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私は、エドガー様の生家――店内のとある一室で、形ばかりの祖父と対峙していた。まさか、あのやり取りの後で、頼み事をする事態になるとは……。
エドガー様の父親。彼からは、好意的なものは一切感じられない。さっきよりも悪化している。
……当たり前か。
無理を言って、二階を貸し切りにして、かつ店舗として開放していない一室を貸してもらったんだから。――嫌な王女権力の使い方をした。
でも、デレクとの話が話なので、どうしてもこっそり話す必要があった。
彼の背後には、もともとこの部屋にいた女性――エドガー様のお母さまだと思う――が、私たちを見つめている。お母さまのほうからは、あからさまな攻撃性は向けられていない。ただ、私に対する眼差しは、悲しそう、かな。
「それで、王女殿下。ご命令には従いました。これ以上我々に何を望むのですか?」
半ば吐き捨てるような口調で、男性が言う。
「――お祖父様、お祖母様」
「…………!」
不愉快極まりない、という様子で、男性の顔が歪んだ。
我ながら、嫌なやり方だけど、たぶん、この形ばかりの関係性を利用してでも、エドガー様のご両親に共犯者になってもらう必要が生じている。私は、最後の視察先にこの雑貨店を選ぶべきじゃなかった。
「まずは、私と一緒に、デレク様……ナイトフェロー公爵のご子息のお話をお聞きください」
室内にいるのは、私とデレク、護衛の騎士として留まっているクリフォード、エドガー様のご両親の五人。
ガイとエレイルには、二階の店舗部分で人が――兄たちが来たら知らせるように言ってある。
「……拒否権はないのだろう?」
かろうじて保っていた、丁寧さをかなぐり捨てた男性の問いに、
「残念ながら」
私は頷いた。
「デレク様」
「ええ。説明します」
促すと、デレクが落ち着いた口調で話し出した。
――視察中は、兄のもとへ定期的に城から伝令鳥が来る手筈になっている。
デレクもまた、同じ措置をとっていた。ただし、相手はネイサン・ホールデンから。視察中の城の状況を、城下にいながらデレクもまた知ることができた。
さっき店内でデレクの横を通り過ぎたのは、かつらを被ってその連絡の手紙を携えていたステイン。
デレクにネイサンからの報告を渡した。
そして、ネイサンが伝えた内容は――。
「『異常なし』です。正規の伝令鳥が伝えてきた内容とはまるで違います」
ネイサンはシル様を誘拐して行方不明になんてなってないってことだ。命令通りに、シル様の監視……もとい、警護をしている。
「何故、ネイサンと直接こんなやり取りを?」
「警戒する人間が一致したから、ですかね?」
悲哀の混じった、苦い笑みをデレクが浮かべる。
「おまけに、相手はセリウスの信頼が厚く、尻尾も中々出しません。また同時に相手もセリウスを熟知しています。――視察の警備体制に誰よりも詳しく、動かす権限も持っている」
「…………」
それって……。
ここまで言われれば、私だって察する。
ぐっと奥歯を噛んだ。
「ヒュー……」
思い当たるのは、たった一人。
ヒュー・ロバーツだ。理性では、彼しかいないって理解しているのに、頭の中が混乱している。どうしても、否定したくなる。……ヒューとネイサンだけは、除外できるって、思ってた。
「ヒューは、ネイサンに疑いが向くように動いていました。ですから、最初は俺も二人に疑念を向けていました。ところが、ネイサンもヒューを調べていることがわかったんです。……ヒューには悟られていたようですが」
「ネイサンは、直感が鋭いものね……」
本能的に、ヒューの変化を感じ取ったんだと思う。
考えたくなくても……ヒューが犯人だっていうのなら。
「シル様の馬車に細工をしたのも……?」
「ヒュー本人ではないかもしれません。引き入れた者へ指示を出した可能性も」
――待った。
ヒューが、シル様の馬車の細工事件に始まり、今日の襲撃の黒幕だったとして――じゃあ、シル様の命を狙ってるの?
だって、馬車の暴走は、運が悪ければ大惨事になっていた。
ヒューがシル様を好きで、攫っちゃいたい、とか。せめてそんな理由だったら、まだ、理解できた。多少なりとも、受け入れられる余地があったのに。
これじゃあ、私も自分を誤魔化せないよ。
ヒューは、シル様を殺そうとしてる?
しかも、計画的なもの。視察での襲撃は、陽動なんだ。普段、シル様には兄の目が行き届いている。シル様を孤立させて……確実に、ヒューが自分の手で?
シル様は、ヒューを友達だと思ってるはず。
ヒューだって……。
ヒュー、だって……? ヒューだってシル様を大切に思っているはず?
私に、そう言える?
思考がそこで停止した。
わかんない。
原作小説のヒューはシル様に恋をしていた。でも現実のヒューの気持ちは、全然わからない。
……でも、切られていた、金色の、剣の飾り房。
どちらの命令に従うか、の問い。
それから――デレクを味方だと思うのかって訊かれて、私が肯定したときの微笑み。
全部、関係している気がする。
意味が、あった気がする。
「オクタヴィア様に伺います。このおれの話を、信じてくださいますか? ヒューが用意していた紙切れに、さもおれが曲者の一味だと言わんばかりに書かれていたように、おれもまたヒューを陥れようとしているのかもしれません」
茶色の瞳に宿っているのは、真摯さ。だいたい、こういうことを言う人って、騙してないよね? ……や、たとえば、言ったのがルストだったら、私も疑心満載だったかもしれない。人の違いかな。
……これが、準舞踏会前だったら、答えには、迷ったかも。
「確かに、デレク様を疑うこともできますわ。ですが、わたくしは、信じたいほうを信じます」
だから、つまり。
「あなたを信じます」
「……感謝いたします」
デレクが破顔した。
――方向性は、決まった。
結論も、出た。
「クリフォード。兄上の目をかいくぐって、わたくしが城に戻るわ。ヒューを止める。その心づもりでいて」
「――は」
振り返って、指示すると、控えていたクリフォードが頭を垂れた。
「お待ちください。オクタヴィア様」
デレクの静止がかかったけど。
「はやくヒューに追いつく必要があるでしょう? デレク様には、自分は潔白で、ヒューこそが怪しいと兄上を説き伏せていただきます。結局、兄上はデレク様を信じるでしょうから」
だって、デレクやネイサンが気づくんだから、いくらヒューがうまくやったからって、兄が微塵も不思議に思わなかった、なんてことは考えづらいんだよね。
「…………」
答えに詰まったように、すぐには、デレクは返事をしなかった。
「……そうだと良いんですが」
ややあって、返ってきたのは、弱音めいたもの。不安がある?
「そうならなくても、どうにかするのがデレク様の役目ですわ」
にこっと私は押し切った。大丈夫! デレクならやれる!
ていうか、実際問題、兄を翻意させることができそうなのは、たとえ疑われている状況だとしてもデレクだけだよ、絶対。
これぞ適材適所。
「……頑張るしかありませんね」
苦笑気味に、だけど次には顔つきを真剣な面持ちへと変えたデレクが、顎を引いた。
「ただ、すぐにとはいかないでしょう?」
説得を数秒で終わらせるのは、たとえデレクであっても無理ってもの。苦戦も予想される。
「ですから、わたくしが先に城へ向かいます。城内では、ヒューの指示で動いている者でなければ、わたくしの命令のほうが上ですから」
王女権力で無双する! これは良い王女権力の使い方。
「――デレク様は、兄上を連れて必ず追いついてください」
すると、デレクがちょっと目を見開いた。
強い光が、茶色の瞳に宿る。
「わかりました。必ず」
臣下が、王族にする形でもって、デレクが腰を折った。
デレクは、デレクにしかできないことを。
私は、私のやるべきことを。
「話は、お聞きになられていたでしょう? 状況も、おわかりになられたはず。問題が起きています」
この場で、いまだ部外者である二人――エドガー様のご両親に、水を向けた。
私は、私のやるべきことを実行するために、この二人を巻き込むことを、選ぶ。




