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玉座にあった仕掛けで現れた、隠し通路。
その入り口から、緩やかな、かなりの段数の階段を下りきると道は三方向に分れた。
どの通路も幅が広く、高さがある。一人しか通れないような細い道とは違う。
地下……『天空の楽園』の立地からして、山中に掘ってあるトンネルみたいな感じかも。モグラの穴の人工版。
大人数が通ることを想定されてる……? 軍事目的の意味合いもあったのかもしれない。
通路の壁には暗闇で光る特性を持つ石が使用されていた。白い石壁が仄かに発光し、視界を助けてくれる。これは、王城の隠し通路と同じ仕様だ。松明や角灯を持ち込まなくても進んでいける。暗いといえば暗いけど、近ければ互いの表情もわかるぐらいで、歩くのに支障はない。
にしても――。
歩きながら、ちょっと息を吸いこんでみる。
……うん。埃臭さやかび臭さがあまりない。
私も王城の隠し通路なら歩いたことがある。現役で使用されているところはともかく、放棄された区画に入り込んだときは途方に暮れたもの。アレクと一緒だったから頑張ったけど! 空気が振動するだけで堆く降り積もった埃が舞い上がり、二人で咳が止まらなくなった。
……それと比べると、ウス王時代から放置されていたにしては、この隠し通路は綺麗過ぎる。ルストがそういう――シル様へと繋がる道を進んでいるにしても。
シル様を狙う輩が使いやすようにわざわざ掃除をした?
でも、実際に歩いてみてわかることだけど、ずっと閉ざされていた場所を急いで掃除しましたって風ではないんだよね。
考えてみれば、数百年前の仕掛けが残っていたとしても、それがちゃんと問題なくいまでも作動するのって変、なんだ。
まるで、定期的に人が訪れて、今日まできちんと管理されていたかのような。
――一方通行なのに?
昔、アレクと探険した王城の隠し通路。そのとき見事に罠に引っ掛かった実体験を思い出して、中へ入る前に、念のため私はルストに尋ねてみた。
ルストは「試してみないとわからない」と答えた。
迷ったけど――時間のロスになるし――仕掛けを再度動かしてみることにした。
そして判明したのが、仕掛けには癖があるということ。
『空の間』側からは、道を開くことも閉じることも可能。両方の操作ができる。
ところが、隠し通路側からできるのは閉じることだけ。
まさに、私がかつて嵌まった扉の仕組みそのもの。
すぐそこに通ってきた扉があるのに、どうやっても開かない絶望感は半端ない。
『隠し通路に降りた後に玉座で蓋をされてしまったら、自力では戻れないようね』
『他の出入り口にたどり着ければ脱出は可能でしょう』
『他の? あなたはそれも把握しているというの?』
『すべて伝聞ですが、位置だけならば幾つかは。……もっともわかりやすく、かつ確実な出入り口は、この『空の間』の玉座ですよ。殿下』
仕掛けを動かした後、ルストと交わした会話を思い返す。
他の出入り口があるにしても、たぶん、地図があってはじめて迷わないで行ける、ぐらいのものなんだと思う。『空の間』からの入り口が使えなくなってしまったら、閉じ込められたも同然。
……シル様はどんな状況で隠し通路に入ることになったんだろう?
先導するルストの背中を見つめる。
ルストが私たちをシル様の元へ案内する、ということに関しては信じるとしても、何らかの思惑はあると考えるべき、だよね。
気を引き締めて、歩き続ける。動きやすいドレスと踵の低い靴のおかげで速度があってもついていけている。
ルストに続く二番手なのが私。クリフォードは私の右隣で、デレクが左隣。
弱点となるのは私なわけで、防御態勢を重視してこういう配置になった。背後より、進行方向からの危険性のほうがより高いと踏んでのこと。
いまのところ、隠し通路に響くのは私たちの足音のみ。
突然誰かが飛び出してくる、みたいな感じはしない。空気は冷たく、静か。
ただ、こういうことに関しては私の見方はあてにならない。
こういうときは……クリフォードの様子から判断!
右隣のクリフォードを窺ってみる。
……いつも通りだった。剣にも手はかかっていない。
誰か他の人間――もし『従』の気配を察知したなら、即動くだろうから、いまのところ危険は迫っていなそう。
とはいえ、いざというときのために指示を仰いでおいたほうが?
でも、まだ安全そうではあっても敵地にいるようなものだし、話しかけることで注意を削いだり音を出すのはなあ……。
「――どうかされましたか?」
と、薄暗い視界の中、クリフォードが顔をこちらに向けた。目が合う。
私は思いきって口を開いた。
「いま、あなたと話しても問題ないかしら? いつ曲者が現れるともしれないわ」
「問題ありません。私に話とは?」
「……わたくしがどうしていればクリフォードは戦いやすいのか、訊いておきたかったのよ。わたくしは戦えないでしょう?」
その辺の戦術指南がさっぱり! 戦闘が始まってしまえば、私は何をどうやっても足手まとい。邪魔にならないように隅っこに全力疾走しろ、とか。すべきことが予めわかっていればお荷物さ加減を軽減できると思うんだけど!
「それならば、普段の護衛時と同じように。殿下はお好きなようになさってください」
ところが、私の気負いとは裏腹に、クリフォードからは予想外の答えが返ってきた。
「……わたくしの、好きなように?」
「はい」
そ、それはどうなんだろう。
「たとえば敵にわたくしが向かっていったとしたら? あなたは困るのではない?」
そんな怖いことしないけど!
「その前に私が敵を倒します。殿下が私に合わせる必要はありません。私が殿下に合わせて戦います。ですから、お好きなように。――無論、指示を出していただければそのように」
……あ。勘が働いた。わかったかも。これってたぶん、別に無鉄砲な行動をしろってことじゃなくて……。
「わたくしが、あなたを有効に使え、と言うのね?」
小さく、クリフォードの口元が笑みを形作ったように見えた。
しかし理解したは良いものの――これって結局クリフォード頼み? と思っていたら、前のほうから声がした。
「護衛の騎士の鑑ですね。恐れ入りました。敵に『従』がいようが、護衛の騎士殿にとっては通常時と変わりはない、と」
振り返りはせず、ルストが会話に交じる。
「護衛の騎士殿は良くても、ナイトフェロー次期公爵は『従』と剣を交えることに関してどのようにお考えでしょう?」
「考えたところで、事態に変化が訪れるのか?」
質問で返したデレクに、
「確かに、バークスを狙っているのが『従』だという事実は動きませんね」
ルストが笑い交じりに締めくくった。すると考え込むように顎に左手をあてたデレクが、私を見た。真剣な顔つきで問いを口にした。
「『従』がこの一件に関わっているというのは、事実ですか?」
『空の間』で、ルストが『従』について言及したとき、デレクは疑問の声をあげ、険しい顔をしていた。だけど、これに関しては、うやむやになっていたんだよね。
「……ルストによると、そのようね。信じるも信じないも、デレク様の自由よ」
「――オクタヴィア様は、『従』の関与を?」
脳裏をちらついたのは、守りの指輪に刻まれた文様だった。あれがあるから、あり得ないと笑い飛ばすことはできなかった。
「そこの男の言葉以外にも、オクタヴィア様には『従』が関与していると信じるに足る根拠が?」
デレクが問いを重ねる。そこで、ん? と思った。
『従』がシル様を狙っているか否か、のほうに比重がおかれてる? 『従』が居るってことに対しては、そもそも最初からデレクは疑問を持ってない?
「――デレク様は、『従』について何かご存じなの?」
「サザ神教の……いえ」
言葉を紡ぎかけたデレクが思い直したように口を噤む。
サザ神教? サザ神教と『従』? ……駄目だ。原作を呼び起こしても、この二つの関連性は思い浮かばないし、オクタヴィアとしての人生で得た知識の中にも結びつくような出来事はない。
「確証が持てれば、いずれお話しします」
すごく気にはなっても、こう言われてしまえば頷くしかなかった。
――『従』、か。組み合わせでいえば、ここと『従』の繋がりも不思議なんだ。
『空の間』で、隠し通路へ続く入り口が現れたとき、どうしてって、思ったんだよね。
「『従』は、何故」
疑問は呟きとなってこぼれ出た。
「何故?」
前を行くルストが私の呟きを繰り返す。
「玉座の仕掛け、この隠し通路……。『従』は何故これらのことを知り得たのかしら?」
もしかしたら、国王である父上は知っていたかもしれない。ナイトフェロー公爵家……おじ様も。これはわかる。知っていてもおかしくはないと思う。
アレクの顔も思い浮かんだけど、かぶりを振って、思考を戻す。
でも、『従』は? 国王でもないし、長く王家と密接な関係にある公爵家でもない。
そう簡単に入手できるような情報じゃないはず。
隠し通路に人の手が入っているようなのと、関係がある?
「『従』がウス王に仕えていたからでは?」
まことしやかに語り継がれている、ある一説をルストが唱えた。
「『従』は仲間意識が強いと聞いたことがあります。情報が共有され、何らかの理由でいまの時代まで受け継がれていたならば?」
「……そうかしら? 『従』がウス王に仕え、重用されていた証拠はないわ。『従』に対してのウス王の姿勢は、その反対でしょう」
伝記のウス王物語を読み込み、歓喜した腐女子魂の赴くまま、ウス王関連の書物を読みあさった私に死角はな――あるかもしれないけど、ルストの説には同意できなかった。
『従』が仕えたって、要するにウス王が『主』だったって意味することになるんだよね。
これは、ないと思う。
ウス王は、中興の祖として讃えられる。
ただし、即位初期と、初期以外。二つの時期で、評価が正反対に分かれる王。
讃えられているのは、主に初期以外の治政。
即位初期の頃、ウス王の家臣に『従』がいて、ウス王は重用していたって俗説がある。
いわゆる伝説的な王や英雄に『従』が仕えていたっていうのは、後世でねつ造された場合がほとんど。
何もエスフィアだけのことじゃない。シシィに翻訳してもらった隣国カンギナの古い英雄譚でも、名もなき謎の『従』が登場して活躍している。
話は戻って、ウス王。
初期以外では、その戦闘能力が脅威になるって『従』の存在自体を忌避してるんだよね。こっちは、伝記だけじゃなくて、複数の記録で同様の記述がある。なので信憑性が高い。
ウス王に対する、正反対の二つの評価。
これは、新米国王だったときと、王として成長してからの違いによって生じたものだって言われているけど――。
ふと、思った。
一人が行ったことだと考えるから、変になる。
二人だったとしたら? それぞれ別人への評価だったものを、無理矢理一つにしたんだったとしたら?
誰と誰の?
――ウス王の姉だった女王と、ウス王の。
じゃあ、もし、初期に『従』を重用していたっていうのが事実だったなら、それは女王の治政でのこと。女王に『従』が仕えていたってことになる?
「――初期には『従』を重用したウス王が、ある時期を境に『従』を厭うようになったことを殿下はさしておられるようだ」
ルストの言葉に、意識が引き戻された。
「ある時期?」
「ウス王が激変したのは、アルダートン伯爵家当主に反旗を翻されてからでしょう? ……ああ、そういえば、殿下の護衛の騎士殿は、アルダートン伯爵家の方でしたか。実に面白い符号だ」
ウス王が即位してすぐに反旗を翻……ウス王物語で初っぱなの悪役として登場する人。
そうだった。あれってアルダートン伯爵?
反乱の起こりと終わりまでで全五行で終わってしまう。むしろその後の、簒奪を企んだ首謀者へ寛大なる処分で済ませたウス王賛美のほうが延々と綴られて長いやつだ……!
「過去の所業のせいで、王族の側に近く仕えるという意味では冷遇されていたアルダートン伯爵家から、殿下は何故護衛の騎士を選ばれたのですか?」
何も考えず、思考を放棄して、どれにしようかな……で。あくまで、日本の! 日本の神様に訊ねるつもりで。アルダートン……武勇に秀でた伯爵家っていうことと、実子は女子しかいないってことしか記憶してなかった……! はじめにクリフォードの名前を聞いたとき、考え続けていれば、思い出せた……かも。
アレクがクリフォードの名前を聞いて気にしていたのって、この方面?
いや、でも、今代のアルダートン伯爵やクリフォードが何かしたわけではないし!
「……わざわざ問われるようなことかしら? 時を経てアルダートン伯爵家が再び王家に仇為すとでも?」
「私のような下級貴族はともかく、驚かれた方は多いのではありませんか? ……とくに、古くからある大貴族の方々は」
古くからある大貴族……。
「――デレク様は?」
デレクが苦笑した。
「わたしですか? オクタヴィア様の護衛の騎士が、アルダートン伯爵家出身だからといって思うところはありません。過去と現在を等しいものとして断じるのはどうかと」
私と同じ意見にほっとしたのもつかの間。別の危惧が浮かんだ。
「兄上は、違うのではないかしら?」
開幕のダンスを踊ったときにデレクから得た、兄はクリフォードへ悪印象、という情報。アルダートン伯爵家の人間っていうのがマイナスに働いたのかも。
「……わたしと同じだと思いますよ。アルダートン伯爵家出身であろうと、セリウスもそのこと自体は問題視していません」
……そのこと自体は?
どこか、奥歯に物が挟まったような物言いなような?
話している間も、先へは進んでいる。分岐路を左へ曲がったときだった。
真っ先に反応を示したのはクリフォードだった。
――通路に、複数の人間が、倒れていた。
死んではいない。血も流れていない。
全部で六人。いずれも男性で、武装していた。
この中にシル様の姿はない。どころか、シル様を狙った曲者たち……だと思う。
何者かに襲われ、応戦しようとして、あっという間に倒されてしまった。そんな印象を受ける状態だった。
「……生かしているのが解せないな」
大貴族の子息なのに、クリフォードに劣らず、慣れた手つきで曲者たちを調べ終えたデレクが呟いた。意外、というか、『空の間』の偽警備をそのまま放置というわけにもいかず、武器を取り上げて動けないよう措置を取ったときもそうだった。拘束に使える道具はなかったから、彼らの着ていた制服を利用して、口の中に生地を詰め込み、手首を縛る、というもの。クリフォードを手伝ったデレクも、手慣れた様子で済ませてしまった。
ルストは、「私が不審な行動をしないとも限りません。お二人だけにお任せしたほうが殿下も安心でしょう?」と偽警備のときも、今回もこれらの作業には加わってはいない。
「襲った者が、圧倒的に強かったということではなくて?」
私の発言に、難しい顔でデレクはかぶりを振った。
「そうでしょうが、情報を引き出すわけでもないのにですか? 余計なことを喋られないためにも、確実に仕留めておくのが無難です。生かしておく利点はありません」
自分だったらそうする、と言わんばかりのデレクの主張だった。
「彼らと親しい間柄だったのなら? 命を奪うのを躊躇うこともあるかもしれないわ」
それか――。
「シル様が、この者たちを倒した可能性は?」
「命を奪っていない、という点では納得できますが……。血痕の一滴すら見つからないことから、それほど素早く、複数を相手に抵抗を許さずシルが圧倒したということになりますね」
シル様単独だと無理っぽい? 可能性はあると思ったんだけどな……。だって原作だと……。
「クリフォードは、気づいたことはあるかしら」
倒れている一人の横で、片膝をついていたクリフォードが立ち上がった。
その手には、曲者が所持していた長剣がある。それを赤い鞘からスラリと引き抜いた。模様みたいな線の入った刃がキラリと光る。
「六名全員が、ターヘン産の武器を所持しています。この剣は使い込んであります。体格からも相応の使い手たちだと思われます。にもかかわらず逃走を許すことなく、この周辺だけで全員が再起不能にされています。襲撃者は『従』ではないでしょうか」
「……『従』とは、こういった容赦をしないものだと聞いていたが」
デレクが気絶しているだけの六人を見下ろす。クリフォードが、抜いたターヘン産の剣を赤い鞘に収めた。
「――甘い『従』もいるのかもしれません」
そう返したクリフォードの顔に浮かんでいたのは、嘲笑だった。




