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「ようこそいらっしゃいました!」
恰幅の良い男性――私にとって結構お馴染みになっている店主が私たちを出迎えた。
『黒扇』被害があったんじゃないかと危惧していた店は、一言でいうとパワーアップしていた。……悪い方向に。
店構えが、これまでに訪問したときと比べてちょっと……いや、かなり。
基本的にはアクセサリー系、装飾品を扱うお店なはず。
ところが、私の持つ『黒扇』と同じモデルの扇が、店頭に大量に飾られている……! ちょっとどころじゃなく異様。ほら、ガイが「ひぇっ」って声出したし。
引いてる。引いてるよ! 一般客も逃げ出すよ!
「急遽、オクタヴィア殿下にちなんで販売している商品を目立つように並べさせていただきました!」
褒めて! と言わんばかりに、店主が揉み手で目を光らせている。
ヨイショ……。これ、私へのヨイショだ!
「店主……」
「はい!」
「あなたの名前を訊くのは、また今度にするわね……」
「はい……」
恰幅の良い店主がしょんぼりした。でも、最初に固辞したのはこの商人さんのほうだからね?
それは、最初に、私が『黒扇』を特注したときのこと。もちろん私は彼の名前を尋ねた。
商人さんはこう言った。
『殿下……。わたくしめは、商売人としてはまだまだ若輩の身です。わたくしめが成長をとげた暁には、その記憶にお留めください』と。
私、大きな志を持った人なんだなあって感銘を受けたんだよね。
『黒扇』も気に入ったし、だから前の視察のときに立ち寄ってみた。いや、おかげでシル様の宝石箱、つまり守りの指輪を発見したよ? でもいま思えば商人さんの反応、「えっ? まさかまたレヴ鳥? マジ勘弁!」って感じだった気がしないでもない。
王女の注文だから断れなかったけど、貧乏くじひいたわー。『黒扇』を作った人間として名前を覚えられちゃあたまらん! という心理だったんじゃ……?
でも、さすがは商人。
いまの商人さん……店主からは、レヴ鳥グッズ、いけるんじゃね? という並々ならぬ気迫が感じられる。いっそ華麗な手のひら返し。
「最近は、殿下が『黒扇』を普段使いなさっているおかげで、黒い扇に流行の兆しがあるんですよ。いやあ、殿下の慧眼に恐れいりました、さあさあ、どうぞ中へ!」
ここはちょっと立ち寄るぐらいのつもりだったから、貸し切りにはしていない。
店構えが強力過ぎて、誰もお客がいないんじゃ……と不安な気持ちで入店する。
ほっ。
店内は普通だったよ! 前回と変わりなし。品揃えはむしろ良くなってると思う。
お客も……いる。お供を二人引き連れた黒髪の男性だ。買い物中なのか、たくさんの荷物をお供の二人が抱えている。すっとヒューの目に警戒の色が宿る。
私たちに気づくと、男性は恭しく一礼した。
彼の左耳は、三つの円形の耳飾りで彩られていた。
「……カンギナからいらっしゃったのね。ようこそ、エスフィアへ。歓迎するわ」
外国人の心証は国の顔として良くしておかないと!
「私がカンギナ人だとよくおわかりに」
伏せていた顔をあげた男性は私を見――ん? ヒューに、驚いた?
「耳飾りをつけていらっしゃるもの」
カンギナの伝統様式の。
「はは。古くさいだのなんだの母国でも文句を言われたりしましたが、おかげでオクタヴィア殿下と話す栄誉を賜るとは、この耳飾りに感謝せねばなりません」
「ところで、護衛の騎士があなたを驚かせたかしら?」
男性が首を振った。
「とんでもないことです。ご覧の通り小心者でして、騎士の方々を目にすると緊張してしまうようです。いやはや……」
「エスフィアにはご旅行で?」
「いえ。王都に店を構えております」
「では……」
「商人でございます。生まれはカンギナですが、エスフィアで一旗あげようとしている最中なのです。無論、拠点はやはりカンギナですが」
「カンギナとエスフィアの行き来を?」
「ええ。オクタヴィア殿下も出席していらっしゃった準舞踏会に招待されまして、二週間ほど前から王都に滞在しております。しかし生憎、準舞踏会はひどい騒ぎでして……いやひどい目に遭いました。バークス様とお話しして幸先が良いと思った矢先のことでしたので……ああ、そうだ。バークス様は殿下をダンスにお誘いになりましたか?」
「出席していたならおわかりでしょう? ダンスどころではなくなってしまったわ」
「……それもそうでした。どうも、殿下方とお会いできて舞い上がってしまったようです」
失敗した、と言わんばかりに男性は自分の額を叩いた。
店内には兄も一緒に入って来ている。会話には加わらずにいるけど、シル様の話題に反応した。それでも、会話には入って来ない。
耳飾りをつけたカンギナ人……。しかも、準舞踏会に出席していたって聞くと、少しだけ怪しく感じてきた。おまけに、兄の前でこの話題。でも、客として参加していた曲者の一味だったら、あの日に捕まっているはず。もうちょっと話を聞いてみようかな。
「……今日は買い物にいらっしゃったの?」
「敵情視察として、定期的に参考にしようといろいろな店を回っているのですよ。おかげでこのように」
男性が、苦笑いでお供の二人が持っている荷物に視線をやる。あ。よく見れば黒い扇が飛び出てる……! 店頭に飾られていたやつだ!
「もちろん、『黒扇』にあやかりまして、既製品も一つ購入することにいたしました」
「エスフィアにはいつまで滞在を?」
「――もうしばらく王都にある自商会に滞在するつもりだったのですが、実は、この店を出たらすぐ帰国の途につきます。……急用を思い出しまして」
「そう……。ぜひまたエスフィアへいらして」
曲者……なら、今日カンギナに帰ったりしないか。たぶん。
挨拶をして、男性が店を出る。すると、兄が離れた。一人の兵士を呼んで指示を出している。内容は聞こえないけど、あの男性の言っていることが本当か、確認させるつもりかも。指示を受けた兵士が外へ駆け出していく。
私が男性と話していたときは下がっていた店主が、近くまで来て小首を傾げた。視線が向けられている先は、お供を連れて歩く男性の後ろ姿。
「……わたくしめと雑談に花を咲かせていたときは、急用なんて言ってませんでしたがねえ。あいつもわかりませんな……」
「付き合いは長いのかしら?」
「ここ数年で急成長した商人です。やり方がまあえげつなく……。契約はきっちり守りますし、金払いは良いので、ほどほどの距離で付き合えば無害ですね、はい」
うんうん頷いている。
し、商人の世界ってドライ……。いや、貴族社会も相当だけど。
「そうだ! 殿下は奴の名前なんか覚えないでくださいね! わたくしめが先ですので!」
一応頷いて、私は切り出した。
ここを訪問した理由は、『黒扇』が営業に悪影響を及ぼしていないか気になったのもあるけど――。
「それよりも店主、わたくしが注文した品はできていて?」
私はほくほく顔で店を出た。
自分で持っていたかったので、紙に包まれたそれを、視察用ドレスの内ポケットに仕舞った。
念願の、レヴ鳥の羽根を使った剣の飾り房!
普通は紐や糸の束で作るものだから、ちょっと出来上がりに不安もあったけど、店主――商人さんの開発力は『黒扇』で証明された通り、飾り房でもいかんなく発揮されていた。
見た目ヨシ! 実用性ヨシ!
レヴ鳥の羽根が大丈夫な人ならきっとOK!
視察は終わっていないし、囮としては何の収穫も得ていないに等しいのに、この達成感。
それで次は――。
馬車に乗り込み、深呼吸する。
カルラム並木で散歩。王都の街を歩く『住』としての視察。
「……緊張しているのか?」
馬車の中で、向かい側に兄が座っているのもそろそろ慣れてきた。
たぶん、兄は曲者が動いて、ここで襲撃がある可能性のことを言っているんだと思う。
普通は、そうだよね。
でも、私の緊張の対象は、襲撃以外にもある。イメージトレーニングで大丈夫判定はしたものの、カルラム並木で下手な失敗を私がしてしまわないか。
揺さぶりじゃなくて、足を引っ張る系の。
桜みたいなものを直に目にして、また昔みたいにならないか?
カルラム並木を訪れるのを後にしたのは、先送りしたい気持ちが、私に少なからずあったから。
「クリフォードへの疑いは晴れそうですか?」
でも、そんなことを兄に言えるわけがない。私は別の問いを返した。
兄はクリフォードがシル様の乗った馬車に細工をした犯人で、曲者の一人だって考えている。
その考えに、変化はあった? ……少なくとも、私の目から見て、今日のクリフォードに怪しいところなんか全然ない。
「……いいや」
「では、覆るのはもうすぐですわね」
だって、このまま行くと何もないんじゃないの? て気もしてきたし!
「お前がそう思うのは自由だ。――カルラム並木だな」
馬車の窓に目を向けた兄が告げる。やや遅れて、馬車が停まった。
でも、私は窓の外を見なかった。
極力、『黒扇』で視界を遮るようにして、外へ。
カルラム並木を歩く際の説明を受ける。
私に対してはヒューが、兄にはクリフォードが一番近くで警護する任を負う。で、その後ろをガイやエレイル、他の護衛の騎士たちが続く。またそれとは別に、カルラム並木の端から端まで、ポイントごとに兵士が配置されている。
兄を近距離で守る人間にクリフォードが選ばれたのは兄の要望だけど、これは身の安全を任せられるほどクリフォードを信用しているからじゃなくて、その逆だと思われる。
――秋の風が、髪を乱す。薄紅色の花びらが足下の地面にいくつも落ちていた。風が吹くと、そこからも舞い上がる。
その光景は、いとも簡単に、私の中に眠る懐かしい記憶を呼び起こした。
『お姉ちゃん見て! ほら桜吹雪。綺麗だよ!』
『写真撮ろっか!』
『賛成ー!』
何てことのなかった、春になったら珍しくもない、単なる日常の一つだったはずのもの。
「…………」
「オクタヴィア殿下?」
私がぼーっと突っ立っているので、ヒューが怪訝そうにしている。
いけない、いけない。
「こんな風に街を歩くのは久しぶりだわ。……行きましょうか」
実際、王城内は移動のために歩き回るけど、王都を歩くのは数ヶ月ぶり。
王都の人々の通行は規制されていない。並木道を通常通り行き交う人もいれば、王族が視察で歩いていることもあって、見ようと集まってくる人もいる。
その中で、私たちがたいして進まないうちに、
「――奇遇ですね」
一人、接近してきた人物がいた。一定以上は近づけないようにしてあるはずの警備網を突破して、にこやかに笑顔を浮かべ、好青年っぷりをいかんなく発揮している。
デレク・ナイトフェロー。
「所用のため街を訪れていたのですが、両殿下が視察中と知り、ご挨拶にうかがいました」
デレクが丁寧に一礼する。高位貴族特有の優雅な仕草で。
その優雅さと一線を画すのが、腰に装備した長剣。
広場ではフードを被り、正体を隠したいようだったのに、いまになって堂々と……?
疑問の視線を投げると、柔らかくデレクは微笑んだ。くっ。イケメン……! イケメン無罪って嘘だと思うけど、多少の誤魔化しが効くのは確かだとも思う。美形には慣れているはずの私にも通用する!
「ああ、どうぞわたしを通した兵は叱責なさらないようにお願いいたします。ナイトフェロー公爵家の人間が通せと言えば逆らえなかったでしょうから」
いけしゃあしゃあと、権力でごり押ししましたーとの主張です。
んで。気になっていることが一つ。さっきから兄が一言も声を発さないんですけど! そしてデレクも、私へとも兄へとも、両方へともとれる話し運び。
偶然を装ってはいるけど、偶然のはずはない。
デレクは狙ってカルラム並木にやってきた。挨拶のためでもない。
視察の予定としては、この登場はイレギュラー。だけど私の考えでは、デレクは味方なわけで。
「せっかくだわ」
私はデレクを巻き込むことにした! 万が一戦闘沙汰になったとしても、デレクは戦う能力ありの人物。事態に翻弄されるってこともないはず。
「デレク様も一緒に歩きませんこと?」
私から誘われるとは思っていなかったらしい。茶色の瞳が一瞬見開かれる。でもすぐにデレクの口元が綻んだ。
「――喜んで」




