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第二十二話 さまよえる竜


「これは……」


スウロが己の服をつかみ、息をするのも忘れて世界に耳を済ます。

それ・・はアトラにも感じられた。体表を震わせる遠雷のような、街全体に広がるうねり。


雅本によるジオラマが激しく発光している。光を放つというより粒子を放散している。それがカディンゼルへと集まっていく。


「しまった、其は揺るがざる崇炎ディバイア、尊厳を食らう猟犬よ――」

「遅い!」


不可視の衝撃。スウロが吹き飛ばされて壁面に背中を打つ。


「スウロ!」


カディンゼルの周囲で光は渦を巻き、それが領主の体内に取り込まれ、口腔や眼球が乳白色に光って見える。


「――素晴らしい」


領主が声を放つ。蛇が口をきけばこうなるかと思わせる濁った声。底知れぬ歓喜の震えがある。


「これが竜になるということか。分かる。何もかもが分かる。私は万能であり永遠に近付いている」


「スウロ、大丈夫?」


駆け寄る。骨が折れるほどではなかったが、スウロは身を起こせずに短く速い息をしている。横隔膜が上がりきっているのだ。


「アトラ、み、身を隠すのデス」

「え……」


スウロの白い手がアトラの灰色の旅装を掴み、胸から襟首へと己を持ち上げる。


「早く!」

「わ……わかった」


そして洞窟を満たしていた光も消え。

わずかに、雅本の輝きも薄まったように思える。

作業机の老人はもくもくと製本を続けていたが、領主はそれを空気のように無視して、手を何度か握る。


「ふ……何もかも定められたままに。万事そつなく動いている。何という充足であろうか」


領主は一度洞窟を見渡し、先ほどの二人を探したようだが、それは数秒のことだった。もはや興味もないとばかりに歩を踏み出し、洞窟の出口へと向かう。


「……大丈夫、行ったよ」


岩影に置かれていたスノードームから、二人がずるりと出てくる。スウロはまだ呼吸が整いきっていない。

洞窟の入り口の方へと眼を凝らす。もう足音もだいぶ遠くなっている。どうやら階段から館に戻るのではなく、洞窟を水平方向に歩いて外へ向かうようだ。


「何だか、もう僕たちに興味ないみたい……。さっきよりさらに力が増したというか、活力に溢れてる感じだけど……」

「アトラ、逃げましょう」


スウロが言い、アトラは一瞬、言われたことの意味が分からない顔で振り向く。


「逃げる……?」

「私の読みが甘かった。あれは雅本の形で蓄えた竜銀ドルムを吸収してる訳ではなかったのデス。勘ではありますが、おそらくあの一瞬で100億近い竜銀ドルムを呑んでいた」

「100億……!? そんな、ベルセネットはそれなりに大きな街だけど、領主様が個人的に持てる額じゃないよ」

「そうデス。いくら重税を課していたとしても不自然。カギは雅本だったのデス」


雅本。

それはベルセネットの街の象徴であり、法によって手厚く守られている。商店を営む者は必ず一つ購入せねばならず、この場所に大量に集まっていて、領主の呼び掛けによって発光していた……。


アトラは老人を見る。あれだけの騒ぎがあったのに作業の手を止めていない。スウロの話によれば、あの人物は体内の竜銀ドルムを雅本に吸われ、そのために老いているとか。


「体内の……竜銀ドルムを」


不吉な予感。

それが頭上を行く大きな鳥のように感じられる。

まだ言語化できないながらも、とても良くないことが進行しているような。あるいはすでにこの世界に絶望のとばりが降り、何もかも取り返しがつかなくなったような、そんな感覚が。


「あの雅本は、人間が持つ竜銀ドルムと呼応するように作られている」


スウロが言う。


「そして、竜銀ドルムは一ヶ所に集まろうとする。こんな洞窟に美術品を集めておくのは不自然デス。この場所は一定量の雅本を集め、街のすべての雅本から竜銀ドルムを集めるための儀式の場だった」


集める。

街のすべての場所から。


それはつまり、すべての人間から。


「ま、街の……!」


最悪な想像が頭をもたげる。それを明確にイメージしたなら、恐ろしさで肺が潰れそうなほどの恐怖が。


「街の人から竜銀ドルムを奪うって……! う、奪われた人はどうなるの!?」

「分からない……」


それは彼女であっても沈痛な想像なのか、片眼を歪めて答える。


「死にはしないかも知れないデス。しかしあの量。この街の人口で頭割りしたとしても多すぎる。それ以前に、体内から竜銀ドルムを吸い出すのは極めて危険な行為デス。最悪の場合は……」


だが、そのような感傷は短かった。スウロははっと眼を開き、アトラの肩を掴む。


「もはや全ては遅い。我々は街を出るべきデス」

「り、領主はどうなるの、何とかしないと」

「どうにもならない。呑んだのが真なる竜銀レアルドルムでないとは言え、あれはもはや人ではない。滅ぼせる相手ではないのデス。あれは永劫の存在ではないけれど、一つの竜となってしまった。この南方で長い長いとき彷徨さまようのデス」

「……じゃ、じゃあ、街の人を助けないと、生き残ってる人だっているはず……」

「ダメです。領主はしばらくこの街を歩き回り、残された竜銀ドルムの結晶と吸蔵実態を食らうはず。見つかれば殺されるデス」

「う、ぐ……」


この街も滅びるのか。

バターライダーのように。あるいは、あれ以上に完膚なきまで。


この街は終焉を迎えつつあるのか。


あるいはそれは南方全体。あるいは世界という、見たこともない大きな概念すらも終わるのか。


だが、己に何ができる。


深手を負い、命すら危ういこの状態、せめて逃げて命を繋ぐしかないのか。バターライダーの住人がそうだったように。


神秘の模型を。

魔王の遺した模型を背負っているのに。



――アトラ、どうか、自分を大事にして



「……」



――自分より世界を優先させたりしないで



――私があなたを大切に思うように、あなたも自分を大事にして……



スウロが、どことなく少年のような印象のあるアトラを刺激せぬよう、そっと肩に手を置く。


「アトラ、行きましょう。あなたの模型を使えば安全に逃げられる。今は命を大事にするべきデス」


アトラは、ぎり、と奥歯を噛み締める。

無限のような葛藤。形にならぬ感情。あらゆる言葉が浮かんでは消える。


そして、決断する。


「――嫌だ・・!」


腹の底から、己の弱さを、臆病さを強く打ち据えるように叫ぶ。


「アトラ……」

「僕は逃げない! 何が命を大事にだ! あんたはただ逃げてるだけじゃないか! あの領主を! カディンゼルを放置したら何が起こるか分かるはずだ! あいつはやがて他の街も襲う!」

「聞き分けてください。あなただけで何かできるわけでは」

「あんたのメダルだ! それだって純度の高い竜銀ドルムなんだろ!? 領主だって不死身じゃないはず、直撃させれば倒せるはずなんだ!」


スウロは困惑した顔をしながらも、懐から銀のメダルを取り出す。

それは暗闇の洞窟にあっても濡れたように光って見える。


「これは私が数ヵ月かけて竜銀ドルムを練り込んだもの。デスが、それでも今の領主を倒せるかは疑わしい。火山の火口に突き落としたとしても殺せるかどうか」

「……でも、火に焼かれて滅びないものはないはず」

「確かにそうデス。しかし竜銀ドルムで顕現できる炎はすぐに拡散してしまう。この洞窟もあまり理想的とは言えない。炎が酸素を食いつくし、すぐに消えてしまうからデス」

「……それって」


アトラの脳裏に浮かぶ映像がある。


それはふいご式の炉だ。クイッカの作業場にあったものは足踏み式のふいごが下部についており、それで炉の中に空気を送り込むことで高熱を生み出していた。


「……つまり、もっと大きな火を、高熱を作れる装置があれば」


背中から模型を下ろす。

包んでいる布をほどけば、そこには変わらぬ農家の眺めだ。

何度見ても恐ろしいまでの細密さ。アトラが畑を広げたため、二面だった畑は八面まで増えている。鶏のための小屋を作ったし、釣った魚を干す台や、薫製作りのための釜、炭焼きの小さな小屋もある。模型の世界での変化が、模型それ自体にも反映されるようだ。


「そんなに大きな模型もあるのデスか……」

「炭はたっぷりある……でも、あいつを閉じ込めるような場所がない。タイムラプスで今から作るにしても、この傷が……」


腹部にまだ激痛が走っている。

この傷はやはり手当てせねばならない。おそらく明日には高熱が出る。医師の手当てがなければ生き残れる保証はない。


ダメでもともと、という言葉は無意識の段階で拒絶される。

不確定では駄目だ。あいつは確実に倒すと強く意識し、眼に力をこめて考える。


「くそ……スウロに作ってもらうか。だけど基礎を深く作って煉瓦を焼いて、見たこともない大型炉を作るなんて可能なのか……」


もどかしい。


「これが、模型なら……」


神秘が手の中にあるのに、それを生かせぬもどかしさ。頭をがりがりと掻いてうめく。


「本当の模型なら、今ここに高炉でも何でも作れれるのに。自由に、何でも作り替えられる……」



創造状態クリエイトモード 移行】



「――え?」


時間がゆっくりと流れるような感覚。

眼の前で、模型を覆う透明なドームが溶けていく。

熱を浴びて崩れる砂糖菓子のように、春の日の薄氷のように。


透明なドームが消え去り、残されたのは模型だけ。

それは何となく写実性リアリティを失ったように見えた。


ただの紙や粘土でできた、粗雑な模型だけが残されていた。


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