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「よく眠っていたな」


 頬杖をついた体勢はほとんどそのままに、膝に置いてある書類のチェック――寝ぼけ眼で聞いた、ページをめくる音ってたぶんこれだ――を止めた兄が、二声目を発した。


 どうやら、会いたいと要望を出した結果、兄のほうから来てくれた?

 ――父上のときもそうだったけど、自分の部屋に兄がいるってことに違和感しかない! 挨拶はしたものの、夢なんじゃないかって疑いたくなる。


 私は寝台から上半身を起こした。

 慎重に視線を巡らせる。……寝る直前まで書いていた日記帳と鉛筆は小机の上で、サーシャが部屋の隅に控えている。


 最後に、視線を一点で固定。

 前世での特別書き下ろしイラストを思わせる――それでいて、三次元な兄の姿があった。


 現実だ!

 背筋をピンと伸ばす。

 まさか寝起きでの対面になるとは……!


「……兄上。起こして下されば」

「あのようなことがあった後だ。熱もあると聞いた。疲れているのだろう? 起こすのは忍びなくてな。体調はどうだ?」


 包帯を巻いた私の左手へと、兄の視線が動いた。


「ご心配ありがとうございます。怪我自体は数日で治るそうですわ。熱も、眠ったせいか下がったように思います」

「それを聞けて良かった。俺も側で起きるまで待つとお前の侍女に無理を言った甲斐があった」


 で、こうなっていると……。

 サーシャを見ると、申し訳なさそうに頭を下げた。うん。第一王子に言われちゃ逆らえないよね。仕方ない……って、私、兄と普通に会話してる!

 父上の話から、もっとこう、怒り心頭状態を想像していたんだけど……逆、のような。喧嘩腰とかでもない? 


「お前の侍女には、下がって良いと言ったのだが……」

「わたくしは眠っていましたし、本来は兄であってもみだりに寝室に立ち入るべきではありませんもの。節度は守るべきとサーシャは考えたのでしょう」


 通常時ならともかく、ここが私の寝室だからか、兄も自分の護衛の騎士は入れなかったようだし――たぶん隣室で待機しているのかな――サーシャまで下がったら寝室に私と兄が二人になる。まあ、だからといって、まかり間違っても何も起こらないけどね!


「節度か……。確かに。王族同士を和解のために二人きりにした結果、殺し合いになった過去の例もある」

「……殺し合いですか?」


 私はちょっと眉を顰めた。

 王家の歴史を紐解けば、家族内でいろいろあった……物騒な事例も出てくるけど、


「わたくしと兄上に限っては、そのようなことはありえませんわ」


 笑い飛ばす――のははしたないから、にっこり微笑んだ。いくら仲良し兄妹じゃないからって、これに関しては心配するだけ無駄ってやつ! 太鼓判を押せる!


「……そうだな」


 目を細め、直後、肘掛けに片肘を預けていた兄が立ち上がった。

 持っていた書類を私に差し出す。


「先ほど俺の元に届いたものだ。お前が目を覚ますまでの間、目を通していた。レディントン伯爵主催の準舞踏会中に起こった襲撃事件に関してまとめてある」

「……わたくしが読んでも?」

「ああ。そのままで読んでくれて構わない。お前は怪我人だ。楽な姿勢のほうが良い。だが、侍女は下げてくれ。――おそらくは、込み入った話になる」


 寝台で読んでいいっていうのは兄の言葉に甘えるとして、


「……わかりました。サーシャ」


 私はサーシャを呼んだ。


「……殿下」


 どこか心配そうにサーシャが返事をする。私は笑顔を向けた。


「大丈夫よ。下がってちょうだい。兄上とのお話が終わったら、軽い食べ物とお茶を出してくれると嬉しいわ」

「――畏まりました」


 侍女の鑑! みたいなお辞儀をし、サーシャが退出する。


 兄が再び椅子へ腰掛け、足を組んだ。

 注がれる兄の視線を感じながら、書類を両手で持って、一枚一枚、びっしりと書き込まれているエスフィア文字を追う。

 ……正式なものじゃなくて、手早く伝えることを重視した報告書って感じかな。


 まず、シル様の馬車の暴走事故のことから始まって、庭園での襲撃や、『空の間』で起こったことが時系列順に事細かに書かれている。

 私にとっての新発見もあった。シル様は『従』のリーダー格の男に薬のようなものを打たれて気絶したらしい。あ、あと、「バークスちゃん」呼びの人! 準舞踏会で私が踊ったりもした赤毛の青年の名前は、ステイン。報告者の一人として名前があがっていた。


 シル様に薬か……。原作では、薬の投与で覚醒シル様になった、みたいな描写はなかったんだけどなあ……。シル様と『従』がどんな話をしたのか、とかも書いてあればいいのに、残念ながら記載はない。


 でも……。


『我が、「主」、よ……、何故』


 暴走が止まった、と思った後に、シル様?が呟いた言葉。


 ――シル様が、『従』ってことは、あり得るのかな。覚醒シル様のあの強さも、『従』だったから、で説明がつくといえばつくし……。

 ただそうなると、『従』なのに、同じ『従』から狙われてるってことになるよね?


 この辺、あの『従』のリーダー格の男に訊きたいところだけど、捕まえた曲者や『従』への取り調べ状況については何も書かれていなかった。書けるところまでいっていない――まだまだ取り調べ真っ最中ってところなんだろうな。


 書類を読み終えたら後ろに回す、を繰り返す。

 そうして、一枚目に戻ってきた。


「……相違はないか?」


 見計らったかのように、口を開いた兄の声が、室内に響く。

 私は書類から顔をあげた。

 兄を見、頷く。


「ええ。間違いありません」


 変な歪曲もなく、少なくとも、私が体験したことに関しては事実が書いてある。クリフォードの活躍なんかも。

 ちなみに私が『空の間』に行ったところからの報告者は専らデレクになっていた。


 おじ様が到着してからは、おじ様の証言が加わる。王冠の発見のくだりはもちろん、おじ様が曲者たちを捕まえるにあたり、準舞踏会前や開催中に実行していた裏方作業についてとか。ローザ様の役割とか。


 ルストがローザ様の下で働いていて、私たちを『空の間』まで道案内をしたこととか。ルストの道案内については、偶然知った情報から、となっていた。


 …………語弊があった。ここについては事実じゃないかもしれない。


「――ならば、お前の行動に疑問がある」


 ごくりと唾を飲み込む。

 な、何だろう。というか、どれだろう。心当たりが幾つか。兄からしたら、私が準舞踏会にシル様と一緒に行ったのだって何故って感じだろうし。


「『空の間』で、お前がシルに対して為したことだ」


 あれか……!

 報告書には、暴走中の覚醒シル様に私がやったこともバッチリ書かれていた。主にデレクからの聞き取り。

 でも、シル様からのものは報告書に含まれてなかったんだよね。


「……兄上。シル様は目を覚まされたのでしょうか?」

「二時間ほど前に、一度目を覚ました。いまは眠っている」

「! そうですか」


 目を覚ましたっていうのはとりあえず朗報!

 二時間前か――そういえば、いま何時だろ。

「おはようございます」って挨拶を兄と交わしたものの……。

 寝室には大きめの硝子窓がある。晴れたときはそこから日が差し込んでお昼寝日和! なんだけど、見ると鎧戸が下りていた。日が沈むとこうするんだよね。部屋のすべての燭台にも火が灯されている。……夜なんだ。


「……シル様は今回の出来事に対しては、何と?」

「――準舞踏会へ行く途中、馬車の事故に遭い、その際に偶然会ったお前の馬車に同乗し、『天空の楽園』へ到着した。準舞踏会中、ナイトフェロー公爵に請われ、曲者を捕らえるため囮として『空の間』に赴いたが、そこで何かを打たれ、意識を失ったと。シルが覚えていたのはそこまでだ」


 覚醒シル様状態のときのことは、記憶になし、かあ……。


「報告によると、『空の間』でシルは常軌を逸した状態になった。しかし、お前はそれを鎮めて見せた。自らで左手を傷つけ、その血が触れた途端、シルは大人しくなったそうだが――」


 射抜くような瞳と声音で、問われた。


「……何故だ?」


 ――ど、どう答えれば?

 これって、原作だと、もっと話が進んだ段階かつ、シル様と兄の間のあれこれで判明することであって……! 

 王族?の血でどうして普段のシル様に戻るのかは以下次巻! 状態だし。

 さらにはシル様が持っている不安――実は出自がまったく不明ってことは、現時点では兄に打ち明けられていないわけで。

 しかも、シル様に『従』関連の疑惑も浮上中。


「…………」


 何も言えず固まっていると、兄はなおも質問を重ねた。


「オクタヴィア。お前は何故シルを止めることができた? ……何を、知っている?」


 追求は、止まない。

 私を見据える水色の瞳からは、誤魔化しは許されないのが、伝わってくる。


 頭の中に、――いっそ、打ち明ける? なんて考えが、ぽっと飛び出た。

 クソ忌々しい記憶と一応は向き合うことができるようになったせいかもしれない。


 じゃあ、打ち明けた場合って?

 さあ、レッツシミュレーション!


『兄上。実はわたくし、前世……日本という異世界で生き過ごしていた記憶があるのです。そしてこの世界は、前世でわたくしが読んでいた男性同士が愛し合う、BL小説というものを基に作られています。シル様と兄上はその主人公です! だからわたくしいろいろ知っているのです! 読者だったから! シル様の暴走を止めたのも、その原作知識からです!』

『! そうだったのか……!』

『わかってくださったのですね……!』


 なーんて……。

 いくわけあるかー! 

 こんな風にすんなり行くといいなあっていう単なる私の願望でした……!


 ――願望抜きで行くと、甘めでも、第一王女ご乱心! て療養の名のもとにどこかに閉じ込められるのがオチかなあ……。


 前世、という概念はエスフィアにもある。

 ただ、それを本気で信じて言い出すのは……。


 現代日本でたとえてみたってそうだと思う。

 占いコーナーで、あなたの前世チェック! なんて機械があったとする。

 ノリで調べて、「うわー。前世、虫だったよ! 人間ですらないってさー!」「私は人間だったー。ヨーロッパで大道芸人してたって!」と友達同士で笑いながら話すのはアリでも、誰かが「……あのね、私は前世で何々時代の何々階級に産まれ、これこれこういう風に生き、人生を終えたの」って真顔で語り出したら――ひくんじゃないかな! 

 話半分だからこそ受け入れられる、みたいな。

 もし真実だとしたって、それを他者に証明するすべはないもんね。


 しかも、前世話でも、まだエスフィア内でのことならいい。それか、この世界の中で完結するお話なら。

 別世界――地球の日本っていう国で、女子高生で、ここはBL小説を基にして作られましたって――創世神話全否定だし!


 天空神への冒涜だと人によっては怒りで顔を歪める内容。それで済めばいいほうで、殺意の波動を発生させる人もおそらく出てくると思われる。

 信じてもらえないのが当然。話を聞いてもらえたら、それだけでも有り難いってレベル。


 前世で原作小説を読んだから、ある程度なら起こる出来事がわかりますっていう偽りのない説明も、事実をそう述べるより、いっそ「わたくし、天空神の祝福により未来視を行えるのです……!」とか神妙な顔つきで言ったほうが、まだ! まだ! 信じてもらえる可能性が高いぐらい。


 ていうか、私の前世話を打ち明けたとして、それだけですぐに全部信じられてしまったら、そっちのが怖い。

 私も疑っちゃうから。……ああ、信じたフリをしてるだけだろうなって。

 信じてもらえるにしても――何かの段階を経てじゃないと、こっちとしても構えずにはいられないっていうか。

 信じて欲しいけど、相手側からもある程度の猜疑心も欲しいというか……。

 だって、私が打ち明けられる立場だったら、とても信じられないと思うんだよね。


 ――とにかく!


 とりあえず打ち明けてみようって試すのは、非常に危険。

 失敗したら取り返しがつかないって意味で!


 実行するなら、石橋を叩いて渡るぐらいの気持ちじゃないと。

 ……兄に打ち明けるのはナシかな。


 打ち明けずに、私が覚醒シル様へ対処できた理由をどう説明する?

 とても誤魔化せる雰囲気じゃないけど……ぐ、偶然……。お、思いつきで押し通す――。

 厳しい。偶然にしては、じゃあなんで血を? ということになるし、思いつきにしてみても、なんでそんな方法をってなるはず。

 シル様の出生の謎についても、私の口からじゃなくて、シル様自身から兄に伝えるべきだと思うし……。


「――オクタヴィア」


 兄から呼びかけられた。


 こ、答えなければ。


 前世を真面目に語るより、天空神にかこつける、の方向で「空からのお告げですわ」ってはぐらかす? 

 ――でも、ここで嘘はつきたくない。

 できるだけ、私の言える範囲でってなると――。


「……時が、解決するはずです」


 原作進行まで現実が追いつけば、シル様が出生のことを兄に打ち明ける。そうなれば、今回のことが起こった以上、兄もいろいろ感づくと思うんだよね。そして、シル様の覚醒、暴走状態についても、二人で解明する……という希望的観測! 


「これ以外に、わたくしから兄上へ申し上げることはありません」


 嘘じゃないので、兄の目をしっかり見返して言えた。


「……そうか。よく、わかった」


 兄が目を閉じた。息を吐くと、目を開き、言葉を紡ぐ。


「お前に言うことはなくとも、俺にはある。お前の護衛の騎士についてだ」

「クリフォードについて?」


 クリフォードの話題が出た! 渡りに舟! ここから会話を広げて、クリフォードの謹慎を解いてもらおう!


「父上からお聞きしました。わたくしが怪我をしたせいで、クリフォードの責を問う声があると」

「……もっぱら、俺がそう主張しているということもか」

「ええ。兄上、どうかクリフォードの功績を鑑みてくださいませんか? わたくしだけでなく、シル様のことも『従』から守ったのです。謹慎は解いても良いはずですわ」

「守った? あの男の守るべき対象はお前だろう。……シルが自覚なく剣を持ち、お前に刃を向けた際、お前の護衛の騎士は、シルを殺す気だったのではないか?」


 殺……。否定できないのが何とも。

 最初、クリフォードは危険要素として覚醒中の暴走シル様を排除しようとしていたわけで。


「それは、兄上もおっしゃったように、シル様がわたくしに刃を向けたからです。クリフォードがいなかったら、シル様の剣はわたくしを傷つけていました」

「では、第一王女であるお前を害そうとした罪人としてシルを処断するか? 被害者であるお前が声をあげれば可能だろう。どうする」

「そのようなつもりはありません。シル様は曲者たちに何かをされ、ああなったのでしょう。わたくしは穏便に済ませたく思います」


 原作の範囲でなら、シル様の事情は知ってるし。


「つまり、シルを糾弾せず内々に処理するかわりに、お前の騎士を解放しろと?」


 目を瞬かせてしまった。

 な、なるほど……!

 その手があったのか! この線でいける?

 あくどいけど、この際、取引って形にしちゃえば!


「それも良いかもしれません」

「――やけにクリフォード・アルダートンにこだわるのだな」

「わたくしの護衛の騎士が長続きしなかったのは兄上もご存じではありませんか。クリフォードはすでに三ヶ月もわたくしの側で働いています。得がたい人材ですわ」


 恋人を作って早期退職しない! これ大事!


「俺にも、女官長を通して『クリフォード・アルダートンと面会したい』と真っ先に訴えるほどにか」


 揶揄するかのように紡がれた兄の言葉には、続きが、あった。


「ある嫌疑がかかっていたとしても?」








 ………………嫌疑?


「オクタヴィア。お前が昨日シルと会ったのは、馬車の暴走があったからだな? そこから、シルを救出し、共に準舞踏会に出席した」

「……その通りです」

「シルの馬車の事故は、作為的なものだったと判明した。三重に細工がしてあった。一つは馬車自体、一つは御者、一つは雇われていた護衛の男。この護衛の男を見つけ出し、吐かせた。馬車に巧妙な細工を施し、御者にも薬を盛っておく。その上での保険として、男はシルの馬車を確実に暴走させるために雇われたそうだ。……しかし雇い主の顔、何者かをこの男は知らされていなかった」

「…………」


 用意周到な事前準備があってこその馬車の暴走……。でも、変。


 誰がってところが。


 準舞踏会での襲撃は二方向。一方は私狙い。一方は『従』を含んだシル様狙い。後者は、実の家族について情報をチラつかせて、シル様を準舞踏会へ誘い出した。ちゃんと読んだばかりの報告書にも記載されていた。


 それなのに、シル様が会場へ辿り着く前に、彼らが馬車を暴走させる必要ってある? むしろ、とりあえずは『天空の楽園』へ来てもらわなきゃ困るほうだよね? だから、細工があったなら、『空の間』にいた曲者たちともまた異なる人間の仕業――? 


「御者に薬を盛った者は探している最中だ。馬車に細工を施した者に関しては――クリフォード・アルダートンに嫌疑がかかっている」

「っ?」


 はああああああっ?

 驚愕のあまり、思考が停止しかけた。

 でも、そんな場合じゃない!


「あの馬車は、準舞踏会の前日と前々日、王城に停められていた。二日前の時点では整備され問題がないと確認されている。細工がされたとすれば前日だ。その間、お前の護衛の騎士らしき男が夜分、馬車付近にしばらく留まっていたという目撃証言が出ている。唯一の不審な出入りだ」

「その証言の信憑性は? それに、らしき男、なのでしょう? 護衛の騎士はみな同じ制服です。クリフォードと決まったわけでは――」

「違うという確証もない。証言が出た以上、無視はできない。お前は疑わしき者を放置できるか? 俺には不可能だ。少なくとも、潔白だとわかるまでは監視下におく」


 クリフォードが謹慎になったのって、表向きは、確かに私が怪我をしたせいってのもあるんだろうけど、兄の真意はこっちか……!


「……兄上の独断なのですね」

「父上に裁量権を与えていただいている。俺から父上へ過程を報告する義務はない。お前の騎士にかかっている嫌疑についてもだ」


 兄が、ゆったりと足を組み直した。


「馬車の細工をしたのがクリフォード・アルダートンだとすれば、こんな道筋が見えてきはしないか? お前の護衛の騎士も、曲者たちの一味か、何らかの関わりがあり、シルを狙っていたと。馬車の暴走現場に行き合い、シルを救出することになったのは誤算だった。だが、焦る必要はなかった。準舞踏会での襲撃の予定があったからだ。それも失敗が濃厚だと悟り、曲者たちを裏切った。――さも自分は味方だというかのように『従』を倒し、振る舞ってみせたのだとしたら?」

「クリフォードが曲者……あの『従』たちと面識があったのなら、どこか不自然さがあったはずです。わたくしやデレク、ナイトフェロー公爵やその部下のステインも気づきませんでしたわ」

「内密の協力者であったとすれば、面識がある必要などないだろう。不自然さがなく、お前たちが気づかないのは当然だ。加えて、シルを狙っているという点は同じでも、クリフォード・アルダートンには異なる動機があったと考えることもできる」


 だから、曲者たちが準舞踏会へシル様を呼び出したはずが、そこへ行く前の段階で馬車を暴走させる齟齬があってもおかしくないってこと?


 ――クリフォードが、曲者の一人なら。


「その道筋は、兄上の想像ではありませんか!」

「ああ、そうだ」


 特に否定することもなく、兄はあっさりと頷いた。


「だからこそ、すべてが俺の想像かどうか、確かめるべきではないか? 起点となる嫌疑がお前の護衛の騎士にかかっている以上は、だ」

「――兄上。わたくしの護衛の騎士へ、言いがかりとしか思えない嫌疑が生じていることは承知しました。ですが」


 これだけは言わせてもらう!


「クリフォードがシル様の馬車に細工をしたなど、濡れ衣です」


 だいたいね、百万歩ぐらい譲って、仮に、仮に、クリフォードが細工をしたんだとしたら、目撃されるヘマをするはずがないでしょーが! あのチートキャラが! あと失敗しないよね! 粛々と目的は確実に実行、達成するタイプだと思う! この場合達成されたら困るけど! ていうか、困るどころじゃないけど!


「お前がお前の護衛の騎士を信ずるのは構わない」


 くーっ! 絶対クリフォードが犯人だって思ってる顔だ!

 完璧超人な整った顔が整っているだけに効果倍増で鼻につく! あんなに欲しかった書き下ろし特別イラストそのものの構図なのに……!


 ハンカチを噛んでキーってやりたくなってくる。いま私、ああいう心情! いや、平常心、平常心……。心の中で、深呼吸。


 ………………えーっと、あ! 深呼吸効果が出た! 兄のペースに巻き込まれてたけど、肝心の! 本人! 嫌疑についてクリフォードの抗弁が抜けてるじゃないですか!


 きっと兄を見据える。


「――クリフォード自身は何と言っているのですか」

「何も」

「……何も?」

「答えようとしない。否定も肯定もない」


 父上によると、準舞踏会での出来事については私の許可がなければ話すことはない、で通したらしいから、その流れ?

 何としてもクリフォードに会わないと!


「では、わたくしが問います」

「……お前が?」

「クリフォードもありのままを答えてくれるでしょう」


 潔白だと!


「クリフォードと面会することをお許しください、兄上」

「…………」


 兄は、考えている様子。

 もう一押し! 


「わたくしだけでとは言いませんわ。兄上の立ち会いのもとで」


 わずかに眉を顰めた兄と目が合う。念を押すように訊かれた。


「俺がいてもお前は構わないのか?」

「ええ。もちろんです。むしろ、兄上の立ち会いはわたくしからお願いしたいほどですわ」


 クリフォードの主張を直に聞けば兄の気持ちも変わるかもしれないし! 

 自信をもって即答した。

 が、答えは返って来ず、ひたすらの沈黙が横たわった。

 み、妙な緊張感が……!


 き、気を紛らわせよう! 私の目に留まったのは、手元の書類だった。……これ、一旦小机に置いてみようかな。日記帳の上に、と。――あああ!

 もともと半分ぐらいが宙に浮いた状態だった鉛筆が落ちる――!

 と見せかけて、さっと書類は置きつつ、右手を伸ばして鉛筆を華麗にキャッチ! 


「…………」


 失敗。

 や、書類は置いて、鉛筆はキャッチしたけど、かわりに小机の日記帳を押しちゃったんだよ! 自然の法則に従い、落下。着地するまでに、日記帳が開いて、ベシャッと絨毯に……。

 左手のコントロールがいつも通りとはいかず……。


 拾おう……。


 私より先に、兄が動いた。椅子から立ち、落下した日記帳まで近寄ると、屈む。背表紙部分を掴んで持ち上げ、ひっくり返して――水色の瞳が見開かれた。

 兄の目に入っただろうものは、日本語の文章が書き込まれたページ。私以外に読めたりはしないんだけど、それを見つめ続けている。


「――兄上?」


 書き込み――日本語の文字の一つに、兄が指先を置いた。


「……懐かしいな」


 表情が、柔らかく緩む。


「子どもの頃も、お前はよくこの文字を使って――」


 突然、言葉が、途切れた。


「っ」


 顔を苦痛に歪めた兄は、こめかみを押さえるとかぶりを振った。


「兄上っ?」


 寝台から出て、駆け寄る。


「……何でもない。頭痛がしただけだ」


 こめかみから手を離し、もう片方の手に持った日記帳を兄が閉じた。

 そのまま手渡される。

 受け取った、けど。


「――どこか具合でも悪いのですか?」

「いや、平気だ」


 平気だって感じにはあんまり……。――待った。

 兄は、子ども時代の私との記憶を忘れているんだっけ。デレクによると、そう。でも、いま……?

 当時、エスフィア語が怪しく、黙々と日本語で日記を書いていた子どもの私と、打ち解けようとしていた兄のことが思い出される。

 それを、覚えてる? というより、思い出しかけて……頭痛がした、とか? 


 ふっと、兄の息が吐き出された。


「――良いだろう」

「え」


 一瞬、何が「良いだろう」なのかわからなかった。


「お前の護衛の騎士との面会だ。俺の立ち会いのもとでなら、許可しよう」


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