第21話 真冬の激戦
高杉や草月ら決起隊が馬関を占拠していたころ、諸隊にも動きがあった。
山田の読み通り、高杉勝利の報を受けた諸隊は、萩政府と対決する動きを見せ、長府から伊佐(馬関と萩を直線で結んだちょうど真ん中に位置する山間の地)へと転陣したのだ。
萩政府は諸隊に対し鎮静令を出したが、諸隊はこれを無視。萩軍との敵対姿勢が鮮明になった。
年が明けて元治二年一月六日未明。奇兵隊・南国隊・膺懲隊は伊佐より出陣し、絵堂(萩から四里ほど南に行った山間の地)に屯集する萩軍に攻撃をしかけた。
萩軍二千人に対し、わずか数百人での攻勢ではあったが、奇襲が功を奏し、萩軍は大混乱に陥って退却した。諸隊は本陣を絵堂から一里ほど南にある大田の金麗社におき、萩軍の逆襲に備えて防備を固めた。
彼らの動きと呼応して、大田市之進を隊長、山田、品川を参謀とする御楯隊は、山口の南東にある小郡の代官所を襲撃した。代官を捕らえ、金や食料を奪い、小郡を掌握することに成功する。
決起軍に味方する小郡の大庄屋たちは連携して『庄屋同盟』を結び、これにより、小郡内に四万人の統一戦線が出来上がった。
御楯隊はこの勢いをかって付近の農民を結集し、萩へ進軍しようと計画していた。だがそこへ、大田陣営から救援を求める急報が入った。萩軍の逆襲に遭い、苦戦しているというのだ。
「あそこは俗論党の軍との最前線じゃ。そこが落ちるとまずい。全軍の士気にも関わる。急ぎ救援に向かおう!」
御楯隊はすぐさま北へと進路を取った。ただでさえ険しい峠道に、みっしりと降り積もった雪に足を取られ、軍列の歩みは遅々として進まない。それでも能う限りの速さで先を急いだ。
そして、知らせを受けてから二日目の十四日朝。大田から絵堂へと至る山道で、今しも萩軍の猛攻にあえいでいる奇兵隊以下諸隊を見つけた。彼らに合流すると、一旦兵を下がらせ、態勢を立て直す。
鉛色の雲に覆われた空から不意に零れ落ちて来た粉雪は、瞬く間に凄まじい吹雪になった。もはや数間先の視界さえままならないが、それでも敵は圧倒的な兵力差を恃みに、じわりじわりとこちらの陣に近づいてくる。対する諸隊はいつの間にか陣形を崩されてばらばらになり、もはや指揮系統は機能せず、誰がどこで戦っているのかすら分からない。
山田は品川と共に太い木の後ろに身を隠したまま、荒い息をついていた。数十人連れていたはずの隊士は散り散りになり、今残っているのはわずかに十人余り。
吹きつける風と雪が容赦なく体力を奪っていく。手はかじかんで感覚がなく、銃を持つことさえ覚束ない。時々、思い出したように鉄砲の弾が頭上を飛んでいく。
「弥二、弾はあとどれくらい残っちょる?」
「手当たり次第に撃ちまくったからな」
品川はぎこちない動きで腰の弾薬袋を探った。
「せいぜいあと二、三発ってとこじゃ」
「俺もだ。じゃが、ここで闇雲に撃ったとしても当たらなければ意味がない。ここは敵陣深く斬り込んで行くほかない」
「千人の敵に向かって、俺たちだけで攻め込もうってのか? いいねえ、乗った!」
「勝算はある。敵の銃も旧式銃で命中率は低い。視界が悪いのは向こうも同じじゃ。うまく奴らの背後に回って、銃をぶっ放せば、奴ら、挟み撃ちにされたと勘違いしてくれるかもしれん」
「おお、成程」
「俺はこんなところで死ねない。ここで負ければ、死んだ叔父上や久坂さんたちにあの世で会わせる顔がない」
「……そうだな。それに、草月に死ぬなと言っておいて、俺たちが死んだんじゃ、格好つかないしな」
ははっと笑って、品川は天を仰いだ。
「あーあ、こんな戦、さっさと終わらせて、女を抱きたいなあ。色白の、艶っぽい女でさ、それで、もっちりとした柔肌にくるまれて、朝までずっとそうしていたい」
「俺はそれより熱い風呂に入りたい」
「即物的だなあ。もっと大きな夢を持てよ」
「男としての煩悩全開のお前に言われたくない」
回らぬ舌で軽口を叩き合い、そしてどちらからともなく立ち上がった。敵陣へ向け、足を踏み出そうとしたまさにその時。
左手の斜面の上から、突如鬨の声が上がった。
「――新手の敵軍か!? くそ、いつの間に――」
「……いや、違う、あれは……!」
山田は真っ白にけぶる視界に懸命に目を凝らした。
新たな一軍は、敵――萩軍へ一斉射撃を加えると、浮足立つ敵陣めがけて斜面を駆け下りてくる。
その中の一人に目が惹きつけられた。
黒光りする兜、青い鎧に漆黒の陣羽織をひらめかせ、何十人もの隊士の先陣をきって戦場に踊り込んでくる――。
「――高杉さん!」
ちらりと振り返った高杉が、驚く山田を目の端で捉えて、ほんのわずかに口角を上げる。山田の全身が、火が点ったように熱くなった。
「――っ! 今が好機じゃ! 畳みかけろ!」
頼もしい援軍に力を得た諸隊は、散り散りになっていた隊士を糾合し、高杉の一軍と共に敵を押し返した。
*
辛くも勝った諸隊は、さらなる追撃を避け、大田金麗社の陣へと引き返していた。日が落ちてますます気温は下がり、吹雪も強くなる一方だった。
負傷兵の収容も済んで落ち着いたころ、高杉、石川、所、大田、山田、品川、山県ら、諸隊幹部が一室に集まり、互いの情報交換と今後の方針を決める会議が開かれた。
「そもそも高杉さんはどうしてここに? 馬関はいいんですか? 小倉にいる幕府軍の襲来に備えて、隊を動かせんと聞いちょりましたけど」
高杉の劇的な登場に興奮冷めやらぬ山田が矢継ぎ早に質問を繰り出す。対する高杉は、余裕の表情で、
「ああ。奴ら、どうにも攻めてくる気配はないようじゃけえ、馬関は俊輔に任せて、僕は遊撃隊五百を連れて伊佐へ行ったんじゃ。そうしたら、こっちでおのしらが苦戦中じゃと聞いての。それで精鋭を選んで急行したんじゃ。ほとんど休みなしで杣道を走ってな」
「……おかげで、私たち補給部隊や砲部隊は置いてきぼりですよ? どうにか勝ったから良かったようなものの、長期戦にでもなって、弾薬が尽きたらどうするつもりだったんですか」
食事――と言ってもおにぎりに魚の干物と漬物を添えた簡単なものだが――を運んできた草月が口をはさんだ。高杉が率いてきたのは五百のうち僅かに百人足らず。残りは戦闘が終わってからようやく合流したのだ。
「援軍が間に合わんで、味方が総崩れになるよりええじゃろ」
高杉はまるで悪戯を叱られた子供のように渋い顔をした。
「だからって、いつもいつもその場の思い付きで動くの、やめてくださいよ! 振り回されるこっちの身にもなってください」
いつもの調子でずけずけと言っていたら、ふと自分たちに集まる視線に気付いた。
(――いけない、今は大事な軍議の場だった!)
「す、すみません! 失礼します!」
慌てて部屋を辞した草月だった。
*
土間に、もうもうと湯気が立ち上る。所狭しと置かれた野菜や味噌などの調味料に挟まれながら、草月を始め、遊撃隊の調理当番の隊士数名が忙しく立ち働いていた。領民らがこぞって食料を持ち寄ってくれたおかげで、最近はどうにか飢えることなく過ごせている。
包丁の上手い隊士が山ほど刻んだ大根と人参を、草月が端から大鍋で炒めていく。竈には火が赤々と燃えているが、足元から這い上がって来る冷気のせいで足先は凍るようだ。
「よっ! 良い匂いだな」
軍議を終えたらしい山田と品川が揃ってやって来た。じゅうじゅうと音を立てる鍋に顔を近づけ、品川が美味そうに鼻をひくつかせる。
「きんぴらごぼうか。これ、明日の朝飯か?」
「あ、いえ、これは作り置きのおかずです。余裕があるときに、こうして作っておくんですよ。いざ出陣して野営にでもなったら、悠長に作ってられませんから。……そうだ、良かったら、味見してみてください。傷みにくいように、濃いめの味付けにしたんですけど、辛すぎません? 大丈夫ですか?」
草月が菜箸でつまんで差し出したきんぴらを、二人は銘々手に取り口に放り込んだ。味を噛みしめるようにゆっくりと咀嚼して、
「いや、美味いよ。確かにちょっと濃いけど、俺は好きだな」
「俺も。……これ、生姜も入っちょるのか?」
「うん、生姜は体にもいいし、食材が腐るのも防いでくれるから。……って、これは所先生の受け売りなんだけど」
外国艦隊との戦の頃は、まだまだ暑い夏だったから、食材の管理が大変だった。貴重な食材をうっかり腐らせてしまったことも一度や二度ではない。真冬の今は、さほど腐らせる心配はないとは言え、なにしろ隊士の数が五十人から五百人へと一気に増えたので、その量が尋常でない。しかも馬関から伊佐、伊佐から大田と、転陣続きで、そのたびに米やら野菜やら味噌やら塩やらを荷車に積んで雪道を運ぶのだから、その労たるや筆舌に尽くしがたいものがあった。そうして苦労して運んだ食材を、僅かたりとも無駄にせぬよう、天日干しにしたり、古くなったものから順に調理したりして、何とか毎日、全員の三食分の食事を確保しているのだ。
「山田くんたちは、もう今日の仕事は終わったの?」
「そうだったらいいんじゃけど。これから明日の出発の準備をしないといけんのじゃ」
「出発? また、出撃するの? 遊撃隊も?」
顔を曇らせた草月に、そうじゃないよ、と品川はひらひらと手を振った。
「さっきの軍議で、御楯隊はここを発って、山口へ行くことになったんだ。井上さんの『鴻城軍』と合流し、山口の北、佐々並に駐屯する敵を撃つ」
「山口へ……」
瀕死の重傷から三か月。井上は山口の自宅につくられた座敷牢に軟禁されていた。歩けるほどに回復したとはいえ、病み上がりの身ということで、かろうじて俗論党の捕縛を免れていたのである。しかし、屋敷には昼夜俗論党による監視がつけられ、高杉たちが決起した後は、いつ捕まって処刑されてもおかしくないような危うい状況であった。
高杉は吉富藤兵衛に井上の救出を依頼し、吉富はそれに応えて有志と共に井上邸を襲撃して井上を座敷牢から連れ出した。そして、吉富は周辺の有志の徒を糾合して井上を総督と仰ぎ、『鴻城軍』を結成したのである。一月十日のことであった。
「そうなんだ……。せっかくまた会えたのに、すぐに離れ離れになっちゃうんだね」
草月は寂し気に微笑んだ。山田が勇気づけるように、眦に力を込める。
「ここで無事に会えたんじゃ。きっとまた会える。あの約束はまだ果たせちょらんしな。『落ち着いたら、皆で酒を飲んで騒ぐ』。俺は忘れちょらんぞ」
「うん、そう、そうだね……」
私も頑張る、と言おうとして、途中で盛大なくしゃみが出た。ぐすぐすと鼻をすする草月を見て、山田と品川が遠慮なく笑った。
「笑わないでくださいよ! ホントにこの寒さ、どうにかならないんですか? 私、萩軍と戦う覚悟はしてましたけど、こんな寒さと戦うことは予想してませんでしたよ。今日なんか、吹雪で目も開けていられないし、寒さで耳がもげるかと思いました。二人とも、よくこんな中、戦えましたね」
草月は照れ隠しか、早口で言い立てる。
「着物だって、ずっと同じもの着っぱなしで気持ち悪いし。この戦が終わったら、真っ先に熱いお風呂に入って、新しい着物に着替えて、朝までぐっすり寝たいです」
これに品川が再び笑った。
「市と同じようなこと言ってる」
「え?」
「それがさ――」
「いや、こっちの話じゃ。それより弥二、俺たちもそろそろ仕事に戻ろう」
またしても品川が卑猥な願望を語り出しそうだったので、山田が慌てて間に入る。
「じゃあな、草月。きんぴらごほう、美味かった。今度会う時は、俗論党を蹴散らした後じゃ」
「うん。その時こそ、約束を果たそう」
固く誓い合って、三人は別れた。




