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即座に、兄は口を開こうとした。
が、どうしてか、途中で動きが止まる。
声が発せられることはなく、唇が引き結ばれた。
流れる沈黙。
あ、あれ? 返答が来ない。
新たな容疑者を放置できるか、できないか。
ここは一択しかないと思うんだけど、不安になってきた……!
心のそわそわを隠すため、『黒扇』を開く。
兄は、いわば原作小説『高潔の王』の主人公の一人であり、ヒーロー。
かつて純然たる読者だった私は、そんなヒーローのセリウスにキャーキャー言っていた過去がある。
でも、そのおかげで、兄の出方ならなんとなく読める! とも思っている。
微妙に役立つ原作知識!
――今回の一件とは違うけど、似たような問いをセリウスが投げかけられるシーンが原作に存在する。
諸侯会議前後にわたって起こるエピソードの一つ。
不倫貴族派の手下が犯人! それを薄々セリウスたちはわかっている! という事件で、不倫貴族派から攻めの一手!
ヒューに嫌疑がかかり、公衆の面前で犯人として糾弾される。もちろんでっちあげなんだけど、証拠が揃いすぎていて、その場ではセリウスもヒューを表立って庇うことができない。
トドメのセリウスへの質問がこれ。
『セリウス殿下。証拠がすべてを示しているのですよ。それとも、よもやご自身の護衛の騎士であるというだけで、その者を潔白だとでも言い張るおつもりか?』
『……衛兵。ヒュー・ロバーツを拘束せよ』
断腸の思いで、セリウスはヒューを捕らえる命令を出す。
『庇われるのではないかと不安に思っておりました。セリウス殿下は、実に公平な方であらせられる。犯人が捕まり、安心いたしました』
政敵の貴族がほくそ笑むエピソード。
読んでいて敵にイラッとしたなあ……。
が! だからといって、もし、「とにかくそっちが怪しい! ヒューは絶対無実だから! 調べる必要なし! 疑いや証拠があっても味方なら全スルー(意訳)!」みたいな返答をするキャラクターだったら、それは違うっていうね!
あのシーンは、セリウスがヒューを信じながらも拘束する決断を下すからこそイイ!
後日開かれた裁判では敵に完全勝利するし。
うん。だから今回も、原作のセリウスと同じで、疑わしい人間を――それがたとえ自分の護衛の騎士たちにかかっているものであっても――兄なら、放置はできないって言う、はず、だと……?
ええい、催促してみよう!
「あに……」
「セリウス殿下! 我々は王家、ひいては殿下に忠誠を誓っております。我々の中に不届き者など決して……!」
催促しかけたら、護衛の騎士の一人の訴えと見事に被った。
兄の騎士たちのほうを見ると、賛同している人間が多数の模様。
クリフォードが苦し紛れに嘘の証言をしている、とでも思っているのか、我慢ならないという様子でクリフォードを睨んでいる騎士もいる。
予想外だったのは、ネイサン。私の独断と偏見では、彼こそさっきの騎士のセリフを率先して言いそうなイメージだった。ところが、クリフォードが試合に勝った時はすっきり――霧が晴れたような顔をしていたのに、一転、考え込んでいる。
兄のもう一人の腹心、ヒューは、表情を崩すことなく沈黙していて、賛同なのかそうじゃないのか不明。どちらにせよ、兄の意に沿う働きをするのが原作でのヒューという人物なんだけど。
「クリフォード・アルダートン」
「!」
バッと視線を兄へ戻す。
ようやく口を開いた兄が呼びかけたのは、クリフォードだった。
「お前の発言に、嘘偽りはないと、天空神に盟えるか」
この、天空神に盟うっていうのは決まりきった文言で、主に神に対するもの。主君と臣下との間でかわす誓いとはちょっと性質が違う。盟えば当然『私は嘘偽りを申していません』ってことになる。
待てよ? 兄がクリフォードに質問した意図を考えると、盟いは、効果的かも。
「いいえ。それでは足りません」
私は話に割って入った。
「足りない?」
「悲しいことですけれど、兄上はクリフォードを疑っていらっしゃいます。ですから、その言葉にも疑いを持ってしまうのでしょう? ……兄上の騎士たちも。たとえ、クリフォードが天空神に盟ったとしても、それが変わるとは思えませんわ」
だから、盟いは盟いでも。
「クリフォードには、天空神ではなく、わたくしに盟わせましょう。これで、クリフォードの証言は、わたくしが口にしたも同然のものとなります」
天空神に盟う以外に、天空神の部分を置き換えて、個人に盟う場合がある。
こっちのほうが盟いとしては重い。
何故なら、本来は神へ盟うもの。一方通行では成り立たず、盟われるほうにこそリスクがある。神にかわり、盟いを受け取る――盟われる側も、同様の責任を負うってこと。
今回で言うと、クリフォードが天空神に盟って発言したことが嘘だった場合は、クリフォードが処罰を受ける。
私に盟って、嘘だった場合は、私も連帯責任で罰を受ける。
ただし、盟いが成立した時点で、クリフォードの発言にも重みが増す。クリフォードの証言=私の証言扱いになる仕組み。
クリフォードが証言者として怪しいっていうなら、私が後ろ盾になってそれを払拭すればいいだけのこと! 王女の私は、後ろ盾として最適!
王女の証言扱いとなれば、権力が付加されて信憑性もますってもんでしょ!
「……本気か? 偽証だった場合は、お前にもその咎が行くんだぞ」
少し、兄の声には怒気のようなものが混じっていた。
いや、でもこれ、原作のセリウスの真似だし!
でっちあげの証拠で捕まった後、容疑者なんだけどヒューが証言に立つことになったとき、不倫貴族派から証言者としては不適格だって猛抗議を受けるんだよね。で、セリウスはヒューに第一王子である自分への盟いを立てさせることでそこを切り抜ける。
ヒューの飾り房エピソードと呼応するシーンでもある。
「兄上も、もし疑われたのがヒューなら、同じことをなさるはずです」
まあね、原作だとセリウスも側近の一部に怒られてだけどね!
敵の目論見通りヒューが犯人として刑に処せられていたら、セリウスもその罪を負うことになっていたって。セリウスに盟わせたのは、万が一のことを考えれば軽率だったっていう意見。
でも、ヒューは嘘なんて言わないし、犯人でもないってヒューを信じていたから、セリウスは正攻法で臣下を援護した。
私もそれを採用!
「――クリフォード! ここへ!」
呼ぶと、クリフォードは身軽に舞台から飛び降りた。舞台は地面より高めに作られていて、私だったら飛び越えるのは百パーセント無理な囲いがあるんだけど――槍を手にしたまま、特にバランスを崩すこともなく着地し、私の前まで来る。
盟いのために呼んだんだけど、そのせいか、クリフォードの行動が止められることはない。
「オクタヴィア、お前へ盟わせる必要はない。そこまでは俺も望まない」
だけど、兄から私への静止の声はあがった。
「天空神に盟いましょうか?」
加えて、クリフォードにも尋ねられる。うーん……。
「クリフォードは天空神に盟いたいの?」
「……そういうわけではありませんが」
一応再考してみる。でも結論は同じだった。
天空神の盟い、個人版のデメリットって、盟う人間が嘘をついていたときだけなんだよね。
「それなら、わたくしの答えは『いいえ』よ」
『黒扇』を閉じて、スタンバイ!
「準舞踏会の前夜、金糸の飾り房をつけた護衛の騎士――兄上の護衛の騎士を目撃した。その言葉に偽りがないなら――クリフォード、天空神ではなく、わたくしに盟いを」
言い切ってクリフォードを見上げると、濃い青い瞳が真っ直ぐに私を見下ろしていた。
「御意に」
頷いたクリフォードから、盟いの言葉が紡がれる。
「――天空神ではなく、オクタヴィア殿下に盟いを」
天空神への盟いは、盟いの言葉と共に武器を手放して捧げることで成立する。力を手放し、その庇護に入るっていう比喩。
個人版の場合は、盟う者が盟われる者に自分の武器を渡して、一緒に持つ、になる。
双方、必ず左手を出しあって、互いだけで持ち合う。
利き手は右手なのが一般的だから、扱うのには苦労が多い左手で――神に委ねるのよりも困難が伴うぞって意味がある。左利き、両利きの人のことやその他のレアケースは完全スルーされている模様。
ええっと……盟われる側から左手を差し出すんだっけ。武器を渡してもらう、と。
はい!
右手に閉じた『黒扇』を持ちながら、左手を胸の前に出した。
盟いに則れば、いまクリフォードが持っている武器は穂先が潰れている槍なので、槍を一緒に持てばOKのはず!
私の左手の包帯に目にしたクリフォードの視線が、少し揺れた、気がする。
腹が立つって言ってた、あのときの怒りを思い出したとか……? わ、和解! 和解したよね私たち!
「――殿下は左手に怪我をしていらっしゃいますので、お気をつけください」
クリフォードが、左手で持った槍を私のほうへ近づけた。
槍の持ち手を握ってみる。
……うん。全然重くない。紙以下ですね! 気をつけるも何もなかった。
あくまでも槍を持っているのはクリフォードで、私は握るという体で実質槍に触れているだけだ。
これはどうなのか……。
私も重みを感じるべきじゃあ?
抗議の視線を送ると、クリフォードはちょっと困ったような感じに微妙に表情を変えた。私の要求は伝わっているっぽい。でもやっぱり紙以下の重みな金属製の槍。
――と。
「……充分だ。オクタヴィア、クリフォード・アルダートンの証言は、お前の言葉と等しい。俺だけではない。この場にいる全員が、そう理解した」
自分の騎士たちにも言い聞かせるかのような兄の声が響いた。
心の中でガッツポーズ!
「では、その上で兄上、わたくしの質問にお答えください。まだ答えをいただいておりませんわ。新たな疑わしき者を放置できるか、否か」
今度は、即答が来た。
「もちろん、疑わしき者を放置するわけにはいかない」
と、いうことは!
「証言が出た以上、無視はできないだろう。……そもそもは、俺が言ったことだ」
ん? 兄が言ったこと?
思い返してみる。いつ――あ、私の部屋でのことか。
『その証言の信憑性は? それに、らしき男、なのでしょう? 護衛の騎士はみな同じ制服です。クリフォードと決まったわけでは――』
『違うという確証もない。証言が出た以上、無視はできない。お前は疑わしき者を放置できるか? 俺には不可能だ』
うん、言ってた言ってた。
なのに、クリフォードの証言は無視! なんて決定したら、特大ブーメランになって兄に跳ね返ってくるやつ。
確か続きが……。
「少なくとも、潔白だとわかるまでは監視下におく、とも」
「ああ」
「兄上の騎士たちにも、クリフォードと同様の措置を?」
兄が頷く。
「取る」
「!」
何だかトントン拍子にいきそうな予感!
予感は予感であって、外れるためにあるって忘れてたよね。
はあ。『黒扇』で口元を隠しながら、深いため息を一つ。
すかさず、声がかかった。
「オクタヴィア殿下。お加減でも?」
「体調はとても良いわ」
ヒューからの問いかけに、王女スマイルで私は答えた。
……ヒューからの。
兄の護衛の騎士で、兄からの信頼も厚いヒュー・ロバーツからの。
ここ重要!
実際、体調は良い。
夜中に動き回ったわりに朝はいつも通りに起きれたし、朝食の卵料理――前世でいうふわふわとろとろのチーズオムレツ――も美味しくいただきました!
平熱だし、城お抱えの医師の診察も受けて左手の包帯も巻き直され、問題なしのお墨付きをもらった。
ただし。
深夜の鍛錬場で起こった兄との攻防を経て、一夜明けた現在。
ヒュー・ロバーツが私の護衛に就いております……!
こうなったのは、相反する二つの証言のせい。
シル様の馬車に細工をした人物として、兄が疑いをかけているのはクリフォード。ある証言者によると、その人物は護衛の騎士の制服姿で、クリフォードに似ていたそう。
対し、クリフォードの証言によると、クリフォードも夜分、件の馬車付近で人影を目撃している。兄付きの護衛の騎士である証。金糸の飾り房を剣につけた人物を。
どちらのケースでも、暴走事故の起きる前夜に、護衛の騎士が目撃されている。
違いは、所属。
私の護衛の騎士――クリフォード。
兄の護衛の騎士の――誰か。
あの後、推理小説でいう、アリバイ確認が兄の護衛の騎士全員に行われることに決まった。
アリバイ有、シロ確定の人物は、通常任務に。
アリバイ無の騎士は、クリフォード同様、監視下におかれる。任務からも外れる。
ここまではトントン拍子。私も納得。
そこから、クリフォードの解放を狙って、護衛の騎士がいないなんて身の安全に不安を感じます路線で私は兄に強く訴えた。
……のが、裏目に出た。
『いいだろう。お前にしばらくヒューをつけよう』
いいだろう、の意味が違う。
ヒューは、兄の護衛の騎士の中で、あの場で確実にアリバイがあると確認できた一人。裏付けもとれている。
原作の立ち位置からして、ヒューがシル様の馬車に細工をした犯人のはずがないんだけど。あと、ネイサンもかな。
ただし、犯人ではないにしても、兄の腹心である点は変わらない。
下手な行動をすれば、兄へ筒抜けになりそうな予感がするんだよね……。
気が、気が抜けない……!
何より、慣れない。クリフォードが控えているのが日常の一部と化していたんだなあって実感した。変な感じがする。
シル様への面会も、今後のクリフォードへの自由な面会も、書庫の出入りも、予定にあった城下視察の件も却下だったし……。
心の中でぶんぶんと首を振る。
いや、良い点に目を向けよう!
昨夜、兄と対峙したおかげで、改善点はあるにはあった!
まず、私の行動範囲がちょびっとだけ広がった。
自分の部屋以外に、庭園散策ができるようになった! 来客者に見せびらかすための庭園じゃなくて、規模的には小さい庭園の一つ。エドガー様を見掛けて、真夜中の庭園散歩にしゃれこみたいって思った場所。
こっちの庭園のほうで要望したら、通った!
やっぱりずーっと室内に閉じこもっていると気が滅入るしね。
城の敷地内でも、外に出て空気は吸わないと!
というわけで、思いっきり深呼吸してみる。
本日は絶好の散歩日和。
私はさっそく唯一勝ち取った散歩の権利を満喫している。
庭園の中央部までやってきていた。
手入れは行き届いていて、白い花――リーシュランがささくれだった私の心に癒やしを与えてくれる。しかもこの花、香りも良い。ほのかで上品。
庭園効果は抜群だった。心なしか、頭の働きも良くなった気が!
いまなら名案が思いつくかも!
たとえば――うーん……。
いっそヒューを味方に引き込むとか!
改善点その二、ヒューを通して、兄とは以前より楽に連絡を取れるようになると思われる。
後ろを振り返り、控えているヒューの姿を視界に入れる。
私が原作通りのオクタヴィアだったら、ヒューとは友好関係を築けていたはず。
いまからでも遅くはない……?
正直、現実のヒューの人物像は、兄の腹心ってことしかわからない。顔も名前も知っているし、生活する上での行動範囲は重なっているものの、それだけ。
ヒューに警戒されない、自然な会話の糸口を……。あ。
「ヒュー。あなた、その金糸の飾り房はどうしたの?」
「セリウス殿下から下賜されたものです」
「それはわたくしも知っているわ。本来は、もっと長いものでしょう?」
なのに短い!
「何故、このような問いをなさるのですか」
「……違和感があったから、かしら」
原作ヒューが超超超大切にしている金糸の飾り房が短くなってるんだよ?
でも、反応からして、会話の糸口としては失敗した感が。
「――答えるかわりに、私から殿下へ質問してもよろしいでしょうか」
意外にも、一拍、間をおいて、ヒューはそんなことを口にした。
「わたくしに答えられる質問なら」
何でもってのは無理だから!
「もしもの話です。たとえば、殿下が国王陛下に二つの命令を下されたとします。しかし、その二つの命令は対立しています。殿下は、二つの命令のうち、どちらか一つの命令に従わなければなりません。殿下なら、どうやって遂行する命令を選ばれますか?」
「……命令の内容は?」
「内容自体は問題ではありません。対立する命令であれば、どんなものでも。殿下ご自身に即してお考えください」
私が父上から、正反対の命令を受けたとして……?
内容は――パッと思い浮かんだのが、政略結婚しなさい! と、恋愛結婚しなさい! の二択だった。例としてはこんなのでも良いのかな。で、どっちの命令にするか、と。
「わたくしなら、従いたいほうの命令を選ぶわ」
恋愛結婚を選ぶ!
「従いたいほう」
呟いたヒューが、目を伏せる。
「……そのような考え方も、あるのかもしれません」
てことは、ヒューの基準は異なるってことか。
「参考になれば嬉しいわ」
質問が意味不明過ぎて、ヒューの参考になった気は全然しないけど!
「次は、私が殿下にお答えする番ですね」
言いながら、ヒューは腰に佩いた剣の柄を掴んだ。金糸の飾り房を手のひらにのせる。
「これは、私の不手際の結果にすぎません。数日前の任務遂行中のことです。捕らえはしましたが、敵に遅れを取り、飾り房が切られました。自分の未熟さゆえのことですので、戒めとしてこのままにしています。それがオクタヴィア殿下には見苦しくうつられたようです。お詫び申し上げます」
台本でも用意していたような答えを述べて、騎士のお手本のような動作で頭を垂れる――も、ヒューは数秒もおかずに顔をあげた。
柄に触れたままある方向を振り返る。
ほぼ同時に、ヒューが振り返った方向から人影が現れた。
手はすぐに剣の柄から離れ、かわりにヒューは現れた人物に対して頭を垂れた。
父上の次に偉い人だしね。
摘んだばかりのリーシュランの花を抱えたその人が、眼鏡越しに焦げ茶色の瞳で私とヒューの姿を認めて、軽く目を見開く。
「オクタヴィアに……ヒュー? 珍しい組み合わせだね」
エドガー様は、そう言うと微笑んだ。




