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 一介の兵士が、王女へ言づてを伝えに来るっていうのは、普通、ありえないこと。


 私へのあらゆる情報伝達は、主に侍女が執り行うことになっている。私が城の誰かに会いたいときや伝えたいことがあるときは、まず侍女を呼ぶし、逆の場合もしかり。誰かが私に用があるときは、侍女から、「誰々からお誘いが」という風に私に伝えられる。


 例外は、伝令兵。伝えるべき内容によっては、伝令兵が私のもとへやってくる。

 その場合、この伝令兵は固定。四十歳ぐらいで、数年は変わっていない。万が一、偽の伝令兵があらわれても惑わされないようにっていう予防策らしい。ていうか、伝令兵が来るときっていうのは、だいたいあんまり良い用件でないことのほうが多いので、来ないにこしたことはない。


 私はいまだ青ざめている兵士の顔を見た。

 日焼けした肌の色が健康そうなのに、青ざめたのがこんなにはっきりわかるってよっぽどだと思う。


 原因はクリフォード? 見て「ひぃっ?」て叫んでたし。


 ――いや、クリフォード、別にただ立っているだけだよね? さっきだって、短剣を出せるようにしていたとはいえ、構えてはいなかった。「ひぃっ?」の要素はどこにもない。


 それにこの兵士、若いし、伝令兵、ではないんだよなあ……。


 うーん。でも、クリフォードの態度からして、危険はないと判断したようだし。

 アレクと面識がある兵士なのは自分の記憶を信じるなら、確かだし。


 つまり、疑問は残るけど、兵士がアレクからの使いっていうのは、本当のはず。


 じゃあ、何故アレクはいち兵士に私への言づてを頼んだか。


 アレクだって、伝達の際のルールは知ってる。

 それを破ったってことは、内密にしたいっていう意思表示だと思うんだよね。

 ――かつ、急ぎ?


 侍女しかり、伝令兵しかり、正規の伝達方法だと、どうしてもいろいろと筒抜けになるからなあ。


 さっと兵士から言づてだけ受け取りたいところだけど……。


 問題は、マチルダだったりする。


 女官長という役職柄、マチルダは、この辺、厳しい。報告もきっちり上へあげる。アレクの意思が私の予想通りなら、これは避けたいところ。


 マチルダがサーシャに手を振ることで、指示を出した。自動演奏の楽器をサーシャが停止した。宮廷舞踏曲が中断される。無音になった練習室で、マチルダの叱責が響いた。


「殿下の御前なのですよ。伝令兵ではありませんね? まずは、何者か。所属と名前を名乗りなさい。私は女官長のマチルダです」


 兵士が敬礼する。


「は! 女官長殿! 新兵のため、所属は未定であります! 新兵訓練終了後に決まる予定であります! 名前はガイ・ペウツであります!」

「新兵……。それを証明できるものは?」

「証明……でありますか」

 兵士の表情が曇った。

「当然でしょう。鑑札は持っていますか?」

「あ、はい! もちろんです! いつも……」

 わたわたと兵士は自分の身体を探った。

「いつも……首から提げて……?」

 が、顔色がどんどん悪くなってゆく。何かを思い出したように、「あ」と言葉を漏らすと、項垂れ、探すのを諦めた。

「ほ、本日は、兵舎に置き忘れたようでして……」

「置き忘れた、ですって?」


 マチルダが眦をつり上げた。

 エスフィア国の兵士は、その証として必ず鑑札が発行される。曲者事件後に父上が導入したんだよね。革製で紐付き。丸い革部分に兵士の名前が記されている。これを持っていればエスフィアの兵士ってこと。売買なんてしたりしたら問答無用で牢獄行き。兵士も常に携帯しているのが望ましいとされている。


「では、取ってきなさい。そうでなければ我が国の兵士だとは認められません。こちらでもアレクシス殿下に確認を取ります」


 ぐうの音も出ないほど、マチルダの言い分は正しい。

 兵士も、挙動不審なのが悪いほうへ作用している。青ざめていたり、鑑札の所持を忘れていたり、怪しさを醸し出しているという悪循環。


 でも、鑑札を取りになんて行ったら、大幅な時間のロス。兵士宿舎って城内にあるとはいえ、遠いから! 全速力で走って往復しても、三十分は確実。その間にマチルダもアレクに確認をとるつもりなんだろうけど、これだと、アレクが一介の兵士に言づてを頼んだ意味も無に帰す。本末転倒。


「――待ってちょうだい」

「殿下?」

 マチルダが怪訝そうに私を見た。


「その者は、たしかに我がエスフィアの兵士よ。わたくし、覚えているわ」

「ですが、殿下……」


 いや、マチルダも本気でこの兵士を疑っているわけじゃあないと思うんだよね。せいぜい疑惑は二割ぐらい。でも多少でも疑いがあれば看過できない、してはいけない役どころというか。


「クリフォード、あなたも覚えているでしょう。見掛けたことがあるはずよ」

 ここは、数で押して信憑性を高めよう。昨日のことだし、鍛錬場で見掛けたことを、私が覚えているぐらいなんだから、クリフォードもきっと!

「…………」

 クリフォードの視線を受け、首と手を盛んにぶんぶん振っていた兵士が、途端、硬直した。


「……そうですね。私もこの兵士を見掛けたことがあります」


 でしょう! 


「殿下のおかげで、思い出すことができました」

「役に立てたのなら良かったわ」

「はい。昨日鍛錬場でアレクシス殿下と打ち合いを勤めていた者のようですが……。改めて記憶を探ったところ、他でも見掛けたことが」

「他でも?」


 そうなんだ?


「戦場です。この者はエスフィア側で戦っていました。あれから、正規の兵になっていたようですね」

 クリフォードが口角をあげた。興味深そうにしている。

 なるほど。やっぱりクリフォードは戦場経験があり、と。


「まあ……奇縁だこと。ガイ・ペウツと言ったかしら。では、あなたもクリフォードを以前から知っていたのね。詳しく聞きたいわ。どうか、自由に話して?」


 兵士――ガイは、冷や汗をだらだら流していた。


「い、いえ……! 知っているなどとは、とても! 全然! 戦場でも、せいぜい遠目に目が合ったことがあるのかもしれないというぐらいです! その程度でありまして! 自分は戦場でも逃げ回っていただけで!」


 うん。ガイのほうもクリフォードをばっちり覚えているみたい。

 私はマチルダの様子を窺った。ガイへの厳しい目線が大分薄れている模様。クリフォードと戦場仲間だったっていうのが効いたらしい。クリフォードへのマチルダの評価、高いなー。鑑札を取りに行ってもらわなくても、何とかなりそうかな。


「マチルダ。彼が我がエスフィアの兵士だと納得してくれたかしら?」

「殿下がおっしゃることを疑っているわけではございません。少しでも……」

「わかっているわ。もし問題が起きればわたくしが責任を取りましょう。だから、大目に見て欲しいのよ」

 大きく、マチルダは息を吐いた。頷く。


「――仕方ありません。ガイ・ペウツ、言づての内容を」

「その、」

 ガイの目が泳いだ。


「アレクシス殿下は、自分に、オクタヴィア殿下へのみ、言づてをお伝えするようにとご命令されまして……」


 マチルダが再び、さっきの比じゃないぐらい眦をつり上げる。

「殿下と二人きりにしろとでも? ガイ・ペウツ! さすがにそれは許容できません!」

「しかし自分も、オクタヴィア殿下以外には申し上げることはできません。厳命されております」

 このままだと振り出しに戻りそう。

 ねえ、と私は呼びかけた。


「――ようは、わたくしにだけ、用件が伝わればいいのよね?」





 というわけで。


 宮廷舞踏曲を再度バックミュージックとして流し、クリフォード、マチルダ、サーシャに見守られながら、ガイがぼそぼそと私に耳打ちすることで落ち着いた。


 だけど、それではさっそく、というわけにはいかなかった。


 「丸腰の状態であること。これも条件です」というマチルダの言で、ガイの了承の上、彼は身体検査を受けている。マチルダもかなり譲歩してくれたので、私も「必要ない」とは言えなかった。

 ただ、この身体検査。最初はクリフォードにしてもらおうと思っていた。ところが、ガイが震えながら「恐れ多いので!」と辞退したため、マチルダが実行し、サーシャがその補佐をすることになった。


 検査が済む間、少し待つ。

 私は、ある装飾台へ近寄った。


 練習室に、マチルダが持ち込んだもの。ダンスの練習をする前に、預けておいた私の扇と、鞘に収まったクリフォードの長剣が置いてある。


 そうそう。これも、ちゃんと返さないとね。

 よいしょっと。


 扇――ではなくて、両手で長剣を持ち上げる。持てはするけど、ずしっとくる重さ。


「クリフォード」

 ガイたちに注意を払いつつ、私の動きを無言で見守っていたクリフォードを呼ぶ。


「これを。今後は、どのようなことがあってもあなたから剣を取り上げるようなことはしないわ」


 ガイは、アレクからの使いだったけど、もしそうじゃなかったら? 暗殺者とか、間者とか。前世だったら「まっさかあ!」って笑い飛ばせる。ただ、王女の立場だとなあ……。幸い、私狙いの相手には遭遇したことはない。とはいえ、さっき私を庇ってくれたクリフォードを見て、楽観的過ぎたかなって思った。万が一のとき、私を守ってくれる護衛の騎士が側にいても、彼が剣を取り上げられていたら、クリフォードも実力を発揮できない。

 ダンスの練習の間ぐらいって軽く考えていたけど。


「不測の事態というものは、いつ起きてもおかしくないものね」


 肝に銘じておかなきゃ。


「殿下自らお渡しくださるとは。感謝いたします」


 私が両手で差し出した長剣を受け取ったクリフォードは、流れるような動作でベルトの通しに装備した。うん、これでこそクリフォード!

 さて。

 私も扇を――。

 だけど、私より先に、クリフォードが扇を手に取った。

 何の躊躇もなく、自然に。


「どうぞ、殿下」

「……ありがとう。あなたはレヴ鳥の羽根に触れることにも、抵抗がないのね?」


 手渡してもらった扇を、広げてみる。

 この扇が『黒扇』って呼ばれてるって知ってから気づいたんだけど、ダンスの前、マチルダにこの扇を渡した時、ちょっと怖がってる雰囲気があったんだよね。

 そう思って振り返ってみると、サーシャも、自分から『黒扇』に触ったことはなかった。


 直にレヴ鳥や、その羽根に触れる。

 これが普通は嫌なんじゃないかな。


 他にも、たとえば、毎日の夕食会のとき、扇を預ける給仕って、いつも同じ人だった。私が渡すんじゃなくて、向こうから「お預けください」ってジェスチャーをしてくれるんだけど……。白扇を使っていたときは、たしか預ける顔ぶれはまちまちだったような気がする。なのに『黒扇』になってからは固定! あの給仕の人、嫌な役割を他から押しつけられていたんじゃ……! どんな表情で扇を預かっていたかまでは、ちょっと思い出せない……。くっ。ポンコツな私の脳みそ! 


 それと比較してみると、クリフォードは、レヴ鳥の羽根の飾り房を受け取ったら、つけてくれるとまで言った。その言葉だけじゃなく、いま『黒扇』を手に取った動作からも、本当に、レヴ鳥の逸話も、触ることに関しても、何も感じていない?


「申し上げていませんでしたか。私も、レヴ鳥は好ましい鳥だと思っています。ですから抵抗はありません」


 何てこと。真の同志だったとは! もっと早く言って欲しかった!


「クリフォードは、レヴ鳥のどこが好ましいと?」

 私はふわふわ羽根に惚れたけど!


「生に貪欲なところが、でしょうか。実際のレヴ鳥は、地獄からは遠く、多少のことでは死にません。繁殖力が強く、生存力も高い。群れを作り、単独でも生き残る力に長けた鳥です」

 納得した。だから、特に大切にされているわけでもないのに、そこら中を飛んでいるわけかレヴ鳥。


「――それも、生き汚い、とレヴ鳥が嫌われる理由のようですが」

 皮肉げに、クリフォードが付け加えた。


「潔く散る美のほうが、我が国では尊ばれるものね」

「そのようですね」

「……馬鹿馬鹿しい」


 自分でも、驚くほど冷たい声が出た。

 顔を歪め、吐き捨てるように呟いてしまってから、広げた扇で顔の半分を私は隠した。しまった。これは王女らしくなかった。自分で振っておいてなんだけど、クソ忌々しい記憶のことがもやっと連想されて、つい!

 もちろん、聞き逃してはいなかったクリフォードから、訝しげな視線を感じる。

 それに対し、取り繕うように微笑む。


「――殿下」


 マチルダから声がかかった。助かった!


「身体検査が済みました」






 言づてを聞くまで、十分はかかったけど、ようやく私はその内容を耳にしていた。

 イレギュラーな伝達役だったことを思えば、これでも早いほうだったりする。


「そう。父上が、アレクに密旨みっしを……」


 アレクが午前中、鍛錬場にいると、父上が『偶然』やってきた。そこで、父上は周囲に悟られないよう、アレクに密旨を下した。


 ――国王として、第二王子アレクシスへの、秘密の命令。


 ついでに言うと、本来のアレクのスケジュールでは、午前中は座学のはず。鍛錬場にいるはずがないので、スケジュール変更も父上のせいだと思われる。


 急遽、アレクは少数の供と王都を数日離れることになった。

 アレクの真価をついに父上も認めたのかな。でも、数日はアレクに会えないし、相談もできないなんて……!


「しかし、そのことは伏せられます。アレクシス殿下は、体調を崩され、城内で療養されている、ということになるそうです。当然、オクタヴィア殿下ともお会いになることはできません」


 アレクが病気だって聞いたら、もちろん私はお見舞いに行く。

 ただし、アレク本人は城にいない。いない人間に会うことはできないと。お見舞いに行っても門前払いが連日続いたってことか。こうして教えてもらえたから良かったけど、知らなかったら心にもの凄いダメージを負うところだった……。


「アレクシス殿下ご自身でお伝えしたかったそうですが、出立はすぐとのことで、猶予はなく。せめて、オクタヴィア殿下が、いらぬ心配をなさらないようにと……」

「ただし、わたくしがこのことを知るのは、父上の意に反する、というわけね」


 アレクが、侍女も伝令兵も通さなかった理由はこれ。どちらも、父上へ確実にダダ漏れになる。

 使いとして抜擢するなら、父上から遠い位置にいればいるほど。位が低ければ低いほどいい。でも、体裁の整う――城内を歩いていても、不審ではない程度、兵士ぐらいの地位は欲しい。欲を言えば、王女へ言づてを伝えるんだから、アレクも認めていて、それなりの能力がないと務まらない。伝える内容が内容だし。


「新兵で、アレクの管轄下の兵士でもないのに、あなたは短期間でアレクの信を得たようね」

 感心した! アレク、天使だけど、誰にでも心を開くタイプじゃないのに。

「信を得た、というより……たまたまその時、近くにいたのが自分だったのと、たぶん」

 ガイがふと、どこか遠くを見た。


「自分は、染まっていないので……」


 え? 何、どうしたの?

 ガイの目が、突然、死んだ魚の目に? 侍女ではお馴染みだけど、兵士でははじめて見た! 死んだ魚の目で、ガイは言葉を紡いだ。


「それがきっと、アレクシス殿下にとっては肝要なことでして……残念ながら、王城の兵の中では、ごく少数であり……そのため、末端の自分でも、恐れ多くも顔を覚えていただいております……」

「わたくしも覚えたわ。ガイ・ペウツ」

「あ、有り難き……」

「そういえば、不思議なのだけれど、練習室に入ってきたとき、あなた、何故クリフォードを見て青ざめたのかしら」


 本気で純粋に疑問です!


「そりゃ、オ」

 思わず、といった体で、ガイが答えかけ、口を噤んだ。


「オ?」

「――オ、オクタヴィア殿下。殺気です。自分は護衛の騎士殿からの殺気を感じ取ったんです。あのような登場でしたので、護衛の騎士殿が俺を疑うのも当然です」

 玄人にしかわからない殺気かあ。殺気じゃあ私には全然感じとれないなあ。

「殺気を感じ取れるなんて、すごいのね。クリフォードといた戦場での経験が物を言うのかしら」

「いえ!」

 ガイの声が上擦った。


「自分は、何も知らないので、殿下が気にするようなことは何一つ……! 護衛の騎士殿との関わりも一切なく……!」

 いやに必死に訴えている。落ち着こう!

「焦ることはないわ。声量を落としなさい」

「はい……申し訳ありません」

「わたくしはただ感想を口にしただけでしょう? 深い意味はないから、気にしなくていいのよ。聞き流してちょうだい」

「…………はい」

 あ、そうだ。一番重要なことを聞き忘れていた。

「ガイ・ペウツ。アレクはまだ城に? それとも既に出立を?」

「いえ、おそらくはまだ……今頃は、城門に向かっている頃だと思います」


 じゃ、ギリギリ見送りに間に合うかも!

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