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10.エリザベスは歌う

 


「ふぅ……。終わりが見えてきましたね、エリザベス嬢」


 汗で崩れた髪を豪快にかき上げながらダニエルは微笑みかける。

 パームさんに任されていた分の殺虫作業はようやく終盤にさしかかっていた。


「そうね。もう少しでダニエルさんに追いつくと思ったのに……」


 ダニエルを一瞥した後、エリザベスは少しむくれつつも黙々と作業を続ける。

 大きな体格からして細かい作業に向いてなさそうなダニエルだが、要領良く花の蕾を避けながら殺虫剤を撒いていた。


「しかしエリザベス嬢の怒涛の追い上げには驚きました」

「私、覚えるのは遅いけど、身についたら誰にも負けないのよ?」

「ははっ、そうですね。もう少しで危ない所でしたが、今回は私の勝ちです」


 残りの仕事を畳み掛けつつ、ダニエルは勝ち誇った顔をする。

 黙々と手を動かしているうちに、いつのまにかお互いの作業速度を意識して、最後は競うようになっていた。


「大人気ない!」

「痛っ……!?」


 ダニエルの後頭部に衝撃が走ったと思ったら、シャーリーが通りすがりに手刀を打ち込んでいた。


「お嬢様、もう一踏ん張りですね。()()()()紅茶のご用意が出来ておりますので、あと少し頑張って下さい」


 ダニエルがどんなに汗水垂らして農作業をしても、本来彼はエリザベスの護衛役なので、もちろん紅茶はエリザベスの分しか用意されていないのだ。


「まぁ、嬉しいわ。シャーリーありがとう。もう少し他の場所もお手伝いをしたいのだけれど……せっかくだし、ここを終わらせたら一旦休みましょうか」

「え、ええ。休んで下さい。是非とも……」


 この上まだ手伝うのか?!  とシャーリーは驚愕したが、エリザベスの屈託のない笑顔の前では何も言えなかった。


「じゃあ、次は民謡を歌ってみてはどうですか?」


 ダニエルが後頭部をさすりながら提案する。どうやら先程のシャーリーの一発は効いていたようだった。


「そう言えば作業に集中してて歌っていなかったわね……」


 歌えば作物の成長を早める事が出来るというルイヴィサージュの民謡。

 ダニエルいわく、民謡の歌詞自体が魔法の呪文としての役割を担っているという極めて特殊なものらしい。歌い方のコツを心得ていれば魔力の少ない人でも使えるので、自然とこの国の人々の生活に根付いていった。成長の加速度は微弱でとりわけ目に見えるような効果は無いが、歌って育てた薔薇と歌わないで育てた薔薇とでは収穫時期が全然違うんだとか。


 パームさん達は今も作業をしながら歌っていた。いつのまにかエリザベス達が訪れた頃よりも人が増えていて、今では十人以上の女性達が様々な声を響かせ合唱している。


 しかし民謡の内容はこの国の栄枯盛衰を物語っているからなのか、柔らかな曲調のようでいて物悲しいともとれる不思議な響きがあった。


「複雑な歌い方だと思って聞いていたら、みんな音程を合わせようとして歌っていないのね。一人一人リズムが違うし音も少し外れているように聞こえるけれど、どうしてこんなにも心に響くのかしら……」

「それは彼女達が感情をそのまま表現しているからなのかもしれません」

「感情を?」


 パームさん達を眺めていたダニエルが振り返り、小首を傾げたエリザベスを見て優しく目尻を下げる。


「はい。歌魔法で一番大切なのは“心”なんです。嬉しい、楽しい、悲しい、そして怒り。上手い下手にこだわらず自身の感情をありのままに表現する事で、ルイヴィサージュの民謡には自然と魔法が宿ると言われています」

「そう、なのね……」


 それを聞いて、エリザベスは難色を示した。


 感情をありのままに表現する事は、貴族として生きていく上で最も必要の無いものの一つである。

 社交界は腹に一物を抱えた人間達の巣窟だ。いかに自身の非を悟られずに相手と上手く駆け引きをするかが求められる。それは言葉一つ目線一つにしても感情を出してはいけない世界。王妃教育を受けたエリザベスは笑顔の仮面を幾度となく貼り付けてきた。

 それにも関わらず、嫉妬という感情を抑えきれずに爆発させてしまったエリザベスは、断罪された末に殺人まで犯してしまった。

 いくら民謡に喜怒哀楽の感情を込めるだけだとしても、エリザベスの過去の経験が呪いのようにまとわり付き、そうは簡単にさせてくれなかったのだ。


「……すいません。長ったらしく言いましたが難しく考えないで下さい。感情と言っても、例えば……そう、薔薇が成長して欲しいと願う気持ちだけでもいいんですよ」


 エリザベスの曇った顔を見て、ダニエルは動揺する。


「願う気持ち……」


 それだったら出来るかもしれない。

 エリザベスは普段癒し魔法を使う際も、治って欲しいと願う気持ちが強いほど威力も強くなっていくのを実感していた。

 いつも魔法を使う際に願う感覚。それと通じるものがあれば、歌魔法も出来るのではないだろうか?

 まぁ、目に見えての効果はそれほど無いらしいから、出来たかどうかの判断基準も自己満足の世界になってしまうのだが……。

 それでもパームさん達の力に少しでもなれたらと思うと挑戦してみようと思った。


「ダニエルさん……私、歌ってみるわ」


 人前で歌った経験など一度もないので、いざ歌うと言葉にしたら一気に緊張が増してきた。

 恥ずかしさと不安が入り混じって手をギュッと握りしめるが、パームさん達の楽しそうな笑顔が目に入り、エリザベスの硬くなった手をほどいていった。


 少し日が斜めに落ちたからか、ジワリと流れる汗に風が当たり少し冷んやりとしてきた。空で踊っている木の葉が、合唱しているパームさん達の声に共鳴しているかのように飛んで行く。

 目の前のこの綺麗な情景がいつまでも続きますように。薔薇が美しく成長してパームさん達の努力が実りますように……。


 エリザベスはまぶたを閉じて歌い始める。


「ルルル……」


 それは治癒魔法を使うと掌がほのかに温かくなるのと同じ感覚だった。自然と喉の奥から温かい何かが無尽蔵に溢れ、声と共に出て行くような……。


 エリザベスの歌声はまるで鈴を鳴らすかのように響き渡った。


「お、お嬢様!!」


 シャーリーの驚いた声で目を開けると、目の前は赤い薔薇の花でいっぱいだった。



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