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「すごい……」
シル様が感嘆の呟きを漏らした。私も頷くしかない。
剣を操る技術もだけど――。一人を相手に、クリフォードがこんなに長く戦っているのを見るのははじめてだった。『空の間』での『従』のリーダー格との戦闘も、これほどは保たなかった。だからか、左手を使っているわけでもないのに――身体能力も際だっていることを実感した。……『従』、ならでは?
そしてそれと渡り合っているルストも相当なもの。……ルストも、まさか『従』じゃないよね? そんな考えが浮かぶほど。原作では、兄と互角に戦っていた。……ううん。それ以上、なのかも。
決して短くなかったはずなのに、戦いを食い入るように見つめている間に、時間はあっという間に過ぎてしまったみたいだった。砂時計に視線をやれば、砂が落ちきるまで、あと僅かだ。
…………もう?
体感としてはそんな感じ。
ガキィンン! と剣と剣がぶつかった。クリフォードの剣の黒い羽根の飾り房と、ルストの剣の飾り房が、揺れてぶつかった。
そして――二人が、ほぼ同時に後方に跳んだ。始まった時と同じ位置に立つ。
「――終わりだ!」
直後、デレクの叫び声が場内に響いた。――砂時計の砂は、完全に落ちきっていた。
砂時計から、境界線の中央に向かい合って立つ二人に視線を戻したときには、両者とも剣を鞘に収めていた。
……私は拍手した。
ただ、そのタイミングは、シル様と兄も完全に重なっていた。示し合わせたわけでもなかったのに。三人で顔を見合わせることになった。シル様は興奮した体で拍手したみたい。兄は……表情が考え込むような厳しいものだったけど、賞賛として?
私が出した条件を完璧にクリアしたという点で、クリフォードもルストも、勝者。讃えられるべき。ただ、私としては敗北感? ルストにしてやられた感がある。あそこまでクリフォードと渡り合うとは……! こう、何かボロが出ても……!
本題の対戦が残るクリフォードは、そのまま境界線の中だけど、ルストがこちらへ戻ってきた。
賛辞を送ろうとして――違和感に気づく。
…………? 鉄のような臭いがする。ルストが近づくにつれ、臭いが強まった。ついさっきまではしなかったもの。
「……ルスト。あなた、いまの試合で怪我をしたの?」
見つけた。護衛の騎士の濃紺色の制服。わかりにくいけど、左腕の上腕部分が赤く染まっている。鉄のような臭いの元は、ここだ。
「ああ……。違います。傷口が開いたようですね。気をつけたつもりでしたが」
ルストが左腕の関節を曲げて、血の滲んだ箇所を見ている。だけど、その部分の生地が破れている様子はない。ボタっと、赤い滴がしたたり落ちる。
「――少なくとも身体検査をした際は、怪我一つなかったはずだが」
兄が眉を顰めた。
「まさか、執務室で会ったときから怪我をしていたの?」
「いいえ? オクタヴィア殿下の護衛の騎士に就任した際は無傷でした。その後、事故がありまして」
事故……? 平然と言っているけど、ルストが怪我を負うって、よっぽどじゃないの?
「わたくしに報告すべきだったわ」
「陛下はご承知です。問題ないと医師の承認も得ています。任務に支障はありません。実際、殿下もご覧になったでしょう?」
父上の名前を出されると、私もこれ以上は強く言えなくなってしまう。医師のOKももらっている。クリフォードとの戦いの様子を見ると、怪我をしていても充分動けているのは、その通り。
「……事故の内容は?」
皮肉げにルストがわらった。
「事故ですので。自分にやられたようなものですよ。……それより、バークス様は、気分でも?」
また、ポタッと血が滴った。
「…………」
シル様の視線がそれを追う。
「……あ。いいえ。何でも」
拍手していたときは、そんな風ではなかったのに、確かに、少し顔色が悪い?
「――おれ、行きますね」
剣を持って、シル様が境界線の中に向かう。入れ替わるように、ルストが観戦者スペースで、護衛任務を再開した。
「医務室へ行くことを許可するわ」
「有り難いお言葉ですが、必要ありません。先程お伝えしたように、支障はありません」
「……ならせめて、応急処置をしなさい。血が垂れるような状態なのは、問題でしょう?」
「……そうですね。バークス様の気分を悪くさせてしまったようですし?」
余計なことを言うから、兄が睨んでるって!
剣の手入れ用の布を取り出したルストが、それを使って、片手だけで器用に傷口を上から縛った。ふう。私もほっとした。
「オクタヴィア殿下の優しさが、彼にも伝染しているんでしょうか?」
「彼……クリフォード?」
「ええ。一度だけ、おそらく私の動きを見るために攻撃してからは、傷口は二度と狙って来ませんでしたので。まあ……殿下の条件を満たすためかもしれませんが」
あの応酬の中で、そんなことがあったとは。全然気づいていませんでした!
クリフォードに目をやる。連戦になるけど、息一つ乱れていない。……その反対側にシル様。剣を手にうつむき加減に立っている。
そのことが気に掛かって、私は兄に話しかけた。
「いくら再現とはいえ……やはり模擬の剣に変更しては?」
だいたい、あのときクリフォードは私を抱えてシル様と戦っていた。
再現っていうなら、この点も忠実にしないと。なのに、そこは兄もシル様も必要なし、の方向で一点張りだったし。
私というお荷物を抱えてもらうかはともかく、最初は再現であっても、模擬の剣が使用されるはずだった。兄としてはそうしたかったみたい。ただ、模擬の剣だと、緊張感にかけてしまう。当時の状況に近づけるなら、真剣で、というのがシル様の意見だった。
実際、シル様は模擬の剣と真剣を握ったときとでは、動きのキレが違ってしまうらしい。本人も、自覚したのはつい最近。『空の間』で暴走した後に起こった変化だとか。
「……本人の希望だ。真剣で試させるほうが良いだろう」
そこは、シル様の意思は後回しで、安全性重視が兄の方針だったんじゃ……?
心境の変化でもあったのかな?
境界線の中で向かい合うクリフォードとシル様に対して、兄が声を張り上げた。
「――目的は、『空の間』での戦いの再現だ。これより、真剣を用いて両名に戦ってもらう。先程のように、便宜上、砂時計での制限時間を設定する。デレク!」
デレクが砂時計を裏返した。
「――はじめ!」




