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花信風  作者: つま先カラス
第一章 長州動乱
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第11話 決戦、四ヶ国連合艦隊・前

 連合艦隊の出現に、奇兵隊を始め諸隊の面々はついに異国との戦が始まると、過剰なほどの興奮ぶりを示した。

 遊撃隊が守備する亀山台場でも、石川小五郎や所郁太郎の指揮の下、すばやく臨戦態勢が敷かれた。

 砲兵はいつでも撃てるよう大砲の準備を整え、狙撃兵も敵兵の上陸に備えて銃を手に持ち場についた。

 草月の属する補給部隊もまた、要請があればすぐに砲丸や弾薬を運べるよう、弾薬庫から弾の入った木箱を持ち出して拝殿前に用意した。

「草月は俺と一緒に、西側にある大砲の砲弾補給の担当だ。よろしく頼む」

 すっかり顔馴染となった隊士に分かりましたと答えながら、草月は焦る思いで彼方の艦隊を見つめた。

(伊藤さんと井上さんはどうしたんだろう。あの写真は役に立たなかったの……? このままじゃ、本当に戦が始まっちゃう)

 異国艦隊は沖合に停泊したまま、近づいてくる様子はない。おそらく、明日の攻撃開始にそなえて準備をしているのだろう。

 慌ただしく迎えた五日の朝。

 ようやく井上が馬関に姿を現した。

「遅いですよ、井上さん!」

「うるさい! 政府の奴らがなかなか和議を撤回せんという誓紙を出さんかったんじゃ。それより、こっちの状況はどうなっちょる」

「見てのとおり、外国艦隊を前に闘志がみなぎってますよ。すでに大砲に弾を装填して、命令があればいつでも撃てる体勢です」

「まったく、視野の狭い頑迷な奴らが! ……今、一刻ほど攻撃を猶予してくれるよう英国艦に使いを出しちょる。その間に万が一にでも発砲でもされたら、和議もくそもなくなるぞ。赤根はどこにいる。あいつに奇兵隊を抑えてもらわんといかん」

「赤根さんなら、主力の前田台場の方です。――こちらからは攻撃しないよう、兵を説得すればいいんですね? 分かりました。山田くんや品川さんのいる御楯隊には私が伝えに行きます。もし撃とうとするような人がいたら、何としてでも止めますから」

 草月に続いて横で所も大きく頷き、

「遊撃隊のほうは問題ない。他の諸隊にも手分けして伝えるよ。確か、八幡隊の総督は堀真五郎どのだったな。彼は人望がある。協力してもらえば何とかなるだろう。だから井上さん、何としてでも和議をまとめてくれ」

「分かった。お前たちも気を付けろ」

 ……だが、井上が赤根を説き伏せ、奇兵隊を抑えることに成功した時には、大きく昼を回っていた。和議交渉のため小舟に乗って英国艦へたどり着いた時にはとうに攻撃猶予の時間を過ぎており、もはや平和的解決の段階ではなくなっていたのである。

 二十隻もあろうかという巨大軍艦の群れが、三手に別れてゆっくりとこちらへ向かってくる。

 戻って来た井上は、すでに腹をくくっていた。

「こうなったら、この身は滅びようと戦うほかはない。わしは山口へ行き、殿より一大隊をもらい受け、敵の山口侵攻を食い止めるつもりじゃ。お前はどうする。ここは真っ先に敵の砲撃を受けるぞ。馬関の住人には逃げるよう伝えた。お前も逃げるのなら今じゃ」

「いいえ。ここで戦います」

「そうか」

 井上はそれ以上は逃げろと言わなかった。

「そうだ、井上さん。もし高杉さんに会うことがあったら、伝えてくれませんか。久坂さんから預かった言葉があるんです」

「断る」

「え?」

「そんな大事なことは、お前が自分で伝えろ。人に頼むな」

 言外に込められた言葉を、草月は正確に受け取った。

 死ぬな、と言ってくれているのだ。

「……はい。……井上さんも、気を付けて」


                        *


 山口へ引き返すため駕籠に乗った井上は、途上、船木の近くで、馬関へ向かう二挺の駕籠と行き会った。

「――高杉!? お前、座敷牢に入っちょったんじゃないのか!」

 乗っていたのは、なんと高杉と伊藤だった。

 この土壇場で、直に外国を知る三人が揃ったことになる。

 高杉は少しの時間も惜しむように口早に説明した。 

「藩政府から突然呼び出しを受けたんじゃ。じゃが、山口へ行っても周りは右往左往するばかりで、まるで状況が分からん。湯田でようやく俊輔を捕まえたけぇ、ともかく馬関へ行こうとしていたところじゃ」

「無駄じゃ。すでに戦は始まった」

 小郡で敵を食い止めるつもりだと言うと、高杉もすぐさま山口へ引き返すことを決めた。

「高杉!」

 駕籠に乗り込もうとする高杉を、井上が呼び止めた。振り返った高杉に告げる。

「草月に会ったぞ! 自分も戦うと言って、今、遊撃隊と一緒に亀山台場にいる」

 高杉は一瞬目を見張り、ついで心底おかしげに破顔した。

「――あいつらしいのう! 僕らも負けちょれんぞ」


                  *


 七ツ刻(午後四時)頃。

 一発の大砲の轟音を皮切りに、ついに戦の火蓋が切られた。

 敵は前田台場を主力と見定め、真っ先に集中的な艦砲射撃を浴びせかけた。まるで山鳴りのような砲音と地響きが草月のいる亀山砲台にまで届いてくる。

「おい、前田台場は大丈夫なのか。夷狄の奴ら、あそこばかり攻撃しちょるぞ。俺たちも応援に向かうべきじゃないのか」

「勝手に持ち場を離れるわけにはいかん! こちらが手薄になったところを攻撃されたらどうする。ここを突破されたら、馬関の町を守るものがなくなるんだぞ」

「だからって、仲間が苦境にいるのを放っておくのか!?」

 状況の分からない事態に、隊士たちの間でも様々な意見や憶測が飛び交い、ついに、伝令兵の中から偵察兵として数名が送り出されることになった。

 彼らの帰りを待つうち、いつしか砲撃音が止み、静けさが戻ってきた。

(終わったの……?)

 駆けだして様子を確かめたいが、持ち場である拝殿前を離れるわけにはいかない。

 日が沈む頃、戻って来た偵察兵によって、ようやく大まかな状況が分かった。

 連合艦隊の圧倒的な火力にさらされながらも、奇兵隊は良く応戦した。だが、そのすさまじい砲撃の前には、いくら勇猛な奇兵隊士であってもその勇を揮うことは難しかった。わずか半刻あまりで撤退を余儀なくされ、背後の大谷陣屋へ撤退した。艦隊は徹底的に前田台場を無力化すると、悠々と引き上げて行ったという。

 緒戦は完膚なきまでの敗北であった。

 連合艦隊は、おそらく明日にはさらなる火力をもって、残りの台場にも攻撃を仕掛けてくるであろうことが容易に予想された。

 冷えて固くなったおにぎりを水で流し込み、束の間の休息をとる。ここで実際に戦闘になることはなかったものの、ずっと気を張っていたせいか体ががちがちに凝っている。弾薬の確認に来た所が、ぐったりと拝殿の壁にもたれた草月に気付いて近づいてきた。

「眠れなくても寝ておけよ。明日はおそらく、ここにも艦隊がやって来る。体力をつけておかないと、いざって時に動けないからな」

「はい」

 果たして、所の言葉通り、連合艦隊は翌朝、再び攻撃を開始した。

 今度の攻撃目標は壇ノ浦台場だ。

 怒り狂った雷神が百の雷を一時に落としたかのような轟音と共に何十もの砲弾が絶え間なく降り注ぎ、それは土をえぐり、台場を破壊し、兵の命を次々と奪っていった。

 弾丸をまともに受けた兵は原型さえ留めないほどに体は粉々に吹き飛び、辺りは血の海という有様であった。

 集中砲火によって昼前に壇ノ浦台場を沈黙させた連合艦隊は、船首を馬関へ向けて動き出した。御裳川台場、八軒屋台場を次々と破壊し、ついには草月たちのいる亀山台場へとやって来る。

「装填始め!」

「照準を合わせろ! 目標は正面沿岸に停泊する敵艦二隻!」

「用意!」

「撃て――――!!」

 凄まじい地響きと爆音と共に八十斤加農砲から砲弾が発射される。

 だが、こちらがようやく一発撃つ間に、艦隊は何十発もの砲弾を放ってきている。

 たちまち台場は修羅場と化した。

 石垣は崩れ落ち、境内の木々はめきめきと音を立てて倒れる。

 長時間大砲の音にさらされたせいで耳の奥がぐわんぐわんとまるで鐘の中にいるような感じだ。

「おおい! 西側が弾切れだ! こっちに補給を頼む!」

「今行きます!」

 草月も必死で砲弾の入った木箱を持って駆けまわる。

 台場ぎりぎりの海面に敵艦の砲弾が着弾し、盛大な水しぶきが上がった。間髪入れずに、今度は拝殿のわずか一間先に当たって爆発する。

 凄まじい爆風に抱え込んだ木箱ごと吹っ飛ばされる。

 ごろごろと転がり、ふっと気が遠くなって、自分はここで死ぬのかと思った時、ようやく体が止まった。 ふらふらと立ち上がり、口の中に入った砂を唾と一緒に吐き出す。

 状況を見極めようにも、舞い上がる噴煙でろくに視界が利かない。

 やがて――。

「――撤退だ! 退けー! 台場は放棄する! 皆、背後の山へ向かえ!」

「撤退だー!」

「余裕がある奴は、怪我人に手を貸してやれ!」

「銃は持てるだけ持ち出せ! 敵の手に渡すな!」

 口々に叫びながら、皆が裏手へ駆けていく。

「おい、山はこっちだぞ! お前も急げ!」

 明後日の方へ行こうとしていた草月の腕を、隊士の一人が掴んで引っ張ってくれた。

 駆けて駆けて、急な山道をひたすら駆け続けて、砲弾が届かないところまで来たと確信してようやく足を止めた。

 高い木々の間から見える太陽は戦闘前とほぼ変わらない位置にある。

(感覚的には二刻以上も戦ってたような気がしたけど……。実際は半刻くらいしか経ってないみたい)

 すぐさま点呼を取り、負傷者の確認が行われる。

 幸い、隊の中に一人の死者も出なかったが、負傷者は大多数を占めた。特に砲兵として戦った者たちは、敵の放火をもろに受けて、その多くが重傷を負った。

 草月も顔や手足に多数の擦り傷を負ったが、どれも大した傷ではない。怪我人の手当てに奔る所を手伝い、草月も傷口を洗い、布を巻いた。

 ようやく全ての手当てが終わり、気が抜けたように座り込む。

 隊士たちの誰もが、力なくうなだれていた。

 何も考えられなかった。

 未だ砲声が耳の奥でこだましている。

 その時、再び響いた砲声に、びくりとして顔を上げた。

「あの方向は……。まさか、馬関の町か!?」

 死人のようだった隊士たちが急いで立ち上がり、見晴らしのいい場所へと走り出す。つられて駆け出した草月は、そこから見えた光景に唖然とした。

「町じゃない! 台場の方じゃ!」

 馬関の町よりさらに西。

 専念寺台場と永福寺台場、そして最西の彦島に造られた台場からも黒煙が上がっている。弾薬庫に引火したのか、連続する破裂音と共に火の手が上がった。

「くそっ! 奴ら、好き勝手やりやがって!」

 隊士が悔し気に拳を木に打ち付ける。その隣で、別の隊士が呆然と呟いた。

「負けじゃ……。長州は、終わりじゃ……」

「何を馬鹿なことを言うちょる! まだ負けちょらん! 態勢を立て直して、もう一度戦を仕掛けるんじゃ! 白兵戦にさえ持ち込めれば、あんな異人なんかに遅れはとらん!」

 雄々しいその言葉が空々しく響くほどに、圧倒的な完敗だった。

 艦隊は、容易く全ての台場を沈黙させると、まるで演習のように整然と隊列を組んで引き上げて行った。



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