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花信風  作者: つま先カラス
第二章 長州内乱
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第22話 奇跡の逆転劇

 御楯隊が山口へと進軍した後も、奇兵隊や遊撃隊などの諸隊は大田の陣に留まっていた。数回に渡る萩軍との戦闘は、辛うじて諸隊の勝利に終わったものの、未だ敵の主力は健在で、二倍近い圧倒的な兵力差も、如何ともし難い事実であった。このままずるずると戦が長引けば、いずれ萩軍の兵力に力負けしてしまうことは目に見えている。

 高杉や山県ら諸隊幹部は、協議の結果、動員可能な兵力全てを傾注し、一気に敵を叩くことを決定した。御楯隊が鴻城軍と合流するのを待ち、彼らが佐々並の萩軍に攻撃を仕掛けるのに合わせ、こちらも敵の本陣・正岸寺へと総攻撃を仕掛けるのである。

 その決定を受け、諸隊の隊士たちは敵の襲来に備えつつ、素早く進軍の準備に取り掛かった。武器・弾薬の補充、点検に、腰兵糧の分配、屯所を守る兵や怪我人の看護要員の振り分け――。

 にわかに慌ただしくなった陣の中、金麗社では諸隊幹部が集まり、戦勝祈願の儀式が執り行われた。山県狂介、所郁太郎らが髪を切って神前に捧げ、戦勝を祈る。

 そして十六日、夜。諸隊は闇に紛れ、敵陣へ向かって進軍を始めた。

 幸い前日までの雪は止み、幾重にも重なった分厚い雲の隙間から、大きな丸い月がぼんやり透けて見えている。草月にとっては、馬関の会所を襲って以来の実戦である。

 例によって大量に荷を積んだ荷車のそばに張り付き、険しい山道と雪にめり込む車輪に苦戦しながら、遅れないよう懸命について行く。恐怖と緊張に心臓は早鐘のような鼓動を鳴らし、寒さで歯の根が噛みあわない。それでも、屯所で待機するという考えは端から草月の中にはなかった。

 きゅっ、きゅっ、と隊列が雪を踏みしめる音だけが響く。

 八百人を超える隊列は途中で三つに分かれ、主力となる高杉率いる遊撃隊が正面から、残り二隊が間道を通って左右へと回る。

 松明の明かりが灯る敵陣は、ひっそりと静まり返っている。

 じっと息を殺して、合図を待つ。

 夜のしじまを破るように、一発の轟音が響いた。

 高杉が、開戦の号砲代わりの野砲をお見舞いしたのだ。同時に、三方から兵たちが一斉に敵陣に向かって突撃していく。

 突然の夜襲に、萩軍はたちまち大混乱に陥った。

 しかし敵もさるもの。最初の混乱が収まると、すぐさま態勢を立て直し、その圧倒的な兵力で諸隊を抑え込みにかかった。

 その場は銃声と怒号、叫び声に瞬く間に埋め尽くされた。暗闇の中、時折、銃が火を噴く様がまるで花火のように瞬く。

「右翼の一隊、銃弾残り僅か! 補充を頼む!」

(来た――!)

「分かった、すぐに向かう。行くぞ、草月!」

「はい!」

 草月は、組になっているもう一人の隊士と共に、弾薬の入った箱を抱えて、戦場を突っ切った。

「補給部隊です! 追加の銃弾をお持ちしました!」

 灌木の茂みに隠れ、木々の間から敵を狙い撃ちしている一隊のもとに駆け寄る。隊士たちは指先の感覚だけで銃を装填できるよう訓練しているから、たとえろくに手元の見えない暗闇でも狙撃は可能だ。

「助かる! ついでに銃の予備もないか? 俺のは連射し過ぎていかれてしもうた!」

「なら、これ使ってください!」

 草月は背負っていた自分の銃を隊士に手渡した。

「すまんな、恩に着る! 気を付けて戻れよ!」

「はい。そちらも、ご武運を!」

 そんなことを何度も繰り返しながら、どれだけの時間が過ぎたろう。藁で編んだ深靴には溶けた雪が染み込んできて、もはや防寒具の意を成さない。氷のように冷えた手に息を吹きかけ、今また弾薬を抱えて広い境内を本堂脇の手水舎へ向かって走る。

 ――と、不意に何かにつまずいたように足がもつれ、前へ倒れ込んだ。抱えていた弾薬箱の角をもろに腕に打ち付け、「うっ」と呻く。

「――大丈夫か!?」

「ら、らいじょうぶ、です、多分」

 回らぬ舌で相棒の隊士にそう答えた草月は、無意識に左の足首に手を伸ばした。深靴の横がざっくりと裂けている。その手に、ぬるりとしたものが触れて、ぞわりとした悪寒が全身を駆け巡った。

「え……?」

「見せてみろ」

 異常に気付いた隊士がすぐさま傷を検める。

「弾がかすったな。さほど傷は深くない。走れるか」

 幸か不幸か、寒さで足の感覚がほとんどなく、痛みは感じない。

「はい」

 ――あと少しずれていたら。

 喉元までせり上がった恐怖心を無理やり押し込め、弾薬箱を抱え直した。

「この辺の敵はあらかた一掃したはずだが、押し返してきているのかもしれない。味方が心配だ。急ごう」

 再び走り出した二人の前に、暗闇から出し抜けに兵士が現れた。

 草月は咄嗟にその左腕を――同士討ちを避けるため、諸隊の隊士は全員、左腕に白い布を巻いている――見た。

(……ない!)

 敵だ――、草月がそう認識すると同時、相手の手が刀の柄に伸びる。だがそれより早く、男の体が雪に沈んだ。

「早くここを離れるぞ! まだ他にも敵がいるかもしれん!」

「は、はいっ!」

 迷わず木箱で殴りつけた相棒の機転に感心する間もなく、その後を追う。手水舎のそばに陣取る味方の一隊を見つけた時は、心から安堵した。敵と遭遇したことを知らせると、部隊長はすぐに人数を割いてそちらへ向かわせた。

 身も心もへとへとになって、文字通り命からがら門前の本陣へ戻る。荷車に山と積んできた弾薬箱は、もう数えるほどしか残っていない。これ以上戦が長引けば、やがて弾が尽きてしまうだろう。

 草月は補給部隊長の命令で、全軍の指揮を執る高杉にそれを伝えに行った。

「大田の屯所に戻れば、予備の弾丸があります。必要なら、取りに行きます。指示をください」

 高杉は思案するように、すっと目を眇めた。

「往復には時間がかかりすぎる。今ある弾薬が尽きる前にけりをつけるしかないが……」

 わずかの沈思黙考のあと、傍らの参謀・所郁太郎に問う。

「郁太郎、何でもいい、大きな布はあるか?」

「布? 怪我人用の包帯くらいならあるが、大きいものとなると……」

「……あの! 兵糧を入れている袋を切れば、一枚の大きな布になります!」

「よし、なら今すぐ持ってこい」

「何をする気だ、高杉さん」

 訝しむ所に、高杉はにやりと笑って答えなかった。


                 *


 諸隊の陣に、突如、一文字に三ツ星の長州毛利家家紋の旗が翻る。

 旗を掲げ持った草月を後ろに従えて、抜身の刀を手にした高杉は、どよめく隊士たちに向かって檄を飛ばした。

「いいか、諸君! 敵の掲げる毛利家家紋の旗など恐れるな! 幕府におもねり、御両殿様を謹慎させて然るべしなどという不忠の輩が掲げる旗など、真の御家紋にあらず! 我らの掲げるこの家紋は、たとえ君公のお許しはなくとも、君公をお救いするという忠義のこもった旗じゃ。これに歯向かう者は全て毛利家の敵である。全員討ち死にする覚悟で蹴散らせ!」

 どよめきは一気に雄叫びへと変わった。

「そうじゃ! 我らこそが真の忠臣じゃ!」

「毛利の殿さまをお救いするぞ!」

「俗論党などにこの国を任せられるか!」

 たちまち意気軒昂となって敵軍へと向かう隊士たちを前に、草月はそっと自分の持つ旗を見上げた。

 細長く切り裂いた袋に墨で大書きし、適当な木の枝に結び付けただけの、にわか作りの旗だ。だが、たとえそうであっても、自分たちにとっては大きな心の支えになる。心を奮い立たせてくれる。

 高杉は同じものをいくつも作ってあちこちの隊に配らせた。士気を上げた諸隊が、数で勝る敵をじりじりと押し始める。

 やがて、本堂脇を守っていた敵の一角が崩れた。

 一度崩れると後は早かった。そこから諸隊が一気に攻勢をかけ、萩軍はついに敗走を始めた。

「敵が逃げていくぞー!」

「勝った……、俺たちが勝ったんじゃ!」

 隊士たちの間から、うおおおお、と地鳴りのような歓声が上がる。

(勝った、勝ったの……?)

 歓声はさざ波のように全軍へ広がり、草月もまた、周りの熱がうつったように旗を振り上げた。

「勝ったぞー!!」

 声が枯れるほど、何度も何度も叫び続けた。

 戦の開始から、一刻あまりの時が経っていた。


                  *


 この勢いに乗じて萩まで一気に攻め入るべきだと主張する高杉に対し、奇兵隊の山県は慎重を期すべきだとして強固に反対した。諸隊幹部の合議の末、高杉が折れ、ひとまず山口へ本拠を移し、その上で進軍すべきか否か決めることになった。

 激戦の疲れをとる暇もなく屯所の撤収準備に追われ、草月は足を引きずりながら山口へと向かった。そして、山口へ着いた諸隊は、御楯隊・鴻城軍と合流し――彼らもまた佐々並の萩軍に勝利していた――、各隊の部署を定め、萩軍と対峙する態勢を整えた。

 こうして決起軍が優勢を強める一方で、萩ではちょっとした変化が起こり始めていた。藩政府と諸隊の対立が長期化し、藩内が荒れて国力が疲弊することを憂慮した中立派の藩士たちが集まり、鎮静会議員と称して事態の収束を図ろうと動き出したのだ。

 彼らの働きかけにより、萩軍は全て萩へと撤退した。

 だが、これだけでは、本当に俗論党政府を打ち破ったことにはならない。高杉は馬関を守る伊藤に急使を飛ばすと、癸亥丸を萩に回航させ、盛んに空砲を撃たせて萩城下を威嚇した。これが効いたか、俗論党の政府員は次々と罷免・更迭され、萩軍は解散、諸隊に対する鎮圧令も解除された。

これらを受けて、諸隊は萩への進軍を停止し、停戦を受け入れた。

 完全なる諸隊の勝利だった。

(……勝ったんだ……。私たちが。嘘みたい)

 喜びに沸く隊士たちは一晩中、勝利の宴に酔いしれた。

 明け方目を覚ました草月は、酔いつぶれて寝ている隊士たちの間をすり抜け、一人屯所の外へ出た。

 遊撃隊は、山口・吉敷村の円正寺を屯所としている。綺麗に掃き清められた境内に植えられた桜の木には、無数のつぼみがついて開花の時を待っている。

「随分早いな。どうした、こんなところで」

 ふらりと現れた所が、ぼんやり突っ立ったままの草月に気付いてやって来た。隣に並んで、しばし二人、無言で山の稜線を見つめる。じわり、現れた曙光が、空を朱に黄金に青にと染めていく。

「……なんか、実感がわかなくて」

 わずか八十四人で始めた戦いだった。勝算など全くない、無謀な戦いだった。それが、今や、千人を超える軍勢となって萩を取り囲んでいる。

「勝ったといっても、今はまだそれだけだ。肝心なのはこれからだ。藩論を武備恭順に統一し、来たるべき幕府との戦のために軍制を強化する。やることは山積みだ。ぼさっとしてる暇はないぜ、お嬢さん」

「これから……。そうですね、これから」

 降り注ぐ陽射しは柔らかく、ふわりと吹いた風は暖気を孕んで草月の頬をくすぐった。

 気付けば暦は二月。

 春は、もうすぐそこまで来ている。



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