最高で100万倍にできるんだ。それなら何年でも入っていられる」
「100万倍……?」
スウロはまじまじとアトラを見て、その眼に驚きと、何か不安定な揺らぎを、表現しがたい感情を見せて言う。
「……アトラ、あまり高倍率を使うのはやめましょう。それとアトラ、あなた自身はこれ以上、倍率を高めた模型に入らないように」
「え、どうして」
「人間の一生など、まばたきのごとく短いものデス。無闇に時間を引き伸ばせば、あっという間に年をとってしまうデス」
「いや、そうじゃないんだよ。模型の中ではちゃんと何年もの時間が流れてるんだ。昔話みたいに一瞬で年を取るわけじゃない」
「……! アトラ、あなたもしかして……」
言いかけて、そして視線を落とす。
「今は分からなくてもいいデス。でも約束してください。模型で時間を引き伸ばすときは、必ず相談すると。模型の中で何年も過ごそうと思わない、と」
「? うん、分かった……」
三日月の街、ハルモンドに夜が来る。
狼の怪物が喉を鳴らし、ひそかに戸を叩く夜が。




