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それだけじゃない。
「本物の『空の間』への道順を知っていたのも、別の理由があるのでしょう」
いまは壁となっている、小部屋へと続く扉があった場所を私は一度振り返った。
「あそこに小部屋があることを知っていたのも、何故?」
『あの青年』ではないのに、ルストは知りすぎている。原作では明かされていない背景のせい? それとも、『あの青年』ではなくとも、何らかの関係性があるから?
答えないのかもしれないって、思っていた。でも、返答があった。
「――すべて」
どこか遠くをルストが見やった。
「もともと知っていたからですよ」
「…………?」
ルストが私と視線を合わせた。
『あの青年』と同じ、琥珀色の瞳。
綺麗なのに、素直にそうは思えなくなってしまった。瞳だけを見ていると、本人と錯覚しそうになる。……直視を避けたくなって、手に持っている『黒扇』を開く。
「殿下は、ウス王はご存じですか?」
「当然よ」
「私が彼の生まれ変わりだ、と申し上げたら?」
声音に、ふざけた様子はなかった。『黒扇』の位置をずらして、見上げた表情も、からかっているようには見えない。
前世がウス王ってこと? エスフィア王城の仕掛けは、大半はウス王が残したもの。『天空の楽園』だってそう。前世の自分がやったことだから、精通している――。
いや、でも……。
「……本当なの?」
「ふっ」
なっ。ルストが笑い出したっ?
「まさか、信じてくださるとは。殿下は意外性のある方ですね」
……この言い草ってある? 本気で考慮してたのに!
しかも、『あの青年』のそれとは違うまでも、ルストって常にどこか癖のある笑い方だったのに、からっとした明るい笑い方なのも癪に障る!
「――そんな殿下に、私からもお訊きしてもよろしいでしょうか」
笑いを収めたルストが、そんな伺いを立ててきた。
「答えるとは限らないけれど」
開いている『黒扇』の位置を心持ち上へあげる。質問は受け付けるけど、内心のしてやられた! という気持ちが出ても大丈夫なように。
「ありがとうございます。では――」
一度、頭を垂れたルストが顔をあげ、ある問いを口に乗せた。
「はじめてお会いした当初から、何故殿下は、私を疑っておられるのでしょうか」
それは……。
「弟のエレイルを通して私への接触を試みたのは殿下のほうでした。私はそれに応じたにすぎません。また、殿下に害を与えたこともないのでは? むしろ、協力してきたと思うのですが。しかし、殿下はずっと疑いを持ち続けていらっしゃるようだ」
皮肉げな笑みと共に、言葉が続く。
「この顔のせいでしょうか? しかし、もし誰かに似ているせいで警戒されているのなら、不公平ですね。陛下とは異なり、殿下は依然として私個人を見てくださってはいないということですから」
顔のせい、というのは否定できない。
『あの青年』と同じ顔だと知らなかった当初は、ルストに偽の恋人役を引き受けてくれるよう交渉しようとしていたぐらいだし。これは、私の個人的な体験が主な理由。
ただし、判明している原作小説の内容からしても、ルストを警戒して疑う理由はある。
シル様と兄。彼は原作主人公たちに敵対するキャラクターだから。そして反王家の思想で動いていると描写されていた。ただ、ターヘン編でどういった立ち回りをするのかは不明。敵対したままなのか、そうじゃないのか。
私の、死んだときの麻紀の記憶と、原作知識。
この二つがなければ――ルストを積極的に疑う根拠はない。
「こう言い換えることも可能です。何故殿下は、幾人もの貴族がいる中で、私に目を留められたのか」
――黙秘するしかないんだけど。
ふとさっきの、ルストの返しを思い出した。
自分が、ウス王の生まれ変わりだって。だから知っているって。
「――わたくしも、あなたのように前世の記憶があるの。だからルスト、あなたに注目したのよ」
にっこり笑う。はしょっているだけで、ほぼ事実!
私も同じような返しをしたっていいよね。こういう風になら、前世云々を言っても許されるでしょう。一回ぐらい、言ってみたかったっていうのもある。その相手がルストになったのは、自分でも意外だけど。
ある意味、変な信用があるとも言えるのかも。……どうせ、大事にはならないって。
「仮に殿下に前世の記憶があるにしても、それがどうやって現在の私に繋がるのかが不明瞭ですね?」
ほら。案の定。
「信じるも信じないも、あなたの自由よ」
「………それはそれは」
これ以上、続けるつもりはなかった。これで、前世の話は終わり。
それをルストにも知らしめるように、音を立てて『黒扇』を閉じる。
だいたい、私の中で結論がまとまり始めていた。
あと確認しておきたいことは――。
「――アレクシスに会ったそうね? アレクシスはあなたに良い印象を持たなかったようだけれど、ルスト、あなたはどうなの?」
「それが重要ですか?」
「ええ」
私は深く頷いた。そういうのを抜きにしてプロフェッショナルに徹するのが仕事なのかもしれないけど、好き嫌いの感情は、やっぱり無視できない。
双方向で、この人嫌い! 状態だと、結構キツい。
いくら仕事でも、ギクシャクするよね? チームワークも悪し!
「では、答えは差し控えさせていただきましょう。私の回答がどうあれ、私個人の感情によって殿下の判断が左右されるようなことはあってはならないと思いますので。――今後、王家に仕えることになった身としては」
はぐらかされたようにも感じるけど、言っていることには一理あった。
感情を考慮するのは大事。でも、いつでもそれができるわけじゃない。ならいっそ加味しないほうが良い。
身分制が生きているエスフィアでは、なおさら。
誰かに仕えるというのは、そういうこと。だから、答えない。
私としても、咎めることはできない。以前のルストなら、普通に答えたのかもしれないけど。
「――わかったわ」
ルストがアレクをどう思っているのかはわからなかったものの、私の心は決まった。
――執務室へ戻った私は、父上に告げた。
「ルスト・バーンを、わたくしの新たな護衛の騎士に任じます。この者をアレクシスではなく、私にお付けください」




