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余計な遠慮とプライドは、愛するうえではむしろ邪魔  作者: ほねのあるくらげ


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「ルカーーーー! また俺にニンジン食べさせたな! だましやがって! 今日という今日はゆるさねぇ!」


 怒りをあらわにしてルカを探すトミーをなんとか撒いて、ルカとエデはルカの書斎に退避した。


 ニンジン、おいしいと思うのだが。なんのケーキだったか言っていなかっただけで別に騙してはいないし、料理人のハンナの話ではおいしそうに食べていたはずだ。トミーは何が不服なのだろう。ルカはすっとぼけることにした。


「話の続きだけど、カルゼル男爵のご令嬢って……あの時の夜会の人よね。ほら、あの、ウィズの……」

「ええ。リトリア大尉の婚約者の、リンバーソン嬢です」


 彼女からの手紙が届いていたと、執事のジョゼに渡されたのがついさっきのことだ。夜会での一件の謝罪をしたいからルカの家を訪問してもいいかと尋ねる内容だった。

 エデについては書かれていなかったが……おそらく、同席してもらったほうが誰にとってもいいだろう。


 そのことを伝えると、エデは小さくため息をついた。


「わかったわ。あたしもあの人に言いたいことがあるし。あの人と会うのなら、絶対に呼んでちょうだい」

「ありがとうございます、エデさん」


 ほっとした。これでもし「面倒だからあんた一人で会いなさいよ」などと言われたら、不安すぎて縋りついていたかもしれない。もっとも、エデがそんなに冷たい人間でないことはルカだってよく知っているのだが。


 とりあえず、フレミアには来週の土曜なら時間が取れると手紙の返事を書いておいた。

 ただし会う場所はこの家ではなく、貴族街にあるティーサロンだ。


 平日はルカが仕事で忙しい。今日のような休日でないと都合はつかないからだ。夜であれば時間も空くが、年頃の—しかも相手は貴族で、互いに婚約者もいる—少女を女性の同伴者がいるとはいえ連れ出すのも外聞が悪い。どうせ会うなら陽が高いことに越したことはなかった。


 数日後、フレミアから了承の返事が届いた。エデも同席するとのことで気乗りはしない風だったが、異存はないようだ。


 一体何を話されることやら。特に親しくもない、ほとんど初対面の相手と休日に会うことを想像して、ルカは重苦しくため息をついた。


* * *


 約束の場所に現れたフレミア・リンバーソンは、見ているエデが心配になるぐらい青白い顔をしていた。お忍びなのか、伴はつけていない。顔色が悪いのは、はたいたおしろいのせいだけではないだろう。


「ベイル様、リトリア様、お時間をいただき感謝いたします。先日は大変失礼いたしました。お召し物は当家で弁償させていただきます」

「何度も申し上げた通り、あれはただの事故ですよ。お気になさらず、リンバーソン嬢」


 ルカが優しく笑いかけるものの、席に着いたフレミアの表情は固い。うつむく少女は小さく震えていた。


 日傘より重いものを持ったことがなさそうなその細っこい身体は、とても軍人の娘とは思えないほどか弱かった。

 夜会の時も思ったが、フレミアは明らかにエデよりも年下だ。もしかすると、まだ成人すらしていないかもしれない。最低でも、飲酒が可能な十四歳は超えているだろうが。


「それで、話というのはなんなのかしら」


 ああ、ほら。ちょっとエデが口を開いただけで、このお姫様は可哀想なぐらい震えてしまっている。


 これではまるでエデがいじめているみたいだ。内心でむくれるエデの心境を知ってか知らずか、ルカがテーブルの下でそっと手を握ってくれた。温かくて落ち着く。


「ウィズ様とリトリア様のことで、少し」

「わたくしのことはエデと呼んでくださって構いませんわ。呼びづらいでしょう、貴方の婚約者と同じ苗字ですし」


 何が気に食わないのか、フレミアは一瞬だけ悔しそうに唇を噛みしめた。すぐにその目は伏せられるが、そんな顔をされたって仕方のないものは仕方ないだろう。

 この苗字はあの老爺がくれたものだ。貴族のお姫様からの文句は受け付けない。


「無礼を承知でお尋ねしますが……エデ様は、ウィズ様のことをどう思っていらっしゃいますか?」

「どう、と言われても困ります。ウィズから聞いていませんか? わたくし、彼の中では彼に失恋した挙句絶縁を言い渡された哀れな女なのですけれど。妹として謝罪いたします。まさかウィズがあそこまで自意識過剰で愚かな男だったなんて。フレミア様も苦労なさっているのではなくって?」


 語調に若干トゲが混じっている自覚はある。あるが、一方的に悪役にされている以上どう振る舞っても結果は同じだろう。

 そもそもフレミアは、ルカにワインをかけたのだ。好意的な感情など抱けるわけがなかった。……まあ、染み抜きにかこつけて奥手なルカの服を無理やり脱がせることができたのだけれど。


「お伝えしておきますけれど、わたくしがウィズに好意を寄せていたなどというのはウィズの思い違いです。わたくしはずっと、こちらのルカさんとお付き合いさせていただいていましたもの」


 ルカに口を挟ませる隙は与えない。“ずっと”というのは大いに語弊があるが、ルカが二年間エデのもとに通い詰めていたのは事実だ。少なくともエデが想いを自覚した一年前から、自分達は付き合っていたと言えるのではないだろうか。きっとそうに違いない。


「これまでもこれからも、わたくしが愛しているのはルカさんただ一人です。ウィズが何を言おうとも、くだらない戯言として聞き流してくださいまし」


 エデはちらりとルカを見上げた。ルカはよそいきの笑顔を浮かべているが、その目の奥に愛と歓喜が見えるのはきっと気のせいではないだろう。

 握った手を持ち上げられて、そっと甲にキスをされたのがその証拠だ。お互いが傷つくことを恐れず自分に素直になったおかげか、エデは以前よりもっとルカのことが読み取れるようになっていた。


 フレミアは押し黙ったままだ。だが、意を決したように口を開いた。


「エデ様、ありがとう存じます。失礼ながらわたくしは、お二人を見るまでずっと不安でした。本当はウィズ様とエデ様はずっと想い合っていて……わたくしはウィズ様の出世のために、ベイル様はエデ様とウィズ様の逢瀬のために利用されているのではないか、と。……ですがエデ様とベイル様は、ではないのですね」


 フレミアの目に涙が浮かぶ。咄嗟にエデは身を乗り出し、ハンカチを差し出した。


「何があったか話してごらんなさい。聞くだけならあたし達でもできるわ。色々考えてることとかあるでしょうけど、吐き出してみると案外楽になるものよ」


 つい素の口調で話しかけてしまったが、フレミアは何も言わなかった。

 エデのハンカチを、フレミアは迷いながらも受け取る。そのままフレミアは訥々と話しだした。


 ウィズに一目惚れし、数年間彼に想いを寄せていたこと。不美人だからと恋を諦めていたこと。

 ウィズが軍部で出世するためには、家柄が不十分だと知ったこと。魔獣狩りの英雄となった彼に人気が殺到したこと。

 ウィズの属する師団の司令官である父に頼み込み、なんとか縁談の一番上に滑り込んで婚約を結んでもらったこと。ウィズは優しくしてくれるが、時々ひどく物足りなさそうな顔をしながら他の女性を目で追うこと。


 それから、かつてウィズが親しくしていた、美しい女優がいると人づてに聞かされたこと。


 親に権力があること以外は何から何まで平凡な自分では、ウィズには釣り合わない。

 もしもウィズが目移りしている女性達が、本気でウィズに秋波を送ってしまえば。

 ウィズはきっと、彼女達のほうになびくだろう————そんな恐れを抱くフレミアが最も警戒していたのが、エデだった。


「わたくしは、ウィズ様のことを金と地位で買った女です。ウィズ様に本当の恋人がいたのなら、きっと貴方だろうと思っていました。わたくしのような不美人に仲を引き裂かれて、貴方もさぞ不服だったろうと……」

「親しかったって言っても、それは家族だったからよ。あいつに支援されたことは一回もないわ。あいつだって、ただあたしの名前を出してコネを広げたかっただけだろうし」


 ルカを安心させる意味でもきっぱりと断言しておく。支配人に尋ねれば裏は取れるだろう。


 普通は支援者の個人情報など明かされないが、エデの婚約者であるルカになら「ウィズはエデを支援していたか」ぐらいの問いには答えてくれるはずだ。だって、劇場の支援者きゃくではないのだから。


「それからね、あんたさっきから自分のことを褒めなさすぎ。そりゃ、女の子はみんな可愛いとか能天気なことは言わないけど。でも、せめてあんたぐらいはあんたの味方でなくってどうするのよ」


 確かにフレミアの言う通り、彼女には目を引くものはない。景色に埋没してしまうような、地味な少女だ。


 だが、若さのおかげか肌は綺麗だし、裕福なだけあって髪のつやもある。鶏ガラみたいなその体つきをどうにかして、もっと化粧のうまいメイドを雇えば、見える世界は変わるだろう。


「フレミアさん、もしよかったら今度一緒にお買い物に行かないかしら」


 にっこり笑って尋ねると、フレミアは戸惑い気味に頷いた。圧がすごいと呟いた隣のルカの声は聞かなかったことにする。


「頬紅もだけど、影の入れ方どうなってんのそれ。ド下手くそじゃない。貴族の流行りっていつもわけわかんないけど、それが時代遅れってことぐらいわかるわよ。そのメイド、クビにしたほうがいいわよ。少なくとも化粧係にさせちゃだめ」

「あ、あの、エデ様?」


 ポーチから自前の化粧道具を取り出す。だが、エデとフレミアでは似合う色が違うだろう。実物を見せながら説明できれば早かったのだが。小さく舌打ちをして、すぐに化粧道具をしまう。


「フレミアさんって、ドレスは自分で選んでるのかしら?」

「い、いえ、そういったことはよくわからないので、衣装係に……」

「じゃあそいつもクビにすべきね。せめて仕事を変えてやって。……ったく、仕立て屋は何をしてるのよ」

「母が早くに亡くなったので、わたくしの身の回りのことは父が選んだ家庭教師にすべて任せているんです。年配の方ですが、あらゆる作法に精通しているので従っていれば間違いはないと……」

「道理で時代遅れなはずだわ! あんた、そのお婆さんの言いなりになって花の盛りを無惨に散らす気?」


 フレミアはおどおどしながらも、ゆっくりと否定の言葉を紡いだ。


 礼儀作法がどうたらというのも本当かどうか怪しいものだ。そんなに完璧にマナーを教えられるなら、社交の場で我を忘れて恋敵にワインをかけたり、目の前で砕けた話し方をする平民の女を許容できたりする令嬢が生まれるわけがないだろう。


 頭の凝り固まった時代遅れの男が、同じく価値観の古い老婆に娘の教育を丸投げした。そして老婆は少女に自分の感性を押しつけた。それだけだ。年若い令嬢が何を好むかも知らず、知ろうともせず。


「あんたはその涼やかな目元を活かすべきよ。無理に愛くるしい感じにしないで、凛とした風に見せたほうが絶対に似合うわ。だって今のあんた、ぼんやりしすぎてるもの」

「ぼ、ぼんやり、ですか。わたくしが……」

「印象が薄いのよねぇ、全体的に。ドレスだってそうよ、白って色自体は悪くないけど型がいくらなんでも絶望的。その格好で夜道に立ってみなさい、百年前の幽霊だと思われるわよ。ねえルカ」

「私に話を振られても困るのですが……。そうですね、ウエストの位置を高くして、胸の下辺りからスカートが広がるようなデザインなら、背が高く見えるのでは? スタイルもよく見えると思いますよ」


 女性の服飾は専門外ですがそういうドレスを着ている方はよく見かけます、とルカは思案げな顔で付け加えた。エデも大体同意見だ。


「リンバーソン嬢は、何か好きなお色などはございますか? まずは、好みのもので揃えるところから始めるとよいかと。店の人間にすべて任せるにしても、好みに寄せられるのならある程度は関心を持てるでしょう?」

「青……でしょうか」

「なら、今度ロイヤルブルーをベースにしたドレスを仕立てましょ。それに合わせたお化粧も教えてあげる。貴族のお姫様だからお化粧の仕方なんて覚える必要はないけど、それでも流れを理解しておいて損はないと思うわ」


 なんだか楽しくなってきた。エデをショッピングに連れ回していたディアードラの気持ちが少しわかったような気がする。


「それと、あんたの厄介な家庭教師。メイドじゃそのお婆さんに逆らえないでしょうし、あんたがびしっと言ってやんなさい。かんしゃくでも起こしたら一発よ」


 ワインをびしゃりとかけてやるといい。エデが茶化すと、フレミアはもごもごと再度謝罪の言葉を告げた。


「わ、わたくしにできるでしょうか」

「できるかどうかじゃないわ。やるのよ。そうでもしないと、あんたはいつまでも自分のいいところを見つけられない気がするもの」


 そう言って微笑みかける。フレミアは、何か希望を見出したような目でエデを見つめた。

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