78 出世街道驀進中かもしれない平民兵士の穏やかならざる警護任務(前編)
俺は、今日死ぬのかもしれない。馬の手綱を握り、ふっとそんな考えがよぎった。
すると、視界の隅で、黒い物体が翼を広げ城下方面へ――。
! レヴ鳥が空を軽やかに飛んでいった、だと……っ? 暗示? 暗示なのか? 今日の俺の未来は不吉に満ちあふれているというのか……!
いや、落ち着け、俺。まだ何にも起こっていないのに動揺してどうする!
……はあ。
決して気は抜かないし、この状況下では決して抜けないんだが、不安だ。
俺にこんな大役が務まるのか? いや、務めなきゃいけないんだが……。
――両殿下が城下視察に赴くことになったと告げられたのが昨日。同時に、オクタヴィア殿下が何故か俺をその際の警護に加えることを希望し、セリウス殿下が了承されたと聞いたのも昨日。直後に、班長に呼ばれていたらしいエレイル・バーンがやって来て、同任務に就くと聞いたのも昨日。
バーンと一緒の任務だと知ったときは、驚愕した。
オクタヴィア殿下の意向ってことにもだ。
殿下は何を考えているんだ?
エレイル・バーンといえば、鍛錬場で剣を殿下へぶっぱなした奴だぞ? ご本人が許されて、結局、表向きは事故扱いになったが。しかし、あのとき目撃していた奴なら、誰もがそうではないことを知っている。
そのバーンは、任務を耳にした瞬間、サーッと青ざめて、今日、視察当日の朝なんてでかいクマ作ってきてたしな。だが気持ちはわかる。
正直なところ、バーンに関しては、これもオクタヴィア殿下効果か? 熱狂的なアレクシス殿下信者で、貴族だからってわけじゃなく、以前はそりがあわなそうだな、と思っていた相手だ。ところが、そこまでではなかった。
俺の偏見だが、たとえば俺が話しかけても「ふん」と鼻を鳴らしてどっか行きそうだな、と想像していたのに、普通に会話できた。どころか、かなり話した。
打ち合わせもあったしな。むしろいま現在、心の距離は、同性愛に染まっていない仲間の同僚よりも、ある意味で近いぞ!
同僚のことを思い出し、俺は実に微妙な心持ちになった。
同僚――あいつ、俺の今回の任務を知ってから「お前という奴がいたことを、おれは忘れないからな」って真顔で肩叩いてきたからな。
あと、秘蔵の酒をくれた。なんか優しかった……!
最後の別れみたいなの、やめてくれる? まだいなくなってないからな? 生きてるからな?
しかし、そんな風だった癖にあいつ、新人兵士たちの間で持ち上がった、俺とバーンのどちらが視察でヘマするかどうかの賭けで、両方に賭けやがった……! おまけに結構良い額を。
「あのな、ガイ。賭けには、いついかなるときも真摯に向き合わなければならないんだ。……自分に嘘はつけない」だと? 無駄に格好いい言い方しやがって!
まあ、それはともかく、驚きはしたが、バーンがいることで心理的には楽だ。
今回の視察警護任務に就いている人間の中で、唯一境遇が似ているからだ。
オクタヴィア殿下に指名された同士。向こうは貴族出身だが、兵士という身分は同じ。ただの兵士なのに、一時的とはいえ大抜擢された、というのも同じ。
依然としてオクタヴィア殿下の考えはさっぱりわからんのだが。
わからないといえば……。
「…………」
ごくり、と唾を飲み込んで、チラッと俺はその男を見た。
いる。
――さて、一応、俺とバーンはオクタヴィア殿下の準護衛の騎士みたいな扱いに収まっているようなのだ。あくまでも身辺警護に加わるというだけで、その他大勢に埋もれるんじゃなかったんすか? などと言ってはいけないのだ。
だが、俺はこう思っている。
……心の中でなら!
思う存分言っていいんだ!
オクタヴィア殿下、本当に何考えてんの? だって俺だよ? それなりの野心は持っているつもりだが、段階ってものが必要なんだ。
あと!
な・ん・で! オンガルヌの使者がオクタヴィア殿下の護衛の騎士から外れてんすかー!
小耳に挟んだところによると、セリウス殿下の護衛の騎士として視察に同行しているらしい……。
でも、でもだぞ?
オンガルヌの使者、絶対オクタヴィア殿下のほうに気を配ってね? だろ? 絶対!
この配置換え、絶対何か裏があるやつだろ。
悪いことに、両殿下を乗せた馬車に護衛の騎士は併走するんだけどさ、馬車を挟んで俺は左、オンガルヌの使者は右側。馬車に注意を払ってそっちを見ると、オンガルヌの使者も自然と視界に入ってしまうのだ!
ああ。胃が痛てえ。ゲロ吐きそう。
俺はとにかく、馬車が早く城下に着くことを祈った。俺の場合、普段は徒歩で赴く場所だ。馬でならすぐだ。……よし、エスフィア橋に入った。あと少しだな! しかし到着直前にこそ何かがってこともある。
極力、オンガルヌの使者は意識しないように心掛け、馬車に不審者が近づこうとしていないか、警戒する。
…………? 周囲に異変はないが、警備に加わっている側に、些細な動きがあった。しかも、気にした方向が同じ……?
橋のたもと一帯には、ちょっとした森林があるんだが、二人の人間がわずかな時間差はあったものの、そっちを一瞬見たぞ?
二人っていうのは、一人はオンガルヌの使者で……。
俺は振り返って、とっくに通り過ぎた森林を見てみた。特に、何も、だよなあ?
しかし、オンガルヌの使者が気にしたってことは、人の気配があったってことか? まあ、そこにいるだけじゃ問題ないだろうが。
もう一人は……俺は、俺の前を走る、元はセリウス殿下の護衛の騎士だった男に視線をやった。
ヒュー・ロバーツ。目下の俺の上司、ロバーツ様だ。これまた、視察中……というか、準舞踏会後に、何故かオクタヴィア殿下の護衛の騎士に就任している。
だがロバーツ様といえばセリウス殿下の右腕だ。あと、容姿の優れた独身男性という意味で人気がある。俺が知ってるんだから、当然男人気だがな! 片思い中の兵士も数人知っている。
俺が視察中の警護に加わると伝わった後に「良いなあ……」と羨ましがられた。――あくまで任務だからな?
昨日初めて会話を交わしてから現在に至るまで、噂通りという感じの御方だった。
そんなロバーツ様と、オンガルヌの使者の共通点は、実力者であるという点か?
森林に目をやった順は、オンガルヌの使者、ロバーツ様、だが、まあほぼ同時と言ってもいいぐらいだったな。
念のため、もう一度過ぎ去った森林を振り返ってみる。
何か煙があがるとか、事件が起きた感じもしないよな……。
たぶん、問題ない、よな? オンガルヌの使者のあの様子だと、少なくともオクタヴィア殿下に危険が及ぶ可能性のある事態ではないんだろう。
……この場合、じゃあオクタヴィア殿下以外が危険な可能性はあるんじゃね? という疑いは残るわけだが。
この予測だけで、一人エスフィア橋まで戻るのは現実的じゃあないな。
それに、ロバーツ様の反応だけを考えるなら、橋は要所だ。ロバーツ様はいわば警備の統括責任者みたいなもんだからな。極秘の守備隊が密かに配備されていて、目視確認だったって線もなくはない。むしろそっちの線のほうが濃いか?
俺は前方を見据え、予定通り、馬を走らせることにした。
両殿下の乗る馬車が無事に指定の場所――王都の広場に到着したと思ったら、ロバーツ様に妙な指示を受けた。なんでも、オクタヴィア殿下の命令だとか。
命令とは、やるべきことしか伝えられないものだ。俺みたいな下っ端で命令を受けて動く立場の人間は、何のために、何故どうしてと問い返すことは基本許されていないし、そんなのは愚問だ。……正直、俺はまだ身についているとは言えない。それに、オクタヴィア殿下が関わるとこの愚問ばっかり浮かぶから困る。
まあでも――この命令には何か意味があるんだろうな。
大量の花を購入し、一本の薔薇にだけ赤い飾紐をつけて兵士に渡すとか。
花かごを持った兵士たちが広場を囲むように置いた脚立に登ったら、合図をオクタヴィア殿下に出すとか。
合図……どんな合図かは、ロバーツ様も言ってなかったからな。丸で良いのか?
オクタヴィア殿下に見えるよう、背伸びをし、俺は頭上で両腕を使い丸を作った。
伝わった、か?
こぼれるような微笑みを浮かべ、殿下が口を開く。
その後の殿下の説明で、赤い薔薇を使って誰かを選ぼうとしていることがわかった。
広場に集まった民衆に、大量の花を兵士が脚立の上からばらまく。
花々が、宙を舞った。集まった人々が、空を見上げ、手を伸ばす。
空から――天から――つまりは天空神からの花ってわけか。
「今年は花祭りができなかったからねえ。来年までお預けだと思ってたけど」
「家に持ち帰って飾りましょ」
「絶対黄色だ、黄色い花を取る! 金運上昇だ!」
……なるほどな。
俺はピンと来なかったが、オクタヴィア殿下のこの趣向は、王都の花祭りにちなんでいたのか。王都では毎年祭りが行われる。その一つが春の花祭りだ。上から下までどんちゃん騒ぎらしい。豊穣を祈る祭りだが、恋の華も咲きまくりだとか。もちろん、王都以外からも人がやってくる。
――というのは、すべて先輩兵士たちからの情報だ。残念ながら俺は参加したことがない。
今年、花祭りは行われなかった。
サザ神教との戦争があったからだ。
勝利を祝い、凱旋行事は行われたが、それとは別に犠牲者への追悼として、喪の期間が設けられた。ちょうど今年の春まではそれにあたり、花祭りではなく追悼祭になった。花は大量に使われたが、用途が違ったんだよな。
例年、花祭りでは王家が広場で花を配る。どの色の花をもらえるかで一年の運勢が決まると信じられていて、楽しみにしている国民は多いのだ。
見れば、老いも若きも、人々が降ってくる花々に目を輝かせて手を伸ばしている。――季節外れのちょっとした贈り物だな。できることなら、休日でぶらぶらしているときにこの場にいたかった……!
しかし、俺は任務中なのである……!
赤い薔薇の行方を追わなければならない。俺が薔薇を渡した兵士のいる方向を見る。丁度、薔薇が兵士の手から離れた。どれどれ。オクタヴィア殿下に接近する人物でもあるわけだからな。ロバーツ様からも言い含められている。もし不審人物だったら……。
飾紐のついた赤い薔薇の描く軌跡を俺は目線で追った。
割と飛んだな。そして高さを失い、落下――。
お。やべ! 俺えええ?
離れた場所で俺と同様に花の行方を注視していたバーンが駆け寄ってきた。
「ペウツ。お前……」
愕然とした呼びかけが非常に耳に痛い。
薔薇は、俺のところへ飛んできた。……避けたら、地面に落ちるだろ? なので、掴んだわけだが。これ、駄目だろ。
……どうする?
バーンと目が合った。はあ、と息を吐いて、面倒臭そうにバーンが言った。お前、美形だけどそういうところだぞ。
「投げ直せ」
……それしかないか?
周囲の市民の皆さんも、「ええー」みたいな顔で俺を見ているしな。針のむしろだ。
このままだと不味い。
「……再度、空に問い直しますのでご安心を!」
俺は薔薇を放る体勢を取った。空へ向かって再度――投げようとした瞬間、どうせなら善人か、無害そうっぽい人が拾ってくれたほうが良いよな、という心理が生まれた。明らかにヤバそうな奴は避けるべきだ。
体勢は保持したまま、素早く視線を巡らせる。花は軽い。そう遠くまでは飛ばないだろう。
ある程度の距離にいる人々の中で、拾って欲しい人は……。
……ん? 頭巾付きの外套で顔を隠してるのがいるな。その隣にいるのは……。
やっべ。
昨日一緒に飯を食った赤毛のステインだ。そうとわかって見てみれば、頭巾から覗くあの端麗な容姿は――デレク様か?
二人の側には、連れらしきもう一人がいた。
頭巾は降ろしているが、デレク様のように外套を着ている。片目に眼帯をした金髪の男だった。……ステインが好きそうな美形だ。しかも、ただの美形ではない。芸術品のような造形美を体現している。
「おい、ペウツ。何を見て……さっさと」
せかしていたバーンが、俺の視線の先を目にし、固まった。
「兄上……?」
続けて、そう呟いたのが聞こえた。




