第二十五話 無限の理
刻まれる三つ指の足跡、さらさらと砂丘の崩落に飲まれて消えていく。
騎竜の歩みはしなやかで軽く、砂をしっかりと捉えて頭部の高さが変わらない。揺れは小さく股ぐらは安定していて、騎乗用の家畜としては馬やラクダより優れるとされる。
難点は食料や水を多目に消費する事だが、アトラとスウロ、二人の旅には無縁のことかと思われた。
谷あいの街を離れて三日目。
「模型の中は快適デスね」
砂丘の影にて竜を休ませ、アトラたちは模型をいじっていた。
ベルセネットの街で脚甲を使った炉を作ったが、その時に小屋や畑の一部を壊してしまった。アトラは木屑で小屋の模型を作り、模型の中にそっと置く。
さらに墨の粉で粘土の一部を黒く染め、木の枝でがりがりと溝を刻む。俯瞰では畑に見えなくもない。
さらには中央部分に、細かく裂いたワラを積み上げておく。
「よし、通常状態へ」
模型に透明な覆いが生まれ、全体をすっぽりと包み込む。
「入ってみよう」
「はいデス」
奇妙なことではあるが、アトラたちは模型のガラス蓋に触れる事もできるし、見えない穴から模型に入ることもできる。模型を布で包んでも、その布が模型の中の世界に入ったりはしない。何かしらの法則があるのか、それとも模型がアトラたちの意を汲んでいるのか、そこまではまだ調べられていない。
ばすん、と足からワラの山に降りる。立ち上がって服についたワラを払っているとスウロも落ちてくる。
「はうっ」
重量バランスの関係か、お尻から落ちた。盛大にワラが舞い上がる。
「あたた、アトラ、もう少し楽に降りたいデス」
「うーん、階段でも作ろうかな……」
それはともかく、と周囲を見れば、確かに先程粘土をいじったあたりが畑になっている。
黒く艶があり、水分を含んだ湿った土。手で握るとダマになって適度にほぐれる土だ。
「すごい……畑になってるよ。立派な土だ。この土を育てるのに何年かかるか……」
「模型として作ったものが現実になる、というわけデスね」
アトラは顎を押さえつつ考える。
「でも……そんなことありえるのかな。だって木っ端で小屋を作ると、模型の中で本当の小屋になるんだよ」
「そうデスね」
「でも、この小屋も木で出来てる……。この板の一枚を剥がして外に出て、小屋をこしらえて模型に置いたら……」
「きっと、また小屋になるデス。あそこのワラの山だって、ここで収穫された麦のワラでしょう?」
「それだと、無限に小屋が増やせることにならない?」
スウロは肩をすくめ、人間にはとても理解の及ばない事象ではあるが、と前置きして言う。
「魔王の肉、真なる竜銀の神秘としか言えません。あれは獣を竜に変える。成長や肥大という言葉では追い付かない莫大な質量を与えるのデス。しかも、あの超常的な竜ですら真なる竜銀の力をすべて使いつくしてはいないと言われます。この模型も同じことではないデスか? 見かけ上、無限の質量を産み出せるように見えますが、その不等式を魔王の肉で埋めている、と」
「よく分かんないよ……」
「そんなものと思いなさい。そもそも、我々はこの世界のことなど何も知らないのデス。ましてや魔王のもたらした新たなる秩序、魔法のことなど」
スウロは一度目を伏せ、そしてアトラではない誰かに呼びかけるように言う。
「魔王とはこの世の理を越えた存在だと言われるデス。その存在は万能であり、この世の法則に縛られなかった。それはすなわち無限の体現であるということ。無限の時間、無限の質量。そして無限の知識。どのようなものか人が想像すらできない深淵の理を、魔王は身につけていたのです」
「……無限。でも、それはおかしいよ」
「なぜです」
アトラの脳裏に、ある干からびた遺体が浮かぶが、それは言葉に出さない。
「……無限の存在なら、人を超えた存在なら、人間にどうこうできるはずがない。遠征隊は魔王を討伐に向かってるんでしょう? 倒せる存在だってことだよね」
「ふむ、ま、確かにそうデス。そもそも魔王とか無限とか、それを推測できる材料など、我々は持ち合わせていないのデス」
それより、とスウロは踵を軸にして回転しつつ言う。
「この模型にはまだ呪文があるはずデス、解析しましょう」
「どうやるの」
「マニュアル表示」
言葉と共に、スウロの正面に黒い四角が生まれる。アトラも出したことのあるもの。アトラの理解では「しゃべる板」だ。
「それ何なのかな」
「使用者を補助するための案内人デス、「銀の都」からの戦利品には稀にあるのデス」
スウロは板に向き直って言う。
「拡張機能を呈示」
反応が返る。
【オプションは削除されています】
「オプションの復旧を」
【ガルフェルメタルを補充してください】
「……基本操作マニュアル、オプションの復旧方法」
ぶん、と周囲に黒い板が並ぶ。
「ふむふむ……」
「スウロ、詳しいんだね」
「昔、こういうの研究してたのデス。でもこれは一般的な道具とは桁が違う、おそろしく高度で深遠、まさに都市曳航竜なみ……」
スウロはそこからずっと、板に浮かぶ文字を追い続ける。
アトラはというと退屈なので、畑の野菜を収穫したり、鶏小屋から卵を回収したりする。仕事はいくらでもあるものだ。
模型の中で半日も経った頃、スウロがアトラのもとへとやってくる。
「一部デスが解析出来ました」
「何か分かったの?」
「アトラ、あなたはこの模型の世界の端を見ましたか?」
「端? ええっと、確か模型の見かけ上の範囲までで透明な壁があったんだ。風は吹いてくるし川の水も流れてるけど、そこから先へは行けなかった」
「今は少し広がってるはずデス、外へ出て調べてみましょう」
「どういうこと?」
外へ出て、二人で森へと分け入る。
「このあたりに透明な壁が……あれ?」
確かにスウロの言うように、壁の範囲が少し広がっていた。アトラの記憶にあるのよりもだいぶ奥まで森が続いており、やはり透明な壁で仕切られている。
「どういうこと?」
「ベルセネットの領主を倒したとき、彼の呑んでいた竜銀を模型が吸収したのデス。アトラ、あなたの記憶にある壁の位置だと、半径が50メートルで面積はおよそ8000平方メートル、今は少し広がって半径70メートル、15000平方メートルほどになるデス」
「竜銀で模型が大きくなる……ってこと?」
「そうデス。しかし、見かけ上はまだ外側があるように見える……。これは幻なのか、それとも空気や水の循環機構がそのように見えてるだけなのか……」
「でも広くなったって言っても森だしなあ、食料なら畑だけで十分だし……」
アトラのぼんやりした発言に、スウロは何か言いたげな視線を寄越したが、言葉にすることはなかった。それよりも、と別のことを話す。
「他にもいくつか見つけたデス、外に出ましょう」
「うん」
外に出ると砂丘の影に夜が来ようとしていた。スウロは模型を示して言う。
「縮尺、25倍」
アトラの目の前で模型の小屋が大きくなる。
同時に立ち木や畑の畝まで大きくなって、ドームの中に表示される範囲が狭まったのだ。
「うわ、これ何?」
「表示範囲の変更デス。それと、使用者封印」
今度は見た目の変化はない。ガラス蓋をかぶせた模型の眺めだ。
「? 何これ」
「中に入れなくなったデス。同時に中から出ることも出来ません。解除は使用者開放という言葉で可能デス。もう一度、使用者封印」
言って、スウロは模型をぽんぽんと叩く。
「見ての通りデス。穴が無くなってます」
「? それ、何の意味があるの?」
「……まあ、覚えておくのデス、使用者封印と使用者開放、いいデスね?」
「うん……?」
「機能はまだあるデス」
スウロは模型の側面に触れ、片方を撫でさする。すると模型が横にスライドし、小屋が右端のガラスに飲まれて消えた。
「視点移動デス、おそらくこの状態で中に入れば、見えている場所に降りられます」
「でも半径70メートルでしょ、別にどこに降りたって同じなんじゃ」
「もっと、もーっと広くなった場合に便利でしょう?」
「そりゃまあ、そうかもだけど」
アトラの反応はやや鈍く、スウロはそれに不満げであった、もっと驚かないのか、と眼が言っている。
「求めてるものと違ったデスか?」
「いや、そういうわけじゃ……」
「仕方ないかも知れないデスね。この模型はとてもすごい道具デスが、ここまでの機能を羅列しても、まだ「便利な道具」に過ぎないデス」
「……北方へ行って、戦争を止めるための役には立たない?」
「それ以前に、この模型だけでは虚無の帯を越えるのは不可能デス」
虚無の帯
直線距離で2万キロ続くという灼熱の砂漠。都市曳航竜を除いては人の走破は不可能と言われる、北方と南方を隔てる灼熱の世界。
「でも……砂漠でも夜なら走れる。昼は模型の中に隠れて、夜に騎竜で走れば……」
「無理デスね。砂漠には人の想像を超えた魔物も、野良の竜もいます。何よりアトラ、あなたには戦う力がない。北方へ行っても何もできません」
「うう」
スウロは立ち上がり、黒衣の砂を払う。
やや日が傾きつつあった。砂漠に夜が降りようとしている。
砂地からは熱が放散され、宝石の粒のような砂は、溶けることのない氷の粒に変わるかに思える。
「当面の目標は決まったデスね」
「え?」
スウロは騎竜の手綱をひいて、アトラの前まで引っ張ってくる。
「模型の成長、アトラの武器、そして私のまじない。何をするにも先立つものが必要で、それは共通しています」
アトラが先に乗って、そして背後にふわりと騎乗の気配。
「何をするにも、まず竜銀を集めるのデス」




