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じゃあ、兄の気が変わらないうちに、さっそく行くしかない!
軽食と飲み物は戻ってからいただくことに急遽変更。サーシャを呼んで身だしなみをチェックしてもらい、整えた普段着用のドレスと手には黒扇というスタイルが完成した。
いざクリフォードへ会いに出発!
そのままサーシャに見送られ、兄と――廊下で待機していた兄の護衛の騎士二人と共に移動を始める。
――真夜中の王城内を。
私と兄が並び、両側左右の背後には護衛の騎士が一人ずつ付き従う形で歩いているんだけど、広げた黒扇を隠れ蓑に、私は無駄にキョロキョロしていた。
こんな感じなのかあ……。
いつもだったら就寝用のドレスに着替えてとっくに寝台に入っている時間帯。朝まで部屋から出ない。
……実際眠っているかはともかく。
城の書庫から借りたり、シシィに翻訳してもらった本を寝台でゴロゴロしながら遅くまで読んでいたりするので!
うっかり朝方近くまで読書に没頭! なんてこともざらです!
要するに、たとえ真夜中でも寝室でバッチリ起きていたりするものの、出歩いたりはしない。だから見慣れた城なのに目新しい感じがする。
ある種、貴重な体験かも。夜遅くの王城散歩も不可能ではないにしろ、日中にするのとでは勝手が違うしなあ。
年に一度城で開催される舞踏会のときなんかは、この時間でも自由に動き回れる。ただあれは夜から朝方までずっと人で賑わっているし、お祭りみたいなもので普段とは城の雰囲気もがらりと変わる。
――通常時の真夜中の王城は、大変風情があった。
現在進んでいるのは大回廊みたいに主に貴人用の通路。城内内側に面している窓の鎧戸は、舞踏会が開かれているときとは違って閉じられていない。窓から月明かりに照らされた景色が楽しめる仕様。静寂と幻想の空間!
……悪く言えば、幽霊が出そうだけど。うん。
そんなことを考えて歩いていると、窓の外に城にある庭園の一つが見えた。
結構こぢんまりしているけど、穴場スポットなやつ。密かなお気に入り。
リーシュランという白い花がたくさん咲いている。月明かりも相まって、あそこまで行って真夜中の庭園散歩としゃれこみたくなってくるほど。
もちろん、そんな場合じゃな――。
「!」
私はぎょっとして立ち止まった。
「オクタヴィア?」
気づいた兄に呼びかけられ、慌てて首を振る。
「いえ……」
窓の向こうを再度確認。……あ、もういないや。
庭園に目を馳せながら歩いていたら、リーシュランの中にぼうっと立つ人影が! ひ、幽霊っ? とすくみ上がったわけだけど、よく見たらたぶんエドガー様でした……!
父上の伴侶で、わたしの育ての母(男)の。
エドガー様ってわりとフットワークが軽いから、私がしたくなったみたいに深夜の庭園散歩中だったとか? 元商人のエドガー様は、庶民感覚って意味では私と近いと思うんだよね! 庭園のチョイスも一緒かもしれない。
ただし、移動してしまったのか、ここからはエドガー様の姿は確認できない。
……見間違いだった?
「エドガー様が……」
いたような?
「――エドガー様?」
繰り返した兄は不審げにこっちを見ている。
庭園にエドガー様がいた、と言おうものなら突っ込みの嵐になりそうな気配がビシバシと! というのも、エドガー様も普通は深夜に出歩いたりしないはず。
とはいえ、私としては深夜の息抜き散歩だと考えれば有りだなって気がする。父上も許可を出してそう。
が! ここで主張するのはやぶ蛇。何を隠そう、私もチラッと見えただけなんで、エドガー様だったか、百パーセントかというと、ちょっと自信がない。
空気を読んだ!
「……何でもありませんわ」
「…………」
兄が眉間に皺を寄せる。う。重苦しい沈黙が落ちた。
それとなーく、黒扇でカモフラージュしながら兄の様子を窺う。
依然として眉間に皺を寄せてはいるものの、比類なく整った顔に特別苦痛の色はない。
思い出されるのは、兄が私の日記帳を拾ったときのこと。
……あれは一時的なもの、だったんだよね。
自室を出るまでの間、もう一度体調を尋ねたんだけど、やっぱり「平気だ」って返答が来て、それ以上は突っ込むわけにもいかず――いまに至る。
「…………」
「…………」
――ていうか、誰か!
この重苦しい沈黙をどうにかして欲しい!
果たして、救世主はやって来た!
硬質な半長靴による足音と共に。
「セリウス殿下!」
「……ヒュー?」
兄が、「何故お前が?」という表情で、走ってきた黒髪の騎士――ヒュー・ロバーツを振り返った。
――ヒュー・ロバーツは、兄の護衛の騎士の一人。
私の護衛の騎士はクリフォードだけだけど、父上や兄、アレクは複数の護衛の騎士を抱えている。当然、エドガー様も。……私以外はって言うと正確かも。
ちなみに、私――王女の護衛の騎士が一人なのは、過去、何十人といた時代の反動らしい。何でも一時は国王に仕える人数よりも多かったとか。極端過ぎる。中間があってもいいんだよ!
それはさておき、ヒューについて。
何故私がヒュー……兄の護衛の騎士のフルネームを覚えているかというと、私と違って兄の場合は騎士がポンポン替わらないから必然的に記憶される、ということに加えて――ヒューが原作小説『高潔の王』でセリウスの信頼厚い人物として結構登場していたから! いわば兄の腹心。家臣であり友人でもあるというポジション。
原作小説での登場キャラ。メインよりのサブって感じかな。
主に、一巻での出番が多い。
主君である兄と、シル様が仲を深めていくのを見守っているうちにシル様に惹かれてしまうというのがヒュー・ロバーツの役どころ。
ただし、シル様に気持ちを告げることはせずセリウスへの忠誠をとり、二人の良き相談役であり仲介役であり、どんなときも味方で在り続ける。
ポジション的に、原作での妹ちゃん――オクタヴィアに役どころが近く、オクタヴィアには兄のように慕われ、作中のシスコンの入ったセリウスに面白くない顔をされる一幕も。
妹ちゃんってもしかしてヒューが好きなの? BL小説だけどヒューは失恋を癒してオクタヴィアとくっつく展開っ? と読者の間では賛否両論な予想もされていた。
……現実での私とヒューの関係?
ふ。私と兄の仲が原作と違っている時点で推して知るべし!
筋金入りの兄派であり、シル様派であるヒューにとって、私は二人の邪魔をする眼の上のたんこぶ的な何かなんじゃないかな!
でも、と、つと思い直す。
――デレクが意外と話せたみたいに、もんのすっごく低い確率で、もしかして私が先入観で見ている可能性も……?
正確な年は失念したけど、二十代前半ぐらいで独身、下級貴族の出ながら兄の護衛の騎士に抜擢され、原作では優しいお兄さんキャラとして描かれていた。
短髪の色と同じく瞳の色も黒。身近な家臣として兄が信頼している二強の片割れ。
護衛の騎士としての警護以外の仕事も、よく任されている。
あとは原作での印象的なエピソードは……剣の飾り房かな? ヒューの護衛の騎士就任時、セリウスから下賜された金糸を束ねた飾り房をヒューは大切にしていて、シル様が感銘を受けるっていう……。
で、そんなヒューが、現在、穏やかならざる表情で兄に何やら報告していた。
声は充分聞こえる。なのに、内容はさっぱりだった。原作でもあったけど、たぶん、兄たちが内密の話をしたいときの暗号会話がなされている。
しかし! ここで役に立つのが原作の小説知識!
シル様が古代エスフィア語を勉強するおまけエピソードで、この暗号会話は、古代エスフィア語のアレンジだと種明かしがされていた。
聞き耳を立ててみる。
「××●●△?」
「――■×○▲△×」
私の片言習得程度の古代エスフィア語レベルでは太刀打ち不可能……! ついでに、どんなアレンジかとか、規則性とかは知らないんだった……!
……私は早々に諦めた。
できることは、会話が終わるのを待つぐらい。
うーん……でも。
響きがかなり改編されてたけど、クリフォードらしき名前が何度か出てきた?
あとは、動作からして、「これは私の失態です」みたいな風にヒューが兄に謝った。
問題発生、的な雰囲気なのに、話に入っていけないのが返す返す無念。
じーっと二人を見つめるしかない。
――あ。
視界に映る兄とヒュー。何か違和感があるなーと思ったら、ヒューだ。
ヒューが腰に帯いている長剣。
その柄から垂れる金糸の飾り房は、原作同様、現実でも兄からヒューへ就任時に下賜されたもの。それが、ぶつ切りにされたみたいに、中途半端な長さだった。
内心で首を傾げる。
――飾り房って、こんな短いデザインだったっけ?
もともと付き従っていた兄の護衛の騎士二人を顧みる。
いきなりだったからか、二人は驚いた様子で見返してきた。
それには王女スマイルで応えて、すかさず彼らの剣の飾り房をチェック!
ヒューの剣の飾り房は、兄が自身の護衛の騎士に下賜するようになった飾り房の原型にもなっている。だから、この二人の持つ飾り房とデザインはほぼ同一だし、本来の長さも一緒のはず。
……二人の剣の柄から垂れている飾り房の長さは、ヒューのものと比べると、ゆうに二倍はあった。
やっぱり、ヒューの飾り房が異様に短いんだ。てことは、切れた?
戦闘で飾り房が切られたのかも? と思ったけど――兄たちに向き直る。ヒューの護衛の騎士としての身だしなみは完璧。汚れとか破れたりとかはない。
――と、私が飾り房を気にしているうちに、兄とヒューの会話は終わっていた。
話していたのはごく短い間で、
「わかった」
兄が険しい顔でヒューに向かって頷いた。
「俺は先に行く。ヒュー、お前は残れ。オクタヴィアを頼む」
「お任せ下さい」
ヒューが兄に頭を垂れる。
先にいく?
「……兄上?」
私が思わず声をあげると、兄は手早く応えた。
「オクタヴィア。少々事態に動きがあった。ヒューが一時的にお前の護衛をする。お前はヒューと来てくれ」
言うが早いか、兄はさっと身を翻した。
呼び止めようと私が兄上の「あ」を口にした段階で、兄の姿はすでに遠ざかっていた。私と兄、それぞれの背後に付き従っていた護衛の騎士が兄の後を追う。
残されたのは、私とヒュー。
せ、説明を求む……!
私はヒューを見やった。
「ヒュー・ロバーツ。これはどういうことかしら」
「セリウス殿下にかわり、私がオクタヴィア殿下をクリフォード・アルダートンの元へお連れします」
「兄上は先にクリフォードのところへ行ったのよね?」
ヒューが顎を引くことで肯定した。
「事態に動きがあったというのは、具体的には? 何故兄上が先に行く必要があるの?」
「……クリフォード・アルダートンの謹慎場所に関して、変更が生じました。そのためセリウス殿下が先に向かわれています」
クリフォードは城で謹慎中なわけで、てっきり護衛の騎士用の区画にある、クリフォードの部屋にいるものだと……。変更ってことは、そこから移動?
「――どこへ?」
「…………」
ヒューが黙秘権を発動したので、私も負けじと食い下がる。
「どこへ?」
「…………鍛錬場です」
渋々と、ヒューが答えた。
「そう……」
パシン、と黒扇を閉じる。
謹慎中なのに鍛錬場? 真夜中に? しかも兄はそれを聞いて先に行った、と。
いい予感がまっっったく! しない……!
私は走りやすいようにドレスを少したくし上げた。
「殿……」
日中、ぐっすり眠って体力万全。全力疾走しても問題なさそうだよね。
熱が下がったばかりなのにぶり返したりしないかは不安だけど……もしそうなったとしても、ここはあえて無理を通すべき場面だ! 場所も判明したことだし、悠長にしてはいられない!
目を丸くするヒューを尻目に、兄を追いかけて私は鍛錬場へと走り出した。
「! お待ちくださいっ!」
待ちませんとも!
……すぐにヒューには追いつかれた。
明確な体力の差ってものがね! でも走り続けて、何とか鍛錬場が見えてきた。先に着いていた兄の後ろ姿が目に入る。
真夜中の鍛錬場のとある一角に、人が集まっていた。鍛錬場の中でも、主に、実技試験が行われる場所。
試合形式の対戦の際に用いられる舞台。周囲には照明がわりの松明が灯されている。
「剣を取れ! 『従』を倒したというのはやはり偽りか? クリフォード・アルダートン!」
舞台には――クリフォードと、その対面に、剣を手にした兄の護衛の騎士たちが数名。
護衛の騎士たちの内の一人、金髪の騎士が、クリフォードを挑発してるんですけど!
「ネイサン! 命じたのは監視だ。このような命令を俺は出していない!」
兄の叱責が飛んだ。
……ネイサン? あのネイサン?
「お前たちも何をしている!」
他の護衛の騎士にも、厳しい糾弾の声が飛ぶ。
「しかしセリウス殿下! ――あの実技試験の結果で、この者が『従』を圧倒できたとは思えませぬ! これはそれを証明させるためなのです! 必要なことです! 早急に!」
金髪の騎士だけが、兄へ反論した。
――その顔がはっきりと判別できる距離まで近づく。……あ、クリフォードと目が合った? もっと舞台へ寄ろうとしたところで、ヒューに腕を取られた。
「失礼。ここまでです。オクタヴィア殿下」
「離しなさい」
「いま舞台に近づかれるのは危険です。セリウス殿下も望まれません。みな、気が立っています。近づかれるのなら、後に」
「みな? ネイサンが、でしょう?」
金髪の騎士。ネイサンのフルネームはネイサン・ホールデン。
私がしっかりくっきり覚えているように、原作に登場する。
原作でいうところの、兄からの信頼の厚い部下の二強。一人はヒュー。
そしてもう一人がこのネイサンなのである……!
サラリとした金髪に紫色の瞳という、一見貴公子っぽい見た目ながら、『高潔の王』読者の間では、脳筋と呼ばれ一部の読者に愛されし男……!
主君の敵は俺の敵! 主君の味方は俺の味方! 主君の愛する者も警護対象!
――という、竹を割ったような性格。裏表もない。それでいて、主君の心の機微に聡かったりもする。そんなところを兄にも高く買われている……んだけど。
頭より先に本能……身体が動くタイプなんだよね。
兄の想像の範疇を超える行動を取ることもしばしばで、忠実だからこそ兄の命令をきかないこともある。原作ではそんなネイサンをあえてセリウスは許している節があった。
護衛の騎士なのにそんなんでいいのか! と読者としては思ったこともあれど、結局は、ネイサンだし! で納得できてしまう人物。
しかも、なんだかんだで、ネイサンはいい仕事をする。そのときだけ切り取ってみると失敗だけど、結果的には正しかったりと。
裏表がないので周りに慕われてもいる。つまり、ネイサンが先走って動いてしまった場合でも、追随する人間が多い。
で、まさにそれが形になったのがいまと見た!
あと、主君の敵は俺の敵! だから、私は当然ネイサンに敵視されております!
私がヒューと睨み合っていると、
「――オクタヴィア殿下!」
舞台上から、声が投げかけられた。この声は……ネイサン?
不要だと判断したのか、ヒューの手がすっと離れた。私も舞台に改めて目を向ける。
ネイサンの紫眼が私を見返した。
「このネイサン・ホールデン、ぜひオクタヴィア殿下にお聞きしたい!」




