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第二十三話 火の清め



「な、何が……」


模型に手をかざす。

そして気付く、中に入れなくなっている。


「ど、どうしたんだ、まさかただの模型に戻った?」

状態モードが切り替わったようデス」


スウロが言い、アトラはそちらを見る。


「分かるの?」

「似たようなまじないの品を見たことがあるデス。私の見たそれは大変に高度なもの。銀の都から持ち帰られた器物でした。それは特別な呪文コマンドによって操られるのデス。状態モードを切り替える、というのも呪文コマンドの一つデス」

「切り替える……」


指で畑に触れる。その土に触れたのは初めてだったが、触ってみるとこれはただの粘土だ。空気を含んだ畑の土とはまるで違う。ジオラマで使うような石粘土というものか。畑の部分には黒い粉が撒かれているだけだ。


「これ……本当にジオラマなんだ。この家の壁とかも木材じゃない。木の皮を厚紙に貼り付けてるだけだ」


ばき、と崩れてしまった。古い模型であるから脆かったのか。


「うわ、壊れた……」


そしてふと、思い浮かぶ。

指で穴を掘る。粘土質の土台は簡単に掘ることができ、紙細工のような野菜の葉も、鶏の形をした石膏の人形もどかして大きな穴を作る。


「スウロ、元に戻す呪文コマンドってあるの?」

通常状態ノーマルモードへ」


その言葉に応じ、再び透明なドームが形成される。

アトラは空間の穴が戻ったことを確かめ、そこに頭を突っ込んだ。


頭だけが下に引かれるような、二方向の重力が混ざった奇妙な感覚。

その視界の中で、確かに巨大な穴が空いていた。

隕石でも落ちたかのような、深さ10メートル以上のクレーターが。


「これって……!」


模型に与えた変化が。

模型の中の世界に作用する。


「すごい、けど」


重いものを背負うような違和感。


そんなことが・・・・・・ありえるのか。

許されるのか。

この模型からは物を持ち出せるのに。


根元的な何かに反することが起きているような、強烈な違和感。科学的な、あるいは哲学的な摂理の概念など知らぬアトラであっても、目眩めまいがするような恐ろしさがある。


「これ、だって……そんなことができるなら……」


巨大すぎて言語化できない概念。困惑に乗っ取られそうになる中で、一つの言葉が去来する。



真なる竜銀レアルドルム


魔王の肉レアルドルム



「……な、悩んでる暇はない。やらないと、今すぐ」

「アトラ、何なのデスかその模型は」

「ちょっと黙ってて、どうやって作るか考えないと」


模型を作るには材料がいる。今のアトラは旅人であって模型屋ではない。ほとんどの道具はバターライダーに置いてきたのだ。


「土をこねて作るしかないのか……? でも、この粘土で作って強度が持つのか。それに家の模型は厚紙に木の皮だし、何か、もっと頑丈な箱のようなもの……」


そこで、ぴんと飛び出る髪のひとすじ。


「そうだ!」





領主カディンゼルは大通りを歩いている。


道には人々が倒れていた。先刻の混乱から逃げようとしていた者。ひたすらに日々の暮らしに埋没していた者。子供から老人まで。あらゆる人々が。果たして息をしているのか、そこに命の火は残っているのか。領主の眼にそれらは地形としか映っていない。


【かの風光明媚なるベルセネットの街、槌音は響き商人は行き交い、文化は極まりて……】


【シロウキナアゲハは10から20匹のメスが群れを作り、一匹のオスが夏の終わりから秋にかけて群れを渡り歩き……】


【かつて存在したカカバラナ湖は20年ほど前に消滅し、その湖底に残った泥は肥料として採取され……】



全ての家々から雅本の声が響く。ある瞬間にページが自動的にめくれ、歌い出した雅本を人々はどう思ったか。身体中から精気を吸われる感覚をどのように理解したか。


カディンゼルの口元は笑みに歪んでいる。それは支配者の愉悦か、殺戮者の昂揚か。

あるいはもはや人の生死などあまり認識もしておらず、ただその身を満たす銀の輝き。大いなる力の充足のみに浴しているのか。


時おり商店に入っては、中を物色して竜銀ドルムを漁る。そのような様子に君臨者としての威厳を見いだすのは難しかった。

端的に言えば野獣のような。

本能のままに歩き回り、散らばった死骸を食い荒らす獣。腐肉食者スカベンジャーのような浅ましさがある。


「カディンゼル!」


背後からの声に振り向く。己の名を呼ばれたからというより、音に反応しただけのように見えた。


灰色のだぶついた服を着て、遮光ゴーグルをかけたアトラをゆっくりと眺める。


「小僧か」

「許さないぞカディンゼル、あんたがこの街を滅ぼした、騎士や衛兵まで犠牲になった……!」


領主はふん、と鼻を鳴らす。彼の思考はひどく単純で明快なもの、性格というより感覚・・に置き換わりつつあったが、そのアトラの言葉には皮肉げな笑いで答える。


「それがどうした。私は竜となった。生命として完全無欠になったのだよ。その為には犠牲の多寡たかなど問題ではない」

「罪もない人を殺してもか!」

「はっ」


失笑を禁じ得ない、とばかりに肩をすくめる。


「この連中に罪が無いだと? こんな谷底の街に引きこもり、世界の流れと無縁であろうとした連中が清廉潔白であるものか。こやつらは北方での戦いから逃げていた。領主である我が家名を・・・・・軽んじて・・・・、税すらマトモに納めずに溜め込んでいた。そのために夜戸税ナッダリアなどという苦肉の策まで使ったのだよ。庶民とはしたたかなものだ。人は誰もが罪深く、誰もが世界の敵なのだよ。増えて食らって、そのために世界が荒廃したことを自覚もしておらぬ、すべて魔王に押し付けおった!」

「だからって殺されるほどの罪であるもんか! お前の言ってることは言い訳、いや、そう、詭弁というやつだ!」

「問答する気などない。貴様が持っていた高位の器物、それも私の糧としよう」


指を弾く。そこから放たれる不可視の衝撃。

だがアトラの反応も迅速。体の前にスノードームを構える。衝撃だけが手から吸われる奇妙な感覚。


「よし、受けられる……。この模型、中に入るための穴は思ってたよりずっと大きい」


眼前に影。

一瞬で距離を詰めたカディンゼルが、カギ型に曲げた指を降り下ろす。足を踏み変え回避。

風圧が地面を爆散させる。

石や土砂が舞い上がり、アトラの服をばたつかせる。周囲の建物がびりびりと震え、脆い屋根や木戸が粉砕される。


「ぐ……、こ、この威力」


人間の域ではない。受ければ泥のように潰される。

アトラは別の模型から木剣を抜き放つ。感覚を失いつつある腹筋を息で固めてねじり、全身のバネを動員しての横薙ぎ。領主の眼光が異様な速さで動いて切っ先の外側に逃れ、さらに踏み込みつつ二の腕で制動をかけ、力まかせに剣を振り戻す。それはカディンゼルの上げた腕と衝突。それにより勢いを得て互いに分かれる。

アトラの腕に痺れが残っている。まるで鉄の塊を打ったような。


「……何とか、模型に封じないと」

「ハッ、空間を格納する器物か、そんなもので私を封印する気か」


木剣を躊躇なく捨て、布を巻いた半球を下段に構えて走る。水をすくい取るようにぶおんと風を蹴散らしての振り上げ。カディンゼルは飛びすさってかわす。


「さすがにマトモには受けぬ。だが速度の差というものを理解しておらんのか。そんな模型を私に当てられるはずがない――」


ふいに、その口を獰猛に歪める。

そして踵を返して背中を向け、顎が地につくかと思える前傾で走る。影が延びるような一瞬の加速。


「! スウロ! 気をつけて!」


カディンゼルの眼は広範囲の全周を捉えている。はるか後方。銀無垢の器物を構える魔法使いの姿も。


「まじないにて狙撃しようなど、浅はかに過ぎるぞ!」


まばたきの間の十数歩、その魔女が硬直して反応できぬうちに躍りかかり、虎のように爪ですべてを引き裂こうと。


「甘い!」


魔女が黒衣を払いのける。簡素な肌着の上に、体にくくりつけてある模型が。


「何!?」


瞬間。領主は体を反転させようと、また地に爪を立てようとするも、常識を超えた加速がかかっていたため制動が利かず、模型の中へ飲み込まれるように見える。

そして一瞬だけ、背後が視界に入る。

布の巻かれた、鉄の鍋を構えていただけのアトラの姿が。


足が重力に引かれて落ちる。一瞬の夏の日差しと無重量状態。狭い穴のようなものをくぐり抜け、抜けた瞬間に一気に壁が遠ざかり、十数メートル下の地面に落ちる。


「ぐ、捕らわれたか、こんなもの」


落下の瞬間に身を起こし、壁まで駆けて一撃を。

どん、と抜き指を食わせる。しかし爪と指は食い込むものの、破壊に至らない。


「鉄の壁だと……ぐ」


熱い。

痛覚が遠ざかっているが、それでも反射的に手を引かせるほど熱くなっている。

見れば空間は闇ではない。下に真っ赤に焼けた炭が敷き詰められており、火の粉が空間の中で上昇気流に煽られ真上の小さな穴から出ていく。


「これは」


どっと汗が吹き出し、だがそれは瞬時に蒸発する。

同時に視界が歪み、息を吸い込むと肺が焼けるように傷む。


「まさか、私、を」


満身の力で壁を打つ。人間の常識を遥かに超えた力。だがそれでも貫通には至らない。

何度も打つ。足も使う。


何度も、何度も――。





そして地上では。


「脚部ですか、領主に破壊されないデスか」


模型を見張りつつスウロが問う。


「大丈夫……」


模型の中にあるのは鉄製の脚甲。倒した騎士の一人から剥いだものだが、それを深めに埋め、釜に見立てて焼いた炭を敷き詰めてある。上は叩いて歪ませ、瓶の口のように細くしてあった。

燃える炭はわずかな隙間から貪欲に空気を引き込み、上昇気流を吹き上げ熱を高める。高炉のまがい物に過ぎないが、スウロのまじないによって大量の炭を焼き、敷き詰めてあるのだ。それなりの高温になっている。


「この模型、僕の見立てだと縮尺が40分の1、3ミリの厚さの鉄板は12センチの厚みになる。そう簡単に壊せるはずがない」


そして長靴のような形状である。膝の高さまで40センチとすれば16メートルの登り、高熱で満たされた空間で登れるとは思えない。


「……アトラ、分かっていますね」


スウロは、それは彼女から見てもあまりに残酷な言葉とは理解しているが、何かのけじめをつけるように確認する。


「このまま火で清め続ければ、いくら竜と言えど死ぬでしょう。あなたが辛いなら、私が見張っていてもいいデス。この手でとどめを刺してもいい」

「……僕がやるよ。仕掛けも全部僕が作ったんだ、最後までやる」


これまでも、少なくない死を見てきた。

バターライダーの街で、地下の集会所で、模型の中にいた魔王の死体も。


だが、今まさに、自らの手で人間だったものを焼き殺そうとしている。それに戦慄を覚えないはずがない。


「……元には、戻らないんでしょう? 人間には……」

「はい。多少の銀なら、より高純度の竜銀ドルムがあれば吸い出せるでしょう。しかし、領主の呑んでいた銀は多すぎる……」

「……わかった」


アトラが全てを覚悟し。かっと目を見開く。


だがその瞬間、巻き起こる皮肉。


模型が鈍く発光する。

内部に光の粒子が満ち、全体が白色に輝きだす。


「……な、何デス、これは?」

「わ、分からない。こんなの見たこと、が……」


はっと気づく。この現象は見覚えがある。先刻、洞窟の中で見たものと同じだ。


数秒の後、光は収まってくる。

それを見て思い出した。竜銀ドルムは、より高純度の銀に吸い寄せられ、一つになろうとする。


高純度の銀・・・・・


「! そうか! 創造状態クリエイトモードに!」


ガラスの覆いが溶け消え、焼け焦げた靴が現れる。アトラは袖布を手に巻いて靴を握る。


「どうしたデス?」

「この模型、真なる竜銀レアルドルムで出来てるんだ! きっと、領主が呑んだ竜銀ドルムが吸い出されてるんだよ!」

真なる竜銀レアルドルム……!? まさか、世界に17しか存在しないはずの、魔王の肉が……」

「うまく行けば人間に戻るかも知れない! くそっ、なんで出てこないんだ、どっかに引っ掛かったのか?」


だが、靴を何度振っても。


鉄板をすべて解体しても。煤をすべて払っても。

人間を表すようなものは何も出てこなかった。


模型を通常状態ノーマルモードに戻し、内部を何度探しても、土を掘り返しても。

どこにも、決して見つからず。



竜となった領主は、煙のように消え失せていた。



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