52,それぞれの活躍
キャッスル出版から雑誌の見本が届いたのは、思うよりもずっと早い時期だった。
発売前にいつも楽しみにしている物を見られるなんて、なんだかとても得をしてしまった気持ちになる。
ジェイラスに見せて貰った時よりもずっと深みを増した文章はアート・エアーらしく楽しく魅力溢れる小説に仕上げられていた。
「ありがとう、お父様……大変だったでしょう?」
「頑張ったのはアート・エアーだろう。こんなに短期間で書き上げたんだから」
「そうでしょうね……、それは是非お礼にお伺いしたいわ。お父様はお住まいをご存知ですか?」
エアハート家のタウンハウスは訪ねた事は無かった。
「スチュワートなら、王都のアパートに住んでいる。訪ねるか?」
アパート、という事は一人で住んでいるという事だろうか?とレナは疑問が浮かんだ。
「ええ、お持ちするのは何がいいかしら?」
「パイでも焼いて行ったらどうかな?多分食べることは疎かになっていそうだから」
ジョルダンは笑った。
確かに、基本的な寝食という事がとても不規則になりそうだと納得出来てしまった。
それで、レナは階段下の厨房へと降りて、使用人たちをぎょっとさせ、コック長のミセス ホランドに直接依頼したのだ。
「ミセス ホランド、余計な仕事なのだけれどパイを焼いてもらえないかしら?」
「どんなパイを焼きましょうか?お嬢様」
「若い男性だから………ミートパイとかが良いかしら?」
「それは喜ばれるでしょう」
元々優しい顔をさらにニコッとさせてミセス ホランドは引き受けてくれたのだ。
「ヴィクター様にパイですか?」
ちょうどお茶を飲んでいたミアが聞いてきて、
「いいえ、ヴィクターには違うものを買いに行くわ。パイはスチュワート・エアハート卿によ」
そうレナが言うと、キッチンメイドのマーガレットがギョッとした顔をした。
「では、シルヴェストル侯爵様にもお礼の品を贈られるのですか?」
ミアが聞いてくる。
それはきっと先日の贈り物のお礼という事だろう。
「それは、お礼のお手紙を送るわ」
何か言いたそうな顔にレナはハッとした。
「誤解しないで、婚約者がいる身で他の男性と通じたりしている訳じゃないわ」
確かに客観的に見れば、まるであちらこちらの紳士を良いように扱っている様だ。
「スチュワート卿には頼み事のお礼だし、ジョエルには贈り物を頂いたから……お礼の手紙を出すだけ」
「もちろん分かってますわ、お嬢様」
そうはいっても、普段接しているミア以外にはなんとなくおかしな眼差しを向けられている気がしてしまう。けれど何も言わないのは彼女たちが立場をわきまえているからに他ならない。
「では早速取りかかりますね、お嬢様」
「よろしくお願いするわ」
ミセス ホランドにそれだけを言うと、レナはそそくさと階段上へと足を速めた。
―――だけど……そう見られていると感じるのは、時間が経つと共に都合のいい女の部分に気づいているからかも知れない。
ジョエルの気持ちを聞いておきながら、どうして前と変わらぬ事を望んでるのだろう。
どうして贈り物を、突き返さないのだろう………。
どうして、あの時もっと強くはねのけなかったのだろう。
戸惑いはしても、決して嫌では無かったのだ。
そんな風に、想いを告げられて、レナはヴィクターに言われなかった『愛してる』が、たとえ他の男性であろうと……女としては喜んでしまった気持ちがどこかにがあったのだと。
ジョエルは狡い男だと言ったけれど、レナだって狡い。彼が芯から紳士であることを、そしてレナの事を傷つけるような事はしないと、無意識で分かっていた。
どちらが………誰が、どれだけ狡いのか……。
美しい衣装を纏いながら、それに負けないほどの美しい心なんて持ち合わせてはいない。
身勝手にも、ヴィクターにここに来て何も迷う必要など無いとそう示して欲しい。そうすれば……どうだというのか……。
待つと、決めたはずなのに……。
ほんのわずか……一週間かそれとももっとなのか……。確実性の無い待ち時間はこれほどまでに心を揺らがせる。
レナとヴィクターを結びつけたのは………幼く古い約束だったから……。
デイドレスを身に着けるのを、ミアが手伝いながらもいつもよりも話す事が見つからない。
「ミア、他のお屋敷のメイドの知り合いはできたかしら?」
「はい、お嬢様。例の計画を進める時ですね」
「ええ、そう」
「おまかせ下さい、クレイトン子爵家のおしゃべりなメイドのノラを交えての休みを過ごす予定なのです」
キャスリーンのメイドは、どうやら主人に似ておしゃべりらしい。
「ありがとう、頼りにしてるわ」
白地に花模様のプリントされたデイドレスは、白のレースで飾られてまさしく貴族令嬢らしい装いだ。
「今日は夕刻前に、ミリアがドレスの仮縫いに来ると言ってましたわ」
「分かったわ。もしも戻るのが遅ければ、お茶を出しておいてね。帰りが遅くなるようなら、馬車で送らせるわ」
「はい、そのように」
にっこりとミアは微笑んで、帽子を手にした。
バスケットには焼きたてのパイが準備され、それを持ってスチュアートの家を訪ねる。
御者と従者を付き添いにして、王都の通りへと馬車を走らせた。
閑静な高級アパート階段を上がった所にスチュアートの住まいはあり、従者を一人伴いドアをノックすると、出てきたのはジェイラスだった。
「あれ、まさかこんなところに訪ねて来るなんて思わなかった。スチュアートはまだ寝てる、もうすぐ起きると思うけれど」
ジェイラスが出てきて驚いたのは、使用人がいないという時実にだ。そして彼はコートもタイも身につけず着崩した格好だったから。
だから、目のやり場に困ってしまった。
「突然来てしまったから、これを執筆のお礼にと思って持ってきたの。良ければ二人で召し上がって」
「パイ?」
「そう、うちのコックが作ったものよ」
「ありがとう、多分喜ぶ。こんなところに上げるわけには行かないから、玄関先で悪いね」
「いいの、気にしないで。まさか……」
「執事がいないのに驚いた?」
「ええ、実はそう……」
「本当にお嬢様だな。世の中には執事がいない家の方が多いんだけど」
クスッとジェイラスは笑った。
「そう、よね。失礼だったわ」
「いや、こんな格好でレディの前に出るべきじゃ無かった。ゴメン、ヴィクターには内緒に、でないと多分半殺しだ」
目を床の方へと向けているレナからバスケットを受けとると、ジェイラスは
「スチュアートに必ず渡しておく。ありがとうレナ」
それに頷いて扉を従者が閉じるのを任せた。
それから、大通りの店を見て回りヴィクターへお礼の品物を探して、珍しいブラックダイヤのカフスを見つけた。力強さを感じるその石を何となくこれだと選び、レナはそれを買い、ミアやミセス ホランドたちの為のお菓子を買って帰路へと着いた。
レナを待っていたミリアは、民族衣装を真似たドレスとヴェールを広げていた。
「お嬢様、見てください。こういうのも楽しいですわね」
ミアがうきうきと華麗な民族衣装を眺めていた。
「本当、素敵」
あまりドレスでは着ないようなブロンズカラーに、グリーンとオレンジの宝石が肩から胸元へと飾り付けられている。同色のヴェールには縁が紅く、キラキラとした石がまばらに着けられていて、額飾りとイヤリング、ネックレスにはゴールドに赤い石が付いていて普段と違うエキゾチックな雰囲気がワクワクさせられる。
何度かレナのドレスを作ったミリアは、仮縫いの状態の今、ほとんどピッタリに仕上がっている。
「今回は大変だったでしょう?」
「いえ、伝を使ってたくさん材料を仕入れられましたから」
「そうなの?」
「基本の形は変わりませんから」
全体のバランスを見ながら、微調整を繰り返し疲労感を覚える前に終わった。
そして、片付けているミリアが思いきったように口を開いた。
「お嬢様にお聞きしたいのですが……」
「なにかしら?」
「レナお嬢様は、ギルセルド王子のお妃候補だったとお伺いしたのですが」
「………確かに、そのような話はあったみたい」
「それならお嬢様は……婚約者の方を快くは思えないですよね?」
「レディ セシルの事を悪くなんて思えない無いわ。だってわたしは望んではいなかったもの。むしろ……好ましく思っているかも知れないわ、会ったことも無いのに。きっと素敵なレディだとそう信じてるの。何せレディ アンブローズが養女になさったのだもの」
レナの言葉にミリアは明らかにホッとした顔をした。
「それを聞いて、ほっとしました。実は彼女は友人なのです」
ミリアの言葉に驚いたのはレナの方だった。
「友人?」
「はい、幼い頃から知っています。だから……彼女が貴族になって驚いてます」
「――――聞いた?ミア。ミリアにも協力を頼めるのじゃないかしら?」
「はい、私もそう思います!」
ミリアは人気が出てきたドレスメーカーだ。こうして貴族の令嬢たちとの取引は多くあり、メイドたちとも親しくなる。
「レディ セシル・アンブローズの為にミリアには是非協力をお願いしたいの。難しい事じゃないわ、ただ、噂話を少しだけ意識して聞いて欲しいの」
「セシルの為なら」
しっかりと頷いたミリアにレナは強力な味方を得た気持ちになれた。




