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「姉上……! ランダル、お前はここで待て」
命令を下されたランダルが一礼し、扉の脇に立った。ちょうどクリフォードの反対方向。以前のアレクの希望もあったので、護衛の騎士の入室はなし。サーシャにも下がってもらっている。
姉弟水入らずです!
アレクを引っ張って部屋に入った私は、箱をひとまず置いた。
ルシンダ様からの贈り物は後で開けさせてもらうことにして――私たちは向かい合って席に座った。アレクが私の部屋に来たときの定位置。
私はアレクの前に淹れたばかりのミルクティーを置いた。アレクの好みは私と同じミルクティー。私が飲んでいたらアレクも飲むようになり……って、これ、私が洗脳した?
ま、まあ、現在のアレクの紅茶の好みがミルクティーなのは間違いない。自分の分も淹れて、私も椅子に座った。
「……これを飲むと、帰ってきた気がします」
ミルクティーを飲んだアレクが、ポツリと言った。
「これからも、またいつでも飲めるわ」
「はい」
意味もなくにこにこして、アレクの顔を見つめてしまう。約二週間で急成長ってのはあり得ないんだけど、やっぱりどこか大人っぽくなった気がする。天使なのには変わりないけどね!
「密旨を遂行して帰ってきたのだもの。父上も褒めてくださったでしょう?」
「……そうですね。驚かれていました。父上は父上なりの思惑があって、私に密旨を下したようです」
父上の反応、イマイチだったのかな。アレクが淡々としているように見える。
「……大変だった?」
「いえ。さほど苦労はしていません」
「でも……予定より時間がかかったのではなくて?」
アレクの瞳が揺れた。口ごもる。
「その……少し。具合が悪くなり、数日ほど無駄にしたのです」
ちょっとちょっとアレク!
私は席を立った。
「もしかして、まだ具合が悪いのではないの? すぐ部屋に帰って休み――」
「姉上! 落ち着いてください。復調したから戻ってきたのです。……見てください。私がまだ体調を崩しているとでも?」
言われて、私は椅子に座り直した。アレクを健康チェックの観点からじっと凝視する。再会直後こそ砂埃の付着していた金髪はサラサラ、エメラルドグリーンの瞳は明るく澄んで輝いている。頬の血色もよし。痩せこけているということもなし。
――出立のときと同じ。
そう思ったら、あのときのアレクの言葉が脳裏で再生された。
『……姉上は、故キルグレン公にお会いしたことはありますか?』
『父上が、キルグレン、と呼んだので。そのとき――』
キルグレン公の若い頃の容姿は、ルストに、そして『あの青年』に似ている。だから父上がルストを見て、キルグレン公を思い出すのは、わかる。
でも、まったく似ていないアレクに、キルグレン、と父上が呼びかけた意味は?
アレクの誕生日とキルグレン公が逝去した日は同じ。
――まさか、生まれ変わりだとでも?
突飛な想像で頭の中が埋め尽くされた。
父上がもしそう考えていたとして、その根拠は?
生まれ変わりという考え方自体は、私みたいな――身体はオクタヴィア、中身は元日本人の私が存在する以上、頭から否定はできないけど……。
でも、ずっとアレクはアレクだった。大人が子どもを演じている、とかそういう感じも一切ないもん。……やっぱり、アレクはアレク。
私はぷるぷると心の中でかぶりを振った。
気を取り直して、アレクにもう一度、体調を確かめる。
「……無理は、していないのね?」
「はい」
頷いたアレクが、問いを返してきた。
「姉上こそ、私が密旨で留守にしている間はどうでしたか? 準舞踏会には出席されたのですよね?」
「ええ――」
私は準舞踏会で起こった出来事をアレクに話した。とりあえず、表向きに周知されている部分。一応『空の間』でのことは関係者以外には伏せられている話だし。
シル様の馬車が暴走事故を起こし、一緒に準舞踏会に出席したこと、デレクとのダンス、反王家の曲者たちによる襲撃があったこと――。
「襲撃? 私の心配をしている場合ですか? 姉上こそ、危険な目に遭っているではないですか!」
今度は、アレクが席を立った。
「犯人は捕まったわ。わたくしは怪我一つないから安心してちょうだい」
しかし、アレクの目は誤魔化せなかった。
「……その左手は?」
ぎくり。
「姉上、何故左手だけに手袋を? いえ、脇門では……」
どんどん、表情が険しくなってゆく。
「包帯をしていらっしゃいましたよね?」
あの場では気づいていたけど言及しなかっただけか……!
城内では手袋をつけていなかったのに、アレクの前では、といまになって偽装したのは無駄だった。片方だけなのも逆に目立った? 右手にも手袋をしていれば……! でも紅茶を淹れるのに両手に手袋をしていると邪魔だったんだもん! 横着が仇に……!
「怪我、ですよね? それを隠すためでは?」
アレクは名探偵だった? 私の天使な弟が優秀過ぎて困る。
「これは……襲撃とは関係ないわ。確かに怪我だけれど、わたくしの不注意よ」
「姉上の不注意? たとえそうであったとしても、護衛の騎士としてアルダートンが防ぐべきでは? 姉上を守れなかったことに対して、きちんとアルダートンを処分されたのですか?」
すごい! 以前父上が私に諭してきたのとまったく同じことをアレクが言ってる。……変なところに感心している場合じゃなかった。
「結果的には、処分を受けたようなものよ。地下牢に入れられたから」
「…………?」
少しは落ち着いたのか、アレクが椅子に腰を落とした。アレクがちゃんと座ったのを見てから、シル様の乗った馬車の暴走事故に始まるクリフォードへの疑いや、視察の日の出来事を私は語った。
「……姉上が囮なんて」
立ち上がりこそしなかったものの、アレクが怒っている……!
「兄上もよ?」
「私がいたら、絶対に姉上を行かせませんでした」
「アレクの気持ちは有り難いけれど、たとえアレクに止められても、視察には行ったと思うわ」
「…………」
黙ってしまったアレクの顔が傷ついたように歪む。でも、これは譲れない。きっと私は行くのを止めなかった。
「――姉上らしいと思ってしまうのが嫌になります」
はあ、とアレクが息を吐いた。ついで、静かに言葉を紡いだ。
「ヒューが、犯人だったんですね」
「……ええ」
本当の動機についてはアレクに言わなかった。アレクにも知っていて欲しい気はするけど……。
「――大丈夫なのですか?」
気遣わしげにアレクが私を見た。
「え?」
「一時的にでも、自分の護衛をした人間に対して、犯人だったからといって姉上は割り切れる方ではないでしょう? ――とくに、ヒューのことは昔から気にされていましたよね」
「そんなことは、ないと思うけれど……」
「……だって姉上は、昔からヒュー・ロバーツの名前はきちんと覚えていたではないですか。ネイサン・ホールデンも」
それは、二人が原作の登場人物だから、だった。
「――兄上が特に信頼している護衛の騎士だったからよ。アレクの護衛の騎士のランダルのことだって、覚えているでしょう?」
「……はい」
あまり納得がいっていない様子ながら頷いたアレクが、ミルクティーに口をつける。
……ところで。
「ほら、アレク。シューも準備したのよ? せっかくだから食べてみて」




