第63話 混迷の政局
慌ただしい引っ越しを終えて、本格的に山口での生活が始まった。
草月が住んでいるのは、政事堂から西に十五丁ほど離れたところにある木戸の屋敷だ。当初、草月は適当な借家を探すと言ったのだが、部屋は余っているし共に暮らしている幾松も喜ぶからと半ば押し切られる形でやっかいになることになった。
何から何まで木戸に負んぶに抱っこ状態で、恐縮することしきりだが、その分精一杯働いて返そうと毎日仕事に励んでいる。
草月に与えられた役職は、木戸付き臨時補佐役。肩書こそ御大層だが、要は煩雑な雑務を引き受けて、木戸が重要な仕事に専念できるようにするのが役目である。
次から次に上がってくる決裁待ちの書類や上書、各地から送られてくる報告書、諸藩士からの手紙……、それらを木戸が読みやすいように分類・整理し、処理済みの書類は種別に分けて保管庫へ、あるいは他部署へ回覧させる、あるいは複数枚写しを作って配る。その合間に、ひっきりなしにやって来る客人への応対、あちこちの部署へのお使い……。
今までこれを全部、木戸一人でやっていたのか、とげんなりするほどの仕事量である。しかも常に他の藩士たちの厳しい目に晒されているという緊張感で、気の休まる暇もない。大変ではあるが、それでも木戸の側にいることで、常に最新情報に触れられるという利点は大きい。交通の要衝である馬関にも旅人たちから日々、様々な情報が入って来ていたが、総合的な質や量、速さにおいてはやはり政治の中心地たる山口に軍配が上がるからだ。
そうした山口での暮らしにも徐々に慣れてきた六月二十二日。京に潜伏していた品川弥二郎と山県狂介が、重大な情報を携えて長州に戻って来た。
*
急遽開かれた重臣会議の場において、二人は先の朝議決定までの経緯について詳しく報告した後、島津久光から直接預かったという言伝を開陳した。
曰く、『薩摩は長州と協力して、幕府に対抗しようと考えている。出兵もその手段の一つであり、近々、打ち合わせのために西郷を山口へ遣わすつもりである――』
折しも山口では、数日前に訪れた津和野藩の使者から、長州の寛大処分の決定を伝えられたばかりだった。この決定に、長州藩要路の中では喜ぶよりむしろ挙兵の機会を失うと危ぶむ声が多く上がっていた。木戸をはじめ王政復古の緊急性を感じている者たちにとっては、幕府を責める口実が失われることになるからだ。
そこへ飛び込んで来たのがこの報せである。
「……つまり、薩摩は、討幕のための兵を挙げるつもりってことですか」
政事堂から木戸邸へと場を移し、木戸、品川、山県、井上、伊藤、草月は車座になって、薩摩の示した方針について改めて話し合っていた。
日中の熱気が夜になっても冷めずに空気中にこもっており、ただ座っているだけでじっとりと噴き出した汗が頬や背中をつたう。品川などは、酒肴を運んできた幾松が下がるや否や、さっそくしゃちほこばった姿勢を崩し、胸元をくつろげてぱたぱたと団扇で風を送っている。
政事堂での会議では廊下に控えていて発言できなかった草月が、一番気になっていた質問をぶつけると、品川は団扇を扇ぐ手を止めて、「いやいや」と、未だ興奮冷めやらぬ様子で答えた。
「正確にはまだそこまでじゃなくて、あくまで軍事力を盾に、朝廷に改革を迫ろうってことらしいよ。この前の朝議みたいに、朝廷が容易く慶喜に屈してしまうんじゃ、どうしようもないからね。そのための相棒が長州ってわけ」
「というと、薩摩は長州の軍事力が欲しい?」
「そ。あとは地理的な利点かな。薩摩から京へ出兵するのに、長州はちょうどいい中継地になるからね」
「ただ、薩摩の中でも意見は二分されちょるようです」
草月に、というより改めて木戸に説明するように山県が言った。
「一刻も早く討幕の兵を挙げたい西郷殿に対し、小松様は慎重意見。在京幹部の間だけでなく、薩摩本国でも、出兵論と慎重論で真っ向から意見が対立しちょるようですね。ですから、ここが落とし所じゃったというところでしょう」
「不服そうな顔じゃな」
と、これは井上。
「……私は長州の寛大処分が決まったと聞いて、単純に嬉しいと思いましたから。幕府を倒して新しい政治体制を作ることには賛成ですけど、武力による討幕には賛成できません」
「ほう、理由は何じゃ。言っておくが、戦は嫌だから、とか甘えたことを抜かしたら容赦なくぶっ飛ばすぞ」
「あら、嫌ですよ。嫌だと言って何が悪いんです?」
辛辣な物言いの井上に対し、向かいに座った草月は胸を張って言い返した。
「好き好んで戦をしようなんて人、普通はいませんよ。井上さんはそうなんですか? だったら、それこそぶっ飛ばしますよ。……戦は、平和的な手段をやり尽くして、もうそれしかないって時に始めるものでしょう? でも、今の長州は違います。敵軍に包囲されているわけでもない、今すぐこちらから攻めなきゃ滅びるというような危機的な状況でもない。大体、現実的に見ても、問題が多すぎます。この前の戦はほとんど長州の近辺で展開しましたけど、それでも莫大な軍事費がかかってます。軍夫の駆り出しや兵糧米の供出で、町や村の人たちにも散々苦労を強いて、長州はまだその痛手から完全には立ち直っていません。京まで遠征するとなると、その費用だけでもこの間の比じゃないですよ。勘定方が出した概算を見ましたけど、すごいことになってるじゃないですか」
船の燃料費に、数百人分の兵の食費、武器弾薬費――。
およそ普段の生活では目にすることのないような物凄い桁の数字の羅列に目の玉が飛び出るかと思った。
「お前、また重要機密を盗み見したな」
「何重にも人聞きの悪いこと言わないでください。盗み見なんて一度もしたことないし、今回だってちゃんと木戸さんの許可を頂きました! 話を逸らそうとしたって駄目ですよ。たとえ本当に戦をしないまでも、京まで出兵するなんて負担が大きすぎるって言ってるんです。仮にそれで首尾よく慶喜を退陣に追い込めたとしても、佐幕派の諸藩が大人しく従うでしょうか。きっと色々抵抗にあって、新しい体制なんてすぐに機能しなくなります。それに、薩摩も一枚岩じゃないって、今、山県さんも言ってたじゃないですか。長州の中にだって、未だに薩摩を憎んでる人は大勢いるし、本当に薩長が足並みをそろえて軍事行動できるのか疑問ですよ。……何より、戦は勝ち負けに関わらず、その当事者だけでなく、土地の人々の心にもしこりを残します」
薩摩を憎む長州しかり。長州を憎む薩摩しかり。あの馬関の老職人のように、外国を憎む長州人しかり……。先の戦で長州と戦った諸藩や、戦場となった周辺諸国の住民だってそうだ。
だが、草月の言葉にも井上はひるまなかった。
「血を流すことでしか生まれんものもある。大体、指折りの諸侯が集まっても、慶喜には負けたんじゃぞ。慶喜は弁が立つ。奴が将軍でいる限り、この国の改革は望めん。速やかに退陣してもらう必要がある」
「諸侯っていっても、四人だけでしょう? 四人でだめだったなら、十人。十人でだめなら二十人。頭数揃えて圧倒すれば、慶喜の弁舌がどれだけ凄くても負けないんじゃないですか」
「それだけの人数をどうやって集める気じゃ。わしらと志を同じくする有力諸侯は限られちょるし、そいつらを説得して上京させるのにどれだけ時間がかかると思っちょる。そんな悠長なことをしちょる間に、慶喜は蟻の這い出る隙もないくらいに足場を盤石にするに決まっちょる。くだらん発言をする前に少しはその足りん頭を使え」
「井上さんこそ、何だかんだ言いながら、随分と慶喜を買ってません?」
「敵の能力を正確に見極めてこその戦略じゃ。やみくもに敵を見下して杜撰な策を立てて、負けて困るのはこっちじゃ」
「だからってその策が出兵一択なのがそもそも杜撰だって言ってるんです」
「何じゃと!」
だんだん険悪になるやり取りを、しかし伊藤は実に楽しそうに眺めている。
「なんか、久しぶりだなあ、この感じ」
「「何が!?」」
「ほら、息ぴったり」
草月と井上は互いに目を合わせ、同時にふいっと顔を背けた。
「二人とも、その辺にしておけ」
見かねた木戸が割って入った。
「確かに草月の言うような慎重論も一部で上がっているのは事実だ。今は割拠して力を蓄えるべき時だと……。だが、聞多の言うように、機を逸すれば、幕府に付け入る隙はこの先二度となくなるだろう。事を起こすとすれば、先の戦で諸藩の反発を招き、幕府の威信が失墜しているこの時期しかないと私は考えている。……まあ、まずは西郷の話を聞こう」
「……はい」
しかし、結果として、西郷は来なかった。
生ぬるい小雨降る七月十五日。山口政事堂を訪れたのは、西郷ではなく、草月も京で面識のある村田新八という偉丈夫の薩摩藩士だった。応接間に通された村田の元へ、木戸ら重役のほか、品川と山県も急ぎ駆け付けた。
「どういうことだよ、村田さん。西郷さんはどうしたんだ?」
「体調でも優れんのか」
「落ち着いて、まずはこいを読んでくいやんせ」
詰め寄る品川や山県にも動じることなく、村田は懐から一通の手紙を取り出した。
宛名は品川と山県の二人。差出人は西郷吉之助とある。
それにさっと目を通した二人は、すぐさま隣に座る木戸へと渡す。しばしして書面から顔を上げた木戸は、
「……これによると、土佐の後藤象二郎殿が大政奉還の建白を提案し、貴藩もそれを了承したとあるが――」
(え!?)
木戸に従って部屋の隅で控えていた草月は、もう少しで声を上げるところだった。
草月の動揺をよそに、話は続く。
後藤象二郎が上京してきたのは、品川たちが京を発って間もなくのこと。
薩土の代表数人が集まって話し合いの場を持った結果、薩摩は後藤の策を受け入れるに至った。ただし、実際に幕府へ建白するには、山内容堂の許しを得る必要がある。後藤は容堂に説いて藩論を建白と決するため、急ぎ土佐へと帰国した。従って、薩摩としてはその報告を待つ必要があり、薩長出兵の話はそれまで保留にしていただきたい、と。
「話の向きは確かに承った。だが、西郷殿が賛成に回ったのはいささか意外だ。彼は強固な武力討幕派だと思っていたが」
「最初は反対しておいもしたが、『おそらく幕府は応じんじゃろうで、そいを機に挙兵すればよか』と言われて妥協しもした。土佐にしてみれば、薩摩を味方に引き入れうための方便ほいならったでしょうが、西郷さあにしてみれば、大政奉還が失敗した暁にな、挙兵への土佐藩の協力も得られうとの計算も働いたと思われもす」
「なるほど」
(大政奉還……)
目の前で交わされる話を聞きながら、膝の上で握った両の手のひらに、じわりと汗がにじむ。
大政奉還策は、以前にも松平春嶽が建白したはずだ。結局、その時には受け入れられることはなかったが、今度、土佐藩から建白されればどうだろう。
それが、草月の知る大政奉還へとつながるのだろうか。
時期的には少し早い気がする……が、土佐で藩論をまとめて、建白して、幕府がそれを吟味して……という煩雑な過程を考えれば、その可能性は極めて高い。
いよいよか、と気を引き締める。
急な方針転換をした薩摩に多少思うところはあるが、以前のように短絡的に薩摩の変節をなじるほど愚かではない。
村田の話を受けて、木戸は直ちに重臣会議を招集し、結果、薩摩の政策急変に対応するため、使者を京へ送ることになった。木戸自身は藩外の形勢偵察という藩命を受け、伊藤と共に馬関から丙寅丸に乗り、長崎へ向けて出航した。木戸の名目上の補佐役たる草月も一緒である。
残暑厳しい八月七日のことだった。




