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花信風  作者: つま先カラス
第一章 長州動乱
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      決戦、四ヶ国連合艦隊・後

 明けて七日。

 もはや壊滅状態となった台場に上陸した連合国の工作兵は、砲台の砲架を破壊し、弾丸は海に投げ捨て、戦利品として大砲を小舟に乗せて持ち帰った。諸隊とてこれを黙って見ていたわけではなく、銃を手に応戦し、敵兵に多少の損害を負わせることに成功したが、統率された敵の動きに圧倒され、退却せざるを得なかった。

 遊撃隊隊長の石川は参謀の所と計り、他の諸隊と合流して馬関の町を守れないか考えているようだ。わずかな干飯などの携帯食で空腹をしのぎながら、諸隊に放った伝令が帰るのを待つ。

 久しぶりに砲撃音が聞こえない一日だった。

 ついうとうとしてしまい、気が付くと辺りは真っ暗だった。

「ああ、起きたのか」

 たき火の明かりを頼りにそろそろと歩いていくと、火の番をしていた所が顔を上げて迎えてくれた。

「すみません、ずいぶん寝ちゃってたみたいで……」

「構わないさ。どうせすぐにどうこう出来る状態じゃないから、交代で休むことにしたんだ。お嬢さんも、もう少し休んでていいぞ」

「いえ、十分休めましたから」

 そっと隣に腰を下ろす。途端、草月の腹がぐおるるると獣の唸り声のような音を立てて鳴った。

(……!)

 固まった草月の横で、所がこちらをじっと見る気配がする。一拍の後――、盛大に噴き出した。

「くっ、くっく……。いや、すまん。笑うべきじゃないのは分かっているんだが」

「し、しょうがないじゃないですか。お腹空いたら、誰だってお腹くらい鳴ります!」

「ははは、悪かった。いや、何ともまったく勇ましいことだ。その大層な腹の虫で、敵の艦隊も怯えて逃げ出すんじゃないか」

 お得意の皮肉まで飛び出す始末。

「今、何人かを台場へ偵察に行かせてる。地下の食糧庫が無事なら、後で少しはましな飯が食えるさ」

 真っ赤になった草月をなだめるようにそう言うと、所は草月が寝ていた間のことを話してくれた。

「伝令の報告によると、海岸沿いの台場を含め、内側に築いた陣屋も全て制圧されたらしい。兵は散り散りになって、まとめるのに苦労しているようだ。連合艦隊はおそらく、明日には本格的に上陸作戦を敢行してくるだろう。もはや上陸を阻む台場の脅威はないんだからな」

「昼間言ってた、他の諸隊と連携して馬関の町を守るっていう作戦はうまくいきそうなんですか?」

「生憎と動ける兵の数は少ないし、銃も弾薬もわずかだ。だが、集められる人数だけで実行するつもりだ。戦力差は比べるまでもないが、地の利はこちらにある。上手く敵を誘導して、各個撃破出来れば、勝算はある。あとは藩の援軍が来てくれるのを願うばかりさ。そっちにも伝令は出してあるが、さてどうなるかな」

 揺らめくたき火の明かりが所の顔に深い陰影を作った。

(……きっと、すごく厳しい状況なんだ。口が裂けても『勝てない』なんて言わないけど)

 草月はただ黙ってたき火を見つめていた。


                   *


 翌朝。

 台場に残されていた食料で久しぶりに腹を満たして力を付けた遊撃隊をはじめとする諸隊は、わずかな銃器を手に馬関の町へ向けて進軍を開始した。

 すでに住民が郊外へ逃げ去った後の無人の町は、痩せた野良犬が徘徊しているばかりで閑散としている。よほど慌てていたのだろう。通りには食器や着物などの家財道具が散らばっている。

 それらを横目に、隊列は粛々と海岸を目指した。

 先頭を銃を持った兵達が進み、その後をがらがらと音を立てて曳かれていくのは二門の六斤山砲だ。台場がことごとく破壊され、大砲も持ち去られた今、残っているのはこの移動式の大砲だけだ。しんがりを、荷車に弾薬を積んだ草月ら補給部隊が続く。

「いいか、俺たちが最期の砦だ。何が何でも敵に馬関を突破させるな! 全員討ち死にしてでも守り切れ!」

 沖合の敵艦を見通せる位置に陣取ると、隊士らを前に石川小五郎の檄が飛んだ。おおう!と応える声が地鳴りのように辺りに響きわたる。草月もその熱に浮かされたように拳を振り上げていた。

 砲撃部隊は、すぐさま砲撃準備に取り掛かった。据え付けの砲台と比べればかなり小型とはいえ、それでもこれを撃つのは八人がかりだ。

「発射――!!」

 号令と共に、二門の砲身からほぼ同時に砲弾が発射された。

「敵、前方の海面に着弾確認!」

「復座急げ! 砲弾と信管を持ってこい!」

 発射の衝撃で大きく後ろに後退した台車を数人がかりで元の位置まで引っ張る。だが、次弾を装填する間もなく、敵艦から迎撃の砲が放たれた。

 威力も精度も段違いのそれは次々と周りに着弾し、応戦しようにも爆風にあおられ、思うように装填作業が出来ない。その時、一発の砲弾が狙いを大きく逸れて町の東に着弾し、たちまち火の手が上がった。

「くそっ! そこの五人、消火に回れ! 町が焼かれることだけは何としても阻止しろ!」

 不意に山砲のすぐそばに砲弾が落ち、凄まじい音を立てて山砲がひっくり返った。

 誰か下敷きになったのか、苦悶の声が聞こえる。

「大丈夫か! 早く大砲を起こせ! 手の空いているものは手伝え!」

 急いで草月も前に飛び出し、息を合わせて砲架を持ち上げる。わずかに上がった隙に、待ち構えていた隊士が、挟まれた隊士を引きずり出した。

「心配するな。骨は折れてない」

 素早く所が応急処置をほどこす。

「お嬢さん、その辺から戸板を持ってきてくれ。こいつを乗せて、山の拠点に運ぶ」

「分かりました!」

 たが、またしても撃ち込まれた砲弾により、たちこめる白煙と石つぶての雨に目も開けていられなくなる。もろに煙を吸い込んでしまい、ごほごほとむせた。

 苦しい。息が出来ない。涙がにじむ。

 砲弾は民家の屋根を砕き、壁を破壊し、地面に大穴を開けていく。誰もがこれまでか、と思った時。


 ――突如、砲撃が止んだ。


                *


「――――?」

 急に静かになったことに、隊士たちの間に戸惑ったような空気が流れる。

「一体どうしたんじゃ?」

「弾切れか?」

「と、とにかく今が好機じゃ! 弾込め、急げ!」

 砲兵部隊がにわかに活気づく間に、草月の持ってきた戸板に乗せられた負傷兵が、隊士二人によって運ばれて行く。

「照準よーし! 撃……」

「お待ちを――!!」

 石川の言葉を遮るように、後ろから男が慌てた様子で駆けてきた。山の拠点で待機していた隊士の一人だ。男は倒れ込むように石川の前まで来ると、一息に告げた。

「山口より伝令! 『長州は異国との戦闘を中止。これより和議の交渉に入る。よって、今後一切の戦闘行為を禁ずる』、との由にございます!」

「何……?」

 あまりの急展開に頭がついていかない隊士らに構わず、男は続けて言った。

「今、この馬関の海岸に、和議の使節として藩主様の名代を命じられた方たちが来ているそうです。敵方の受け入れ態勢が整い次第、敵艦に乗り込み、交渉に当たると」

(和議……。なら、もう、戦わなくていいってこと……?)

 草月は気が抜けたように呆然と立ち尽くす。

「それで、その名代にはどなたがなってるんだ?」

 いち早く立ち直った所が尋ねた。だが、男はそこまでは分からないと首を振る。所の目がすっと鋭くなる。考えている時の癖だ。ややあって顔を上げた。

「石川さん、ここを頼めるか? おそらく使節の一人は井上さんだろう。俺と草月で、和議の経緯や詳細を聞けないか、行ってみる」

 え? と間の抜けた声を発したのは草月だった。石川はそれに構わず、快く了承した。

「行くぞ、お嬢さん」

「は、はいっ」

 草月は隊士らにぺこりと頭を下げると、慌てて所を追った。

「異国と交渉するなら、イギリスに留学して英語に通じている井上さんと伊藤さんの存在が不可欠だ」

 追いついた草月を振り向きもせずに、所が説明する。

「あの中で一番、和議に賛成かつ二人と親しい者といったらあんただからな。話を聞くにはうってつけだ。間に合えばいいが」

 しかし、草月と所が海岸近くまで来た時には、浜にはお付きの小者らしき数人がいるだけで、井上と伊藤の姿はなかった。

 海へと目を向けると、もう旗艦に向けて小舟を漕ぎ出したところだ。

「あれは――、井上さんと、長嶺さんか……? あの御大層な直垂を着た御仁はどなただ? いずれかの御家老か……?」

 だが、なぜだか草月には、ひと目見た時から分かっていた。

 それがたとえ、見たこともないひらひらした装束に身を包み、頭におかしな帽子をちょこんと乗せた後ろ姿であっても。

 気が付けばもう駆け出していた。

 土手を駆け下り、海岸の砂地に足がめり込むのも構わずに一心に駆け続ける。

 思いのままに叫んだ。



「――――高杉さん!」



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