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今朝の視察の始まりから、カルラム並木での襲撃が起こるまで。
いまに比べたら、私と兄の仲ってもんのすっごく良かったんじゃない? て勘違いしそうになる。
……冷戦に、突入した。
いや、連絡事項の会話はするけどね?
『最後はどこを視察するつもりだ?』の質問に、どこどこですって。
私の目的地を訊いて兄は妙な顔をしたけど、その後、会話は続かなかったし。
馬車での移動中も、それまではポツポツ会話していたのに、互いに無言。ピリピリした空気が漂う。
残りの視察は、いわば自由時間。
私の好きなところを視察っていうスケジュールなんだけど、捕まえた襲撃者たちのこともあるから、視察を続けるかたわら、兄はそっちの収拾にも時間を割くことになった。部分的別行動? 目的地までは一緒に行くだけ、になりそう。
――そして、馬車が最後の目的地に到着した。
ヒューは城に着いたかな? いや、さすがに無理? 兄が命令してから、馬ですぐに出発したんだよね。エスフィア橋を通るルートで早駆けすれば、いける?
……もし、もし万が一ネイサンが犯人だったとしても、ネイサンがシル様に危害を加えるはずが――って、私の願望か。
神経をとがらせたところで、私にできるのは、何事もなかったかのように視察を続けること。
パシンッと『黒扇』を閉じる。
私は馬車から降り立った。
視察先に選んだのは、シシィから教えてもらった、南街にある雑貨店。
「先に行け」
走り寄ってきた兵士と話し始めた兄は、途中で一言だけそう言った。
「兄上もああ言っていることですし、参りましょうか。デレク様」
馬に乗ってついてきていたけど、既に待ち体勢だったデレクに声をかける。
建前であっても、表向き、私もデレクを監視する必要があるもんね。
あとはクリフォードとガイとエレイル……。
「ガイ?」
もうクリフォードは普段通りで、私の護衛の騎士に復帰している。守り方っていうの? 位置取り? も通常運転。
ただ、ガイの顔色がクリフォード復帰後から極端に悪い。エレイルは特に変わらないんだけどな……。
「は! じ、自分にご用でしょうか!」
「……もう少しだから、頑張ってちょうだい」
うまくやってくれているように見えて、負担が大きいんだろうなあ。私からの勧誘もあったし。安心して! 後できっと埋め合わせするからね!
「は!」
ビシッとガイが敬礼する。
それに笑みを返して、私は入店した。
二階建ての店舗で、素朴な優しさとセンスが感じられる店内は、値段もお手頃な商品が多数並んでいた。シシィが好きそうな……つまり私好みの本も多数。
ただ、一応先方には先触れがある――自由時間の訪問先は当日に決まるから、どうしても直前になってしまうんだけど――とはいえ、いきなり王族が入ってくれば、大多数の人は逃げちゃう……。
このお店でもしかり。比較して、北街ではそうでもない。貴族慣れしているから。南街だと王侯貴族が普通に行くと一律悪目立ちして避けられる傾向あり。だから、そういうのが嫌な貴族は、南街を訪れる際はだいたいお忍びで赴くらしい。
「ありがとうございます、オクタヴィア様」
キョロキョロしていた私へ、突然デレクが言った。
「庇ってくださり、助かりました」
あ……。
心からの感謝だって、伝わってきた。笑い方が、無防備だったから。
「……兄上のこと、怒っていますか?」
デレクが今度は苦笑する。
「いえ。らしいと思いますよ。あの場で完全に疑いを晴らせなかったのはおれですから」
ほっ。いやね、兄、デレクに見捨てられたら友達減るじゃない? 原作には登場してないデレクだけど、兄にとって親友っていえるぐらい特別な存在だと思うんだよね。いまあるデレクと兄の関係性は壊れて欲しくないなって願ってしまう。
「疑いを晴らす自信のほど――どうすれば疑いが晴れると?」
「真の首謀者が明らかになること、ですかね?」
何か、違和感があった。私に軽く笑って見せたデレクが、悲しそうに見えたから。……兄が、ヒューを選んだとき、カルラム並木でも見せた表情。あれは兄に信じてもらえなかったせいだと思った。もちろん、それはあるはず。
でも、それ以外に……?
まるで、誰が首謀者なのか知っていて、そのことが、悲しい……?
「そのときは、オクタヴィア様に協力をあおぎますので、ご助力のほどを」
「……もちろんよ」
やっぱりあえて軽い調子にしているデレクに対し、私は真剣に答えた。デレクがふっと笑い、話題を変えた。
「ところで、この店だけは、王家との繋がりをまったく表にしていないんですね。それでも視察先にしたのは、やはりエドガー様のご生家だからですか?」
! 衝撃発言だった。兄の反応が妙だったのも、このせい?
エドガー様は元商人。父上と結婚したことで、大きなバックアップを得た。エドガー様が商人として表立って活動することはないけれど、縁の深い商会はあり、『天空の楽園』を所有し、王都にも複数の店舗を出している。本店には私も行ったことがあり、そこには商売の神様かのごとく、エドガー様と父上の絵が飾られていた。王家との関係アピール兼宣伝で。
ここ、エドガー様の実家?
ぜんっぜん、そんな風に見えない。本店みたいに王家との繋がりを商売に生かそう的な雰囲気が微塵もないんだもん。
「いえ。そういうわけではないわ。エドガー様とは関係なく――」
ふと、店内の一角に目を留めた。
……リーシュランの花だ。
階段脇の壁に、小机があって、一輪のリーシュランが花瓶に生けられている。
近寄ってみると、そのすぐ上に、絵がかけてあった。
……家族の絵、だった。
父親と母親、たぶん、その子どもの少年と少女が、四人で並び立って笑っている、幸せそうな絵。子どもは、二人とも十代で顔立ちがすごく似ている。兄妹、かな。
少年は……。
「雰囲気が異なりますが――エドガー様、ですね」
デレクが呟いた。
うん。絵のエドガー様は、悪ガキ的な雰囲気を漂わせている。私の知っている落ち着いたエドガー様像とはかけ離れていた。むしろ女の子のほうが、現在のエドガー様に通じるものがある。
「しかし……他にご兄妹は……」
顎に片手をやって、デレクが思案する。
私が与えられている公の知識では、エドガー様は一人っ子。王配としてのエドガー様の家族として記録にあるのも――そこに紹介されていたのも、ご両親だけ。
でも……。
『そうかもしれない。……同じことを、昔言われたことがあるよ』
――エトガー様に、私がした質問。髪にさした花の数に幸運も比例するのかって。
私より前に、エドガー様にそう尋ねていた人物は、言葉の意味を思えば、女性のはずで。
そして――。
無意識に、飾られた絵に手を伸ばす。
触れる寸前。
「いらっしゃいませ」
聞こえたのは、接客の声だった。だけど、何故か「触るな」と言われた気がした。
「……南街のこのような店に、王族や高位貴族の方は似つかわしくありませんよ」
その声を発したのは、一人の男性。
エドガー様に、似てる。壁にかかっている、絵の中の男性にも。
五、六十代の、たぶん……私が直接にはいまだ会ったことのなかった、エドガー様の、父親だ。
ただ、それを訊くのは躊躇われた。
エドガー様自身や、エドガー様と縁のある商会のことは知っているし、接点もある。なのに、エドガー様のご両親――もう片方の祖父母とは、私、というか王家そのものが、没交渉だった。エスフィア王家の成り立ち自体が特殊だし、父上やエドガー様との親子関係だって、一般的なものとはかけ離れている。だから、こんなものなのかな、と納得していたけど……。
私が知ろうとしていなかっただけなんだ。
結果、祖父と孫ではなく、第一王女と視察先の関係者として、向かい合っている。
「あなたは、このお店の店主なのですか?」
「店主はたまにしか来れません。――わたしは店を任されているだけです」
取り付く島もない感じが伝わってくる。拒絶だ。……だから、迷った。それでも、再度絵が視界に入って、結局は言葉を重ねた。
引くのではなく、知るべきだって。
「わたくしは……この絵のことを知りたいのです。女の子が……」
「……何故です?」
男性から、かろうじてまとっていた慇懃無礼さすら、消えた。拒絶が、敵意を感じられるものへと変化する。クリフォードが動こうとしたけど、私は首を振った。
「エドガーと約束してくださったはずでしょう? ここには今後一切関わらないと。二度と王家の人間は足を踏み入れないと。あれは、あくまで国王陛下だけの話だったとでも?」
必死に激昂を抑えている様子だった男性が、項垂れた。
――父上が、エドガー様と約束した?
少なくとも、いま告げられたことに関して、私は父上に言い含められたことはない。
……ううん。そもそも、今日私がここを訪れたのは、シシィに聞いたからだ。単なる偶然。しかも、予めの視察予定には組み入れられていなかった場所。
そうでなければ、父上がしたという約束が破られることはなかったはず。私はエドガー様のご両親のことも、生家の場所も、知らなかったんだから。
でも、もし父上が、私が今日、エドガー様の生家を訪れると把握していたら、止めていたの?
「わたくしは……」
口を開いたけど、何を言えばいいのかわからなかった。
顔をあげた男性が、暗い目つきをしてせせら笑った。
「――知りたいというのなら、お教えしましょう」
男性の視線が、家族が描かれた絵画で留まった。
「……アイリーン。あの子の名前は、アイリーンです」
アイリーン、という名前を言葉にした男性の声音には、愛情が籠っていた。
また、男性が口を開いた。でも、閉じる。次に口にしたのは、きっと、言いたかったこととは別のこと。
「不敬罪で投獄するなら、ご自由に」
「……そのようなことは、いたしません」
だって、この男性は、エドガー様の父親だ。
「……その絵には、触らないでください」
言い、頭を下げる。私たちからできるだけ離れたいのか、入り口方面へ行ってしまった。
彼と入れ替わるようにして、新たに入店してきた客が、困ったように入り口で立ち止まっているのが見えた。ただ帰ることはせず、店内を進み、デレクの横をそそくさと素通りする。
あ、れ……? 髪の色が違うけど、いまの客って、ステイン……?
私の読み、正解かも。
手元で何かをさっと確認したデレクが、一度、考え込むように目を閉じた。
私を見据え、口を開く。
「オクタヴィア様。最悪の事態を避けるために、おれに協力していただけますか? ――内密に」
最後の部分は、囁き。
内密に、か。
「……重大な、内容なのね?」
「ええ。非常に」




