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花信風  作者: つま先カラス
第一章 長州動乱
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第15話 西洋料理でおもてなし

 その日から草月は、遊撃隊の仕事の合間を見つけては一太郎と料理の試作に取り組んだ。

 少しずつ調味料の分量を変えながら味見をし、肉はふっくらと柔らかく焼けるように何度も火加減の調整を繰り返す。もちろん、皿や盛り付けにも気は抜けない。

「西洋の文化では、同じ鍋から大勢が取り分けて食べるという習慣があまりないみたいなんです。だから、すっぽん鍋は、鍋ごと出すんじゃなくて、最初から一人分ずつ深皿に分けてお出しするのが良いと思います。それから、鰻のかば焼きですけど、こんな風に――」

「なるほど、白い皿の中央に寄せて、その周りに、タレで模様を付けるわけですね? そんな発想はありませんでした。西洋料理というものは面白いですね」

 未知の西洋料理に対し、一太郎は興味津々で、草月の拙い説明もすぐに理解して飲み込んでくれる。

 そうしてあっという間に時は過ぎ、会食当日。 

 その日、草月は休みをもらい、朝から一太郎と仕込みをしていた。店は昼の忙しさがひと段落した所で閉め、それぞれ最後の仕上げに取りかかった。

 伊藤以下力士隊とおさんとで、会場となる部屋に机や椅子を運び込み、部屋の飾りつけやテーブルセッティング。草月と一太郎は料理の下ごしらえ。

 約束の五時の一刻ほど前には全ての準備が整った。

「あとは、お客さんが来るのを待つばかりですね」

「おっと草月、肝心なこと忘れてるよ」

 伊藤はにやりと笑うと、おさんに言って奥から行李を持ってこさせた。

「ちゃあんと女物の着物に着替えなくちゃね。俺たちはここで待ってるから、着替えてきてよ。草月に似合いそうなの、見立てて来たからさ。……本当は、着るものも西洋風のドレスにしたかったんだけど」

 残念ながら用意できなかったんだと伊藤は悔しそうに言った。

 用意できなくて良かったと草月は心から思った。


                  *


 行李に入っていたのは、鮮やかな丹色が美しい絣の着物だった。桔梗・萩・菊・女郎花といった秋の花模様が、派手にならない程度に品よくちりばめられている。それを柔らかな蒸栗色の帯で締める。一見するとただの無地帯だが、よく見ると紗綾形の模様があしらわれていて、控えめな中にも美しさを感じられる一品だ。

 まさに、草月好みの着物だった。

(さすがは伊藤さん……。こういう女性関係の感覚は抜群なんだから)

 手早く着替え、結っていない髪は簪でくるりとひとまとめにして戻ると、おさんがたちまち顔を輝かせて駆け寄ってきた。

「わあ、いいなあ草月さん、すごく綺麗! その髪はどうやったの? もしかして、簪だけで留めてるの? うちにも出来る?」

「あ、ありがと、おさんちゃん。ええと、この髪はね……」

「おい、おさん。そんなに質問攻めにするな。草月さんが困っちょるじゃろう」

 見かねた一太郎がおさんを引きはがした。

「それより、給仕を手伝ってくれるっていう友達はどうした。そろそろ来ても良い頃じゃないのか」

「そうだった! ちょっとそこまで見てくる!」

 つむじ風のように去って行くおさんを微笑ましく思いながら見送った草月たちだったが、駆け戻って来たおさんの言葉に、一転して顔をこわばらせた。

 給仕を頼んでいたおさんの友達が、急に来れなくなったというのだ。どうやら、外国人相手の給仕ということを内緒にしており、それを親に知られて家から出してもらえなくなったらしい。

「町の者の中には、いまだに異人を怖がっちょる奴もいますけえなあ」

 二郎丸の太い眉が、申し訳なさそうに八の字になっている。おさんは今にも泣きそうだ。

「本当にごめんなさい! うちがちゃんと確かめなかったせいで……」

「おさんちゃんのせいじゃないよ。大丈夫。誰か、代わりを頼めそうな人がいるといいんだけど……」

 その時、じっと考え込んでいた伊藤がふいに顔を上げた。

「……俺に一人、心当たりがある。必ず連れてくるから、お前たちは準備を進めていてくれ!」

 言った時にはもう戸口に向かって駆け出している。

「え、でも、約束の五時まで、あと半刻しかないんですよ!?」

 ベインにもらった懐中時計の針は三時五十分を指している。

「肝心の伊藤さんがいなかったら……」

「その時は草月に任せる! 何とかごまかしててくれ!」

「えええ!?」

 焦る草月を残し、伊藤の姿は裏口の向こうへ消えてしまった。

(招待した本人がいないのを、どうごまかせばいいのよ! あああ、伊藤さん、早く帰ってきてー!)

 やきもきして待つ草月の元へ、息せき切った伊藤が飛び込んできたのは、五時まであと二十分というぎりぎりの時間だった。

「連れて来たよ!」

 伊藤に手を引かれて、まろぶように若い娘が入って来る。

 細い眉に、つぶらな黒目がちの瞳。よほど急いで走ってきたのだろう、肩で息をつき、頬を真っ赤に上気させている。歳はおさんと同じ、一八、九くらいか。

「梅と申します。大体のことは伊藤様よりお聞きしました。どうぞ、何でも言いつけてください」

 ひたと草月を見つめる目は揺るぎない。

「――分かった。よろしく、お梅ちゃん。仕事はここにいるおさんちゃんが万事心得てるから、彼女の指示に従って。――おさんちゃん、お願いね」

「はい! お梅さん、こっちです!」

 たちまち板場へ消えていく少女たちを見送って、草月は感心半分、呆れ半分で伊藤を見やった。

「伊藤さん、あんなしっかりした可愛い女の子、一体いつの間に知り合ったんですか?」

「あれ、草月、知らない? お梅は亀山八幡宮のそばにある茶屋で働いてるんだ。俺が攘夷派の奴らに追われてた時、匿ってもらったのが縁で仲良くなってさ。度胸の良さは草月に引けを取らない感じだろ? ……おっと、おしゃべりはこの辺にしよう。そろそろ客人のお出ましの時間だぞ」


                  *


 相変わらず隙のない着こなしで現れたサトウは、草月の女姿を見て一瞬驚いた顔を見せたものの、すぐに如才なく褒めて手土産のワインを差し出した。

 連れの男はたっぷりとした黒髪に立派なあごひげを蓄えた紳士で、鷲のような鋭い灰色の目で草月たちを興味深そうに見つめている。

「お二人とも、彼とは初めてでしたね? 彼は、写真家のフェリックス・ベアト。フェリックス、こちらはミスター・イトウとミス・ソウゲツ」

「初めまして」

 差し出された大きな手をそっと握る。

「どうぞ入って。すぐに料理を持ってこさせるから」

 伊藤の先導で部屋に入った客人たちは、一見するや、「That’s amazing!」と叫び、両手を広げて大げさに驚きを示した。

 畳の上には赤い絨毯が敷かれ、その上には四脚の椅子とどっしりした大きな机。

 清潔な白いテーブルクロスがかけられた机の真ん中には、薄桃色の花弁を何枚も重ねた美しい花――夾竹桃――が飾られ、それぞれの席にはナイフ、フォーク、スプーン、箸、ナプキンが整然と並べられている。

 二人の反応に、草月と伊藤はしてやったりとこっそり微笑みを交わした。

 席に着くと、さっそくおさんとお梅が料理を運んでくる。

 果たしてサトウ達の口に合うかと心配したが、苦心のおかげか幸いおおむね好評だった。鶏肉料理が出た時に、ナイフの柄がすっぽ抜けそうになるという不測の事態もあったが、

「この美味そうな肉を早く食べたいという私の気持ちが移ってしまったようですね」

 サトウがすばやい機転で笑いに変えてくれた。

 四人はほとんど初対面同士ながらもすぐに打ち解け、会話が弾んだ。

 話題はお互いの国の印象や文化・風俗・この先の展望からそれぞれの趣味に至るまで多岐にわたった。草月が写真技術に興味を示すと、ベアトは灰色の瞳を生き生きと輝かせ、仕組みについて色々説明してくれた。サトウによる懇切丁寧な通訳でも、難しくて生憎その半分も理解できなかったが、かなりの科学的な専門知識と技術を要することだけは良く分かった。

「でもさ、写される方も結構大変なんだぜ。俺もロンドンで聞多たちと一緒に撮ってもらったけど、動くと綺麗に写らないからって、手すりに腰掛けた不安定な姿勢で何十秒もじっとさせられたんだ」

「そうなんですか……。でも、いいなあ、伊藤さん。私、一度も撮ってもらったことないですもん。私もみんなで記念写真撮りたいです」

「惜しいですなあ。時間さえあれば、ぜひ撮らせていただきたかった」

 ベアトが社交辞令ではなく本気で悔しそうに言った。

 まだ写真が浸透していない日本では「写真を撮ると魂を抜かれる」との俗信が流布しており、なかなか日本人に被写体になってもらえないらしい。

「そういえば、日本人でも、横浜で写真屋をやってる人がいるらしいよ」

 言って伊藤は含み笑いをした。

「聞いた話じゃ、顔に白粉塗りたくられたりするらしいけど」

「白粉!?」

 草月はもう少しでワインを盛大に噴き出すところだった。

「そうだよ。少しでも明るくするためにね。暗いと駄目だから、写すのは天気のいい日中に限られる」

「そ、そうなんですか……」

(うわあ、それじゃ、現代に残ってる高杉さんや桂さんの写真なんかも、白粉塗って写したってこと? ……だ、駄目だ、笑っちゃう……)

 緩みそうになる頬を引き締めるのに多大な苦労を要した。

 デザートを待つ間、ベアトが撮ったという写真を見せてもらった。

 インドや中国と言った外国の風景写真の他に、日本で撮ったらしい写真も多数含まれている。

「あ、これ、江戸の町ですか? 懐かしいなあ……。江戸の人たちやジュードさんたちとお花見したのが懐かしいです」

「そうそう、実はその花見に、私もいたのですよ」

 サトウの長い指がそっと写真の一枚をすくい取った。そこには、御殿山が遠景に写っている。

「えっ? サトウさんも?」

「ええ、ジュードに誘われまして。非常に楽しい時間でした。役人には後で嫌みを言われましたがね。――ですが、公使館を焼いた犯人がいまだ見つかっていないことを遠回しに思い出させてあげると、たちまち黙ってくれました」

「……そ、そうですか……」

(実はその火をつけた張本人が今、目の前にいるんですけど……)

 内心冷や汗をかきながらちらりと隣の伊藤を窺うと、当の本人は素知らぬ顔でワインを傾けている。

 草月は急いで話題を変えた。

「お花見もいいですけど、これから秋が深まってきたら、紅葉が綺麗ですよ。色々落ち着いたら、皆さんと景色のいいところへ遊びに行きたいですね」

「その時こそ、私に写真を撮らせてください」

 ベアトの言葉に「是非!」と笑顔で答えた。

 どこへ行こうか。長崎に行ってみたい、いや、北がいい。

 きっと、実現することは難しい約束。それでも、こうして明るい未来を思い描いていたら、いつか本当になるかもしれない。

 ――こうして、多少の波乱を含みつつも、食事会は大成功に終わったのだった。



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