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第二十一話 幽玄の街





「スウロ!」


大きく回り込み、階段を登ってきたスウロは少し驚く、屋敷の正面にアトラが待っていたからだ。


その麻の旅装はところどころ火の粉と煤を浴びて汚れ、脇腹には大きな流血の様子も見られるが、よほど鍛え込んでいるのか、何とか動けているようだ。

もちろん息は絶え絶えで、気をゆるめればすぐに失神しかねない危うい様子ではある。


「どうやって回り込んだデス? その模型を使ったデスか?」

「石にロープで模型を結んで……そんなことはいいんだ、僕も手伝うよ」

「あの領主を倒す手伝いデスか?」

「君はこの街の破滅を救いに来たんでしょう? あの領主はおかしくなってしまった、それは竜銀ドルムを呑んだからだって……」

「そうデス」


立ち話の時間もないとばかり、アトラをかわして屋敷に入っていく。アトラも顔から脂汗を流しつつ後を追う。


「でも竜銀ドルムを呑むと人格が変わるなんて、聞いたことが」

「数億も呑んで初めて意味のある話デス。竜銀ドルムとは魔王の血肉。それは熱や火であり、生命力であり、他のあらゆる力であるもの。あらゆる力とはつまり、思考や情動までをも指すのデス」


屋敷の中はところどころ家具が燃えているが、石造りの建物であるため延焼は少ない。二人は煙を避けるため身を低くして走る。


「なぜ異常になるの?」

「呑んだ量が少なすぎる・・・・・からデス。数億とは言っても、それは世界に存在する竜銀ドルムのほんの一部。それだけではひどく原始的な思考しか得られず、それでいて支配的な力で補職したものに影響するのデス。獣をより強い獣に変える分にはよいデスが、人間が食べれば本能的な思考に染まってしまう。あるいは途徹もなく・・・・・理性的になる・・・・・・


アトラには分からない言葉も多かったが、ともかく領主が獣のようなものに変わったことは理解できた。躊躇なく群衆に槍を投げつけ、人を処刑しようとした姿が眼に焼き付いている。


広間に出る。その瞬間、中央にいた二人の騎士ががしゃがしゃと鎧を鳴らしながら駆け、槍の穂先を大上段に振り上げる。


「む、敵対するデスか」

「僕がやる」


アトラは懐にあるスノードームに手を突っ込み、そこから分厚い木剣を抜き出す。腹部の焼けるような痛みを気力でかき消し、強烈な握力で剣を安定させ、そして騎士が振り降ろしかける前にその胴を突く。


「やああああっ!!」


突きによって体幹を乱された騎士がそれでも穂先を振り下ろさんとするが、軌道がアトラを捉えていない。アトラはそれを見極めつつ騎士の右側を駆け抜け、その膝裏を木剣で一撃。鋼鉄の棒で打たれるような威力が薄い脚甲をねじ曲げ、膝を破壊して足が奇妙な方向に曲がる。


その反動でさらに前へ、来ていたもう一人に肉薄し、槍を振り下ろす前にその腋のあたりを横凪ぎに。

猛獣に体当たりされるような衝撃の前に肩の鎧が弾け飛び、腕と肩口が奇妙に変形した形でその場に倒れる。


「ほう、お見事デス、腹を刺されたのにその力とは」

「よし先を急ごう。早く領主様を見つけ……」


眼の端が奇妙なものを捉える。


それは自分が打ち倒した騎士たちだ。片方は足が折れたままうまく立ち上がれず、片足で立とうとしては歩く瞬間に倒れてを繰り返す。


もう片方は果たして何をしているのか。槍を拾い上げようとしているようだが、構えた瞬間。うまく持てずに落としてしまう。そしてまたかがんで槍を拾う。


「な……何してるんだ。足が折れてるんだぞ、無理に立とうとしたら大変なことに」

「なるほど、竜銀ドルムに支配されていますね」

「支配?」


スウロはもはやその二人の騎士に興味などないのか。別の部屋へと向かおうとする。アトラも気になりながらも後を追う。


「支配って、催眠術みたいなこと? そんなことできるの?」

「あの騎士たちも数千万ほどの竜銀ドルムを呑んでいます。単純な命令だけに盲目的に従える程度の竜銀ドルムを」

竜銀ドルムを呑むと、ええと、思考が混ざるだけじゃなかったの?」

「人間としての人格が破壊されてるのデス。おそらく何らかの薬物か、拷問に近い洗脳行為によって」

「なっ……!」


「おかしいデスね」


スウロが立ち止まる。


「床に煤が積もってます。この先に誰かが向かった形跡がない……竜銀ドルムの品物も見当たらない」

「……地下だ、きっとそっちに向かったんだ!」

「雅本デスか……。確かに銀に換算して数億もの雅本があるならそれを回収しようとするのか……しかし」


アトラはきびすを返し、今度はスウロがそれを追う形となる。あちこち崩れてきているが、建物の形状を把握するのは職能のうちである。時おり腹の傷を意識しながらずんずん進んでいく。


「スウロ、何か気になるの?」

「……領主も、私が竜銀ドルムを炎に変えることは見たはずデス。いくら大量の竜銀ドルムがあっても、狭い洞窟の中で戦おうとするでしょうか。それに、まじないの品に加工している竜銀ドルムはすぐには呑めない。また竜銀ドルムの結晶に加工して、純度を高めていかなくては」

「加工前の銀があるのかも……」


言った後で気づいた、それはありえない。

竜銀ドルムは結晶のまま大量に集めておけないのだ。

では高純度の竜銀ドルムがあるのだろうか。一つで十数億もの銀を内蔵したものが。それを地下に置くのも何だかしっくりこない。


「そうだ、あの人も助けないと」

「雅本の制作者デスか。あまり関わらない方がよいデス。あの領主の協力者とも言えるでしょう?」

「何も事情は知らないのかも。純粋な職人みたいな人だったし、雅本について眼をキラキラさせて語ってて……」

「前、騎士がいるデス」


道は下り階段となり、石組みから洞窟の冷たい岩肌に変わる。スウロが小さな結晶を発光させて明かりを生み、アトラは鎧袖一触にて鎧の騎士をなぎ倒す。やはり原始的な思考しかできないのか、その動きはひどく単純で力任せなものだ。上から向かう有利さもあり、なるべく重傷にならぬ程度の手加減も可能だった。


「ここだ、あの光の先に雅本があったんだ」


階段の底は洞窟の眺め。アトラは一度空気の臭いをかぐように鼻を動かし、乳白色の光が漏れる方向を示す。


「アトラ、言っておくデス」

「なに?」


スウロは発光させていた竜銀ドルムを服にしまう。一瞬にもたらされる闇。彼女の声だけが世界に存在するような感覚。


「この街はもう不可逆なところまで来ています」

「……」

「領主が領民を手にかけた。それは原始的で粗暴な思考に支配されたから、というだけではない。それをやっても良い段階に来ている、そういう判断があったのでしょう。もっと言うなら、領主のカディンゼルという男はいずれ街を滅ぼすつもりだった。人が竜になるとは、それは永遠に近づくということデス。カディンゼルの言う通り、真に永遠なる存在には組織や文化すら必要ない。真に永遠なら、デスけどね」

「永遠……?」

「寿命が一万年ある生き物は、人間には永遠の体現のように思える。しかしそれもまた星の営みの永い時間にあってはまばたきの一瞬。矮小なる人間では、肥大と無限の違いなど分からないのデス」

「スウロ、スウロ、何が言いたいの。分からないよ」


暗順応に至る視界の中、闇色のローブを着た魔法使いの姿がゆっくりと見えてくる。闇の中でその顔は何者でもあるように見える。傲慢な若き天才にも、天体のありさまを語る年老いた導師にも。


「どれほど奇妙で、不思議で、時に神秘的とすら思える事象を見たとしても」

「……」

「それはやはり、普通のことではない。起こり得ないことが起こる。それはすなわち、ただそれだけで悲劇的な事なのデス」

「悲劇……って」


行きましょう、と衣擦れに溶けるほどの声で言って、スウロは光の方に向かう。


そこにはやはり、雅本が積まれていた。


「来たか」


そして領主のカディンゼルもいる。青い礼装がほの白い光を受けて浮かび上がる。


「ベルセネット領主カディンゼル、あなたを討ちます。理由はあえて言うまでもありませんが、あなたが人としての器を失ったからデス」

「魔法使い。貴様がどういう了見でそれを言うのかなど知らぬし、興味もないが、やがて永遠に至る私を脅かすなら容赦はせぬ」


スウロは懐からメダルを取り出す。それは抜き放った瞬間に白光を放ち、洞窟をしらじらと染める。


そしてアトラは見る。


積み上げられ、並べられた本の山。

本の川、本の森、本の街並みの中で、作業机がひとつ。様々な道具をしまう物入れがひとつ。


それらに囲まれて、老人のような人物が。


「な……」


その人物は。

作業を・・・続けていた・・・・・


その手は柔らかくゆっくりと動き、その場のいさかいはおろか、この世の憂いがまったく何一つも見えておらぬかのように。


そして領主カディンゼルが、本を積み上げた山の頂きに手を置く。


その時、すべての本が激しく発光し、あたりは晧々こうこうたる光に包まれ――。



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