第二十六話 三日月の街
そこからさらに数日。
騎竜は飽くことなく走り続け、いくつもの砂丘や岩山を後にして走る。
「ねえ、このへんオアシスがあったんじゃないの」
「そのはずデス、枯れていなければ、デスが」
ベルセネットから北西、大規模なオアシスを抱える街があると聞く。そのあたりはバターライダーにおける認知の限界。アトラが知識として知っている世界の端であった。
「街もあるとか」
「ええ、かなり大きな街のはずデス。城塞に抱かれしオアシスの街。三日月都市ハルモンドという名デス」
スウロがばさりとフードを降ろし、首を巡らす気配がする。
「竜の足跡デスね」
「え、どこ」
「あそこ、砂がキラキラしているでしょう? あれデス」
スウロが指差す先を眺めれば、ある一帯に細かい輝きが見える。そして革の物入れを提げた男たちが、腰をかがめて歩いている。
「初めて見るよ、あれが竜銀の採集だね」
「そうデス。竜が大地を歩くと、その足跡に竜銀が生まれる。それを集めているのデス」
アトラが騎竜を止め、スウロは手でひさしを作って遠くを眺める。
「あっちがオアシスのようデス」
「分かるの?」
「竜の足跡は等間隔に並ぶのデス。あちらにはまだ採集していない足跡、反対側のあっちの足跡は輝きがだいぶ薄まっています、ひととおり採集を終えた足跡デス」
「あ、なるほど、街に近い足跡から採集されるわけだね」
「……デスが、何か変デス」
「え?」
振り向くと、スウロが眉根に皺を寄せている。
「足跡がまだ新しいデス、ここ数年のうちに付けられたような……」
「まさか、第18次遠征隊の竜」
バターライダーで見た、あの亀のような巨竜、あれがここを通ったのだろうか。
「それはないデス」
「どうして?」
「第18次遠征隊のことは聞いています。あれが旅立ってからまだ一ヶ月も経っていない。いいデスか。砂漠を歩いても竜銀は生まれないのデス。竜銀は生命を銀の輝きに変えたものだからデス」
「……?」
「おそらく、この土地は数年前までオアシスから広がる草原だったのデス。それが砂の砂漠に変わって、竜銀が残った。あの足跡は数年前のものでしょう」
「砂漠に……こんな乾燥しきった砂の海に、数年で」
視界を巡らす、どこを見ても黄土色の砂ばかり。岩の影に枯れ草が見える程度で、生命の気配が感じられない。
「ともかく街の方向に向かうデス」
「うん」
騎竜が砂を駆け降りて、勢いをつけたまま足跡の間を進む。ほぼ円形に見えるきらきらと輝く空間。どれほどの竜銀がこの範囲に散らばってるのか分からないが、その乱反射は水をたたえた湖沼を連想させた。
それは美しく、また力を感じる銀の眺め。
そこで立ち働く採集人が、ちらりとアトラたちを見やる。
一瞬の視線の交わり、採集人は老人が多く、ぼさぼさの灰色の髪の隙間から、アトラを見る気配がする。
その視線に何かの意味が感じられた気もするが。
次に視界の端によぎったものに気をとられ、視線の意味を考える機会は失われた。
遠くに横たわる山脈のような影。
骨だけとなった獣のむくろ。
竜の遺骸が遥か遠く、大地に落ちた三日月のように横たわっていた。
※
ハルモンドの街は小高い丘に城塞をかまえ、その街は石造りの壁で囲われていた。
「うわ、でっかいなあ」
高さはざっと20メートル。上に通路も見張り台もあり、投石器や大型の弩も構えた雄大なものだ。壁の真下まで来ると、それは西から東に届くかに思える。
「おかしいデス」
誰も聞くものもいないが、なぜか囁くようにスウロが言う。
「どうしたの?」
「壁が傷だらけデス。しかも爪で引っ掻いたような傷が」
確かに。
上ばかり見ていたために気づくのが遅れたが、壁には無数の傷がある。三本か四本の並んだ傷。獣に引っ掛かれたのだとすれば、それは小屋のように大きな獣かと思われる。
「野良の竜かな、たまに出るとか」
「それにしては数が多いデス。しかも何度も補修された形跡がある。あちこちに落ちている岩は投石機によるものデスね、地面に刺さった弩の矢も……」
「ほんとだ……あそこに落ちてるのって矢じりだね。手のひらぐらい大きい……」
「何者か」
壁の上から声がかかる。
数百の鉄の輪を繋いだ鎧を着て、槍を構えた男が呼ばわっていた。
「旅の者です。あの、ここはハルモンドの街ですか? 休ませて欲しいんですが」
「いかにも、ここは剣と壁に守られし街、三日月のハルモンドである。門を開ける、そこから右手側に周られよ」
言われる通り右に回り込めば、数人の男がきりきりと鉄のハンドルを回し、巻き上げ式の城門が上がっていくところだった。人が通れる程度まで上がった時点で門をくぐる。
中は箱のような石造りの家が多く、間隔を大きく開けて碁盤目状に並んでいる。遠目には立ち働く人も見える。アトラは真上へと呼びかけた。
「ありがとう。でも随分厳重なんですね」
「夜になると魔物が湧く。それへの用心である。街を離れるなら朝日の昇る頃になされよ」
衛士らしき男性はそれだけ言いおいて去っていく。物々しいようでいて、アトラのような旅人にまるで警戒を示す様子がない。スウロはともかく、アトラにはそのことを訝しむほど旅の経験はないが。
「魔物……砂漠の魔物かな」
「いえ、おそらくあの竜の骨の影響デス」
スウロはフードを下ろし、二人は宿を求めて街に歩みだす。
「どういうこと?」
「あの竜の骨、都市曳航竜デス。おそらく初期の遠征隊のうちの一頭がこの地で力尽きたのデス。その骨がまだ竜銀の力を残しているようデスね」
街に人は少ない。いくらかの商店がのれんを出すのみで、子供などは見かけなかった。
一つの商店を覗き込んでみると、ずらりと並ぶ銀の輝き。
そこは武器屋のようだった。鎧と槍が並んでいるのだ。
「うわ、竜銀の武器だよ。しかもこんなにたくさん……」
店主はと言えば骨と皮ばかりの老人で、店の奥で椅子に深く腰掛けている。眠っているのか、それとも動きたくないのか、アトラたちに反応しない。
「かなり複雑な細工デス、十分に銀を練り込んでいますね」
「どういうこと?」
スウロも店に入ってきて、いくつかの槍や長剣を手に取る。
「竜銀は複雑さの中に練り込むのデス。より細かな彫金、複雑な文様。複数の素材や、結晶構造が密な宝石などを利用して定着させるのデスよ。竜銀を貼り付けただけでは不十分デス」
「ああ……そういえば雅本もそうだったね。細工物としてもすごい出来で……」
「そうデス、我々魔法使いも、複雑な構文の中にまじないを……」
話しつつ、店主の方をちらりと見る。客が二人も入っているのに、椅子から身を起こそうとしない。かすかに胸が動いていなければ死んでいるのかと思うほどだ。
声を潜めつつスウロに問う。
「でも多すぎない? まるで戦争でも始めるみたいな」
「剣の乙女だよ」
突然、声が上がり、ぎょっとして背後を見る。
それは革の前掛けをつけた女性だった。背は低めだが強い眼力をしていて、拳も革手袋で覆っている。日焼けした顔と赤く焼けた髪。露出した肘から肩にかけては筋肉が盛り上がって見える。アトラが額に置いているものと似た防眩ゴーグルをかけ、分厚い遮光ガラスの奥からこちらを見ている。
「クイッカ……」
「あん?」
「あ、いえ、何のことですか、その、つるぎの……」
「剣の乙女、この街を守ってくださってんのさ。あたしらは乙女のために武器を作る。この三日月の街は10数年もそうやって栄えてきた」
「栄える……」
その言葉にどこか違和感があった。アトラはまだ街のすべてを見てはいないが、あまり活気が感じられなかったからだ。
「あんたたちは旅人かい」
「ええ、まあ……。北方に行って、遠征隊に参加しようかと」
ふいに言葉を足してしまう。なぜそんな言い訳のような言葉を述べたのか、アトラにもよく分からなかった。
「遠征隊か。少人数の先遣隊が来てたようだが、追い返されてたねえ」
「なぜデス? 遠征隊は王の勅書を持ってるのデスよ」
「この街には剣の乙女がいればいいのさ。乙女こそが王だよ。だいたい、北方と断絶したのはあたしが生まれる前だよ。顔も知らない王なんかに従えないね」
簡単にそう言って、商品棚の整理を始める。
「剣の乙女とは、何か特別な人間のことデスか?」
スウロが、注意せねば分からない程度に声を固くして言う。
アトラとて連想せざるを得ない。ベルセネットの街で見た領主のことを。
「いいや、乙女は乙女だよ」
「どういうことデス?」
「ん、よければ見に行くかい? これから武器を届けに行くところさ」
その女性は革の前掛けを外し、汗で肌に張り付いたシャツをばたつかせつつ言った。
「あたしはハスト。武器が欲しいならうちで買うといいよ」




