34,王宮への招待
扉の前でヴィクターと別々にこっそりと大広間に戻ると、広間の一画にいたアンジェリンと目が合い、親しげに微笑まれ、そして扇で合図されて側に来るように促された。
側まで進みお辞儀をすると、
「すぐに来てくれないなんて、友達なのに、ひどいわレナ」
「申し訳ありません、殿下。たくさんの方がいらっしゃったので」
挨拶周りをした時には、アンジェリンたち王家の姫にはたくさんの人が幾重にも取り巻いていて、押し退けるよりも落ち着いた頃にとヴィクターとその時は断念したのだった。
「もぅっ、押し退けて来てくれないから、聞きたくもない挨拶を延々聞かされちゃったわ」
くすくすとアンジェリンは笑った。
「プリシラ殿下は?」
ふと周りを見回してもプリシラの姿は見えなかった。
「いつも姉妹でくっついているわけじゃないのよ?」
まるで対のような二人が別々というのに珍しく感じてしまう。
「仲が良くていらっしゃいますから」
「そう。でもね、同じ人に嫁げる訳じゃないのだから姉離れしないといけないわ」
冗談混じりに話すアンジェリンは、それでも明るい表情だ。
「そんなお話がおありなのですか?」
「年齢的にはそろそろ……、ないといけないでしょうけどね」
完璧な微笑みを浮かべてレナを見て、そして少し離れた所に立ちマールバラ公爵家のクリストファー・リーヴィスと話しているヴィクターに視線を向けた。
「素敵よね、ヴィクター・アークウェイン―…年下なのが残念だけれど」
「えっ……ええ……」
「………」
一拍の後、アンジェリンは扇を広げてくすくすと笑いだした。
「レナったら、本当に可愛いわね。コーデリアが肩入れするのも分かる気がするわ。貴女みたいに特別に好きな相手でもいればまた違うのでしょうけれどね」
「特別だなんて」
「恥ずかしいことじゃないわ、むしろこの世界では羨ましい事よ?」
そんな風に、見えるのだろうかとレナはドキドキしながら、ヴィクターを見ると話ながらちらりと視線を向けてきたその緑の瞳と目があって、頬が赤らむのを感じた。
この世界の結婚では……、ほとんどの場合家と家との釣り合いや、両家の意思がまずは優先される。自由に相手を探しているようでそうではない。ヴィクターとレナはお互いの家格、年齢の釣り合いも丁度良いと言える。何よりも親同士の仲が良い。
「フェリシアに良い話が出来たわ」
アンジェリンはそんなレナを見ながら、笑みが溢れてなかなか収まらないようだった。
そんな最中に、ヴィクターはクリストファーを連れて二人の方へと歩み寄ってきた。
「レナ、ギルモア侯爵 クリストファー・リーヴィス卿を紹介するよ、、婚約者のレナ・アシュフォードです」
レナは立ち上がり、お辞儀をして
「はじめまして、侯爵閣下、お会いできて光栄です」
「クリストファーで構わないよ。そのうち嫌でも閣下としか呼ばれなくなるから」
穏和な語り口のクリストファーは、こういう場合のマナーとして手を差し出した。ジョエルもだが、公爵をいずれ継ぐ男性はそれまでの爵位を名乗りたく無いのだろうか?
「お近づきの印に、踊りながらお話しませんか?」
「はい、もちろん」
レナはその手に手を重ねて、ヴィクターを横目で見送った。
「幼馴染みだそうですね?」
「ヴィクターからきいたのですか?」
「そう。実は私も、幼馴染みの女性に求婚しているのですが、なかなか受け入れてもらえなくて、最近婚約したばかりのヴィクターに相談したんだ」
ニコッと微笑んだクリストファーは、見た目は華やかな容姿とは言えないが、緩やかなウェーブを描く褐色の髪も、優しげな顔立ちも穏やかな琥珀色の瞳も、理想的な紳士そのもので女性が断る要因が見当たらない。しかもゆくゆくは公爵となる身だ。
「なぜ、何でしょう」
「売れ残りそうな自分に義務感で求婚してると言われました。なかなか手強いです」
「まぁ!」
けれど、レナにはその人の気持ちも分かるような気がした。他ならぬレナ自身が仕方なく婚約したのじゃないかとはじめは思っているし、今でもヴィクターの本当の気持ちを知りたくて仕方がない。
「突然で戸惑っていらっしゃるのでは?」
「私なりにはずっと、大切に彼女を想っていたしそれを態度に表してきた。だから、突然で……というのは思えないんだ」
微笑みの中には、どこか焦りのようなものも見え隠れする。
「目が不自由だというのを……気にしてる。自分は公爵夫人にはなれないとそう言うんだ」
目が不自由、と聞いてレナはあっとその女性に心当たりがあった。
「レディ カーラ……なのですね?」
再従姉妹とはいえ、グレイ侯爵令嬢 カーラ・グレイとはあまり交流はしてきていない。
「結婚の話は……されずに、二人でお出掛けになられてはどうでしょう?幼馴染みとか、そういうの関係なく……」
「まずはそれに応じてくれるかどうか、だな。そもそも本当に嫌がられてるかも知れないしね」
微かな落胆の響きがあり、レナは見上げてまじまじと見てしまった。
「落ち込んでるように見えた?」
「えっ?」
「どうもね、私も貴族の端くれらしくそれらしい表情が上手くてね、カーラにはそれが通じない。視覚に訴えられない分、本音に敏感だから」
「今のも、嘘の顔なんですか?」
「そんなつもりはない。だけど、本当にそう感じてると思えないと言われると、自分でも分からなくなってきてね。カーラを妻にして大切にしたいという気持ちには偽りはないけれど」
「自分の事さえ、分からないというのはあると思います。レディ カーラも……良くわかっていらっしゃらないのかも。もしかすると、結婚することすら諦めていらしたのかも」
「だからこそ、カーラがイエスと言いさえすれば事は済むようにしたんだけれど」
十二分に根回しを整え準備万端な響きを感じてレナは思わず笑ってしまった。
「だから、かも。……イエスを言うのが怖いんですきっと……、イエスをいってしまえば自分の意思さえ関係なく進んでいきそうで。よく閣下の事を知っているからこそ、それが分かってしまうのかも」
クリストファーはきっと、全てをきっちり整えてカーラに求婚したに違いなく、一方のカーラは何の準備も整っていない。ただ流されるのは好まないのだろう。
「なるほど」
「すみません、全て憶測です。わたくしはあまり、レディ カーラとお話したこともありませんし……」
レナ自身も、婚約が決まった時はヴィクターの事が怖いような気さえしていた。けれど、ヴィクターはそんなレナに、いつもきちんと向き合い続けてくれている。今夜だって、嫌な想い出になるはずのアドリアンとのやり取りを、子供みたいに脱け出すという行動でまぎらわせてくれた。
そう思うと、ヴィクターがレナに対して心を砕いて接してくれている事にふと気づいてしまった。
そんな彼に、自分は何が出来るのかと……首を巡らせてアンジェリンと話している姿を視界に捉えた。
「いや、憶測でも、参考になった。もう一度諦めずに頑張ってみるよ」
クリストファーの言葉にレナは微笑んで頷いた。
そんな会話をしたものだから、レナは次にヴィクターと約束のワルツを踊ったときに……
「また……バルコニーにリボンを飾ってもいい?」
と囁いた。それはまた、部屋に忍び込んでと言っているような物だ。
けれど、レナにはヴィクターの部屋に忍び込むような技は無い訳で、いつもイタズラの主導権はヴィクターで……こんな風に気持ちを確かめたくなる。
「レナがそんな風に誘うなんてな」
驚きは、ほんの僅かですぐに艶然とした笑みが彩りレナはきっと瞬間で酔ったかのように赤くなっただろう。
「もちろん飾って」
親密すぎるほどの距離で、なんて事無い台詞なのに何時間分の体力を奪う力があった。
「ヴィクター……近すぎ、る」
「そろそろみんな、酔ってるから他人の事なんて気にしてない」
そう言いつつヴィクターの捉えた視線の先には、ジョエルとそれからエリアルドをはじめとする高貴な男性たちのいる場所で、レナはふと、聞いてしまった会話を思い出した。
「さっきの」
「他の男の名前なんて、今は出したら怒る」
ジョエルとコーデリアの事を話そうとしたのを察知されて、レナは目を丸くした。
「絶対に駄目だ」
「レディ カーラの事は?」
「カーラ?ああ、話したんだ?」
「どうしようもない、俺だってカーラの事なんて分からない」
親しげな口調に思案を巡らせると、
「カーラと俺は従兄弟だけど、忘れてた?」
「あ………そうだった!」
グレイ侯爵夫人は、ヴィクターの伯母にあたるのだ。
「グレイ侯爵家はレナにとっても親族にあたるのに、うっかりしているな」
貴族名鑑のよく知らない家ばかり必死に眺めていたから、つい忘れがちになってしまっていた。
「まぁ……遡ればみんなどこかしら繋がりがあるようなものだからな。新興の家以外は」
ワルツはやがて終わり、ヴィクターと二人で軽食を摂りに向かう。
「エリアルド殿下と話しているのが、アンブローズ侯爵家のショーン、ブラッドフィールド公爵家のシミオン、それからバクスター子爵。エアハート子爵、後はさっき紹介したクリストファーとルーファスは知っているな?」
レナはその眩しいまでの一団を見て頷いた。
「彼らが次の中枢だと思っていい」
「なんだか近づきがたい雰囲気ね」
「あの中に入るには俺はまだまだ若造なんだ」
少し悔しそうな雰囲気があり、レナは手をかけた肘を少しだけ引いた。
「ヴィクターなら大丈夫。だって……少しも負けてないと思うもの」
「その為にも……ギルセルド殿下には王宮に戻れるようになって欲しい」
こそっとヴィクターはそんな事を呟いた。
「色々とな」
「ヴィクター、それからグランヴィル伯爵令嬢」
見ていた先のエリアルドが、そう声をかけてきて内心飛び上がるほど驚いた。
「またフェリシア妃に会いに来てほしい。なかなか外出もままならずで、気が滅入りがちで、来てくれればきっと喜ぶ」
「はい、お許し頂けるのでしたら喜んで参ります」
「そう、いつでも来てほしい。デビューしてすぐの結婚だったからあまり友人も出来なかったらしくてね」
レナは微笑んでお辞儀をした。
「光栄です、殿下」
素直にフェリシアとまた会えるのはとても楽しみだ。
「なんなら滞在してくれても良いくらいだ。プリシラとアンジェリンも喜ぶだろうしね」
何やら話が大きくなってしまいそうだ。
「構わないだろう?ヴィクター」
「ええ、もちろんです」
エリアルドがにこやかに立ち去ると、ヴィクターの眉はあまり穏やかとは言い難かった。
「……イヤなの?」
「王宮においそれと忍び込めないだろ?」
警備の厳重な王宮はそれは無理だろう。それでもヴィクターならなんとかしてしまいそうだが………。
「でも、まぁフェリシアの事は心配でもあるし。複雑なだけだ」
「じゃあ王宮にも会いに来てくれるでしょう?」
「……よく考えなくても、王宮ほど安全な場所はない。会いに来る」
仕方がないとでも言うような声音にレナはヴィクターの手をキュッと握って「絶対よ」と小さく呟いた。




