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考えてみれば、どうしてあり得ないんだろう。父上がエドガー様と結婚していることを、私は当たり前に受け止めていた。愛し合っているのも当然だって。
……当然じゃ、なかったとしたら?
「そうだなあ。――この世で一番嫌いかな?」
私は大きく目を見開いた。心臓が、止まるかと思った。
左横に顔を向ける。
「守るべき人間を守れなかったから」
空っぽの表情でエドガー様が呟いた。
「…………」
守るべき、人間。誰のことなのか、見当が、つく気がした。視察で訪れたエドガー様の生家。そこに飾られていた家族の絵。
絵には描かれていたのに、現在で、一人だけ欠けている少女。
「それ、なら、エドガー様は、何故」
父上と婚姻関係を結んでいるの?
ふっと明るい笑みがエドガー様の顔に戻った。
立ち止まると、私の顔を覗き込む。
「見事に引っ掛かったね? ……からかっただけだよ」
私も立ち止まって、エドガー様を見上げた。小さく笑う。
「悪い冗談ですわ」
「ごめんね」
冗談なんかじゃなかったって、心の中では思っている。でも、エドガー様が、冗談にしたいなら、合わせることはできる。まだ。
「わたしとイーノックのことは気にしなくて良い。よくある倦怠期ってやつだよ。君は君のすべきことに専念して」
そう口にした後、エドガー様は私のほうへ手を伸ばした。
手の高さ的に、頭を撫でようとして――。
昨夜、よしよしされた記憶があるせいか、自分でも妙に身構えてしまったのがわかった。
態度にも、出た。
リーシュランの花を挿してもらったときは全然そんなことなかったのに!
「……ごめんね。つい」
エドガー様が苦笑して、私から距離を取った。
私のことを娘……だとはエドガー様も思っていないはずだけど、家族としての行為。妹に近い感覚、とか。
もしかしたら――アイリーンさんに、していたように?
それで、頭を撫でようと、してくれた?
でも、私が構えちゃったから……。
「エドガー様が嫌だとか、そういうことではありませんわ! 急でしたので……!」
私は強く訴えた。
私のコンディション? の問題……!
「なら、良かった」
幸い、エドガー様は気分を害した風ではなかった。かといって、いまさら「撫でて!」って頭を突き出すのも何だし……。
「いきなりだったのが悪かったね。わたしのせいだ。次からは、事前に確認を――いや、そうしたほうが良さそうかな?」
エドガー様が尋ねるというより、呟いた。見ているのは、私と、私の背後に控えているクリフォード?
私が内心で首を傾げていると、
「その『黒扇』と剣の飾り房、アルダートンとお揃いなんだね」
ふいに、エドガー様が言った。
ぐ。エドガー様の口から『黒扇』って言葉が出ると結構ダメージだっていまわかった。エドガー様にも『黒扇』として知られているっていう事実がまざまざと……。
でも、さすがエドガー様! 気づいてくれましたか! クリフォードがレヴ鳥の羽根を使った飾り房を剣に付けているってことを! ちなみに、気づいた第一号はサーシャだったり! 「これが、殿下が準舞踏会で宣言されたという、あの……?」って。
「ええ、わたくしがクリフォードに下賜しました」
私はパッと『黒扇』を開いてみせた。
同じ素材……レヴ鳥繫がりということをアピール!
「前の飾り房よりアルダートンの剣に合っている気がするよ。ひと目で君に属している人間だって判別できる。――オクタヴィア」
「はい」
「その『黒扇』、一度持ってみたかったんだ。お願いを聞いてくれるかな?」
喜んでー!
「勿論ですわ」
私は嬉々として『黒扇』を差し出した。さっき私が身構えちゃったのはこれで帳消しっていうエドガー様の心遣いと見た!
そして、実際に『黒扇』を手にしたエドガー様は、持ってみたいと言っただけあって、レヴ鳥の羽根を用いた、ある意味呪いのグッズな『黒扇』に対して完全にニュートラル!
そんなエドガー様に、オタク特有の熱さでもって『黒扇』の良さを私は力説した。
また時折こちらに質問を挟んだりと、エドガー様が聞き上手なのもあって、私はオタクとして最後まで突っ走った。……結構、時間が経ったかも。
でも、エドガー様の表情は好感触!
「ありがとう。参考になったよ。……わたしが商人として現役だったら、大々的に売り出すんだけどなあ……」
そして、無念そうに、そんな感想を述べた。エドガー様は、『黒扇』に対してもすごく商人目線だった……! だけど、これは貴重な『黒扇』への理解者の誕生?
「はい。どうぞ」
エドガー様から、丁重な手つきで『黒扇』が返される。
私もにこにこと受け取った。
笑みをこぼしたエドガー様が、尋ねてきた。
「事前確認をするよ。……頭を撫でても?」
有言実行の質問!
「はい」
私はこくりと頷いた。私も今度は身構えなかった。
頭を撫でられる。
……くすぐったい。
「……おっと」
何かに気づいたように、パッとエドガー様が手を放した。私の中の麻紀の部分が、もう少し撫でていてくれても……と不満を訴えている。
いやいや、私よ、そんなんじゃ駄目でしょう!
「エドガー様!」
――と、呼び声がした。大回廊へ続くもう一方の扉から、エドガー様の別の護衛の騎士がこちら側へ走ってくるところだった。
「……来たみたいだね。ここまでありがとう」
お礼を言われて、私はかぶりを振った。よっぽどでなければ、城内で何か起こることはないと思うけど――昨日みたいにイレギュラーなこと自体は起こりうるわけだし、エドガー様を一人にするわけにはいかないもんね!
――エドガー様の護衛の騎士が私たちの側までやってきた。簡単なやり取りを済ませて、大回廊を出、ここからは別方向というとき、最後にエドガー様が口を開いた。
「――オクタヴィアも心境の変化があったのかな?」
? はて。
「心境の変化……ですか?」
「庭園で話したときも思ったんだけど、少し変わっただろう?」
「……そう、でしょうか?」
「話しかけやすくなった」
! 愕然とした。こんな風に言われる、ということは!
「――わたくし、そんなに無愛想だったのですか?」
エドガー様が笑いながら否定した。
「いや、そういうことじゃなくて――分厚い壁が薄くなった感じかな? だから、嬉しいよ。飾り房を下賜するような護衛の騎士ができたこともね」
クリフォードに一度視線を向けてから、優しい眼差しで私を見つめる。
壁、かあ。
やっぱり、アレク以外には……ううん、アレクにでさえも、壁を作ったことがない、とは言えない。顔には出さなかったけど、心の中では苦笑いをした。
そして、それはエドガー様も同じだったんじゃないかって、思った。誰にでも分け隔てなく優しく接するのは、誰も深く踏み込ませないのと同じだから。
「――エドガー様、わたくし、約束したのです」
たぶん、エドガー様には意味不明な言葉であったとしても。
「約束?」
「エドガー様のご両親と」
助けるって。そんな機会はないほうがいい。でも、もしもが訪れたら。
「ですから、期待してくださいね」
「それは嬉しいな」
――エドガー様が覚えていてくれたら私も嬉しい。
「披露目の日ももちろん楽しみにしているよ」
な、何でですか、エドガー様!
眼鏡越しに焦げ茶色の瞳が細められ、悪戯っぽく言葉が付け加えられた。
「以前よりいっそう」
一体どこに前より楽しみにする要素がっ?




