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49,もつれた糸

 家にヴィクターがキースと共に来てから、二人との話の内容をどんなものであったのかだけでも聞きたかったのにジョルダンは留守がちで、顔を合わすことすらなかなか難しかった。


顔を合わせにくい理由のひとつには、レナ自身もアークウェイン邸での準備の為に、ヴィクターが不在の屋敷を訪れていたという事もあった。


「レナ様、ようこそアークウェイン邸へ」

執事から、従僕、上級メイドまできっちりと揃って出迎えられて、その歓待ぶりにレナは圧倒されてしまった。

しかも通された応接室は、客人用の部屋ではなく家族が私的に使用する部屋で室内は美しいファブリックで整えられ、切りたての花で飾られさりげなくいい香りを漂わせていた。

執事のロビンスも、家政婦長のミセス ベルも、レナの準備にとても協力的過ぎるほどで、アークウェインの使用人が一丸となって取りかかっているという気合いがひしひしと伝わってきた。


その気合いの入り様には圧倒させられるほどで……例えば。


「舞踏ホールの壁は、新しくさせましょう」

うきうきとミセス ベルが言ってきて、レナをぎょっとさせた。

「でも、それはあまりにも大変でしょう?」

「お若い方々のパーティーですから、しみったれた古い壁はあまりにもそぐわないものです。思いきって新しくしてみましょう」


確かに、永年取り残されたような室内は、掃除はされていてもどことなく湿っぽい空気さえある気がしてしまった。


「大丈夫なのかしら?」

レナがそう言うと、

「今の流行に変えてしまいましょう」

にこにこと、ロビンスも頷いた。

「元ある銀食器に、新しい陶器やグラスを、それからワインに食事、それに人員も領地から応援を呼びますので、完璧にもてなしを。アークウェイン伯爵家は名前と箱だけだとは言わせません!」

気迫のこもった口ぶりに、さぞかしこれまで歯痒い思いをしてきたのかも知れないとレナはロビンスとミセス ベルを見つめ返した。


「ありがとう、とても心強いわ。ロビンス、ミセス ベル」


そして、庭師は庭の温室の花を全て無くしてしまいそうなほどの飾りつけを呈示してきたのだった。


***


 そして、準備は順調ながらもそんな忙しい日々の中、ジョエルとの約束のグレイ侯爵家を訪問する時が慌ただしくやって来た。


クリストファーが、カーラに求婚中だというのは当人から聞いて知っている。けれど親族とはいえ、カーラと親しくない自分を伴う理由は何だろう?


迎えに来た馬車に乗り込むと、しばらくの沈黙の後にジョエルは微笑んだ。


「思ったよりも、元気そうだ」

彼がずっとレナの事を本当の妹かの様に心を砕いて接してくれていることは分かっていた。だから、今回の事は気分を変えさせて元気付けさせる為かとそんな風に思った。


「あの噂の事を?」

レナがそう問い返すと、

「ああ……。何も感じない、人はいないだろう」

もちろんそれは、辛いことだったけれど、良く知らない人達まで皆が知っているという事にも、それに対して何でもない、もしくは何らかの反応をするのは更に辛いことだった。


「ええ、そう。それは無理ね」

「カーラは、元々明るい子なんだ。レナとも気が合うんじゃないかと思ってる」

「レディ カーラと?」

「そう」


ほどなくして馬車は、グレイ侯爵邸へと着きジョエルは洗練された動作でレナをエスコートし高さのある馬車から下ろした。


グレイ侯爵邸は、武門派の筆頭らしく造りは古い時代を感じさせる伝統的な物で、博物館のようだ。


マリー・グレイ侯爵夫人はキースの姉。だから、キースにそしてヴィクターと血の繋がりを感じさせた。ダニエル・グレイ侯爵は、重々しい雰囲気があり、気難しい印象があるが、彼は母 グレイシアとは従兄弟の関係にある。


「グレイ侯爵、侯爵夫人、彼女はグランヴィル伯爵令嬢レナ・アシュフォードです」

ジョエルの言葉にレナはお辞儀をした。


「デビューおめでとう、今年は色々と事が重なってしまって、お祝いが遅くなってごめんなさいね」

「いいえ、こうしてお目にかかれて光栄です」

マリーの言葉にレナは微笑んで会釈をした。


「レディ グランヴィルは領地なのですって?お母様が側にいらっしゃらないのは心細かったでしょう」

暖かみのある言葉にホッとする。

「そうなのですが、幸いレディ アシュフォードがわたくしの母がわりをしてくださいました」

「ええ、そう。彼女は立派な貴婦人なのだけれど……少しばかり完璧主義過ぎるのよ、ね?」

いたずらめいた言葉が否応なしにヴィクターとの繋がりを思い出させた。

沈黙の中にも肯定を見てとったのか、

「この事はわたくしたちの秘密ね」

何というか、とても美人なのにキュートな女性だ。


「グレイは、怖い雰囲気かも知れないけれど、無口なだけなの。怒ってる訳じゃなくて」

こそっとが、少しもそっとではなく丸聞こえだった。

「―――母上は、お元気か?」

表情の乏しいダニエルにそう言われて、『怒ってはない』とレナは唱えながら向き直った。

「はい。昨年出産致しました所で、今シーズンは領地で過ごしておりますが、変わらずに」

「そうか」


「これでも、グレイは気にしているの。貴女はうちの一族でもあるのに、何も出来てない事に」

まるでマリーは、ダニエルの通訳のようだ。だから、上手くいっているのかも知れない。


ダイニングルームは広く、侯爵夫妻、ジョエルとレナ。それにカーラとクリストファーでは使うのでは広すぎるくらいだ。

カーラは黒い髪に、緑の瞳をしていてとても美人だった。


「カーラ、レディ レナ。今年のデビュタントの中で一番の美少女だよ」

クリストファーがエスコートしていカーラにそう紹介した。


「今年一番だなんて」

「これでもずいぶん差し引いてるよ。王家の姫たちとフェリシア妃と君を除けば、一番だと言っても過言じゃない」

「ギルモア侯爵閣下は誉め上手なのですわ」


「ギルモア……?ああ、クリストファーはそんな呼び名もあったわね」

ふふっと笑みながらの声は、軽やかな音を奏でる楽器なようだ。

「わたくしたちは再従姉妹なのですって。これからよろしくね、レナ。ゆっくりとお話したいから良ければクリストファーの代わりに手を取って下さる?」

「ええ、もちろん」


並んでみると背はほとんど同じくらい。

レナの肘を取りながら、歩くけれどその足取りは危うさは無い。


「ほとんど見えなくても、わずかな光と慣れた場所なら歩けるの。失明したのは子供の頃なのだもの。あと10歩で端の椅子、そこからさらに20歩でわたくしの席よ」

「レディ カーラは信じられなほど、優雅に歩まれてますわ」

レナが言うと、顔をそっと向けて微笑んだ。


「カーラでいいの。今日は隣に座って欲しいけれど……」

「それは駄目だよ、カーラ。レディに椅子引きをさせるつもりか?」

やれやれと言いたげなクリストファーは、カーラの椅子を引いてレナからカーラの手を取り上げた。


「クリストファー」

抗議するような声に、

「君が私を避けたい事は分かってる。でも、今日はそれを置いて、食事を楽しもう」

クリストファーはそうやんわりとカーラの背に軽く手を添えた。

「……分かったわ。その代わり、貴方もおかしな話はしないで」

「少しもおかしな話はした覚えは無いけれど、善処しよう」


席につくと、料理が運ばれてくる。

「今夜は、招待を受けてくれてありがとうレナ。ジョエルもありがとう」


今夜の招待は、グレイ侯爵からのものだったのか。

「先の侯爵が……レディ グレイシアがうちを頼って来てくれた時に気づかずに力になれなかった事をとても悔いていたのよ」

「当時ね、わたくしが失明したところだったの。貴女を連れてうちに来てくれた時……だから、お母様は恨んでないかと……。そんなときに頼れるのは一族の長であるというのにって。お祖父様、亡くなる直前はじめて打ち明けられたのよ」


それで……、と何故か疎遠のままに過ごしてきた理由が分かった気がした。


「知りませんでした」

「もしも、レナさえ面倒じゃなければ、お母様にお伝えしてくれないかしら」

「きっと喜ぶと思います」


二度の死別を経験した後は、生家を頼ることは出来なかったと溢した事がある。北方の地では悪い噂が立っていたから、と。


それ故に……父母が、婚前に不適切な関係にあったのだとそんな話を聞いた事もある。それは、このグレイ侯爵家の援助を受けられなかったせい。

裕福でない生家だったのだから、裕福でない未亡人が、後ろ盾もなく幼いレナを抱えての先行きは明るいものでは無かっただろう。

その時に、ここで暮らせていたなら………レナの人生はどうなっていただろう?


先代のアシュフォード夫妻に、無視をされることは無かった。ヴィクターとは幼い頃には出会わず、伯爵令嬢としてデビューはせずギルセルドの妃候補には名前は連ね無かったはずだ。


想像は想像でしかなく、現実ではない。

けれどその人生には、ヴィクターはレナに目を向ける事は無いだろう。伯爵令嬢でない娘と、きっと彼は婚約したりしない。


そして、レナード、ラリサ、ローレンスも誕生しなかったかも知れない。

だから……悪かった事など、無いのだ。


「母は、今きっと幸せですから」

「そう……お祖父様も、それなら安心なさるわ」

「はい」

レナは心からの笑みをカーラに向けた。それが見えた訳では無いだろうけれど、カーラもまた優しい笑顔を返してきた。


「わたくし、本当に貴女がこの家に遊びに来てくれると嬉しいの。何せ、この通り寂しい家でしょう」

そんな風に優雅に話すカーラはとても、素敵な女性だ。

なのに、クリストファーの求婚を受け入れようとはしない。それは、やはり盲目を気にしてなのだろうか?


 晩餐が滞りなく終わり、男性たちと女性たちは別れて、応接室でゆっくりとくつろいだ。マリーとカーラの隣に座りワインを手にした。

「こんな事を言うのはとても失礼なのでしょうけど、貴女はとても……素敵なレディだわ。なのに何故求婚を受け入れようとしないの?」

「知っての通り、盲目だからよ。クリストファーの妻は未来の公爵夫人。わたくしではつとまらない」

「ではどの家なら務まるとお考えになりますか?」

「どこへも」

「この家にずっといらっしゃるの?」


「レナは率直なのね」

ついにカーラは声を上げて笑いだした。

「奥歯に何か挟まってる様な人よりもずっとわたくしは好きよ」

「それは、貴女がわたしに率直に話して下さったから」

「わたくしのような者にとって、何かを変える決断はとても怖いものよ」

「それを、ギルモア侯爵閣下には伝えられたのですか?」

「クリストファーは……わたくしとは幼なじみで、ずっと見守ってくれてきたのよ。だから、わたくしの言いそうな事は全て論破してしまう。一つ不安を言えばそれをすぐに解消してしまう………だから言えないわ。だからただ、受け入れないだけ」


「諦めるのを待つのですか?」

「そうよ」

「そんなことを言って、本当にクリストファーが去ったら泣くわよカーラ」

マリーの言葉にカーラはきっと母の方を睨んだ。


「目はそれほど貴女の足を引っ張ってるとは思えないわ。だってマールバラ公爵家の血筋と家柄から言えばぴったりだわ。それに貴族的に言えば貴女の仕事は跡継ぎをもうけることよ……あけすけに言えば。公爵家なら、メイドもたくさん居るから手紙を書く必要もないし、それに一人で何もかもする必要もないのだもの」

そう言うと次はマリーが笑いだした。


「レナは本当に面白いわね。そんなことをカーラに言う令嬢なんて知らないわ」

「レナは知らないのよ。わたくしが、王太子殿下に色目を使ってるって噂があったこと、盲目というハンデを使って……妃殿下はわたくしを嫌ってるわ。マールバラ公爵家のためにならない」

レナはそれを聞いて目をぱちくりさせた。

「妃殿下とは、フェリシア妃殿下ですか?」

「そうよ、きっと殿下に馴れ馴れしく話しかけたとご不快なの」

「レディ………いえ、カーラ。フェリシア………は幼なじみですけど、そんな話は聞いてないわ。カーラの事を嫌うなんて無いと思うの」

「でも、手紙が来たのよ。妃殿下から、王宮に来てくださいって……。目が見えないから、どんな表情をされていたのかも分からなかったわ」


「分かったわ、わたしが代わりに、フェリシア妃に聞いてきます。それで、納得したなら目の事を考えずに、ギルモア侯爵とのことを考えてみられますか?」

「レナがそこまで、言うのならそうするわ」


思わぬ事まで、背負ってしまった。けれど、カーラは親戚で、素敵な女性だ。

後悔なんてしてほしくない。レナとカーラの会話を向こうから気にしているクリストファーのためにも。

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