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花信風  作者: つま先カラス
第一章 長州動乱
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第12話 和議への道

 諸隊が馬関で決死の戦闘を繰り広げていた八月七日、山口の南西に位置する小郡の代官所では、藩政府員と高杉、井上、伊藤を交えた会議が開かれていた。

 朝から始まった会議は、昼をとうに過ぎてもなお結論が出ずにいた。幕府の征長軍と戦うことが先決であるとして、和議を結ぶべきだとする政府員に対し、井上が強固に徹底抗戦を主張したからだ。

「いったん開戦した以上、たとえ後ろに敵を受けようと、国が滅びるまで戦うことこそ武士の面目、人の信義というもの! それが嫌だというなら、初めからさっさと和議を結んでおけば良かったのだ。それを、攘夷の方針は覆さぬとあれだけ言ったのはお手前方ぞ! 風向きが悪くなれば容易く前言を翻すとは、武士の風上にもおけぬ腰抜けどもめ!」

 憤怒のあまり、あわや切腹しかけたところを、異変に気付いた高杉に止められるという一幕もあり、会議は荒れに荒れた。

 夕方になり、世子広封から『以信義講和』の自書をもらうことで、井上はようやく和議を承諾した。

 藩政府は高杉に仮の家老・宍戸刑馬を名乗らせて藩主名代の正使とし、副使に杉徳輔と長嶺内蔵太、通訳として井上と伊藤を同行させることを決定した。

 翌八日。

「Wow, That’s amazing ! すごい格好ですね、高杉さん」

 代官所に現れた高杉の姿を見て、伊藤の口から思わず英語がこぼれる。

 鬱金色の地に、大きな桐花紋が一面に染め抜かれた直垂を身にまとい、頭には風折烏帽子。

 れっきとした武士の正装だ。

「えげれす語はまだ早いぞ、俊輔。これは恐れ多くも殿からの拝領品じゃ。宍戸刑馬として、和議の任をまっとうせよという有り難い思し召しが込められちょる」

 思い切り気張った調子で言って、高杉は用意された駕籠に乗り込んだ。

 馬関が近づくにつれ、激しい大砲の音が大きくなる。

 政府の決定を知らない隊士たちは、今も命を懸けて戦っているのだ。

 ようやく海岸が見え始めた頃、空気を揺るがすほどのひときわ大きな爆音がして、馬関の町の方から火の手が上がった。

「――このままでは町が焼かれてしまうぞ!」

 高杉は供の者に命じて、諸隊へ迎撃しないよう伝令を走らせ、自分は近くの神社から祭礼用の大きな白旗を分捕ってきて、竿に結んで海岸から高く掲げて左右に振り回した。

 この合図に気付いたのか、徐々に敵の砲撃が止んでいく。

「俊輔、先に敵艦へ乗り込んで行って、こちらに和議の用意があると伝えてこい」

「承知しました!」

 たちまち伊藤が小舟に乗って、外国艦隊の旗艦、英国のユーリアラス号へと漕ぎ出していく。

 先方が交渉に応じる姿勢を見せたため、高杉たちも小舟に分乗して旗艦を目指した。

 その時――。


「――――高杉さん!」


 懐かしい声に振り向いた。

 目に飛び込んできたのは、波に袴が濡れるのも構わず、ただこちらを一心に見つめて駆けてくる、良く知った人物の姿。

「久坂さんから伝言です!」

 思わず船べりから身を乗り出した高杉へ向かい、草月が大きく息を吸って言葉を継いだ。


『やるだけやった。後は頼む!』


「――――」

 一瞬のうちに、高杉の脳裏に久坂と過ごした数年間の出来事が駆け巡った。同時に込み上げてきた様々の感情をぐっと丹田に押し込んで、真っ直ぐに顔を上げると、大きく拳を振り上げる。

「――任せろ!」

 両手を振り返す、もうすっかり小さくなった草月の顔が、なぜだかきっと笑っているだろうと高杉は思った。


                  *


 この戦いにおける最終的な長州側の死者は十二人、重傷者は三十人以上に上った。

 見る影もないほど滅茶苦茶になった亀山台場へ井上が姿を現したのは、講和会談が行われた翌朝のことだった。

「やあ、和議の交渉は上手くいったのかい」

 瓦礫撤去の指示をしていた所郁太郎が、目ざとくその姿を見つけて声をかける。

「書類の不備があって、正式な妥結はまだじゃ。今、高杉と伊藤が殿の親書を頂きに船木に行っちょる。明日、二度目の交渉をすることになっちょるんじゃが、取りあえずは両者停戦ということで合意した。……ただし、こちらから一発でも発砲してしまえば、それもご破算になる。くれぐれも、短気な真似はしないよう、兵の動きに目を光らせておいてくれ」

「分かった。他の隊にも伝えておくよ。……それで、井上さんの要件はなんだい。ただそれを伝えに来ただけじゃないんだろう」

 ああ、と井上は頷いて、

「わしはこれから、大砲の引き渡しに立ち合わんといかん。じゃが、それと別に、外国船へ食料の提供をする任もあってな。ついては草月を借りたい。今どこにいる」

「お嬢さんならまだ寝てるよ。この数日の戦闘で、さすがに疲れたんだろう。寝かしといてやりな」

「悪いが、そうも言っておれん。酷なようじゃが、起こしてくれ」

 やれやれとため息をついた所は、手近にいた隊士に命じて草月を連れてこさせた。

「すみません! 寝坊しました!」

 ぱたぱたと相変わらずの調子でやってきた草月に、嫌みの一つも言ってやろうと口を開きかけた井上だったが、間近にその顔を見て、出かかった言葉を飲み込んだ。

 草月の左のこめかみから頬にかけて盛大な擦り傷が走り、額には痛そうな紫色のあざが出来ていたからだ。

「あ、これですか?」

草月は井上の視線を受けて、ごまかすように顔の前で手を振った。

「見た目ほどひどくないんですよ。ちょっとひりひりするくらいで。――それより、私にご用って何ですか?」

「あ、ああ……」

 気を取り直した井上が手短に要件を伝える。

「百姓たちが直接食料を売りに行けば済む話なんじゃが、異人を怖がって誰も売りに行きたがらんのじゃ。食料は部下に集めさせちょるから、お前はそれを外国船まで届けに行ってくれ。英語を話せる奴がいたほうが、話が早いからな」

「分かりました。任せてください」


                      *


 日が沈むころ、無事に仕事を終えた草月が井上と共に亀山台場へ戻ると、二人を待っていたのは、高杉と伊藤が命を狙われ、身を隠したというまさかの知らせだった。

 奇兵隊と御楯隊の攘夷過激派が和議の報に激昂したのだ。藩政府は自分たちから怒りの矛先を逸らすため、『和議の件は高杉と井上、伊藤が勝手にやったことである』とし、全ての責任を三人に押し付けた。

 高杉と親しいという男からそれを聞いた所は、井上も命を狙われているから気を付けろと警告した。

(なによ……それ……。あれだけぼろくそに負けて、やっと和議にこぎつけたっていうのに、まだ戦をしようって言うの? ……まったく、)

「どれだけ馬鹿なのよ!」

「どれだけ馬鹿なんじゃ!」

 吐き捨てた言葉が期せずして重なった。

 思わずお互い顔を見合わせる。

 井上は唇を歪ませて笑った。

「珍しく気が合ったな」

「ええ、そうですね。でも、生憎と気が合ったところで何の助けにもなりませんよ。とにかく、井上さんも早く身を隠してください」

 だが、井上は頑迷に首を横に振った。

「わしまで逃げたら、誰がこの状況を変えられるんじゃ。それに、わしは明日、二度目の談判に立ち会わんといかん。その後で、殿に直訴する。一度和議の交渉に入っておきながら、また戦を仕掛けるなぞ、長州の信義に関わる。高杉と俊輔を召還し、長州は攘夷を捨て、開国に転じると正式に布告を出して頂く」

「それで攘夷派は収まるでしょうか……。大体、自分で和議をしてくれって頼んでおきながら、旗色が悪くなったら井上さん達を捨て駒にする殿様なんて、あてになりません。いつまた意見を変えるか分かったものじゃないですよ」

「殿は決して暗愚なお方ではない。意を尽くして話せばお分かりくださる」

 猶も納得いかない表情をしている草月をじっと見て、井上は出し抜けに言った。

「なら、お前も来い」

「え?」

「今、ここにいる中で異国の事情に通じちょるのは高杉と俊輔を除けば、わしと所さんとお前くらいのもんじゃ。わしが殿を説得するから、お前は世子様を説得しろ。所さんは奇兵隊や諸隊が馬鹿な真似をせんように抑えていてくれるか」

「よし、分かった」

「ち、ちょっと待ってください!」

 置いてきぼりにされた草月は慌てて話に割り込んだ。

「相手は世子様ですよ? 私みたいな、何の身分もない普通の庶民なんて、とても会ってもらえないでしょう!」

「そんな大層な傷まで作って長州のために戦っておきながら、今更何が普通の庶民じゃ」

 井上はふんと鼻を鳴らした。

「会えるよう、麻田さんに根回しを頼んでおく。明日の談判が終わり次第、ここに迎えの駕籠を寄越すから、それに乗って船木まで来い」

「あ、待ってください! それなら、お願いがあるんですけど……」


                 *


 翌朝。草月を乗せた駕籠は、明るい空の下、松並木の美しい山陽道を通り、船木の南にある有帆村という海辺の小さな村へとやって来た。

 教えられた民家の戸を叩き、草月です、と名乗ると驚いた顔の伊藤が迎えてくれる。

「二人がここにいるって聞いて、陣中見舞いに来ました」

 にっこり笑って、持参した酒と肴を掲げてみせる。

 盃を静かに傾けながら、三人はここ数日の互いの事情を交換した。

 それが尽きると、途端に沈黙が落ちる。

 高杉とは、昨年の春に京で別れてから一年半の時が経っている。

 話したいことがたくさんあったはずなのに、あまりにも色々な事がありすぎて、何から話したら良いのか、言葉が見つからない。

 どれも、簡単に話せるようなことではなかった。

「……なあ。あいつの最期は、どんなじゃった」

 高杉がぽつりと言った。

『あいつ』が誰を指すのか、聞くまでもなく分かっていた。草月はゆっくりと深呼吸して――静かに話し始めた。

 時折声を詰まらせる草月の言葉を、高杉も伊藤もじっと身じろぎせずに聞いていた。

「……それから自分を盾に、寺島さん達を逃がして――。久坂さんは最後の最後まで、この国のことを思ってました。この戦の先に新しい時代が来るのなら、これまで自分がやって来たことも無駄じゃないと思える、って」

「……そうか」

 伊藤がふいに立って外へ出ていった。その頬が濡れている。

 高杉は暗がりへ顔を向けたまま、微動だにしない。

 ――と。

 すっと伸ばされた手が、草月の頬の傷に触れた。

「戦に出たらしいな。死ぬ気か」

「そんなつもりは……! ただ、私も何かしたくて――」

「馬鹿野郎!」

 草月の言葉を遮り、高杉は声を荒げた。

 驚いて目を見開く草月にかまわず、まくし立てる。

「刀も銃も使えん奴が、戦に出るじゃと!? そんなものは勇気でなく、ただの無謀じゃ!」


 生きて大業の見込みあらば、何時でも生くべし

 死して不朽の見込みあらば何時でも死ぬべし


 突然歌うように言われた言葉に、戸惑って瞬きを繰り返す。

「生きて為すべきことがあるなら、何をしてでも生きのびろ。命を懸けても為すに値することがあるなら、いつでもそのために死ね、という意味じゃ。松陰先生が僕にくれた言葉じゃ」

 高杉はやや口調を緩め、

「おのしのやるべきことは夷狄と戦って死ぬことか? 戦うことを止めちょるんじゃない、死に所を間違えるなと言っちょるんじゃ」

「……はい。ごめんなさい」

 ああ、高杉さんだ。

 草月はふいに泣きたくなった。

「……ともあれ、もしまた戦になった場合、御両殿様だけでもお助けせんとな。朝鮮へでも亡命すれば、さすがに夷狄も幕府も追っ手も来んじゃろう。そこで毛利家を再興すればええ」

 ……主君思いで、大真面目にとんでもないことを言い出すところも相変わらずだ。

 ふふふと笑って、そっと目をこする。

 目じりに浮かんだ小さな涙の一粒が、ころんと指を伝って落ちた。



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