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――それから、シル様の服の採寸作業が無事完了した。
やる気に満ちあふれたメリーナさんは早々に衣装部屋を後にしている。
……何でも、すぐに補正作業に取りかかりたいのだとか。侍女たちにも全員撤収してもらった。
よって、いま残っているのは、仕切りの向こう側で元の服に着替え中のシル様。元の服を侍女の一人が気を利かせてクリーニングしていたんだけど、採寸は終わったものの、そのせいで着替え完了まで時間がかかってしまっている次第。
他には当然、クリフォードとルスト。ちなみに、クリフォードはせっかくなので、正装用の制服のまま任務に戻ってもらっている。
後は、シル様を待っている兄と、デレク。廊下側を含めると、もっと増える。兄の護衛の騎士が待機しているから。
そして、メリーナさんやサーシャたち侍女がいなくなってしまうと、気になってくるのが沈黙。
……すると、兄が切り出した。
「オクタヴィア。お前に頼みたいことがある」
「頼み事の内容は何でしょう?」
私は身構えた。だって、兄の表情が真剣なんだもん。重い系の頼み事では? みんながいなくなってから話し出したことを考えても、十中八九!
「アルダートンを貸して欲しい」
ほら、やっぱり。
だが、却下!
私が答える前に、私の表情ですべてを察したのか、兄が付け加えた。
「厳密には――『空の間』での出来事を再現したい。そのためにアルダートンの協力が必要だ」
――再現ってことは、つまり。
「クリフォードとシル様を戦わせるということですか?」
「実戦ではない。あくまで試合だ。シル本人からの希望でもある。近い状況におかれれば、何か思い出せるのではないかと」
「ですが、あれは……シル様が曲者に薬を打たれたからでは? クリフォードと戦うだけでは……」
かといって、薬を打たれても困るけど。そもそも検証のためでもシル様にそんなもの打って欲しくないし!
「先に、薬を調べるべきでしょう」
兄がかぶりを振る。
「奴らがシルに打ったという薬品を入手できれば良かったんだが、犯人たちに手が出せなくなった。……カンギナ人たちに関しては、エスフィアではなく、カンギナで裁かれる」
「……捕らえた『従』もですか?」
おじ様がせっかく捕まえたのに?
「エミリオという『従』はエスフィア人だが、もう一人の『従』に関しては、そうなる。カンギナ人だ」
ていうと、『空の間』で『従』を率いていたあのリーダー格を、エスフィアでは裁けないってこと? 何で?
「――父上の決定だ。形骸化していた協定を根拠にな。俺の意見は通らなかった」
「そのため、我が父も陛下に抗議したようですが」
デレクが補足する。
思い出した。披露目前に、父上の執務室におじ様が来たことがある。あのときの会話が、まさにそれだったんだ。
「決定は、覆らなかった?」
「そうだ」
兄が頷く。腕を組んで見据えているのは、実際に見つめているのとは、たぶんまったく別の場所。
「犯人たちのうち、まだエスフィア内に留めてはいるが、カンギナ人に関してはカンギナの管理下にある。一応カンギナもこちらに協力的な姿勢は見せているが……」
「だから、状況だけでも、再現しようと?」
「……ああ。本人の希望とはいえ、いつまでも監視しているわけにはいかない。きっかけが欲しい」
シル様が危険ではない……。監視してもらわなくても、大丈夫だって、本人が思えるようにってことか。シル様の暴走は、作中ではトリガーがなければ起こっていなかった。
……ただ、そのトリガーが不明なんだよね。作中では、薬で引き起こされた感じではなかった。鎮める方法は、とりあえず判明しているけど。……おそらく王族の血だって。
「あの……オクタヴィア様。おれからもお願いできないでしょうか」
元の服に着替え終わったシル様が、仕切りから出てきた。話は聞こえていたようで、クリフォードとの戦いの再現をシル様も望んでいるのは明らかだった。
『黒扇』をパッと開いて、考える。
「…………」
私は眉根を寄せた。
……了承するか、迷ってる。
クリフォードとシル様の対戦試合に私が難色を示すのには、理由がある。
さっき、二人が兄弟じゃないかって考えたことも関係してる。
それと――過去を思い返すと、クリフォードのシル様に対する反応に、引っ掛かる部分が見え隠れしてるって、感じるんだよね。
一番は、犯人疑惑をかけられて地下牢にクリフォードが収監されていたときのこと。
シル様がクリフォードへ謝った後に見せた強い反応。
それを考慮すると――『空の間』でのことも。
シル様と戦っていたときのクリフォードは、職務以上に冷淡だったようにも思えてくる。「殿下は、バークスが大切ですか」という問いにも、意味があったような。
何でもないのかもしれない。私の考えすぎ。ただの杞憂なのかも。
――だけど、そうじゃなかったら?
ふう、と嘆息する。『黒扇』を閉じて、
「クリフォード」
と、クリフォードを呼ぶ。
「――は」
自分のことが話題なのに、クリフォードは特に関心を示す様子もなかった。
「あなたに任せるわ。兄上の頼みに応じるかどうか」
命令ではないってことを伝える。
だから、断るんじゃないかなって、私は思っていた。もし、シル様と関わることが、クリフォードにとってあまり好ましいことではないとしたら。
クリフォードの視線が、兄と――シル様へと向けられる。
「――バークス様と戦えば良いのですね」
「……ええ」
淡々と問われ、頷く。
「申し出をお受けいたします」
「ありがとうございます!」
パッとシル様の顔が輝いた。
どうしてだろう。命令ではなくても、応じたんだから、それは良いこと、のはず。
……なのに、もやもやした感じが残った。
「では、悪いが、すぐに行っても問題ないだろうか」
私はクリフォードが良いなら、構わない、んだけど……。
「オクタヴィア殿下が許可されるのであれば」
クリフォードが伺いを立ててきたので、再び私は頷いた。
「……良いでしょう」
兄たちが出ていって、ルストにも先に廊下へ行くように言い、残るは私とクリフォードだけになった。
それで、私はクリフォードを呼び止めた。
どうしよう。何て言ったらいいか、わからないんだけど。ええい。
「……無理はしていないのね?」
ほんの少し、クリフォードが瞠目した。
「シル様との対戦は、命令ではないのよ?」
「承知しています」
「…………」
迷う。
本当に? 続けてそう訊きたい気がした。
でも、クリフォードがこう言っているのに、追及してどうするの?
――だから。
「……無理をしては駄目よ」
さっきの言葉とたいして変わらないけど、こう言うのが精一杯。
ちょっと目を見開いたクリフォードが頷いた。
「――はい」




