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すぐに追いかけるはずが、父上の横やりで時間のロスが発生してしまった。
晩餐室を出た私は、キョロキョロと四方を見渡した。
アレクの姿はない。どっちに行ったかも不明。……自室かな? だったら左だけど、違ってたら? 私に気配を感じ取れる特殊能力でもあれば――。
はっとした。
「クリフォード。アレクはどこへ行ったの?」
そうだ。私にはなくとも、クリフォードにはある!
「――あちらに」
即座に答えが返ってきた。目線でクリフォードが示したのは、私が思っていたのとは、違う方向。あっちにあるのって、大回廊……?
頷いて、クリフォードが教えてくれた方向に私は駆け出した。一本道なので、迷うこともない。アレクが見つかるまで、進むだけ。
大回廊の扉の前までやってきた。衛兵に声を掛ける。
「アレクシスは、この先に?」
「――は。いまさっきお通りになられました!」
「では、わたくしも……」
少し考える。
「クリフォードだけ、私と一緒に来て。ルスト、あなたはここで待機を」
ルストへのアレクの反応を考えると――私の護衛の騎士ではあるけど、ここから先は、連れて行かないほうがいいかもしれない。
「――畏まりました」
皮肉げに笑ったものの、ルストが従順に頭を下げた。
衛兵に扉を開けてもらう。
すると――いた!
アレクの姿が見える。それと、アレクの護衛の騎士のランダルも。アレクの命令? 二人の間にはかなり距離があった。それでも、ランダルは心配そうにアレクに注意を払っているように見える。私たちにも当然気づいたみたいだけど――。
大回廊の中へ入り、私はすぐに後ろを振り返った。
「アレクと話したいの。離れた場所にいてちょうだい」
駆け出す。
アレクは、大回廊の中央で立ち止まり、天井を見上げていた。
無視、とは違う。私に、まだ気づいていない?
おかしい、と思った。
「アレク!」
私は大声で呼びかけた。ようやく、こちらを向いたアレクの瞳の色が――すうっと、変化する。
黄金みたいな、琥珀色から、エメラルドグリーンへ。
一瞬、混乱する。気のせい? 光の加減? ……そんなははず。
瞬く間のことだった。でも、それがはっきりとわかったってことは――。
私を視界に捉えた、アレクの綺麗なエメラルドグリーンの瞳が、大きく見開かれる。
身体の向きを変え、すぐに走り出そうとしたアレクの腕を、私は掴んだ。
「逃げないで!」
ぎゅっと、両手でアレクの腕を捕まえる。
「……お願いよ」
アレクが、依然として私のほうを向こうとはせず――でも、身体の力を抜いたみたいだった。抵抗が感じられない。
「アレク……わたくしを避けているでしょう? ずっと。お披露目の日から」
黙っているアレクに、私は話し続けた。
「わたくしが……恋人に関してアレクに嘘をついていたから?」
「……違います」
私に背を向けたまま、だけどアレクが首を横に振った。
「そのことは、驚きましたが、姉上を避けていたこととは――関係ありません」
「……わたくしを避けていたのは、認めるのね」
苦笑い。まだほんのちょっとだけ、私の勘違いでしたー、なんて。そんな展開を望んでいた気持ちは、アレクに否定されてしまった。
また、アレクが無言になった。
私がアレクに嘘をついていたのが理由じゃないなら、何でなんだろう。
「――デレク様を、護衛の騎士に、というのも、わたくしを避けたことと、関係しているの?」
ルシンダ様からの手紙に書いてあったこと。
アレクが、デレクに、そんな打診をしたそう。護衛の騎士、というのが一番名目として通りやすいからそうしただけであって、自分の近くにデレクをおきたい――そういう考えらしい、とも。
「……わかるかと、思って」
聞こえるか聞こえないかぐらいの小声で、アレクが呟くように言った。
わかる? 何を?
「……自分で自分が、信用できないんです」
途切れ途切れに、話す。
「そんな自分を、姉上に近づけたくありません」
アレクが振り返った。
胸に手をあて、吐露する。
「――自分が何をしたか、思い出せないときがあるんです。帰城して、姉上と話した日だって。あの場所から帰ってきてから、それが顕著です。夢も……」
あの場所から、帰ってきてから。……ターヘンで、何かあった? 思い出せないって、兄やデレクと同じことが、アレクにも……?
瞳の色の変化……。それから、父上の発言……。
「…………っ」
まだ、言葉を紡ごうとしていたアレクが、結局口を噤んだ。俯いてしまう。
――言えないことがある。そのことを恥じるかのように。
「アレク」
ビクリと、アレクの身体が私の呼びかけに反応した。
「……言えないことがあったって、構わないわ。わたくしだって、そうだもの。わたくしも、アレクにだって言えないことがあるわ」
たくさん。
「姉上にも……?」
弱々しく返された問いに、私は頷いた。
偽の恋人役のことは、所詮私の見栄だから、全然言える。
でも――どうやってこの世界ができたのか、とか。私がまったく別の世界で生きて、死んだ記憶を持っていて、望んで『高潔の王』の世界に生まれ変わったこととか。それは……アレクにだって。ううん、アレクにだからこそ、かな。
「アレクにだって、あって当然よ」
泣きそうな顔で、アレクが顔をあげた。
「――でも、わたくしを避けないで」
だって、エスフィアで家族なのって、アレクだけだったんだよ。
もしかしたら、それは私がそう思っていただけかもしれないし、いまは……少し違っているのかもしれないけど。
「アレクに避けられるのは、とても辛いわ」
――私の大切な、大好きな弟だもん。
「姉上は……ずるいです」
泣き笑いのような表情で、アレクの顔がクシャリと歪んだ。
「姉はずるいものなのよ」
これは、お姉ちゃんが、妹の私に言っていた言葉。
捕まえていたアレクの腕を、私は離した。
手を離しても、アレクは逃げようとはしなかった。




