第二十四話 旅人ふたり
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数日後。
「アトラ、ここから北西に向かうとオアシスの村があるはずデス、そこを目指しましょう」
「うん……」
岩の狭間に陽が落ちる。
赤い光が谷間を静かに満たし、ベルセネットの街に静かな眠りを与えるかに思える。
手に入れたものは騎竜。旅人が二人乗るのがやっとなほどのささやかな竜だ。領主の屋敷跡で、瓦礫の隙間にかろうじて生き残っていた。
騎竜は長い長い坂道を乗り越え、ベルセネットの谷から抜け出す。そこはまた砂の眺めだ。
「あの街はどうなるんだろう」
「変わりはしません」
スウロは、旅立ちに情感は持ちたくないと言いたげに、淡白に言う。
「街は死を免れた。それが考えうる最良のシナリオなのデス。どれほど被害が大きくても、やがて長い時間をかけて再生することでしょう」
「でも……体内の竜銀を吸われた人がいる。まだ助けられる人がいるかも、この模型で……」
「極めてうまくやれたとしても数十人でしょう。そのあたりで模型を奪われるのが落ちデス。それでもいいのデスか?」
「……それは駄目だ。僕は北に行かないと」
街の住人は雅本によって精気を奪われ、落命した者も少なくなかった。
被害の規模がどの程度のものか、アトラにはとうてい把握しきれず、また罪人であるスウロと一緒にいては街に留まることはできなかった。二人は騎竜を確保し、よろめきつつ起き上がってきた人々に見つからぬよう街を出るしかなかったのだ。
すべては言い訳のような気もしている。
アトラの背負った模型。魔王の肉である神秘の器物があって、こんな結果にしかならなかったのか。そう悔恨が残る。
「……あの領主が、雅本を使うことを阻止できれば……」
「それは違うデスよ。あの街のすべての人間に、雅本はがっちりと食い込んでいた。人間の中にある竜銀と同調していたのデス。発動が阻止できたとは思えません」
「でも……」
「領主が使わなくても、いずれ誰かが使ったでしょう。あの老人あたりが」
「……」
領主が消え、雅本が失われ、街が滅びかけてもまだ謎は残っている。
あの洞窟の中にいた老人が、雅本とともに姿を消していたのだ。
全身が赤に染まる。
地平線に沈みかける夕陽が、この世の何よりも赤く輝くかに思える。
ふとアトラは背後を見る。同乗者の黒衣の女性をわきに見て、地に刻まれた傷のようにも見えるベルセネットの谷。
それはあるいは、物語の終わった街。そんな比喩が浮かぶ。
物語が終われば演者たちはどこへ消えるのか。最後のページを語り終えた後に、登場人物たちはどのように時を過ごすのか。とりとめもない想像が寄せては返す。
「……物語」
アトラの頭に降りる、それは銀色の蝶のようなひらめき。
「あのお爺さんが、領主様だったんじゃ……」
「ん? どういうことデス?」
するすると、浮かんでしまうと箱から出てくる紐のように連続性のある想像だった。アトラは騎竜の足並みに合わせて体を揺らす。
「街で聞いたんだ。領主様は体が弱かった。ずっと屋敷の中にいて人と会わなかった。大きな病気をしてたって噂もあるらしい。だからきっと、強い人に憧れた。強い体を手に入れて、自分を馬鹿にした街の人たちに復讐したかった……」
「何の話デス? 洞窟の老人なら私も見たデス。領主が雅本を使うときに、間違いなくそばにいたデス」
アトラは背後のスウロを見る。アトラの想像は、では魔法使いであるスウロの知識にもないことなのか。
あるいはスウロでも、深遠なる竜銀のすべてを知るわけではないのか。
「雅本は竜銀が練り込まれてる。だから本の中には生命がある……だから例えば、雅本に書かれた英雄は、銀によって実在の存在になる、とか……」
「……まさか、人をまるごと一人練り上げるなど、聞いたこともないデス」
「それなら説明できるんだ。領主様は僕の模型の中で消えたけど、ひとかけらの痕跡もなかった。それはきっと、あの領主様は服の糸ひとすじまで銀で出来ていたから……。だから純粋な銀である模型に吸われてしまった……」
それは、不思議でもあり不吉でもあり。
また、どこか胸の高鳴るような想像でもあった。
あの場所にいた老人は想像を本に練り込み、どこにでも行ける体を手に入れたのか。
あるいは生まれたものが怪物でなければ、世界を一変させるような偉人にもなれたものを。
アトラはそのように思い、また歯がゆい気持ちに襲われる。
ぎしり、と音がする。スウロが背もたれのある鞍に体重を預けたのだ。
「……よしましょう。竜銀の神秘について憶測は禁物デス。まして、これから夜になります。夜の砂漠には悪霊が出る。恐ろしい話や不吉な話を好物とする悪鬼が出るのデス」
「お、おどかさないでよ……」
そういえば、とアトラはそもそもの疑問を口にする。
「ねえ、逃がしてあげるのはいいけど、そのオアシスの村まででいいの? 行きたいところがあるなら送るけど」
「何を言ってるのデス? ずっと同行するデス」
え、と騎竜を止めて顔を向ける。
スウロは口の端を上げてにまりと笑っていた。警戒させまいとする笑顔のようでもあるし、楽しげな玩具を見つけた子供の笑いにも思える。
「もう仲間デス。あなたの旅についていくデスよ。その模型の研究もしたいデスし」
「……研究」
スウロは身を屈め、騎竜の横腹にくくりつけた模型を撫でる。
「真なる竜銀の器物。素晴らしいお宝デス。そしてアトラはこれをまったく活用できていない。魔法使いの力が必要でしょう?」
「でも、スウロの旅の目的もあるんじゃないの?」
「私の目的など……」
一瞬の沈黙。
また竜を進めさせたアトラは見ていなかった。スウロがどのような顔をしていて、どんな言葉を飲み込んだのか。
「ついででよろしいのデス」
「……スウロは何をやってる人なの? 領主様を殺そうとしてたけど、暗殺者なの? それとも物語に出てくるような世直しの人?」
「アトラ」
背中から、抱きつかれる感覚がある。
耳に息を吹き込むような、ひそやかなかすれ声。
「一つだけ、お答えしましょう」
「一つだけ……?」
「そう、女には言えないことの一つや二つあるものデス。だけどこれから旅をする。互いに嘘を抱えたままは良くないデス。だから一つだけ答えます。答えたくないことでも、語ってはいけないことでも、心から正直に答えます。今夜はそれで満足するのデス」
「一つ……」
「何でもいいデスよ、今宵、寝所をともにするための合言葉でも。私の夢の庭に踏み込むための鍵の在処でも」
「? 何言ってんの?」
「……お子様には難しい喩えだったデスか」
やがて夜が降りる。
砂に覆われた世界には、砂丘のなだらかな波線。竜の足元に砂塵まじりの風が吹き、熱気が急速に西の彼方に去ろうとする。
「一つ……」
どこから来たのか。
あの高純度の竜銀をどこで手に入れたのか。
何のために旅をしているのか。
北の戦争について真実を知っているのか……。
「……好きな食べ物は?」
「……はい?」
きょとんと、目を白黒させて問い返す。
「そんなんで良いデスか?」
「言いたくないことを無理に言わせたくないよ」
それに、本当のことを言っているという証もない。疑念は持ちたくなかった。
「アトラ、割と紳士デスね。将来いい男になりそうデス」
「どうも」
「そうデスね、お酒が好きデス。干し魚なんかのツマミがあれば最高デス」
「おじん臭いなあ」
そこで容赦ない手刀が脳天に落ちて。
なお更けゆくは砂漠の夜。
地平線の果てからやってきて、世界を覆う果てしなき魔王の影であった。
更新が遅れてしまい申し訳ありません
ゆっくりではありますが続けていきたく思ってますので、今後ともよろしくお願いいたします




