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花信風  作者: つま先カラス
第五章 慶応三年
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第68話 探索

 島原や三本木の芸妓たち、かつて長州藩邸に出入りしていた御用商人たち……。草月は知り合いの情報通を片端から訪ねて回り、「新選組と見廻組に関して、知っていることがあれば何でもいいから教えて欲しい。特に、誰かを襲撃するといった、不穏な話があれば、すぐに知らせて欲しい」と頼み込んだ。

 彼らはそれぞれの情報網を駆使して、主要な隊士の名前から市中巡回の様子、眉唾なうわさ話に至るまで、大小様々なことを草月にもたらしてくれた。しかし、肝心の坂本暗殺計画に関する情報は皆無だった。さすがに酒で酔ったとしてもおいそれと漏らすような内容の話ではないから無理もない。やはり直接、自分で探るしかないだろう。

 さてその手をどうするか。

 今日もまた空振りに終わった聞き込みの帰り、考えに耽りつつ歩いていると、四条通りに差しかかった辺りで、にぎやかな太鼓やお囃子の音が耳に届いた。こんな時期に、祭りでもやっているのだろうか。気になって、野次馬よろしく大勢の見物客に交じって通りを覗くと、

 ~ええじゃないか、ええじゃないか

 色とりどりの派手な着物に身を包んだ者たちが、傍若無人に歌い踊っている姿が目に飛び込んで来た。

(なに、あれ……)

 半ば呆気にとられながらその狂乱を目で追っていれば、ふいに「草月はん」と肩を叩かれた。振り向いた先にいたのは、屈託のない笑みを浮かべた年の頃十六、七の少年。菊屋の跡取り息子、峰吉である。利発で人当りもよく、坂本や中岡には「峰やん」と呼ばれて可愛がられており、以前には坂本の頼みで団子売りに化けて新撰組の屯所を偵察したこともあるらしい。

「峰吉くんも見物してたの? なんか変わったお祭りだね」

「祭りやあらしまへんえ。四、五日くらい前からですやろか。急に京のあちこちで流行りだした踊りどす。お伊勢さんやら太神宮さんやら八幡宮さんやら、何やかやのお札が天から降って来たゆうて、目出たいめでたいてああやってお祝いしてはるんどす」

「へえ……。不思議なこともあるんだね」

「お父はんは、近頃の政情不安を写しとるのやゆうてましたけど」

「ふうん」

 不安な気持ちが過ぎると、却って明るくなる、ということだろうか。

 踊りの一群は、飛び入り参加の者も交えて徐々に人数を増やしながら遠ざかって行く。

「ところで峰吉くんは仕事の帰り?」

 背負子に乗せた大きな荷物を見やってそう問えば、峰吉はへえ、と頷いた。

「御贔屓筋を回って来た帰りどす。草月はんのほうはどないどす?」

「残念ながら、これといって収穫はなし」

 草月は微苦笑を浮かべて首を振った。

「あ、そうだ、帰りは少し遅くなるってお店に伝えておいてくれる? これから新選組の屯所に行ってみるつもりだから。どんなところか、一度、自分の目で見て確かめておきたくて」

「ほんならうちが案内します!」

「え?」

「思ったより仕事もはよ済んだし。ちょうっと寄り道して帰ったかて、お父はんにはばれへん」

「それは駄目。万一、前に団子を売っていた奴だってばれたらどうするの。危険だよ」

「その時は、知り合いの団子屋の手伝いをしとったって言えばよろしおす。それに草月はん、屯所の正確な場所、知らんやろ? 用もないのにおなごが一人、屯所の周りうろうろしとったら、それこそ怪しまれますえ。その点、貸本屋と一緒やったら問題なしや。な? せやからお願い、頼んます!」

 拝むように言われて、草月はしばし逡巡した末に分かったと言った。

「でも、あくまでちょっと様子を探るだけだからね。少しでも怪しまれそうになったら、すぐに帰るから」

 二人連れ立って歩き出して間もなく、巡回中らしき数名の武士と行き合った。何食わぬ顔をしてやり過ごした後、峰吉はさりげなく草月に体を寄せると、後ろを気にしつつ、ひそひそ声で言った。

「あいつら、幕府の歩兵隊やら銃隊やらの兵士ですえ。ああやって巡回中に目ぼしいお店を見つけては、もっともらしい理由をつけて金目のもんを奪っていくんどす。なにが不逞浪士を取り締まる、や。不逞の輩は自分らやおへんか」

「そんなことしてるの!? 最っ低ね」

「そうですやろ? あ、せやけど、京の者かてやられっぱなしではないですえ。お上に訴え出たり、土佐や薩摩のお屋敷に願い出て、札を掲げる許可もろたり……」

「札?」

「『土州下宿』『薩州下宿』ゆう札を家の前に下げておくんどす。わざわざそないな家にたかりに入る阿呆はいやしまへん。権威を笠に着る輩は権威には弱いですよって」

 言われてみれば、草月も時折、市中で見かけたことがある。字義通りにしか捉えてなかったが、成程そういう意味もあったのか。

 知恵達者だねと返した声は、しかし、男の横柄な怒鳴り声にかき消された。振り返ると、通り沿いに建つ店の前で、先ほどの武士たちが店の主人らしい男の胸倉を掴んで凄んでいる。峰吉が盛大に顔をしかめた。

「言うた端からこれや」

「大変、助けないと……!」

「助ける、て――。気持ちは分かりますけど、無茶どす。あいつら、相手が女子供やろうと構うような輩やおへん。草月はんかて、なるべく目立つ行動は控えたほうがええですやろ」

「そうだけど、見ちゃった以上、黙って放ってはおけないよ。何か良い手はないかな……。今更、土州下宿の札を持って行って、実は土佐家中の方が泊っています、なんて言っても信憑性ないだろうし、短筒を撃って注意を逸らそうにも、隠れる場所がないし。……そうだ!」

「え!? 草月はん!?」

 小さく叫ぶなり走り出す草月を追って、峰吉も慌てて地面を蹴る。

「峰吉くん、さっきの踊りだよ!」

「踊り? ええじゃないか踊り……どすか?」

「そう! あの踊りの人たちを、さっきの店に誘導するの!」

「えええええ!?」

                 *  


 頑なに金の供出を拒む店の主人に、武士たちは苛立ちもあらわに声を荒げている。

 近隣の住人たちは成すすべもなく、気の毒そうに遠巻きに見つめるばかり。その中の一人が、何かに気付いたように通りを振り返った。

 間もなく、場違いに明るい音曲と歌声と共に、ええじゃないか踊りの集団が現れた。盛んに店の名前を出して、お札が降ったと煽っているのは踊りに紛れ込んだ草月と峰吉である。

 狙い通り、集団は件の店へと踊りながらなだれ込んだ。

 武士たちが何事かわめいていたようだが、多勢に無勢、店の中は狂ったような騒ぎになった。これでは強請りどころではない。武士たちは悪態をついて去って行った。

「ふう。……ひとまずあの人たちを追い帰すことは成功したけど……。代わりに、店の中が大変なことになっちゃったね」

 ひとしきり騒いで集団が去った後の店は、地震でも起きたような有り様であった。

「散らかったもんは片付けたらよろし。大事なお金や商品を取られて店が潰れるより、よっぽどましや」

 店を出て少し行ったところで、草月と峰吉はさり気なく集団から離れて通行人に紛れ込んだ。峰吉は未だ興奮冷めやらぬように、顔を上気させている。

「せやけど痛快やったなあ! 見ましたやろ、あいつらの悔しそうな顔!」

「そうだね……。でも、あの人たちがまたあの店に因縁つけなきゃいいけど」

「その心配には及ばぬ」

 突然の声は頭上から。はっとして目を向けると、馬上からこちらを見下ろす武士と目が合った。顎のがっしりとしたいかつい顔つき。歳は三十代半ばから四十くらいだろうか。周りには数人、供らしき武士を連れている。

 一体いつの間に――。まるで気が付かなかった。

「わしもあの者たちの所業が目に留まってな。角を立てずに事を収めるにはどうすればよいか思案しておったところだが、お前たちに先を越されたな。なかなか機転の利く者たちだ」

「あ、ありがとう、存じます」

 深く腰を折って丁寧に礼を言いながら、心の中では最大限の警戒を張り巡らせている。

「そう固くならずとも良い。あの者たちのことは、後でわしから上役に話をしておこう。……ところで小僧。見たところ、お前は貸本屋だな」

「へえ」

「ちょうど良い、見せてもらおう。後で新選組の屯所に参れ。この先の不動堂村だ。門番には話を通しておく」

 武士はさっそうと部下を引き連れて去り、後にはぽかんとした顔の草月と峰吉が残された。

「……あの人、新選組だったんだ」

 意外過ぎる成り行きではあるが、堂々と新選組の屯所に入り込む口実が出来たことは大きい。覚悟を決めて向かった屯所は、大名屋敷かと見まがうような広大な敷地を有する屋敷であった。どっしりとした重量感のある表門には、槍を持った門番が睨みを利かせている。

「あれか……。話には聞いてたけど、立派だね。でも、市中の警護が役目にしては、ずいぶん市街地の外れじゃない? もうすぐそこには田んぼや畑が広がってるし」

 さりげなく辺りの様子を観察しながら、草月がささやく。

 ぐるりと周りを囲む高い塀のせいで、外からは内部の様子を窺い知ることは出来ない。だが、大まかな建物の配置なら頭に入っている。情報源は、新しい屯所の敷地と建築資金を提供した西本願寺の僧侶や、陸援隊隊士の村山謙吉――以前、新選組に人違いで捕まって釈放されたという特異な経緯を持つ隊士――である。彼らによると、屋敷には玄関や客間、幹部部屋、隊士部屋の他、大きな風呂を備え、敷地内には厩や物見櫓まで設置されているという。

(あそこに物見櫓が見えてるから、多分玄関はあっち側、厩は向こうかな)

(そうどすな。うちが前に来た時と比べても、特に変わったことろはあらへんようどす)

(よし、じゃあ行こう。くれぐれも気を付けて)

(へえ、草月はんも)

 覚悟を決めて足を踏み出す。

 門番に事情を話すと、すんなり中へと招き入れられた。


                     *


「病で寝付いている隊士がいてな。その者の退屈しのぎになりそうな本が欲しいのだ」

 最前会った、いかつい顔の武士は新選組局長・近藤勇と名乗った。

「御病気ゆうことでしたら、難しい勉学の本やのうて、軽うに読めるものがよろし思います。滑稽本なんかどないですやろか」

 さすがに緊張した面持ちの峰吉は、だが如才なく、背負った風呂敷包みの中からいくつか本を選び出して、一冊ずつ丁寧に説明していく。さすが年は若くとも菊屋の跡取り息子といったところか、近藤から投げかけられる質問にも、答えに窮することはない。やがて近藤は峰吉が勧めた中から二冊を選んだ。

「近藤様ご自身は、何か御所望のものはございますやろか」

「そうだな……」

 近藤は四角い顎を大きな手でゆっくりと撫でた。

「軍記物などがあれば読みたいが」

「軍記物でございますか。えろうすんまへん。あいにくと今は用意がおへんのどす。店に戻ったらぎょうさんありますさかい、よろしければまたご都合のよろしい日にお持ちさせてもらいますけんど」

 峰吉が抜かりなく次回の約束を取り付けた隙に、草月はすかさず他の隊士にも本を勧めてみてはどうかと提案した。日々命がけの任務に就いている隊士たちにとっても、一時の気晴らしになるのでは、と。

 あっさり近藤からの許可が出て、草月と峰吉は濡れ縁を回り、教えられた大部屋へと向かう。たむろしていた隊士たちは、珍しい客に興味を持った様子でやって来た。

 営業に励む峰吉の横で、草月も有益な情報を引き出すべく会話に加わる。

「へえ、あんた、おそうさんて言うのか」

「はい。最近、京へ来たばかりで、峰吉さんに色々と町を案内してもらっていたんです。ですが、まさか、近藤様のような立派なお武家様にお会いできるなんて、思っておりませんでした。実を申しますと、京は物騒だと聞いておりましたので、内心不安だったのですけれど……。近藤様たち新選組の皆様が守ってくださっているなら安心ですね。菊屋のある四条付近も、夜になると人通りが絶えて怖うございますから」

 草月は心底感心した風を装って、にっこり笑ってみせる。

「あー……、いや、言いにくいんだけど、そっちは新選組の見回り区域じゃないんだ」

「あら、そうなのですか? てっきり、新選組の皆様が京の町全てを守ってくださっているとばかり……」

「さすがに俺たちだけでは京の町全部は手が回らねえよ。新選組の他にも京都所司代とか京都守護職とか見廻組とか……、まあ色々の組織があって、幕府からきっちり警備区域が決められてる。大雑把に分けると、俺たち新選組が五条通から南、北が見廻組、寺町通から東が京都守護職、御所の辺りは京都所司代ってところだな。だから、あんたのいる四条辺りは、京都守護職と見廻組が守ってるってことだ」

「さようでございますか。きっと、皆さんに負けず劣らずのお強い方ばかりなんでしょうね。……それにしても、いつ何時不逞の輩に出くわすか分からないお仕事は、大変でございましょう。斬り合いになることもあるのでしょう?」

「それが任務だからな。我らはもう何人も危険分子を捕縛している」

「特定のどなたかを追うこともおありなのでしょうか」

「――なぜそのようなことを聞く?」

 隊士の声音に警戒の色が浮かんだ。

 さすがに踏み込み過ぎたか。

 草月は素知らぬふりを続けたまま、速やかに釣り竿の針を引っ込めた。

「いえ、もし町でお探しの人を見かけたら、お知らせできるかと思いまして」

「気持ちは有り難いが、それには及ばん。我らが追っているのは危険な奴ばかりだ。万が一にもおなごに害が及んでは困る」

「お気遣いありがとうございます」

 そろそろ頃合いだろう。

 これ以上怪しまれる前にと、草月と峰吉はそそくさと敵陣を後にしたのだった。


                    *


 田中が菊屋を訪ねて来たのはその日の夜、五つをまわった頃だった。

 未だ興奮冷めやらぬ状態の峰吉から、新選組の屯所を訪れた『大冒険』の顛末を聞いた田中は、存分に労って峰吉の自尊心を宥めてから、「ところで、草月さんはどうしたがじゃ?」と聞いた。

「それが、屯所を出てからなんやふさぎ込んではって……。疲れたから休むゆうて部屋にこもったきり、夕飯にも出てきはらへんのどす」

「……ほうか。まあ無理もないぜよ」

「『無理もない』て……」

 峰吉は両目をぱちぱちと瞬かせた。

「田中はん、何ぞ草月はんが沈んではる訳に心当たりあるんどすか」

 まあな、と低い声で答えた田中は、しばらく言うかどうか迷うように視線をさまよわせていたが、峰吉に向き直ると重い口を開いた。

「……おまんも覚えちゅうじゃろう。三年前に、三条通りの池田屋で起きた惨劇のことを。あの一件で、尊攘派の志士らは新選組にこじゃんと殺されたがじゃ。その中には、草月さんと親しかったお人もおったそうでな。その憎い憎い新選組相手に、情報を得るためとはいえ褒めて持ち上げるようなこと言わなあかんかったことが、草月さんには血反吐吐くくらい堪えたんじゃろう」

 はっとしたように息を呑んだ峰吉は、泣きそうな表情になってうなだれた。

「うち、いっこも気い付かんで……」

「そう落ち込みなや。草月さんも、これで心が折れるような柔なおなごやない。明日にはきっと立ち直っちゅう。ほいじゃき、おまんは美味い朝飯用意して待っといたり」

「……へえ」

 ぽんと背中を叩いた田中を見上げて、峰吉はこっくりと頷いたのだった。





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