64
頭の中で、勝利の鐘が鳴り響く。
何だかわからないけど、エドガー様が手を貸してくれることなった!
この申し出には遠慮なんかするはずがない!
まずは情報共有! 私は、準舞踏会から帰った後に起きた出来事を――父上とのキルグレン公のくだり以外――包み隠さずエドガー様に説明した。「イーノック、大分省略したんだな」とか途中でボソッと聞こえたりした。
この庭への散歩も何とか兄から許可を引き出した結果なことを話し、最後に大本命、兄をどうにかするために口添えをして欲しいとお願いした。
どんな風に協力してもらうか迷ったけど、兄もエドガー様の話なら聞く耳を持つはず。
エスフィアナンバー2の強権を兄に発動してください!
聞き終えたエドガー様は焦げ茶色の瞳を曇らせた。「うーん」と考え込んでいる様子。
やがて、エドガー様が口を開いた。
「口添えするのは構わないけど……」
再度の勝利の鐘が鳴り響く。効果として黄金色のキラキラの紙吹雪も追加された。
が。
「セリウスの考えは変わらないと思うな」
エドガー様は無情だった。勝利の鐘が、がーん、の鐘になった。
「他の問題なら口添えでどうにかなっても、今回は……。まずは、アルダートンの疑いを晴らさないといけない」
一瞬、あまりにもエドガー様が普通に言うんで聞き逃しそうになった。
だって、この口ぶり。
「――エドガー様は、クリフォードの無実を信じてくださるのですか?」
「わたしはその護衛の騎士のことはほとんど知らないから、オクタヴィアが盟いを行ったという事実に重きを置いているだけだよ。それに、力を貸すと決めたからには、こちら側に立たないと」
「……父上とは反対の立場になるかもしれませんわ」
「イーノックは中立だと思うけどね、仮に反対の立場になったとしても、たまにはいいんじゃないかな? いままでの関係は壊れないよ」
もしかしたら父上に言えない悩み事があるのだとしても、軽く言ってのけるエドガー様、強い。
「整理しようか」
私の要望を一つ一つ、エドガー様が列挙してゆく。
「アルダートン……護衛の騎士の解放。オクタヴィアの移動と面会制限の解除、公務の再開――明後日、城下へ視察に行く予定があったね。――いや、この視察はセリウスが代理で行うことになったと、確か聞いたな……」
「兄上が視察の代理を? ですが、普通なら……」
「延期が妥当だね」
その通り! 視察は兄に却下されたけど、てっきり延期になるものだと……。
延期じゃなくて兄が行くなんてそんなこと、ひとっことも聞いてないんですけど……!
視察、私は諦めていない! 城下への視察には、夢が詰まっているんだから! 公務ではあるものの、市井の生活に触れられるという点では私の楽しみでもある。
はっきりさせなきゃ。
背後を振り返った。
疑問をぶつけられる最適の人物が、離れた場所に控えている。
黒髪の護衛の騎士――ヒュー・ロバーツだ。
「お呼びでしょうか」
目の前で頭を垂れたヒューを、私は問いただした。
「顔をあげなさい。尋ねたいことがあるわ。エドガー様からお聞きしたわ。わたくしが行う予定だった視察を、兄上が代行するというのは事実かしら?」
「…………」
ヒューがエドガー様に視線を向ける。ものともせずエドガー様は笑顔を返した。
「わたしも正確なところを聞いておきたいな。記憶違いだったら、嘘をオクタヴィアに教えたことになる」
エスフィアナンバー2の後押しは効果てきめん!
仕方なく、みたいな感じなんだろうけど、目を伏せたヒューが口を開いた。
「……セリウス殿下が代行すると決定しております」
「決定した時点でわたくしにも一言あってしかるべきではなくて?」
色々段取りとか準備とかあったんだからね! 行く場所やお店の選定とか!
毎回息切れ寸前の本気です! やる気百二十パーセントで挑む!
というか。
「視察も、兄上とわたくしでは公務の種類が異なるでしょう? 本来なら日にちを改めるのが正しい措置のはずよ」
王子と王女の役割の違い。代理だとしても、まだ王子同士ならわかる。兄の代理をアレクが務めたり、その逆もしかり。ただし、私の代理を兄やアレクが務めることは基本的にない。まあどうしてもの時とか、緊急時とか、例外がないではないけど、視察公務はその中に入らない。余裕をもって組まれているものだし。
延期じゃないのはおかしい!
「――それとも、延期できない理由でもあるのかしら?」
「!」
今朝の私は冴えている! ごねまくりたい気持ちから出た質問が、ヒューにヒットした。わずかに、ヒューが隠し通せなかった反応を私は見逃さなかった。
「理由があるのね」
「…………」
沈黙のヒュー。ここをチクチクチクチクつつくと、道が開けそうな予感。
「わたくしが行うはずだった視察を、兄上があえて代行する理由は何?」
「…………」
うーむ。王女権力通じず。
続・沈黙のヒュー。やはり兄の腹心。兄を裏切ったりはしない。
ヒューの姿をじーっと見つめる。視線の圧力でどうにか……ならないなー。
兄とヒューの関係に亀裂でも入っていない限り無理っぽい……。兄のヒューへの信頼は絶大で、だからこそ護衛の騎士として私につけたんだし。
しかも、ご丁寧に口頭だけじゃなくて、「しばらくヒューを私の護衛の騎士に任じる」っていう内容の正式な書面付き。兄から朝一で届いた。
…………護衛の騎士。ヒューは兄には忠誠心をもって仕えている……。
ピコンと、脳内で!マークが点灯した。いけるかも。
まだまだ今朝の私は冴えている。ヒュー攻略の糸口発見!
――それは詭弁なり。しかして私の王女という立場が詭弁を強化し――。
要するに、詭弁は勢い!
「ヒュー・ロバーツ。あなたは少なくとも『いま』は、わたくしの護衛の騎士としての任を負っているわ。他ならぬ兄上の命令で。異論はないわね?」
「は」
「では、あなたは兄上の命令を疎かにするつもり?」
「…………?」
ヒューの漆黒の瞳に疑問の色が浮かぶ。ヒューには職務を疎かにしているつもりはない。それはわかる。
「兄上からの命令を遂行するなら、たとえそれが一時的なことだとしても、あなたは護衛の騎士としてわたくしに兄上へ仕えるように仕えなければならないわ。顧みて――あなたは、自分がそうしていると言える? わたくし、身の安全を預けなければならない者に軽んじられるのは我慢ならないわ」
引き受けたからには、同等の対応と働きを求めます!
働きのほうはたぶん問題なしとして、対応のほうね! 兄より優先しろとは言わないけど、同レベルは求む! 質問に正直に答えるとか。とか!
「わたくしの問いは、兄上からのものと同様の重みを持つものだと思いなさい。――『いま』、あなたは何者かしら?」
「――オクタヴィア殿下の護衛の騎士です」
「ええ。そうね」
私は顎を引いた。
さあ、仕切り直し。
「――兄上がわたくしの視察を代行する理由は?」
内心、ごくりと固唾を呑む。これでヒューが答えなかったら手詰まり。
ヒューが、口を開いた。
「反王家の人間たちによる計画は、一つだけではありません。オクタヴィア殿下の視察時を狙って、襲撃が計画されていたことが判明しています」
よっしゃああああ! ……じゃない!
また襲撃?
「いつ、どこから入手した情報なの?」
「第一報は、準舞踏会当日です。セリウス殿下からの別件任務中に、私が」
「別件……敵に飾り房を切られた際の任務は、それのこと?」
「…………」
黙ってヒューが首肯した。
『黒扇』を開いてふわふわで心を落ち着けながら、原作知識を参照する。
オクタヴィアが視察時に反王家の曲者に狙われる――ないんだよなあ。
セリウスとシル様が城下でってのは、ある。でも、この芽はとっくに潰したはず。兄にそれとなく言っておいたもんね。シル様の危険度が高いやつだったから。
「第一報ということは、第二報もあるのね?」
「準舞踏会にてナイトフェロー公爵が捕縛した曲者たちからも、同様の情報が」
「曲者たちが視察での襲撃を止めて、準舞踏会での襲撃に変更しただけではないの?」
ヒューが首を振る。
「大元は同じでしょうが、保険――別働隊による計画だと我々は見ています」
準舞踏会で失敗したときのための、予備の計画?
結局、準舞踏会での襲撃とは切り離せないってことか……。
それに、兄が視察に行く理由もはっきりした。
「兄上は、曲者たちに視察での襲撃計画を実行させたいのね」
延期なんてしていたら、逃すかもしれないから。
「オクタヴィア殿下が準舞踏会でそうなさったように、視察時にセリウス殿下は自らを囮とするおつもりです」
「けれど、兄上で囮になるのかしら? その曲者たちはわたくしの視察時を狙っているのでしょう。標的はわたくしだわ」
「反王家の人間たちは、王族すべてを標的とします。セリウス殿下も対象と考えられます」
狙いは王族……。『天空の楽園』の庭園で私を襲ってきた曲者たちとの関係性のほうが強い?
「念のため聞くけれど、今回、シル様は狙われていないのね?」
原作知識のせいで、どうしても懸念が拭いきれない。芽は潰していても別のフラグが立っていたり……。まあ、兄が視察にシル様を同行させでもしなければ条件は揃わないと思うけど。兄とシル様の二人が城下に出たときに起こる事件だし。
そして、自分が囮になろうっていう視察で、シル様を連れて行くとか、兄的にあり得ない。
「そうならぬよう、セリウス殿下が努力されています」
「…………」
狙われているんだか、いないんだか微妙すぎる。
待って、なんでこういう回答なのかを考えるべき?
もしや――。
「――兄上は、クリフォードがこれにも関与していると考えているのかしら?」
「私などには、わかりかねます」
私など、でへりくだる素振りでヒューが返答を避けた。
だけど、私の中の確信は強まった。
たぶん兄は、シル様を狙って馬車に細工したクリフォード(あくまで兄の考え)は、私の視察での襲撃計画とも繋がりがあるって疑っている。だからクリフォードを謹慎させているわけで。視察の日だって、当然。もう全方向で怪しいっていう読み?
なんでそうなるのっ? て胸倉掴んでがくがく揺さぶりたい。
疑いって一度もたれたら、それが事実、みたいになることはあるけど……。
かといって、裁判を開く以外で無実を証明するなんて、犯人が捕まりでもしないと――。
「!」
パシンッと『黒扇』を勢いよく私は閉じた。
私とヒューの会話に耳を傾けていたエドガー様のほうを向く。
「エドガー様」
「?」
「耳をお貸し下さい」
身体を傾けやや屈んでくれたエドガー様の耳元に、小声で、クリフォードの無実を証明しよう大作戦を伝える。
嘘です。大作戦ってほどでもない。
別名、「兄上。クリフォードを怪しんでいるなら、現行犯で捕まえたらいかが?」作戦ともいう。
城下視察は、元々の予定通り私と――共同視察ということにして兄とで行う。私と兄が囮になる。
ただし、クリフォードも同行させる。クリフォードへの監視は緩くして。
そして、曲者たちが計画通りに私か兄を襲ってきたとき、クリフォードが不審な行動をするのかどうか、自分の目で確かめてみればいい。
そういう提案を、これから兄にする。
「ただし、兄上が提案を受け入れてくれるかがわかりませんわ。エドガー様は、兄上が必ず提案に乗るようお口添えください。難色を示していた場合は、説得を」
「……穏便な方法とは言えないね。賛成はできないな」
エドガー様が、眉根を寄せて呟いた。
なっ? 兄より先にエドガー様が難色を?
「その方法は、準舞踏会に続いて危険を伴う」
「一度にすべてを解決するには、これが最善ですわ」
囮……怖い気持ちはあるけど、意識していないうちに準舞踏会で経験していたし、その場にクリフォードもいてくれるなら、大丈夫。私は絶対に傷つけられることはない。
あと当然、クリフォードが不審な行動なんかするはずがないもんね。
それで少なくとも視察で起こる襲撃と無関係だという証明はできるはず。襲撃犯も捕まえられるし、凝り固まった兄のクリフォードへの疑念を打ち壊す突破口になる。そこから一気に崩していける気がする。
兄が提案を呑みさえすれば、私の大勝利は目前。
明後日、視察の日を迎えるだけ。
もし襲撃が起こらなくても、現状から悪化するわけでもない。
エドガー様の口から深いため息が漏れる。
「決意は固そうだね」
言い、腕に抱えた咲き誇るリーシュランの花々から、一本を抜き取った。
何をするんだろうと見ていたら――。
「……?」
白い花が、私の髪に差し込まれた。
「君に幸運が在るように」
幸運? 髪にさしてもらったリーシュランの花に触れてみる。
「……花を髪に飾るのは、王侯貴族はしないものだよね。嫌だったら――」
「――いいえ」
嫌なんかじゃない。前世を、思い出した。心が温かくなるような、切なさもちょっとだけ交じった、懐かしい気持ちになる。
お姉ちゃんとお揃いで花飾りを髪に着けたりしていたから。でも、オクタヴィアとして生まれ変わってからは、生花を花飾りとしてつけたことはなかった。
エドガー様の言った通り、それが一般的にはエスフィアの庶民の文化で、王女としては推奨されない、というのはあくまで建前だ。だって、こんな花飾りをつけたら、お姉ちゃんとの思い出が蘇って、辛くなる。前世が恋しくなる。……花飾りが嫌なわけじゃない。ただ、踏ん切りがつかなかった。
私がずっと、クソ忌々しい記憶に捕らわれていたから。
「エドガー様。わたくし、とても気に入りました。ありがとうございます」
でも、私は、この花飾りが嬉しい。
エドガー様に笑いかける。麻紀の部分も、にっこりと笑ってる。
今度からは、おめかしのときにサーシャに花の髪飾りをリクエストしようかな?
「オクタヴィア――」
私の名前を呼んだエドガー様が何かいいかけて、かわりに目を細めて微笑んだ。
もしかして、私にこにこし過ぎてた? 笑顔が変顔になってた?
「……それなら、良かった。エスフィアの庶民の間ではね、花飾りを男性の手から女性の髪にさすと、幸運が訪れると言われているんだよ。ちょっとしたまじないだね」
――幸運が在るように。
先ほどエドガー様が口にした言葉に合点がいった。
同時に、身も蓋もない疑問が浮かぶ。……気になる。
で、私は至極真面目に問いかけた。
「髪にさした花の数に、幸運も比例するのでしょうか?」
私は、験を担ぐほう! もう二、三本させば効果アップしない? 幸運の上乗せ!
自分でさすのは駄目だから……。クリフォードが謹慎中じゃなかったら頼めたかな?
ぷっとエドガー様が吹き出した。
「そうかもしれない。……同じことを、昔言われたことがあるよ」
抱えたリーシュランの花から、新たに抜き取ろうとする。私は慌てて止めた。
そりゃあエドガー様に訊いたら花の追加催促に感じるに決まってた。だけどそんなつもりじゃなかった。
「いけません! せっかくエドガー様が摘まれたものです」
「目的もなく摘んだだけだよ。使い道に困っていたんだ」
それは、嘘だと思った。
見ればわかる。たぶん、一本一本、すべて厳選して摘んである。
すごく、大切に。
目的がないはずがない。
ただ、エドガー様がわざと言わなかった――その意思表示に、言葉を重ねることはできなかった。
たぶん、エドガー様が私に対してそうしてくれるように。
「口添えの件は、任せてくれていい」
抜き取ったリーシュランの花が二本、そっと髪に差し込まれる。
「君に幸運が在るように。……無事に、帰ってくるんだよ?」




