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第二十話 魔法の火


炎が断崖を這う。


壁面いっぱいに広がって屋敷を包み込み、天まで焦がさんとするそれは火をまとう爬行はこうの王。

騒乱のさなかで四方に散らんとする人々も一瞬だけ足を止め、その強烈な赤光を網膜に焼き付ける。

柱を焼き、硝子を溶かし、屋根や壁までも溶融させて城が丸ごと溶け崩れるかに思える。


「一億もの竜銀ドルムの火デス。生物であれば逃れられる道理などないはず」


魔女は処刑台上にて斜め上を見つめている。己の呼んだ火炎が間違いなく世界を滅ぼしたと確認するかのように。


「スウロ……そうか、あいつ!」


アトラは熱気に肌を焼かれながら理解する。

なぜスウロは逃げようとしなかったのか。なぜ雅本を盗んだのか。

そもそもスウロはこの街で何をしていたのか。


「暗殺。最初からそのためだけに」


めったに人前に現れないという領主。それの目前に来てまじないを行使できるタイミングをずっと狙っていたのか。

そして鳥を使って高純度の竜銀ドルムを届けさせ、炎となしてカディンゼルを討ったのか。


だが。


炎がふくらむ。

風をはらんで球形に広がり、谷間を埋め尽くすほどに肥大して、そして散る。無数の火の粉が広範囲に散る。


風船が破裂するような眺めで炎が薙ぎ散らされたのだ。その中心にいた人物が肩の炎をはらう。


それは領主カディンゼル。青い礼装は焼け焦げており、飾り布などがぼろぼろと炭化して崩れているが、その肌には焦げ目はない。

スウロが眼を見張る。


「……あの炎に耐えたデスか。まじないを展開された気配もない。とてつもない量を呑んでるデスね」


一瞬、領主が空のあらぬかたを眺め、軽く地を蹴る。その足元で小石が飛び上がり。

それを足の甲で撃ち抜く。石は細かく割れながら凄まじい速さで飛び、分厚い角材で作られた処刑台を打ち抜いてスウロの周囲で銀の光が爆ぜる。展開される竜銀の障壁。いくつかの礫片がそれを突き破って血の花を散らす。


「ぐっ……!」

「スウロ!」


アトラが叫びながら処刑台に向かう。すでに大半の住民は逃げ出しており、谷間に吹く風が火の粉と熱風をはらんで流れる。


「アトラ! 近づいては駄目! こいつは竜になりつつある!」

「な……何言ってんだよ。あれは領主様で……」


「貴様、ただの魔法使いではないな。私を討ちに来たか」


領主が言う。その背後では騎士たちが扇型に並んでいる。

先程の惨状を見たはずなのに、今はスウロの放った炎に炙られたはずなのに、騎士たちの佇まいに毛ほどの揺らぎもない。


「ベルセネット領主、二つ名を銀獅子公カディンゼル。あなた竜銀を呑んだデスね。しかも相当な量を」

「竜銀を……?」


アトラは階段を登って処刑台の上に立つ。彼の眼は不可思議な話を聞くように丸まっていた。

かつて魔王が、獣に真なる竜銀レアルドルムを与えて竜に変えたことは知っている。また、獣や家畜に竜銀を与えれば大きく育つことも。だが人間が竜になるなどと。


「呑んだらどうしたと言うのだ。この世界の惨状を見よ。もはや土地のほとんどは砂漠となり、北方に去った遠征隊も帰っては来ぬ。世界はやがて虚無の砂漠に覆われる。その時に人の組織や領地など何の意味を持つ」

「愚かなことを……。真なる竜銀レアルドルムとは違うのデス。どれほど純度を高めようと魔王の血肉には及ばない。仮に真実の銀であったとしても、この世界に永遠など存在しない。あなたはただ単に、醜い怪物に変じただけのこと」

「槍をよこせ」


背後の騎士が槍を差し出す。領主は後ろ手にそれを受け取る。


「スウロ、後ろへ!」


アトラが前に立つ。カディンゼルがそれを見て冷ややかに笑う。


「小僧、空間を格納するまじないを持つか。だがそう何度も防げるかな」


肩が異様なほど盛り上がり、肘へと力が連動、そして手首から先が空気に溶ける。

槍が来ると身構えるが、前方に何も見えない。ぶおんという空気の震える音がして、そして頭上から風切りの音が。


「!!」


真上。数十センチまで迫った槍が手の中に吸収される。モーションで視線を引きながらの真上への投擲、そう反射的に理解する。


――胴に、熱が。


「がっ……!」


撃ち抜かれている。それは刃渡り10センチほどの小刀。ほとんど見えないほど小さな動作にて投げられ、アトラの右脇腹に突き立っている。


「アトラ!」

「ぐ……い、痛っ……」


思考が煮えたぎるほどの痛み。急所は外れているが、ほとんど身動きがとれないほどの激痛である。歯を食いしばって全身を集中させても、その場に立ち続ける以外の何もできない。


「フン、話にならぬ」

「やめなさい……彼は関係ない」


スウロが前に出てくる。アトラは止めようと手を出しかけるが、身動きはおろか、一言半句も口にできないほどの痛みが体を支配している。


カディンゼルは魔法使いを見下ろし、爪先で足場を叩きながら言う。


「無駄なこと。先程のような使い魔は二度と呼ばせん。媒体の銀を持たぬ魔法使いに何ができる」

「何でもデス。知らないのでデスか。古代の魔法使いたちは言葉一つで王に呪いをかけ、国を滅ぼしたのデスよ」


それを戯言と取ったか、あるいは小細工をさせる前に仕留めるべきと見たか、一瞬で領主の腕が背後に伸び、騎士の一人から槍をひったくって投擲する。動作の起点から射出の瞬間まで指を弾くほどの時間もかからぬ早業。空気がどんと震えて一気に加速を得た槍が飛ぶ。


スウロの手が走る。鳥のくちばしのように、すべての指を一点にすぼめるような構え、手が銀色の光を宿して高速の槍を弾き飛ばす。


「! 槍を!?」


アトラが驚愕の声を漏らすが、その足元にぴしゃりと散る鮮血。それはスウロの血だ。

まじないの技を使ったとしても高速の槍を弾き飛ばした手である。指は何本か折れ、爪が剥がれて垂れ下がっている。


「ぐうっ……!」


スウロが己の手首を握り、苦鳴を噛み殺す。


「よく防いだ。ふむ、その調子であと10回ほど防いでみるか」

「……御免被りますデス」


スウロが手首をひねる。

そこで、アトラは歪む視界の中で奇妙なものを見た。


手首の関節が外れている。布のように皮がたるんで見えて、そして皮膚の一部に穴が開いているように思えた。

そこから抜き出される、金属の定規のような板が。


蒸斬ザクス!」


構えると同時に灼熱の光。指先から閃光がはじけて空までも赤らめ、指先から矢のごとき光がほとばしる。それはカディンゼルの頬をかすめる。壮絶な威力が肌にびりびりと伝わる。


「ほう……隠し持っていたか」


そして背後でものの崩れる音を聞き、振り返れば、強固な岩盤に穿たれた溝。巨人が斧を当てたような巨大な裂溝が刻まれ、館が半ば倒壊しかかっている。領主は小さく舌打ちを漏らす。


「……面白い。それほど高純度の竜銀ドルムを持つとは。食いでがあるというもの」


そして踵を返し、部分的な倒壊が続く屋敷へと入っていく。

アトラはその背後を追っていく騎士たちを見た。全身鎧に包まれたその者たちの動きに躊躇いはなく、崩れかかる館に足並みを揃えて入っていく。重厚な兜に隠れて顔は見えない。


「逃げたデスね、追わねば」

「スウロ、待って、いったい何が……」


スウロは自ら外した手首の間接をはめなおし、また指笛を吹いて大鷲を呼ぶ。アトラが何かの図鑑で見た鳥、サビイロオオワシだ。

オオワシは脚にメダルのような、円形の竜銀ドルムを持っていた。


「魔法使いは竜銀ドルムの純度を高め、また高純度の竜銀ドルムを使って術を行使するデス。あの領主を倒せるほどとなると一億の銀がいるデス」

「い、一億……?」

「私もこれが最後デスが、何とかしましょう。今度は至近距離で直撃させるデス」

「で、でも、あの領主様どこかおかしかった。人間じゃないみたいに……」

「高純度の竜銀ドルムを呑んだのデス。愚かなことを。竜銀ドルムとは生命そのものであり無意識の断片。人間が竜に近づくとは、獣になることに等しいのに」

「ど、どういう……、うぐ……」


腹腔からの出血が続いている。小刀を抜けば大変なことになると分かるため、動くこともできない。


「ここでじっとしてるデス。ことが治まれば街の人が助けてくれるでしょう」


そしてスウロは駆け出し、処刑台を飛び降りて、館へ上がれる道へと向かう。


「……ぐ、うう、く、くそっ……」


体全体が熱を持っている。筋肉が剛直し内臓は燃えるようだ。思考もほとんどまとまらない。


「た、助けに行かないと……」


模型に入る。それが脳裏をよぎる。

模型の中で数週間過ごせば、動ける程度に回復するだろうか。


「……数週間」


食料はある。煮沸した水や清潔な布も用意はある。必要ならそれからさらに肉体を研鑽してもいい。時間を圧縮すれば僅かな時間で長く療養できる。


「だ、だめだ……」


頭を振り払い、そして強く唇を噛む。

この傷は今すぐ止血せねばならない。そしてアトラは医者ではないのだ。傷口が化膿すれば命に関わるし、高熱が出てしまえば自力で模型から出てこれなくなる。


「それに、この戦いには、どうしても」


どうしても模型の力がなくては。

それは朦朧とした頭に去来する予感か。あるいはスウロの初めて見せた表情、必死さの欠片のようなものが示唆したことか。


アトラは小刀を握り、瞬間的な注力でそれを抜く。ぶしゅう、と鮮血が噴き出して痛みの針が意識野の全体を襲う。


「ぐあっ……」


そして脇を見る。処刑台に転がった兜、おそらく混乱の中で処刑人の騎士が落としたものだろう。その騎士はすでに逃げてしまったようだ。

スウロの生み出した炎が板に燃え移り、その兜を炙っている。

アトラはそれを拾い、すうと息を吸い込むと。



間髪入れず、それを傷口に押し当てた。



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